プロが教えるわが家の防犯対策術!

今日、様々な有害情報が情報社会を生きるこどもたちの中で蔓延している。そこで、私たちの以前の経験をふまえたりし、情報社会を生き抜く心得を考えまとめ、教えてくれないでしょうか?

どのような相手を対象とするか(年齢の範囲、あるいは、情報行動範囲のタイプなど)をはっきりさせ、その対象に向かって記述してください。(例えば、ゲーム好きな小学生にむけて、インターネット中毒になりかけている中学製のために、ケータイにはまっている高校生への言葉、など。) に向けて様々な考えをお聞かせくださらないでしょうか。
私は、非常に心配です。今後の情報社会が…。

A 回答 (4件)

ITでメシ食ってますので、いちおう専門家として意見します。



質問の内容からして、質問者の方は今の高度情報化社会の実情をあまりご存じないようですが、まあ浅薄な情報であれば、たいていのことはネットで何でも知ることができることについては、理解されているようです。

で、結論を言ってしまうと、現代社会で生きるには、情報の洪水とも言うべき状況から逃れることはできません。
そこで問題になるのは、ジャンク情報も含めて多くの情報の中から、自分が必要な情報を取捨選択するにはどうするかが重要になります。

ポイントとなるのは、以下の二つです。


1)基本的な教養をしっかりと身につける。
 ネットだけでなく、民放に代表される低俗マスコミからも、真偽・玉石いじり混じった多くの情報が日々発信されています。
 しかし、受け手である私たちに十分な教養がないと、その情報がどこまで真実なのか見抜くことができません。
 結果として、マスコミを始めとした世間の情報に、振り回されて生きる結果となります。

 それで教養を身につけるには、王道を歩むしかありません。
  ・学校の勉強をきちんとする。
  ・多くの良書を読む。
 これだけをきちんと守れば、少年期のうちに最低限の教養を持つことができます。

 もっとも、このことを実践できる家庭は、ごく少数なのが事実です。
 だいたい今の大人からして、子供のうちからテレビ漬けだった人が大半でしょう。
 そういう人は今から反省して、自ら生活態度を改めなければいけません。


2)メディア・リテラシーを身につける。
 メディア・リテラシーとは、メディアを批判的にみて情報の真偽を見抜くと共に、本質を掴んで積極的に活用する能力のことを指します。

参考:『ウィキペディア』-『メディア・リテラシー』
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%87% …

 メディア・リテラシーを身につけるには、1で述べた基本的な教養をもつことが必須条件ですが、それ以外に複数のメディアの情報を比較して、その違いを自ら発見することも必要になります。

 基礎的な教養を身につけることさえ、今の日本では難しいのが実情ですが、2のメディア・リテラシーについては、一部の大学を除けば、どこの教育機関でも教えていないのが日本の実情でしょう。

 既存の新聞・マスコミは意図的に虚偽の情報を流すケースがあること、またインターネットのサイトやブログも常に真実の情報を発信するとは限らないことを教えるのは、世間の荒波に多少は揉まれた大人の役目です。

 世間の根も葉もない噂や、虚偽の情報発信から自分を守るため、常に複数媒体のメディアから情報を入手し、自分で比較・検討するクセを身につけていれば、このリスクはだいぶ低くなるでしょう。
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心配なのはいいですが、個人的には心配だからといってまったくそれに一つも触れさせずに


育ててしまうと、イザ大人になってそういう情報の中に飛び込むと、何も知らないゆえに
簡単にだまされるか、初めての刺激ゆえに小学生、中学生以上にネットにはまる典型的な
大人になるか、どちらかな気がするんですけどね。

その時代にはその時代なりの・・・ってのがあると思いますよ?

それと多分親の立場の方だと思うのですが、そんな情報に負けるほど、親としての立場って
小さいのですか?情報なんて所詮「道具」でしかないですよ?そんな「道具」に子育てを
全て任せているなら、まあ考えてしまいますが・・・・

それといくら心配だからって、その手の物を頭ごなしに否定しても子供はおろか誰だって納得しませんよ?
たとえゲームだろうがネットだろうが、その時自分の好きな物を頭から否定されたら「なんで?」
って来るのはまあ当たり前です。その反発が余計に火に油を注ぐこともあるでしょう。
大事なのは「否定」では無いと思うのですけどね。否定よりも先に教えるべき物を教えるのが
先決ですよ?仮にゲームにはまってその他の何もやらないって、「ゲームが悪い」のではなく
「一つの何かにかまけて他の事をまったくやらない」事の方が問題だと個人的には思うのですが・・・
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>私たちの以前の経験をふまえたり


と言う前提が大間違いかと思いますが。
現代の人が江戸時代の人間に年金やら子育ての相談をしても通じるわけないし、逆に江戸時代の人間が身分制度について弥生時代の人間に相談しても概念からして理解されません。
人間とはとか、人はどう生きていくべきかとか、そういう根源的な部分での話はできるでしょうが、まぁそれでも根本にある価値観がまるで違いますから、(例えば中年世代で人生が終わる時代の人間には老人とか概念からして理解できません)通じない所はまるで通じないでしょう。まるで想像もつかない価値観からのアドバイスがあったりしてそれはそれで面白いかもしれませんが。

