No.5ベストアンサー
- 回答日時:
pas26さん、こんにちは。
まずpas26さんにお詫びと訂正があります。ご質問「インド哲学と仏教の関連性」への回答の中で私は
> キリスト教はイスラム教から生まれたイスラム教異端派の最大勢力
と書いて送信してしまいましたが、これは
●キリスト教はユダヤ教から生まれたユダヤ教異端派の最大勢力
と書くつもりであったものを誤記してしまったものです(すいません、私、結構オッチョコチョイなもので・・・)。イスラム教が生まれたのはユダヤ、キリスト教の後であり、ユダヤ教、キリスト教の矛盾点を改め、合理的に再構築したものです。私の誤記により他の回答者の混乱を招いてしまったかもしれなく、この場をお借りして改めてお詫び申し上げます。
さて「釈迦とニーチェについてに移ります。
> その思考プロセスは異なるのでしょうか?
背景となる時代や状況がかなり異なりますので「同じ」とは言い難いと思います。とはいえ、案外似た部分もあるのでは?と私は感じています。ただし、専門的に学んだわけでではなく自信は全くありまません。
ニーチェはキリスト教文化圏に育った人です。キリスト教は一神教であり、一神教では神が絶対です。神の意思(啓示)は預言者によって民に伝えられ導かれます。代表的な預言者は、アブラハム、モーゼ(ユダヤ教)、イエス(キリスト教)、ムハマンド(イスラム教)です。
釈迦(ゴータマ・シッダールタ)は、バラモン教文化圏に育った人です。一神教が神を真理とするの対し、バラモン教は法(ダルマ)を真理とします。ダルマとは、宇宙の構成原理・不変法則のようなものです。そして、我々人間も宇宙の構成要素のひとつです。よって、人間一人ひとりにもダルマは継承されています。つまり宇宙の真理は人間の心の中にも流れています(梵我一如)。この真理の設定そのものの違いに注目して下さい。この前提の違いは当然、釈迦とニーチェの思考プロセスの違いとなる筈です。
バラモン教が形成したのが、先のご質問の回答にあった「ウパニシャド哲学」です。ウパニシャド哲学のポイントは「輪廻転生」を説くことです。輪廻はインド特有の考え方ですが、その起源はアーリア民族のインド征服にあると考えられているそうです。征服民族は支配者となり、被征服民族に対して階級制度をつくりました。最上階層が「バラモン」です。彼らは低い身分の民に対して「前世の行いが悪かったからだ」という理由付けをし、「現世の行いが良ければ(バラモンの教えを遵守すれば)、来世は上の身分に生まれ変わることも可能だ」という期待を授けることで、民を統治しました。ある意味、インドの民にとって「輪廻」は「呪縛」として機能したわけです。そして、この「呪縛」を解いたのがゴータマ・シッダールタです。
この呪縛に対して、シッダールタは徹底的な現実主義的・合理的アプローチによってダルマを「覚り」ます。西洋哲学との比較を試みるなら、この思考アプローチは「現象学(超越論)」に近いモノだと私は認識します。でも仏教にはもう一段階あって、覚りの結果「解脱」します。覚りは「思考」ですが、解脱は「体験」のようで、ここにヨーガ的(肉体的)なアプローチが加わるらしく、修行者ではない私にはこの部分が全く分かりません。
ともあれ「覚り」とは、人間の中にもダルマはあり、人間が自力でこの世(宇宙)の全てを理解できるという信念があって、そのためにたゆまぬ努力をしていくのが「仏教」です。この信念にとって、一神教の神は不要です。というか、存在していては成り立ちません。だって、神は「この世」の外(宇宙の外=形而上)にいるからです。仏教の真理はこの世の構成原理ですから、それより外もしくは上は「ない」ことになります。輪廻の外に、輪廻の上位にさらに法則があったら、結局呪縛からは逃れませんからね。
仏教が「神を否定した」とよく言われるのは、その後の大乗仏教が唱える「空思想」のイメージが強いのだと思います。
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0846.html
リンクした「空の思想史」には、小乗から大乗へと仏教解釈が変遷する中でインドの哲学が紹介されています(ヴェーダンダ派の唯名論に新たな展望を加えていったところから「空」は出所した)。先のご質問の回答として本書の一読をおススメします。
ああ~、釈迦だけで長くなっちゃいました。ニーチェに関しては、すいません、こちらをご覧下さい。
http://okwave.jp/qa75125.html
ニヒリズムを克服していく意思が、釈迦とニーチェでは結構似ていると私は感じています。でも思考プロセスは全然違うね。
最後になりますが「釈迦とニーチェはどちらも神を否定していますが」といった「文字面」を取り上げて論ずるのは、やはり厳しいものがあると感じます。この手のトピックに関心があるのであれば、最低限の歴史知識があった方がイイと思います。私が上で書いたことは以下の本により詳しくかつ要領良く書かれています。一読をおススメします。
■橋爪大三郎:著「世界がわかる宗教社会学入門」ちくま文庫
ニーチェ以降の哲学については、このあたりが入門書としておススメです。
■内田一樹:著「寝ながら学べる構造主義」文春新書
No.6
- 回答日時:
ニーチェは神は死んだと言いました。
しかし、釈迦は神を否定していません。
後世の弟子が、「無我」の教えを「本来、自分という者は無いのだ」と言うように、間違った解釈をしたために、釈迦は魂を否定したと言うような言われ方をしています。
また、誤解の原因に「毒矢の説法」もあります。
これは、ある時弟子が、
「死後の世界は、どうなっているのですか?」
と言った内容のことを聞かれた時に、その弟子があまりにも悟りが低かったので、
「森を歩いている人がいたとしよう。その人のところに突然矢が飛んできて、その矢が歩いている人に刺さってしまった。周りにいた人はすぐに矢を抜いて治療しようとした。するとその男は、
「この矢はどこから飛んできて、なんの毒が塗ってあって、誰が打ったのかを調べてから治療してくれ」
と言った、その人にとってはそんなことよりも、傷の治療が大事なはずだ。」
と言うようなたとえでもって、答えました。
こういう話を後世の弟子たちは、釈迦は答えられなかったのだと解釈して、死後の世界を否定したととらえられました。
しかし、釈迦は伝道に出る時に、私は「神々からも自由になった」とも言っています。梵天とも話しています。転生輪廻の話もしています。
過去七仏の話もしてます。これらは全て戯れ言では無いはずなのです。
但し、釈迦の言う神は仏であって、キリスト教的な天地創造の神ではありません。仏といえども、本来人なのです。悟りが高ければ仏になるのです。生きていようが死んでいようが、悟りが高ければ仏であるのです。このあたりも、唯物的に解釈されやすいところだと思います。
この回答への補足
>釈迦の言う神は仏
釈迦がそのように言ったんですかね?
