プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

ジェームズ・ワトソンとフランシス・クリックという科学者は、ワトソンの『二重らせん』という本が出版されて初めて世間的に有名になったのでしょうか。
『二重らせん』という本が出る前は、別に有名ではなかったのでしょうか。
『二重らせん』という本が無かったら、世間で知名にはならなかったでしょうか。

A 回答 (5件)

生物学の教科書には必ずといっていいほど名前の載る人物です。


ノーベル賞を受賞したから、本が出版されたからではなく、
「核酸の分子構造を初めて明らかにした」という事が最も重要であり
それがゆえに名前が知られているのだと思います。

ただし、論文を学会に提出するという行為、自分がそれを発見したのだと世に知らしめる行為はそれなりに知名度を上げる要因にはなった事でしょう。
それでも「メンデル」のように生前一切無視されていた偉大な発見が、後世再認識され名を馳せるという事もあります。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

確かに、学者の間では、学問的業績の高い人が名前が知られるようになるのでしょうけれど、
世間的には、ベストセラー本を書くというのが知名度を飛躍的に上げるような気がします。
スティーブン・ホーキング、リチャード・ファインマン、キャリー・マリス等の人たちは、大衆向けの本を書くことによって有名になったのではないでしょうか?

ご回答は、大変参考になりました!

お礼日時:2006/12/07 14:49

>『二重らせん』という本が無かったら、世間で知名にはならなかったでしょうか。


これは違います。この本がなくても有名になったと思います。
というのも、DNAに関する様々な謎をこれほど論理的に解決できるモデルがないわけです。となると、わざわざ本を出さなくても勝手に教科書などで取り上げてくれるわけです。「ワトソンとクリックが提唱したモデルだ!」とね。そうなると、勝手に一般の人の間でも有名になりますよね。中学・高校レベルの教科書で扱える内容なわけですし。

さて、ここで質問です。
ダーウィンはなぜ、有名なのでしょうか。「種の起源」というベストセラーを出したからでしょうか。

答えはNo。
因果関係が逆です。
その説が有名だから、その解説書がベストセラーになるわけです。
ワトソンとクリックの『二重らせん』も同じですよ。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

『二重らせん』という本が書かれなくても、科学に興味のある理科系の人たちの間では、ワトソンとクリックはある程度有名になったかも知れません。
しかし、『二重らせん』によって、科学にあまり興味の無い人たちの間での彼らの知名度が増したことは事実だと思います。
学校の教科書に載っていながら、彼らほど有名になっていないノーベル賞科学者が他にいますよ。

『種の起源』と『二重らせん』は同じではありません。ぜんぜん違っていると思います。
ダーウィンは、進化論を公表し解説するために『種の起源』を書きましたが、
ワトソンは、DNAの構造を解説するために『二重らせん』を書いたのではありません。単なる娯楽本として書いたのです。
『種の起源』の読者は、進化論を理解するために、その本を読んだのですが、
『二重らせん』の読者は、ワトソンが面白おかしく書いた人間ドラマを娯楽として楽しむために読んだのです。

比較の対象としてなら、“ダーウィン”よりも、“カール・セーガン”や“ジョージ・ガモフ”などが相応しいと思います。
ダーウィンは純粋に彼の学説により有名になりましたが、カール・セーガンやジョージ・ガモフは彼らの学説よりも、通俗書の面白さにより有名になりました。
ワトソン、クリックも、セーガンほどではないにせよ、『二重らせん』という娯楽書の面白さにより、科学と関係のない名声を増やしたと思います。

お礼日時:2006/12/07 20:33

>『二重らせん』という本が無かったら、世間で知名にはならなかったでしょうか。



その本がなくても、以下の理由から、有名であったと思われます。「生物学全体を変える高い独創性のある」モデルを提唱したということです。学者でも政治的なことや宣伝がうまく、有名になるひとがいるのも確かです。

>DNA の構造は、分子模型を構築する手法を用いて1953年にジェームズ・ワトソンとフランシス・クリックによって提唱された (Nature 171 pp. 737-738, 1953)。このDNA分子模型の構築は、モーリス・ウィルキンスとロザリンド・フランクリンによってすすめられていたX線結晶構造解析の画像やエルヴィン・シャルガフによって示されていたDNA塩基存在比の法則などのDNAに関する既知情報をすべて満足させるように配慮しながら行われた。当時、既にDNAが遺伝物質の正体であることは実験的に示されていたが、複雑な遺伝情報を単純な物質である DNA が担っているという考えには批判も多く、複雑なタンパク質こそが遺伝物質であるという意見も強かった。DNAの構造が決定されることで、遺伝がDNAの複製によって起こることや塩基配列が遺伝情報であることが見事に説明できるようになり、またその後の分子生物学の発展にも大きな影響を与えるパラダイムシフトとなった。1962年、DNA二重らせん構造に関する研究により、ワトソンとクリックはウィルキンスとともにノーベル生理学・医学賞を受賞した。

>DNAが二重らせん構造を取っていることは現在では当たり前のことになっているが、1953年以前ではDNAが生体内でどのような形状を取っているかは明らかではなかった。二重らせん構造の提唱以降DNAを実験材料とする分子生物学が発展し、事実クリックは分子生物学の主要な研究に関わりながら遺伝子への理解に貢献した。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E9%87%8D% …
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答していただき、ありがとうございました。
参考になりました。

お礼日時:2006/12/07 20:31

ジェームズ・ワトソンとフランシス・クリックが「核酸の分子構造および生体における情報伝達に対するその意義の発見」でノーベル生理学・医学賞を受賞したのは1962年のこと。



ワトソンの回想録である『二重らせん』が刊行されたのはその20年後の1986年です。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

僕は、ワトソンとクリックが1962年にノーベル賞を受賞している事は、ずっと前から知っていますよ。
「ノーベル賞を受賞すること」が、即、「世間的に有名になること」ではないでしょう?
たとえば、1962年の他のノーベル賞受賞者の名前が、みな世間で知られていますか?
1960年代のノーベル賞受賞者の名前を、全部知っている人が多くいますか?
1912年にノーベル物理学賞を受賞したニールス・ダレーンの名前なんて、知っている人の方が珍しいでしょう?

>ワトソンの回想録である『二重らせん』が刊行されたのはその20年後の1986年です。
いいえ、『二重らせん』は、1968年にアメリカで刊行されています。日本語訳が
出たのもそれほど遅くはないはずです。

しかしながら、ご回答の書き込みには大変感謝致します。

お礼日時:2006/12/07 13:51

いいえ。


他人の研究も土台に、初めてDNAの構造を決定し、ノーベル生理学・医学賞を受賞したからです。

その本は、偉人の体験記といえるでしょうね。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4061837 …

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E9%87%8D% …
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

ノーベル賞を受賞することが、即、世間的に有名になることとは思いません。
ほとんどのノーベル賞受賞者は世間では知られていないのではないですか?

お礼日時:2006/12/07 13:37

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!