例えば外で遊ばない子供とか言われても、私は小さい頃は割と田舎に住んでいたので、近所の子供を集めては公園でオリジナルの遊びを考え出しては毎日遅くまで駆け回っていました(振り返って考えてみればまるで中毒でしたね)し、当然秘密基地なんかも作っていましたが、最近その遊んでいた公園に寄ったところ、遊具は全部撤去、滑り台と砂場しか残っていませんでした。秘密基地を作っていた森は全て住宅街になっていました。そんなところでどうやって遊べというのでしょう。子供の数も減れば塾もあるし、ちょっと危険となればすぐに閉鎖・撤去されている訳で、ゲームやインターネットの方が全然魅力的だし利便性も高いし、よっぽどためになります。
※ちなみに様々な有害情報というのはいつの時代にもありました。それを伝える道具が活版印刷の発明以降格段に増えたというだけのことです。

メールについてもそう。例えば郵便制度が確立する以前の時代の人間から、手紙だなんてまったく文字だけでコミュニケーションをとるだなんて嘆かわしいなんて言われて何か心に響くものがありますか。それはあんたの時代に無かっただけということでしょ。
質問者さんの世代は分かりませんが、手紙や電話が整備されたりテレビが出来てマンガ雑誌も増えて、交通機関が発達した時代の人だと思いますが、それが無かった時代の人からこれから先どうなるか心配されても、またそういう人からそれが無かった時代はこうやってやりくりしていたとか言われてもねぇ。いっそのこと何も無かった時代、それこそ石器時代以前にまで戻ってみればとしか返せませんよ。まぁそういう人は最近は石器ではなく青銅器を使う若者が増えてきた、何て嘆かわしい、これから先どうなるか心配だなんて言う人なんでしょうけどね。

便利な道具が無いなら無いなりに、あればあったで人はそれに合わせて進化していっているわけです。まぁ進化というか変化ですが。
強いてアドバイスするとするなら、質問者さんが心配されているそんな子供たちも大人になると、また理解不能なツールが出来ていて今時の子たちはメールもしない、ネットゲームもしない、俺たちの若いころはメールとゲームでコミュニケーションをとっていたのに…と思うようになるけれど、それは私たちも思っていたことだよと、そんなことぐらいでしょうか。
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ゲーム好きな子供は、外で遊ぶことを好まず、結果として、何かのタイミングで大きな怪我をする場面に遭遇する回数が多くなっていると思います。

子供は外遊びの中で怪我をして痛みを覚え、危険の認知度や自分の身を守る術を会得していくものです。が、今の子供達は栄養のある食べ物に恵まれているにもかかわらず、・・なんとも実にひ弱ですね。
さて、日本においての携帯電話の普及率は相当に高く、中学生から大学生における世代では、持っていない人を捜す方が困難かもしれませんね。小学生も限りなく同様かと思われます。さて携帯電話やメール機能は、緊急性のある連絡やコンタクトの手段などにおいてたいへん利便性に優れたものであると思います。ただ、本来お金を稼ぐことができない学生が使用者であった場合、この道具の使い方を誤れば本人にとって大変害のあるものとなってしまう可能性があると思います。例えば月に何万もの携帯使用料を稼ぎ出すために夜遅くまでアルバイトをして貴重な高校生としての時間を潰してしまう人が増えているだけでなく、そのために朝起きられないといった、本来の高校生としての生活にも乱れが目立つ人も少なくありません。私はそんな高校生を見ていると、人生において二度と戻らない貴重な時間なんだから、大人に向かう過渡期の時代に高校生の時にしかできない部活動や勉強など、もっと価値あるものにその時間を使って欲しいなと思ったりします。理由は一昔前まではこんな道具は世の中に存在しなかったわけですが、それでも現代の人間が生きていく上において、それが絶対に必要なものではないと思うからです。
また、ただの携帯ツールを利用してお気楽に友人・人間関係や恋愛の成り行きなどをこんな道具の文字ツールだけで平然と推し量ろうとしている現代の若い人達には、まったくのところ正直驚いてしまいます・・・。やっぱりお気楽感覚なんですよ。
こんなコミュニケーションの取り方自体に今の若者の心の器の小ささと、逃避心、ひ弱さを感じてしまうのですが、・・・しかしながら彼らに大きなお世話だよと言われれば、・・それまでですけどね・・・。
注意すべきは犯罪や事件・事故などに絡む、中高生達にとって不利益となる情報の氾濫は、世の心ない人達から発信されています。IT化が進むこの世の中だからこそ、人が大切にしなければならないものを取り違えてはならないと思います。携帯電話を持つことを否定するわけではありません。むしろ正しい目的と知識、家庭の事情などにおいて、中高生が持つための理由があれば何の問題もないと思います。学校の指導においてもそれが教育的価値の高いものであり、中高生達が学校の生活において正しい使い方をしているのであれば、先生も別に注意したり取り上げたりすることはないと思います。高校生達が携帯電話に対して、ただのおもちゃや、お楽しみグッズ、お金はかかるけど、言いにくいこと、聞きにくいこと・・まで何でもできる便利な通信道具、・・・としての感覚しか持てないのであれば、非常に心配です。このことはご指摘の・・今後の情報社会が…。となると思います。
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