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村上Fやライブドアの事件から、
お金儲け(ビジネス)が程度の差こそあれ、
現代においても倫理や道徳の影響下にあることを実感しました。

商人は過去に差別されていたといいますが、
それはなぜで、どのようにして社会から認められていったのでしょうか。

A 回答 (6件)

中世の世界では商人はあまり高い地位は与えられなかった国は多いです。


ただ、差別という表現は違うと思いますよ。
(貴族や司祭ほど尊敬されなかった位では・・)

表向きは低い身分とされてる国でも、
実際には豪商や大富豪は市民から非常に尊敬されてました。
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日本でも士農工商として、商人が一番低い位置にきます。

これは中国の思想の一部ですが、西洋でも同じです。

産業革命以前の時代は、富は土地に根ざしていました。土地から得られる農作物、農牧民であれば放牧して得られる家畜の数です。
このような時代の思想・教育では、農業をすることや放牧に従事することは、富を蓄える一番の近道として、教えられます。
学問が出来ても畑を耕すことはできないからです。
また商品も、夜なべしてはたおりしたり、何日も徹夜して炭を作ったり、ととても労力がかかりました。

そのような道徳心から見ると、商人のやっていることは泥棒と同じでした。つまり、自分で労働し土地から得たものではなく、例えば反物買って売りさばくだけで利益(富)を得ることができたということです。
炭も、作る苦労など関係なく、需要のあるところに持っていけば、すぐに売れたでしょう。
とにかく、物を売り買いするだけで、富を蓄えるのですから、汗水たらして働いている人から見れば、もともとは自分たちが作り出した富を元手に、勝手に利益を得る商人は、泥棒と一緒に見えました。

さらにこの道徳がもう少し発展すると、金利の問題になります。
他の方も書かれているように、ユダヤ人は金利を取ることで生活していました。
金利を取るということは、これは上記の道徳心から見れば超凶悪犯罪です。物さえも使用せずに、お金が増えるのですから、経済テロと言っていい状態です。
ですので、まともな人・りっぱな人は金利を取るということはしないものだというのが、一般常識でした。
しかし、実際には経済をまわすためには、銀行の役割をする者が必要ですので、後ろ指を指されることを卑しいユダヤ人に押し付けたのです。
そして、金利を取って豊かになったユダヤ人はますます憎悪されたのです。

中世には、組合(ギルド)とか、日本では「座」とか、商人の集まりが出来ます。
これは、ひとつは商人の立場を守るためのものですが、もうひとつは勝手に商売をする人間を増やさない(つまり、商売人という不道徳な人間を増やさない)という、為政者の目論見の合ったのです。もちろん庶民もこれを支持しました。富の集中を防ぐ目的もありましたが・・・
当時の組合には、安息日には商売をしてはならない。1年で○○以上売ってはならない、などという決まりがありました。これも商人が儲けすぎないようにするための歯止めです。ドイツなどはこれの名残で、クリスマスなどはお店が閉まってしまいます。かきいれ時ですから、開けたほうがいいと思うのですが、現代でもそういう道徳心は残っているのです。

産業革命の後、ようやく品物が町にあふれるようになりました。植民地政策は、労働させるだけでなく、本国の商品を買わせることでも搾取するほどに、モノが余ってきたのです。

畑を耕さない人の人口がこんなに増えたのは、現代になってからです。それまでは、たとえば日本なら江戸末期で80%以上が農民です。世界的に見ても、いつの時代でも80~90%ぐらいの人口が農民(農奴も含む)だったはずです。そのような時代が何千年も続いたあと、ようやく商品が余るような時代が来たのです。
だから今でも、私たちは昔の道徳から自由になれておらず、勤勉の対極に金儲けがあるのです。
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時代の変遷による認識の変化が影響しています。



貨幣経済が発達するに従い商人や金融業に従事する人は富と権力を手に入れ差別どころか尊敬される身分でした。
ところが従事する人が多くなるに従い、弊害も増加しふさわしくない人もでてきたのです。

さらに富の再配分という概念がなく、キリスト教会まで富の蒐集に狂奔するようになりました。 このような社会の風潮に失望した待たざる階層の恨み、羨望の裏返しで商人や金融業にたいし社会の敵とする意識が芽生えてきました。

さらにこれらの業種に従事する人にユダヤ人が多かったという事情がからみました。  ユダヤ人は独特の宗教を信じキリスト教社会で閉鎖的集団を形成していましたから憎くまれたり差別を受けやすい条件があったのです。

格差による憎しみと人種にたいする敵意が混じり合っての差別でした。
今日の「いじめ」に相当します。
時代の進行と共にこのような差別は消えていきました。 
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参考程度にとどめておいて頂きたいのですが、



鎌倉時代、武士は元寇の時借金をしてまで元と戦いました。
恩賞で賄えると判断したのです。

しかし、恩賞は与えられませんでした。
武士は借金地獄に陥ります。(地方財政の破綻)(夕張)
ここに徳政令が発せられます。

国家崩壊の事実を商人になすり付けてごまかしました。
(政府の連続する国債の発行)

江戸時代の武士も同じで、普通の生活や家来を雇うと、確実に赤字に陥るのは明白でした。

最も必要なのが、商人の財政力。
最も嫌なのが、商人の発言力(権力)です。

すなわち、封建主義とは、資本主義で言う、資本力を恐れ、

資本主義の3原則、
資本、土地、労働力

これらの一つを奪う事に専念したのだと思います。
御用達(身分)
国、藩に縛りつけ、他国に資本、土地を拡大できないなどです。
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商人差別ではなく、金利を取る事への差別です。


ユダヤ系一神教では、金利を取ることが禁じられています。
ユダヤ人がキリスト教徒に金利を取ることは合法とされているので、ユダヤ人金融業が発達しました。
金融は経済の基本からして必須ですから、儲からないわけがない、それが、差別をまた生む。という構造です。

ウェーバーの説明によれば、簡単に言うと
人間があーだこーだ、天国への行き方を決めることはできない。すでに神によって決められている。それが予定調和説。
人間は、この世であくせく働きなさい、その結果がどうなるかは神のみぞ知る。
という、労働蔑視のプロテスタンティズムの倫理から資本主義の精神が生まれたとしています。
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 西洋で商人が差別されていたということはないと思います。

ハンザ同盟などは領主なみの権力を持って商売に従事していましたよ。もしそれがあるとすればユダヤ人に対する差別ではないでしょうか。ヴェニスの商人は明らかにユダヤ人に対する差別で、商人に対する差別ではありません。これはキリスト教を信じることを拒みむことへの反感と有能さへのやっかみが入り混じった感情でしょう。
 ナチをそのような感情を利用してユダヤ人抹殺を企んだことは御存じですよね?
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