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よく「人はみなさびしい」などといいますが、一般論でなくレヴェルの問題で考えると、寂しさに苦労する人とそうでない人がいるかと思います。この両者を分けるのは何でしょうか。運(環境、めぐり合わせetc.)、本人の努力(社会認知度、満足度etc.)生まれつきの性向など考えられますが、結局どういうことが「さびしくない」ために必要なのでしょうか。

A 回答 (10件)

寂しさを苦しいと感じるのは、寂しいと感じた気持ちを抑圧するから苦しいのだと思います。


だから寂しさを認める肯定的な気持ちが、寂しさに対する感情に良い変化を与えるのではないかと思います。
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この回答へのお礼

これは究極です。その境地を目指そうと思います。肯定的になるようにします。それには世間の一般的評価など参考程度にしか考えないという一貫した姿勢、信念を持つことでしょう。

お礼日時:2007/01/23 12:11

「洗脳からの脱却」または「逆洗脳」ではないでしょうか。



現在は「一人=寂しい」という洗脳がしきりに行われているように思います。
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この回答へのお礼

こういう流行みたな社会的風潮、いけませんねぇ。それに惑わされてろくでもない価値観をあたえられてしまう。必要ないものを悩む事にもなる。たとえば、封建時代のモラルを現代に持ってきたって、別にかまわないんですけどね。流行みたいな軽薄な事に流れているようです。

お礼日時:2007/01/23 12:10

寂しいというのは、主に「喪失感」なのかな?と思います。



私は一人っ子で、よく「兄弟がいなくて寂しいわね~」と言われるのですが、そもそも兄弟のいる状態がどんなものか知らないので、寂しいと思ったことはありません。
「寂しいわね~」と言う人は、自分に兄弟がいて、その兄弟が“いなくなった”場合を想定して、そう言うんだと思うんですよね。

従って、兄弟にしろ、恋人にしろ、家族にしろ、愛情にしろ、その人が“当然存在するべき”と期待しているモノが多いほど、それが満たされないときに寂しさを感じやすいのではないか?……逆に考えれば、自分以外のモノへの期待(或いは依存)が少ないほど、寂しさを感じにくいのではないか?と思います。

#2さんがおっしゃるような、社会的刷り込みの影響も大きいと思いますね。
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この回答へのお礼

私も一人っ子なのですが、どうも寂しさに弱い。いけませんね。やはり「タイプ」ってあるのでしょう。生得的だからどうにもならない。あるべきものという認識から脱却できれば、楽になれそうですね。
それに、社会的刷り込み、実はこれ結構効いている気もします。

お礼日時:2007/01/23 12:08

何に対しての寂しさかにもよるかと思うのですが、一般的には一人で過ごす時間に対して寂しいという解釈でよろしいのでしょうか?


そういう前提で言えば、私の場合は、既婚者で子供も2人いますが、どちらかと言えば、元来、寂しいとは思わないタイプに属するのではないかと思います。あくまでも、どちらかと言えばという程度ですが。。。
私の場合、一人だけの時間を大事にしたいと思う部分があります。本を読んだり、自分の趣味に打ち込むなどの時間を持ちたいので、そういう時間には一人にして欲しいという願望があります。また、時々仕事で出張する事もあるのですが、そういう時には、一晩ホテルで静かに過ごせることに快適さを感じたりもします。

私のイメージでは、一人ですべき事、楽しむ事などがあるかないかが、大きな要因だと思うのですが、いかがでしょうか?
あくまでも、個人的な意見ですので、見当外れの答えであったなら、すいません。無視しておいてください。
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この回答へのお礼

やはり「タイプ」というのは大きな要因だと思っています。これは生得的なものでしょうね。しかし、お一人でなくご家庭もちですので、メリハリと言う面で一人は嫌いじゃないと言う状況は当然だと思います。でも、ほんとに一人が嫌いじゃない人は、独り者でも苦にしないという人ですね。
どうも私は楽しむ事があってもだめですね。

お礼日時:2007/01/23 12:06

こんにちは。



「淋しさ」を、受け容れることができるか、
「淋しさ」を、安全に抱えることができるか、
「淋しさ」を、創造・生産のエネルギーに変換できるか、ではないかと思います。

これができるかどうかは、
自分の幸福を自分で手に入れることができる、ということを理解しているかどうか、
だと思います。

これが理解できるかどうかは、
自尊心を持っているかどうか、だと思います。

自尊心を持っているかどうかは、
無条件に承認され、肯定される経験の有無に起因しているのではないか、と思います。


森絵都さんの「宇宙のみなしご」という本の終盤に、こんな台詞があります。
「人はみんな、宇宙のみなしごのようなもの。
だからこそ、こうして、ときどき、友達と手をつなぐ必要があるんだと思う。」

