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明治36年~昭和20年まで使われていた、国定制の教科書について分からない事があるので、教えていただきたいです。

明治36年には、修身・歴史(国史)・国語・地理の4教科が国定制になった。と本で読みましたが、国定制になったのは最後までこの4教科だけだったのでしょうか?なぜすべての教科を国定制にしなかったのですか?

唱歌・算数・図画などの教科も、そのころ文部省が作った教科書が出ていますが、これは国定教科書ではないとすれば、どういう位置づけになるのでしょうか。
(唱歌の教科書については、ある本に「準国定教科書として紹介します」と書いてあったのですが、良く意味が分かりません。)

よろしくお願いいたします。

A 回答 (1件)

算数も国定教科書


http://www.lib.miyakyo-u.ac.jp/Event/josetu/H18/ …
唱歌も国定教科書
http://www.ndl.go.jp/jp/data/theme/theme_honbun_ …
下記によれば、すべて国定、
http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/hpbz19 …

さらに下記の下の方によれば
ご指摘の四教科が先行して国定化されたということのようです。
唱歌に関しては、国定化されるものに関して、準国定と表記したのではないでしょうか?
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この回答へのお礼

自分なりに調べたつもりだったんですが、ここまでたどりつけませんでした;色々紹介してくださってありがとうございます。
4教科が特に重要視?されていたという感じのようですね。
とても良く分かりました。ありがとうございました!

お礼日時:2007/02/03 10:30

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