ホテルを選ぶとき、これだけは譲れない条件TOP3は?

様々なシーンで自由と責任について感じる時ってありますよね。
皆様はどのような時に強く感じますか?
また皆様なら自由と責任について中高年の方、または高齢者の方に
どのように話しますか?ひょんな事から町内会で話す事になって困っています。
漠然とした質問ですが、お力添えをお願い致します。

A 回答 (6件)

公共の場所ではいつも感じる事ですね。



たとえば登山者とゴミの問題とか図書館や病院での子供連れの騒音の問題とか。
人間は社会の中で生きているのですから、当然ながら制約の無い自由などという物は存在しません。
『自分の自由』と『他人の自由』が常に摩擦を起こさずに共存する『責任』があるのです。

例えて言うなら満員電車の中で前や横に手を伸ばしたら他の乗客が迷惑しますが、上に伸ばしたらほとんど迷惑にはならないですよね。
このように自由にも『方向』があると思うのです。
思いっきり何でもできる『方向』と、やりたいようにやると人や社会に迷惑や損失が発生する『方向』ということです。

プライベートな時間にどんなに変わったファッションをしていても全く自由ですが、芸術家でもない限り仕事中はそういう訳にはいきません。
スーツやネクタイなどは自由ですが、当然『制約のある自由』です。

登山者はどんなにたくさんの荷物を背負って登っても自由ですが、山にゴミを捨てないとかゴミを持って下山するとかの『自然を保護する責任』もセットになった『自由』です。

若者に限らず『自由』を全て『制約の無い自由』と履き違えた人はどの年台にもいます。
そういう人を見て見ぬフリをするのではなく、敢然と注意するのも社会人としての『責任』かもしれません。

僕自身も『自由の方向』を間違えることなく、己の『責任』を感じつつ生きて行きたいと思います。

というような話なんてどうでしょうか?(笑)
思い付きですので全く『責任』は持てません、あしからず!(笑)
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この回答へのお礼

大変参考になりました!
“『自分の自由』と『他人の自由』が常に摩擦を起こさずに共存する『責任』があるのです”・・・なるほどなぁって感じです。
ありがとうございました。

お礼日時:2002/04/22 22:04

相手が高卒な以下のか、大学で法学を専攻したことがあるか、


によっておのずと説明内容は変わってきます。
高卒以下の場合、年齢から推測しても、戦前の軍国教育による洗脳効果が
さまざまなので、自由というものに反感を持っている人もいるし、
逆に自由のありがたみを知っている人もいます。
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だれの言葉でしたっけ・・・歴代米国大統領の誰かだったと思うのですが・・・



「自由には責任が伴う、権利には義務が伴う」
実に深い言葉です・・・

最近、考える事が多くなりました。
「果たして、自分は実践出来ているのか・・・?」と・・・

何かを選択する時、「選択する自由はあるが、責任は?義務は果たしているか・・・?」
と、自問自答する機会が多くなりました。
そういう事とは、対極にいる人間だったはずなのに・・・

最近、真面目にこの言葉を「座右の銘」にしてみようか?と、考えています・・・
(イバラの道になりそうですが・・・)

自分の事を棚に上げてでも、言ってみたら如何ですか?
「自由には責任が伴う、権利には義務が伴う・・・我々は果たして実践出来ているか・・・?」
改めて、聞いても良い言葉だと思います。
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 自由とは一定の限度(国籍・身分・年齢・能力・法律…)内での『選択する自由』のことです。


 例えば何かを欲しているとき、それを得るために努力することも、諦めることも、ただ待ち続けることも、また力ずくで奪うことも選択できることが自由と言うことです。
 そして自分が選択したことに対しては、良かれ悪しかれ誰にも文句を言わない、法に従う……が責任をとることです。
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例としてあげるのは.刑法の殺人罪です。


人は自由である。
したがって犯罪を犯す事も一つの自由権である。
もし.死刑・無期懲役・3年以上の懲役(正確な内容は六法読んで.と笑わせる)になってよいのであれば.殺人をする自由がある。当然.死刑になってもらうことにもなるが.これが責任である。

同様に.民事責任(浮気する自由と出来た子供の養育義務)とか行政責任(スピード違反とその時の反則金)の話もします。
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私の場合、海外旅行に出て、誰にも連絡先を教えないときに感じます。



私の考えでは、自由というのは、食べるものがたくさんあって、好きなだけ食べられるということだと思います。

責任というのは、食べるものがあまり無くても、自分は食べずに他の人(たとえば自分の子供)に与えなければならないということだと思います。

極端な意見だとは思いますが、自らを捨ててまで生きて欲しい誰かや、守りたい物のために行動することが責任といえるのではないでしょうか。

でも、これで話をするには、短すぎて参考にならないですね。(無責任な発言をお許し下さい。)
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