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日本では学校の週五日制が始まりましたが、学力の低下などが懸念されています。それに対し、例えばドイツでは初等教育は週五日の午前中しか行われず、他の国でも日本ほど授業時間は多くないと聞きました。宿題も日本のようには出されず、多くの国では教科書も学校においたままだったりするそうです。日本のような塾も先進諸国では珍しいとか。にもかかわらず日本人の学力は低下していると言われ、必ずしも知的レベルも高いとは思えません。一体、何が違うのでしょうか。

A 回答 (6件)

 最初におことわりしておきますが、ドイツでも「学力低下」や「学級崩壊」の問題は存在します。


 先日、エアフルトの高校で卒業試験に不合格となった生徒が銃乱射事件を起こしましたが、学校の勉強についてこれず「塾」のような民間の機関に頼る生徒もいます。両親共働きが増えて、平日午後や週末に子供の面倒を見られないため、平日午後や土曜日の授業を要求する意見もあります。大学の大衆化も進み、「何となく入った」学生が少なからずいるのも事実です。教師の不祥事もゼロとは言えません。
 しかしそういった問題点を差し引いても、ドイツの教育制度から学ぶ点は多いと思います。
 日本との決定的な違いは、やはり大学入試がないことでしょう。
 高校(ギムナジウム)の卒業試験に合格していれば(大学側の定員はあるものの)いつでもどこでも何度でも自由に大学へ通えます。そのため「〇〇大学へ入りたい」よりも「〇〇研究室で××教授の指導を受けたい」と、専攻分野まで具体的に決めるのが普通で、日本のような大学名によるランキングが存在しません。No.3の方が指摘されているように「職人」と「大卒」が社会的に同等だということも人々の意識に影響しているでしょう。
 しかも高校の卒業試験は論述中心なので、センター試験対策のように大量の情報を暗記しても、意味がないのです(日本の受験生が歴史の年号を暗記している、と言うと『年号なんて本を見ればいいのに?』と言われます)。授業も討論や自主研究+発表の形式が多いと思います(これは日本の学校でも増えつつあります)。
 少人数教育であることも重要な相違点です。三十人~四十人学級など、欧州では考えられません。また、秋に新年度が始まり、夏休み前に終わりますから、長い休みで学習内容を忘れさせないようにとたくさん宿題を課す理由がありません。
 また連邦国家なので、各州の独自性を活かした教育が容易に実施できます(『ドイツ文部省』というものは存在しません)。宗教教育の内容も州毎の宗派分布(カトリックかプロテスタント)で決まりますし、それを受けない権利もあります。教科書選定に生徒や親の代表が参加できる州さえあります。一方で、シュタイナー学校のような、独特の方針を持つ教育機関も存在を認められています。
 英語教育もかなり早くから実施されますが、日本の小学英語教育と違うのは、できるだけ複数のヨーロッパ言語の習得が奨励されていることです。日本では「国際化=英語=アメリカ志向」が根強いのに対して、ドイツでは「国際化=複数言語=欧州市民としての自覚」が理想とされているのです。
 ところで、ドイツの教育制度は、昔からこうだったわけではありません。1960年代の学生運動などをきっかけに、画一的・権威主義的なあり方を徐々にあらためてきたのです。今のドイツの指導的政治家の大半がこの「60年世代」であることも、改革を進める原動力の一つだったでしょう。
 それから、他のどなたも指摘されていないようですが、日本は生徒の「ゆとり」以前に、教師に「ゆとり」がないと思います。朝早くから夜遅くまで、休日も出勤して部活の顧問や生活指導、その他の雑務に追われ、真面目な教師ほど私生活を犠牲にし命を削って働いているのです(マスコミはそういう教師の姿を取り上げず、特定の問題教師ばかりクローズアップしていると思います)。
 一方ドイツの教師は、午後三時頃までには校舎から一人残らず姿を消します。その後の時間は家族と過ごすなり、教材研究や自分の勉強をするなり、まったく自由なのです。大学に通う教師さえ珍しくありません(ちなみに、高等教育はすべて無料です)。
 もちろん土日は教師も完全に休みです。日本で「週五日制は先生が休みたいだけ」などという意見を聞きますが、教師が土日ぐらい休んで何が悪いのか、理解に苦しみます。
 No.3の方が「個人主義」ということばを用いておられますが、ドイツでは(昔ほどではないにせよ)家庭や地域社会、教会などがさまざまな形で学校の外の子供達の生活をサポートしており、社会的に子供を育てる伝統が定着していると思います。日本で「ゆとり教育」の大綱が定められたのは十年以上前のはずですが、この春になって慌てている私たちは、今まで何をしていたのでしょう?

