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仏教では「色即是空」、「私と言う実体はない」、「私というものは、いろいろなものが寄り集まった縁で出来ていて、それ自体としては、実体はない」と説いていると思います。

この考えは、ある程度、そうだなと思えます。

しかし、その先。
つまり、「色即是空」、だったら、何?
「私と言う実体はない」、だから、何だと言うの?

つまり、この「空」観を前提とした場合、我々は「どういう生き方をすべきなのか」を知りたいと思います。

考えようによっては、どうせ死んだら何もかも消えうせてしまうのだから、生きている内が花、やりたい放題やれば良い、とも思えます。(魂も無いのだから、無い魂が死後に向かうあの世も無いのだろうから、・・・。)
しかし、そんなことを仏教が教えているとも思えません。

そこで、この「空」観を前提とした場合、我々は「どういう生き方をすべきなのか」を知りたいと思うのです。
そして、その生き方は、この「空」観とどのように繋がっているのかも知りたいと思います。

どなたか、お詳しい方、この点について、お教えて頂きたく、どうぞよろしくお願い致します。

A 回答 (4件)

すべては空であり実体はないのだから、


囚われてはいけない。
物や出来事、欲望、自分の心などへの執着を
捨てることによって、仏に近づこうという教え
です
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この回答へのお礼

早速のご回答、ありがとうございます。

>囚われてはいけない

確かに、ある対象に愛着しても、それが実体のないものだとしたら、虚しい限りです。
しかし、たとえ一瞬といえども、その対象から喜びが得られるのだとしたら、人間の習性からして、愛着するのも無理からぬことだと思うし、愛着しても良いのじゃないかという気が致します。

勿論、愛着し過ぎると苦しみも増える、というのは分かりますが、苦しくとも愛着することによる喜びは捨てがたい気もするのです。

愛着を捨てると喜びも一緒に捨てるような気が致します。
これが凡人なるゆえかも知れませんが、・・・。

しかし、「空」観の延長として考えるなら、なるほどbagus3様のおっしゃるとおり、囚われない生き方、に繋がるというのは正しいように思えます。

一つ、目を開かされました。
ご回答、ありがとうございました。

お礼日時:2016/04/07 11:54

釈迦は「心なる実体はない」とは言っている。

そう書いてある経典を見た事がありますが。「私という実体はない」とは言わないはずです。
色即是空、とはクラマジュウ、が、佛教の本質として、諸行無常、と一切行苦、を一緒にした形で。すべては移ろい行く、空虚なものである。というような意味で伝えたもののようです。日本の平家物語の冒頭句。祇園精舎の金の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花盛者必衰の理を現す。奢れる者も久しからず。ただ春の世の夢の如し。、、
となりますが。シャカの思想から言うと。
祇園精舎の金の音、一切行苦の響きあり、沙羅双樹の花の色、諸行無常の、理、を現す・・。となるものでしょう。
質問者さんの、色即是空、は般若心経の舎利子以下の一節でしょう
知恵の完成の章、と訳される。般若心経、は、大般若経という、経典から。抜粋、であり。シャカの理解、や、思想、考え方、の異なる。複数著者の文章の繋ぎ合わせの経典です。その中で、舎利子以下、シャカ=観自在菩薩、が語ったとされる。
色不異空 空不異空 色即是空 空即是色 諸法空想 不生不滅不垢不浄不増不減
だけは。理法、すなはち、縁起の理法の解説になっており、心の思想や宗教ではなく、知恵の哲学、になっています。他の部分とは、別品、別格、になっています。
すべては縁によりて起こる。この世界は、姿形在る、実体がある、と認識される対象と
、西洋哲学も言。在るとは方向性がある事、と言っていますが。実体のない、能力、方向性、の二つによって起こっている。世界は起きている、色、と色を起こしている、実体のない、空、が一体となって、世界は起きている。色とは何か、現代の言葉に翻訳すれば、空間、という認識であり、縁、とは、時間、という概念。なのです。
またそう捉えなければ、シャカの哲学は、理解出来ない筈です。
昔碁敵だった、ある僧侶に。
「日本人が佛教と言っているのは、ヒンズ-教、でしょう。」と言ったら。
「大乗はね」と言っていました。
神のいない小乗仏教は?と聞けば。道教、だよ。と応えたかどうか。
先日、テレビで、インド人(ヒンズ-教徒)に日本の佛教をどう思うか?と聞いていましたが。「全く同じです。」と応えていました。蓮の花に座した仏像は、ヒンズ-教の源祖神の6番目か、9番目かの、転身、生まれ変わりの神様、仏様、なのです。
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王族に貴族として誕生した釈尊(釈迦)の出家の目的は人間の生老病死を根本的に解決することでした。





そして生命とは永遠であり、その三世に亘る因果律を悟ったのです。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%85%E9%81%A0 …

維摩経における『煩悩即菩提』『生死即涅槃』と同じ法理を、般若心経においては『色即是空』と表現するだけなのです。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%9F%E6%AD%BB …

人々を苦しみや災厄から救済する目的において、一切は「空」だということを悟れば、永遠につづく苦しみというのは存在しないことが理解でき、人間はすべての苦しみから救われると説いています。

こうした境涯を獲得することを即身成仏と言い、仏道修行とは正に是に至るための手段なのです。

仏教とは仏となること、すなわち成仏を最終目標とし、修行を重ね、さまざまな事象に関する悟りを開くことによって、仏への道を歩み続けて行く求道の宗教です。
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この回答へのお礼

「維摩経」ですか。
勉強してみます。

ご回答、ありがとうございました。

お礼日時:2016/04/08 10:41

そのような事は、解からなくてヨロシイのです。


もっと言うなら、
解かるべきでは無い、知るべきではない、知ってはならないのです。

理由をも知ってはならない。
知ろうとしてはならない。

何故ならば、宗教とは、心の魔薬であるからである。
薬物の魔薬と同じように、知ってしまった者の、心を病ませてしまうのです。

忘れなさい、忘れる事です。
あなたは、知っても、いないのに、もう、狂い初めて、知りたくなっている事が、示していますね??

さて、忘れるには、メダカの飼育などの??
まったく、新しい、趣味にチャレンジをお勧めします。

。。。。

宗教は素晴らしい、しかし、宗教こそが、争いの元凶でも有る。

宗教、宗教、宗教による、争い、戦争の歴史。。
これは、人類の歴史が証明していますね?

森羅万象、この世のすべては、極めると逆転するのです。
私は、これを、陰陽逆転の法則、と呼ぶ事にしています。

これは、矛盾にチャレンジする、学問であり、究極の自然哲学なのです。

哲学です、哲学と呼ぶ、学問を学びなさい。

そして、御自分で思考なさいませ。


では、この辺で

ごきげんよう

逆転地蔵

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