私は、神と仏は根本的に違うと思っていましたが・・・。
>唯物的に解釈されやすいところ
唯物的に解釈するのは間違いということですかね?
ちょっと疑問に思いましたので、補足して頂けたら幸いです。
どうかよろしくお願い致します!
>釈迦は神を否定していません。
他の人の回答からしても、どうやらそのようですね。
具体的な説明による詳しいご回答ありがとうございました!
No.4
- 回答日時:
どちらも結構悲観的ではありますよね。
一切皆苦の釈迦、神は死んだのニーチェ、釈迦は自己救済を果たしますが、ニーチェはどうなったのでしょう。ツァラストラウスかくかたりき(だったかな?)で、隠者の話が冒頭から出てきますよね。彼は長い間の隠遁生活で、神が死んだという情報を入手していないんだ、と青年ツァラストラウスは言います。おもいっきり、ギャグっぽいですよね。皮肉っぽいというか、苦笑いというか。その点釈迦は究極的に真摯です。妥協が無い。だから怖い。侮れない。で、彼はこういうわけです。愚かなままの自分をこそ畏れるべきである。ギャグも何も無い。超マジです。ダメです。受け付けられない。アレルギーが出る。ニーチェなんか神秘主義的なところもあって共感できますが(ラクダが獅子に、獅子が龍に、龍が赤子へと変貌を遂げていくとか)、釈迦はそういう所がありません。完全な人格でもって、不動です。ダメです。勝てません。で、彼はこう言う。己に打ち勝ったものこそ真の勇者である。
意味分かりません。ついていけない。無敵です。
その、自分は以前、ああ、ニーチェの言う龍が、仏教で言う菩薩ぐらいなんだろうなぁと勝手に思ってました。
でも、実際はぜんぜん噛み合わない。ニーチェの思想と、仏教は引き比べられない。比較にならないんですね。どちらが優れているとかではなくて、歯車が噛み合わないんです。僕はそう思います。
(老子とニーチェは結構フィットするし、共感もできるんですが。)
仏の教えが理解できるには、平等観、我がものという思いを離れた所、我ありという思いを離れた所に立たないとどうにも無理っぽいんです。
でも、捨てられた我は何処に行くんでしょう?一回捨てたらもう拾えない。一度行ったら帰ってこれない。我ありという思いと我がものという想いが繰り込みあって、自分とその世界を形成しているんだけれど、それを捨て去るとはどういうことか?
理解しがたい。
No.3
- 回答日時:
ニーチェはわかりませんが、ブッダの「神の否定」は、「いない」と言い切っているわけではないですよ。
いわゆる「神はいる」という考え方に対する不可知論としての否定です。
「不可知論」は人間の知る能力には限りがあるから、どう頑張ったって認知が原理的に不可能なものもある。って考え方。
神の存在は、人間の知識では「いる」とも「いない」とも判定することが不可能という意味での否定です。
つまり「神はいる」と信じている人には、「いるかいないか解らない」というブッダの考えは「いない」と言われているに同義という意味での否定ですね。
また「天上天下唯我独尊」の意味は一方向じゃないですよ。
いわゆる「俺が一番尊いんだ!」って考え方もあれば、この場合の「我」は「個人」を指すという説もあります。つまりそれぞれ個人個人という意味での「我」ですね。誰が一番尊いのか、ではなく「それぞれ一人一人がこの世に唯一の尊い存在である」という説で、私はこっちの方がシックリきますけどね。
>「神はいる」と信じている人には、「いるかいないか解らない」というブッダの考えは「いない」と言われているに同義という意味での否定ですね。
そうだったんですか、初めて知りました。
>誰が一番尊いのか、ではなく「それぞれ一人一人がこの世に唯一の尊い存在である」という説
私も、こちらの方が仏教としていいのかなと思っています。
アドバイスどうもありがとうございました!
No.2
- 回答日時:
釈尊は「天上天下唯我独尊」と言い切ったお方ですから神がいないわけじゃないですね。
天上にも地上にも私を超えるものはいないといっているのだから「全知全能の神」といってるんじゃないですかね。つまり釈尊には神はいないのではなく神々を従える存在という意味ですね。一方、西洋の神と呼ばれる思想家にはいつももっと上の神がいるから、それと比較すると理解できないだけでしょうね。
それから、ニーチェの「神は死んだ」というのは、青臭い青年のありがちな思想でしかありませんね。
比較になりませんね。
この回答への補足
>青臭い青年のありがちな思想でしかありませんね。
ニーチェの思想がありがちな思想ということでしょうかね。
でも、哲学史に名を残す人物ですから、それなりの功績があったのではないでしょうか?
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