>教科書も学校においたままだったり
>
実はドイツでは教科書は貸与制です。そのため装丁もしっかりした、カラフルで分厚い、ずっしり重い教科書になっています。持ち帰らない生徒がいるとしたら、その辺りに理由があるでしょう。(希望者はもちろん購入することもできます)
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私は親の転勤の都合で高校生の時からずっとアメリカ(カリフォルニア)で生活してます。

アメリカも週五日制を実施しています。こちらにも、日本ほど熱心ではないかも知れませんが学習塾は存在します。日本の公文も、アメリカ人を対象にしたのがありますし、サリバンラーニングセンターなんていう全国的に展開した塾もあるので、必ずしも外国では塾通いをしていないというわけではありません。また、アメリカでは(おそらくは他のヨーロッパ諸国でも)日曜日には教会に行く人が多く、それがいわば道徳教育にもなっているのではないかと推測します。宿題についてですが、アメリカで高校生だったときには、数学の宿題は毎日でました。日本で中学生だったときより数学の宿題はずっと多かったと思います。最後に、教科書についてですが、一般にアメリカの教科書は日本のものよりもずっと厚くて内容の面からいえば多いのです。これは大学の教科書に限らず、高校の教科書もそうです。ですから、これこれこういうわけでこうなる、というようなことの説明は、一般的にはアメリカの教科書の方が詳しいです。ただし、それらをすべて暗記しなくてはならないという訳ではありません。参考になりましたでしょうか?ちなみに、参考URLは、私が通っていた高校(公立)のある学校地区のHPです。

参考URL:http://www.iusd.k12.ca.us/
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「暗記」について補足。


詩を覚えるのは、「科学」(自然科学人文科学を問わず)じゃないですから、そりゃ、いくらでも覚えて味わえばいいのです。

「世界史」などという人文科学の科目の勉強として、年号や人名ばかり暗記しているのは、勉強じゃない。たしかに、暗記はみんなそろって「さんにがろく」とか、やりやすいんだけどね。

旧ソ連で、モスクワ大学の経済学部の勉強が「暗記主義」ばかりやっていて、マルクス経済学を日本の大学の何割も勉強する学生(とうぜん教授も)がいなかったとか。その結果のあの国の経済は・・・。
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ドイツ人は、考えの根本に個人主義がある。


それに対して、日本人には「和を持って尊し」とする個人不在、集団依存の考えが根本にあるのだと思います。

小学2年生の娘の友人(ドイツ人と日本人のハーフ)がミュンヘンに帰り、その母親(日本人)の話では、ドイツでは、学校で音楽の授業はない。とか、家庭にピアノがあるのは、100家に数家だろう。とか。
Jリーグの目標は、ドイツのスポーツクラブだといいますが、ドイツでは学校のスポーツクラブというのはないそうです。だから、地域のスポーツクラブが発展するのは当然です。

そんなドイツでは、いま移民が多く、そのため貧富の差、学力の差が大きくなって社会問題化しつつある。と、聞きます。
国を追われ食うや食わずで、子供の教育にお金を払う余裕のない家族のこどもたちの学力が劣るのは仕方のないことでしょう。
しかし、ドイツは個人主義の国。
頑張って勉強をする人は勉強するから大丈夫。勉強が嫌いだったり、得意でない人はいろいろなマイスターになれば尊敬される。
そういう意識です。でも、すべてを自己責任して帰してしまう個人主義の持つ冷たさ、厳しさも存在します。



かたや日本はどうでしょうか。
聞くところによるとtoefelの成績はアジアで格段に低く、韓国にも負けているとか。
でも、その原因は、日本人の英語力のなさにも一因があるのだとは思いますが、経済力を背景に、勉強もしていない人がToefelの試験をがんがん受けて平均点を下げている。
その構図は、大学に行く人の数が増えて、大学のレベルが下がったというのと似た現象といえるのではないでしょうか。


個人主義の国では、自分の意思で勉強し、大人になっていくが、和をもって尊しとする日本では、みんなが勉強するから勉強する。みんながいい学校、いい会社に就職するから、そのために頑張る。
そういう動機からしか、勉強をしてこなかった。

いま、考える力を重視する教育に文部省が取り組んでいるそうですが、それらは、目先の試験勉強の効率を考えるあまり暗記ばかりして、考えるという勉強の本質を実践してこなかった役人や教師たちが自らの人生を反省した結果だとわたしには思えます。
暗記が悪いことではない。
私は中学校のときに、クラス全員で暗記して憶えた万葉集の歌詞をいまでも覚えています。不良だった同級生が暗唱できたときに教室に拍手が沸き起こったときの感動が印象的でした。
ですから、暗記と考えることを二律背反のように考えるのは間違っていると思います。
自分の頭をつかって考えるよりも、丸暗記のほうが効率がいいから、そうしたまでのことです。ですから、基本的な教養もないまま、考える力など唱えても、それはばかげたことと思えます。

結局のところ、教育というのは社会の反映です。
官僚主義がはびこっている国では、科挙のような丸暗記型の勉強をするしか立身出世の道はないでしょうし、ベンチャーがどんどん起こって、成功者が沢山でる国では、丸暗記をしても、小役人にしかなれない。だから、独創的な研究や企画をたてて成功を夢見る学生達が増えていくでしょう。

