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坐禅(瞑想)していて、しばらく時間が経つと、呼吸が止まりかけて、
次の瞬間、体温がスーっと低くなっていくのを感じます。
そのときの意識は「一皮剥けた」ような感覚で、
通常の脳波、意識とは全く違うものになります。
深海の一番底に手を触れたような、そんな感じでした。
初め、びっくりして目を開けました。
が、意識はそのままなので、変な感じになりました。
ちょっと怖くてこのまま、続けても大丈夫か心配になりましたので
アドバイスいただけたら、幸いです。

A 回答 (2件)

呼吸が止まりかけるというのは酸欠っぽい状態ではないですよね??それはちょっと問題かもしれませんよ。

座禅は呼吸を練ることによる心身統一(精神統一ではありません。心と身体のバランスをとるということです。)です。確かに普段の呼吸と違い座禅の呼吸法は吐くことが中心になりますが、しっかり吸ってくださいね。

>>そのときの意識は「一皮剥けた」ような感覚
というのは、科学的な根拠があるようです。どうやらセロトニンという物質が増え、セロトニン神経そのものも強化する事が出来るそうです。セロトニンはうつ病等の治療に使われているそうですよ。また、 座禅の呼吸法によって、モルヒネの6.5倍の鎮痛作用があり、脳を活性化し、精神的ストレスの解消に効果がある、また免疫細胞の防御反応を強化する作用がある、エンドルフィンというものも多く分泌されるようです。ランナーズハイというのがそういうものだそうです。要するに、二つとも人をリラックスさせるものだそうです。
 ですから、きっとそういう状態を体験したのではないでしょうか。禅を極めるとそういったものを自分の意思で出せるようになるそうです。

 ただし、疲れるほど行わないことが大切です。一度に長時間行っても、疲れてしまいます。また、二酸化炭素が充満しないように、風通しを良くすることにもご注意下さい。あと、しっかりとした先生についてもらうのもいいかも知れませんね。ご自身でやる場合はしっかり入門書等を読んで、無理せず行ってください。
 
 お釈迦様は悟りを開いた後も常に座禅をしていたそうですよ。たぶん質問者が体験なさったようなすっきりした気分を毎日座禅を組んで確かめて、日常生活もそういったすっきりした気持ちでいるように勤めていらっしゃったのではないでしょうか。ですから、仏教では「行住坐臥(歩く・止まる・座る・伏せる)」すべての行動が座禅であり、般若(仏の智慧)の働きであるといいます。

 私は基本的には座禅は組まない宗派の人間ですんで、座禅の専門家というわけではありませんが、座禅はすばらしい仏教の修行法であり、仏教徒でなくても自分の内観を深め、リラックスするための方法です。大いに続けていただいてかまわないと思います。ただ、無理はしないようにしてくださいね。
 駄文を長々連ねさせていただきました。参考にしていただければ幸いです。
  合掌 南無阿弥陀佛
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
>>呼吸が止まりかけるというのは酸欠っぽい状態ではないですよね??
酸欠ではありません。苦しい感は全くありません。
>>ランナーズハイ。。言われてみればそれに近いかも知れません。
あの状態はセロトニンが、増えた状態だったのですね!
私はうつ病もありますので、このまま続けていきたいと思います。

お礼日時:2007/02/01 08:00

> 呼吸が止まりかけて、


>次の瞬間、体温がスーっと低くなっていくのを感じます。
>そのときの意識は「一皮剥けた」ような感覚で、
>通常の脳波、意識とは全く違うものになります。
>深海の一番底に手を触れたような、そんな感じでした。

というご質問の文章を読んで思い出したことがあります。

 ある実験のためにキセノンガス35%、酸素65%の混合ガスを吸引したときのことです。このガスを吸うと呼吸が抑制されることがある、ということが分かっていたので、実験を成功させるには呼吸を続けなくてはならない、という事を念じながら吸入を開始し、呼吸だけに意識を集中していたのです。これがどうやら、座禅で言う「観息法」に類したことを(図らずも)やったことになっていたように思います。
 ガスを吸い始めると、一呼吸ごとに感覚が消えて行くのが分かります。眠くはならないのですが、身体の感覚がすっかり失われ、しかししびれているというのとは違う。むしろ、身体があるということを忘れてしまうのです。音も聞こえず触覚もなく目も見えていませんし、空間感覚(姿勢の感覚、方向の感覚)もありませんが、それらの欠如に気付いていません。酔っぱらっているのとは違う。麻痺しているのでもない。意識はあるのに何も考えられません。息をすることすら忘れてしまいそうになる。ですが、息をし続ける、ということだけを念じているために、かろうじて呼吸が続いています。
 すると、真っ暗闇の中に光を発する白い霞がわだかまっていて、その中心に(見えていないけれど)卵形をした「呼吸」だけが静かに浮かんでいる。それが自分である。そして下は(やはり見えていないけれど)水面だ、というイメージが浮かびました。静かで、楽で、純粋で、安定で、幸福で、透徹していて、核心的で、貴重である、という感じです。なんかこう、非常に<ヨイ状態>なのです。
 数分後、ガスが酸素100%に切り替えられると、一呼吸ごとに「醒めていく」のが分かります。すると、「醒める」のが惜しいために、つい息を止めて実験データに傷を残してしまいました。やがて、目が見えていることに気付きます。続いて、見えているものが何であるかが理解でき、声が聞こえていることに気付きます。身体が当たり前のように在る、ということが分かります。もう、全然ふつーなんです。

 さてはあれがニルヴァーナか、と思いました。もしキセノンを吸わせるバーがあったら、通い詰めるかもしれません。
 しかし、個人差があります。ある人は性的興奮を生じましたし、別の人は地獄のように恐かったと言っています。嘔吐する人もいます。どうやら、吸入直前に与えた指示・暗示が体験の内容に大きく影響するようだ、という洞察が得られたのでした。

 化学的に不活性であるキセノンガスがなぜこのような効果を生じるのか、まだ解明されてはいません。(それどころか、麻酔がなぜ効くのかも実は分かっていない。)ですが、ANo.1でも示唆されているように、ドーパミン系の抑制・セロトニン系の賦活、ということが生じているんじゃなかろうかと思います。

 で、ですね。そういうことから類推しますに、座禅によって仰るような経験をひとたびすれば、以後は、その経験をイメージしながら座禅を組むことによって、容易に再現できるようになるんじゃなかろうか、ひょっとするとさらに先に進めるんじゃなかろうか、と思います。その場合「息をする」ということだけ憶えていて自分の息を観察していれば、長時間無呼吸になることは避けられそうな気がします。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
>>身体があるということを忘れてしまう。。そんな、感じです。
呼吸もそんな感じで「忘れる」ような感覚です。
なので、苦しくないんです。仰るように「ヨイ状態」なんですが、あまりに、感覚が通常と違っていたので、幽体離脱してしまうのではないだろうか?と思ってしまうくらいでした。でも、脳内物質の「良い」反応のようなので、少し安心できました。

お礼日時:2007/02/01 08:11

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