「私」は「誰か」ではなく、また、「誰かの一部」ではなく、
「誰か」は「私」ではなく、また、「私の一部」ではなく、
それぞれが、一固体として単独で存在し、同化することはできないから、
ときどき時間空間を共有し、伝え合い受け取りあう必要がある、
ということだと思います。

こう考えると、淋しくて当たり前、ではないかと思います。
淋しさを感じなくなる、というのは、淋しいことだと思います。

それでは。
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この回答へのお礼

自尊心と言うものが、社会的認知を得る以外に養えないとしたら、結構厳しい条件付ですよね。生物の限界(決して他の個体になれない)という悲劇が究極的に悪なんだと思います。

お礼日時:2007/01/23 12:03

友達・仲間がいないから寂しいとは限りません。

たくさん友達がいても自分を分かってくれる人がはたして何人いるでしょうか?(人はみな寂しい)とは相手を理解することは完全にはできないもの・・との意味です。
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この回答へのお礼

まったくその通りですね。人は寄っていてもどうも一人一人が断絶しているという、形だけ取り繕っているという寒い状況はいやと言うほどありますよんね。

お礼日時:2007/01/23 12:01

私(30代)は「寂しさ」と言う感情を持った事が無い人間なのですが、同時に持ち合わせていない感情があります。



それは「愛情」です。

そんな経験から、「寂しさ」を感じる事ができるのは「愛情」を感じる能力があるからじゃないかと思っています。
”愛するものが去って行くから寂しい”みたいな...。

「寂しさ」って私は深みのある 良い感情だと思います。
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この回答へのお礼

そうですか。そういう感覚はどういうものか難しいですね。私はまぁ愛情は普通でしょうかね。もしかしたらいい意味でドライになれていくといいのかもしれません。

お礼日時:2007/01/25 14:36

私は小学校時代からいじめられ


人間嫌いになってしまいました
当時は寂しかったかもしれませんが
今は寂しくありません
やはり分かれ目は
人間(他人)を信頼するかしないか
ではないでしょうか
それと 慣れ(?)(笑)
以上、私の私見です

あと 本で読んだのですが
「人でない何か」みたいなもの
(神、守護霊、ご先祖など)を
感じることができれば
ひとりでも寂しさは感じないと
書いてあったように思います
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この回答へのお礼

他人に対してオープンになれることが重要かもしれないですね。つまり人間関係が量的に質的に円滑であること。

お礼日時:2007/01/25 14:38

極論でいえば「みなさびい」かも知れませんが、


日常的に感じるさびしさに上の言葉は適応できないかも知れません。
さびしさという心的な情感に付帯する「不安感」の強弱が
すなわち「さびしさ」という表現に直結していると考えております。
この不安の根源には、
母子分離不安のような宿命的なものや、
所属/帰属意識が満たされないことの不安があると思います。

さびしくない状態を維持するためには、
上記の不安を感じない状態にすることが最低限必要でしょう。

ご参考までに
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この回答へのお礼

そうですね。やはり「不安」は大敵です。これを何とかしたいものです。

お礼日時:2007/01/25 14:38

「人はみな寂しい」は人間の本音なのではありませんか!


私たち人は群れ(縁)なしでは生きていけないと思います。
例えば日本で日本人として暮らし地方で方言を使い町にいれば同じ仲間として安心できますが、私の経験ですが40年前に大学進学出始めて生まれ日本海側がら太平洋側の東京の大学へ行きましたが仲間がいなかったので最初は寂しかったことを憶えています。
そこで東京で同じ地方の人に会うと普通でち話などしない仲間なのですが話をしりしました。不思議ですね!
中には自然体でいる方が楽しいと思う人のいるでしょう!
それは最初からそんな環境にいなく、いろいろか経験をして自然の中の一人の人間だと思い、生き方をしている人のは「寂しい」の思いはすくないと思いますがやはり回りに人がいるからだと思います。
それと人間の心の成長時期に仲間がいない状態で過ごせば「寂しい」気持ちが少なくなるのではないでしょうか?「オオカミ青年」みたいなことの参考になれば・・・
自分の環境でそれらの感受性は変化すると私は思います。
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この回答へのお礼

同郷意識帰属意識はやはり強いですね。できればそれから自由になってみたいです。成長過程で清涼なる孤独になれることはいいかもしれません。

お礼日時:2007/01/25 14:42

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