では、いまの日本は…。

1.
勉強をして頑張って、外務省にはいって、そこで偉くなったとしても、外務省という組織を守るために国会で嘘を言わなければならない。そんな人生って…。
(組織に殉じても、報われることはない。)
2.
勉強をしないで、一芸に秀でたとしても、有名人の子弟やよっぽどの幸運や才能がないと報われることはない。(日本のさまざまな世界に縁故主義がはびこっている。)
3.
ならば、勉強はしよう。でも、それだけではだめ。何よりも自分が発揮できることを見つけ、そのことを一生携わっていけるように努力しよう。

そういう気持ちで私は自分の娘と接しています。
結局のところ、勉強はみだしなみのひとつでしかない。問題はその先なんですよね。


とはいえ、日本全体としてはどうでしょう。

学力や知的レベル、そういうの民主主義の根幹としては、とても重要だと思います。しかし、その民主主義とて、自立した個人がなければ脆弱なものとなってしまいます。

問題は、教養趣味的な話ではなく、人間が何を目標に考え、どう生きるか。

いい大学に入ったり、いい会社に就職することが親とこどもたちの最終目標である限り、東大学生が算数の問題を解けないなどという珍現象はなくならないのだと思います。
なぜなら、算数の問題が解けないからといって、東大のブランドがぐらつくことなどないからです。(…とはいえ、東大生が使えないという噂は、やっかみ半分で蔓延してます。でも、企業の採用担当者は無名の大学の卒業生よりも東大生を選ぶ。その常道が崩れることはありませんよね。)

…ということで、とっても脱線してしまいましたが、カキコしてしまいました。
独断、偏見で気分を害されることがありましたら、ご容赦ください。
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ひとつに、日本では教科のなかに入っている「道徳」などがヨーロッパでは入っていない、とか、「体育」も地域のスポーツ団体中心とか、そんなのもひとつにはあると思います。



あとは、内容の問題でしょう。中身が非効率だから、やたらと時間が必要なのに、中身を充実せずに時間を削る方ばかり考えるから、学力低下が起こってくる。

たとえば、ドイツでは「九九覚え」などしないで、「九九」にあたるものを「表」にして教室に張ってある。
日本の算数で非効率的なのは、「九九覚え」=基礎学力だとおもって、九九が覚えられたら掛け算ができた、と思い、応用して割り算、というふうになっている。理屈は身についていなくても、「今やっている単元」にあわせて「九九」あてはめしていれば「答え」が出る。
だから、小数や分数が出てきたとき、「割り算で答えが大きくなる」ということについていけない。それでも「そういうもんだ」と無理に納得させて次に進むから、忘れないように何回も復習しつづけねばならない。(テストがなくなれば、大学生でも算数が出来ない、という状態になる。身についていないんだから)
「穴のあいたバケツ」状態だから、たえず水を入れていなけりゃならないのですね。

歴史にしても、「本能寺の変」で織田信長を倒したのが明智光秀である、ということを、小学校でも中学校でも、高校になっても「暗記科目」として習います。(小学校教材では、信長は明智軍に囲まれて自害したんだ、とわざわざ説明してありますが、殺されたのも囲まれて自害したのも、歴史的に違いないだろう!)
年号覚えと名前覚えだけに終始して、基本的なことである、たとえば、戦国時代と徳川時代と、明治以後、戦後、と、生産システム、流通システムがどうかわったか、ということはやらない。クイズにはなるにしても、それが現代社会にどうつながるのか、ということがなければ、同じことを何回もやる意味がない。
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くわしいことは、わかりませんが、



今、日本人の学力の低下は、20年前の日本人と比べると、かなりだと、
ききました。日本で、いちばんの大学生の、学力もすごく落ちているそうです。
ひとつに、昔のほうが、ハングリー精神で、貧しいながらも勉強したから、
心構えが違う。などとも聞きましたが、

ひとつには、食生活の変化。(添加物や、乳製品のとりすぎ)や、
ダイオキシンなども、あるかと、思います。

友人のアメリカ人のうちに、行った時、こどもの、参考書のようなものを、
ちらっと見たとき、にほんとは、全く違う内容に、驚きました。
きっと、学習内容も、違うと思います。でも、今、日本も、そういう内容
に、近づこうとしているようです。

shigaさんの、知りたい所とは、違う、答えになったかと思いますが、
あまり、わからないもんで、ごめんなさい。

この回答への補足

私が一番疑問に思っているのは、東南アジアの国々はかなり勉強させているようですが、欧米は勉強する時間も少なく、食生活は日本よりももっと極端で、ハングリーでないにもかかわらず、IT一つ見ても日本よりずっと進んでいるということです。日本人は元々頭が悪いのではないか、とさえ思うわけです。

補足日時:2002/04/14 08:43
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