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現在、朝日新聞の1面で「いじめられている君へ」という記事が連載されています。
今日は、タレントのソニンちゃんの投稿だったのですが、その中に、いじめられた経験のある人は、辛さがわかるから、いじめをしないと言う内容のことが書かれていました。
私はこれを読んで、何やらしっくりこないものを感じました。

私は現役の高校生なのですが、今の現実の恐ろしいところは、昨日までいじめる側だったものが、次の日にはいじめられる側になり、昨日までいじめられていた側のものが、いじめる側になるところだと思います。
本意ではないが、自分がいじめられないために、いじめる側に加担している場合が少なくないように思います。

みなさんの周りでは、いじめられた経験のある人は、その後いじめをするようなことはありませんか?

A 回答 (19件中11~19件)

そのことから受ける痛みやののしりや、自分にされたことを、自分が嫌だと思ったら、しないであろうね。


もしできるというのなら、自分を裏切ることになる。
いじめられたものの心の中に現れた痛みや、辛さは、いじめた者よりも、人間の心のすれちがいや無関心(しかも純粋な)や人間が間違いを犯しやすい動物であることやなにやかにやなど、より人間というものの深いところで起こっている実態を見通すことができるようになる。
そのために自分はどんな選択をとったらいいか、いじめられたものはもう既に知っている。
いじめられたものは、いじめたものにはない(いじめたものにはけっしてわからない)価値を獲得する。
だからその崇高な価値からみれば、歴然とあきらかで下劣極まりないいじめなど、反吐を吐いてもしたくない。
いじめをやる奴らの醜すぎる心が、くっきりと見えるからだ。
いじめてるやつらは、そのような視点から見られていることはおろか、そのような価値がこの世に存在することすら知らない惨めでかわいそうなやつらなんだ。
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その人によるんじゃないですかね。


あまりに苦痛すぎて屈折していじめに回る人もいるでしょうし、いじめの辛さを経験して「相手も嫌だろう」と考える人もいると思います。

質問者さんがおっしゃる「本意ではないが、自分がいじめられないために、いじめる側に加担している場合が少なくない」は残念ながらあると思います。
去年のクラスでいじめ行為をしている者がいましたが、助ける人は誰一人いませんでした。
そのいじめの主犯格の少女は退学になりました。

現在高校三年です。
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ありますよ。



クラスの女子に「いじめは楽しい」と言い放った子がいます。
いじめをすることについて特に罪悪感はないみたいです。
そして、その子は小学生のときクラスの全員からいじめを受けていたとのことです。

いじめられていた側の子が「いじめ肯定派」にまわるのって、そんなに珍しくないんじゃないかと思います。
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女子高校生です。


>今の現実の恐ろしいところは、昨日までいじめる側だったものが、次の日にはいじめられる側になり、昨日までいじめられていた側のものが、いじめる側になるところだと思います。
本意ではないが、自分がいじめられないために、いじめる側に加担している場合が少なくないように思います。
共感します。
いじめには「次誰をターゲットにする?」みたいな空気がある場合が多いように思います。
それから何がいじめなのか分かりませんが、「みんなそうだから」と思うと
どんなに辛辣な言葉だって簡単に口にできてしまいます。
親しい友達同士の間でも、「死ね」などの言葉を使うのはよくないと思います。

わたしはいじめられた経験はありませんが、いじめに近いことをしたことがあります。
次の標的が自分になったらと思うとやっぱり不安です。
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そんなことはないですよね。


いじめられてた人もいじめますし いじめてた人もいじめられます。
現実は 厳しいですよね
俺が学生の頃に 小学校の頃に周りから無視をされていた人がいましたが 高校生になって
ぐれだして 弱いやつをバンバンいじめていましたよ。
いじめと一言で語っている時点でちょっと 違和感がありますよね。
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こーゆーことは、現実はどうかという問題ではなく、単に言葉のあやの問題であって、前提があいまいだから人によって見解が違ってくるのです。



質問者さんが、『何やらしっくりこないものを感じた』原因は、ソニンの投稿を、『いじめられた経験のある人は、100%いじめをしない』と解釈したためではないですか?

私はその記事は読んでないですが、ソニンも100%とは言って無いと思います。

したがって、『いじめられた経験のある人は、ほとんどいじめをしない』と解釈するのが普通だし、そのほうが現実的でしょう。

自分の考え方を強調するため、あえて断定的な表現をするのは良くあることなので、その点を捕まえて批判するのは、理解力が無いとか、揚げ足取りと思われてしまう危険性がありますよ。
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そんなのきれいごと。


いじめられた人は自分がいじめる側に回らないと
またいじめられるという恐怖が経験的にあるから
積極的にいじめるものです。
いじめはいじめるほうもいじめられるほうも
弱い人間なんです。
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いじめられた経験のある人は、いじめない? そんなの嘘っぱちですよ。

私がいい見本ですもん。

いじめというものは、もちろん、計画的で確信犯的なものもありますが、多くは、臆病さや、浅はかさや、想像力のなさから、ついつい、いじめちゃうのだと思います。

よくよく考えれば相手が傷つくに決まっているのに、大きな波に呑まれて、自分ではいじめていると意識することすらなく、酷いことを相手に言ったりやったりし、それがエスカレートしていくことは多いと思います。

ただ、私も朝日の連載は読んでいるし、先日は、別のコラムでも著名人がいじめを取り上げている記事で「??」と思わざるを得ないものがありましたが、どんな記事にもひとつは教訓が含まれているものです。そんな小さな教訓を見つけ出す努力を怠らないようにするのも、長い目で見ると、いじめをどうにかするための第一歩かも。

いずれにしても、いじめられないようにするのにも、いじめないようにするのにも、人は勇気が要ると思います。
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私は小学校~中学校くらいで、いじめにあったこともありますが


いじめる側になったこともあります。

そもそも、いじめられてると感じるのはその本人だけで
いじめてる方はその意識が無いことが多いです。
ただじゃれてるだけとか、からかっていると言う認識が多い。
第三者に注意されて初めて「あ、俺いじめしてたのか」と気付くのでは無いかと思います。

私もいじめる側になった時は、全くイジメという認識はなかったけど
被害者が先生に話し、先生からかなりきつく怒られた時、
初めていじめに気付いたのです。


私の場合、いじめられた事といじめ側になったこととの間に因果関係は特にありませんでした。
いじめられた辛さを他の人に与えたいと言う考えもありませんでしたし。


何の参考にもならないかも知れませんが…。
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