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教科書に、自由主義に立つイギリスは神聖同盟には参加しなかった、とあったのですが、これはどういうことでしょうか?
また、それならばなぜ四国同盟には参加したのでしょうか?

質問者からの補足コメント

  • 右の色のついた縦書きの部分が文字がつぶれてしまって読めません、、

    No.4の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2023/09/17 10:31

A 回答 (4件)

イギリスが神聖同盟に参加しなかった理由は、憲法上の制約です。

神聖同盟とはイギリスの憲法が明示的に否定している絶対主義に基づいた君主の同盟だからです。
神聖同盟はロシア皇帝アレクサンドル1世が提唱したキリスト教に基づく君主間の同盟でした。神聖同盟に参加したロシア帝国、オーストリア帝国、プロイセンは、この時代、立憲君主制国家ではなく、君主は憲法に縛られていません。
これに対して、当時のイギリスは立憲君主制国家になっていました。1688年の名誉革命で、イギリス国王は「君臨すれども統治せず」の原則が確立していたのです。ですから、君主の同盟に国家として加わるということは憲法に抵触することで、あり得なかったのです。「自由主義に立つイギリス」というのはイギリスがヨーロッパ諸国とは違って立憲君主制の政体であった事を意味しているのです。

ヨーロッパの君主国家が皆、神聖同盟に参加した理由は、主としてロシア皇帝の不興を被ることを怖れたのと、同盟に参加することに別段支障がなかったなかったことが理由です。ウイーン体制の原則自体が、フランス革命前のヨーロッパの状態を維持する=大陸の絶対君主が支配する国家体制を守るというものだったので、君主たちにとっては異議を唱える必要などなかったのです。

一方、四国同盟は1815年にイギリス、ロシア、オーストリア、プロイセンがウイーン体制を補完する意味で結んだ同盟です。これは、そもそもイギリスの外務大臣カスルレーが提唱して成立した同盟なので、当然イギリスは加盟しています。イギリスの狙いは、フランスの軍事力を復興させないことでした。当時、ロシアのアレクサンドル1世がイギリスとの対抗上、フランスの軍事力を復活させようと画策していたので、この試みを粉砕するために四国同盟を提唱したのです。
イギリスの狙いはフランスにパリ条約を厳守させることであり、表向きはウイーン体制下のヨーロッパの秩序と平和を維持するという原則に基づく同盟をフランス以外の大国各国に持ちかけて、イギリスと同じ立場だったオーストリアのメッテルニヒもイギリスに賛同したことで、ロシアの試みを阻止して四国同盟を上手く成立させたのです。
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この回答へのお礼

とても分かりやすかったです。ありがとうございます!

お礼日時:2023/09/17 10:29

教科書の記載の流れを理解してはいかがでしょうか。

「神聖同盟と四国同盟」の回答画像4
この回答への補足あり
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イギリスが神聖同盟に参加しなかった背後には、国際政治の複雑な状況と外交的な戦略が関与しています。

神聖同盟は、主にロシア、オーストリア、プロイセンの三国によって1815年に設立された同盟で、ヨーロッパの平和と安定を促進し、フランス革命とナポレオン戦争の後の混乱を収拾しようとするものでした。神聖同盟の基本的な原則は、キリスト教の価値観と君主主義に基づいており、各国の内政への干渉を容認するものでした。

イギリスが神聖同盟に参加しなかった理由はいくつかあります:

外交的な独立性: イギリスは常に自己主張と外交的な独立性を重視しており、神聖同盟の原則はイギリスの外交政策とは相容れないと考えました。特に、他国の内政への干渉には反対し、自国の利益を追求するために行動したいと考えました。

利害の違い: イギリスの国益と神聖同盟の目標との間には一致しない部分が多くありました。イギリスは海洋帝国であり、世界各地に植民地や貿易拠点を持っていました。そのため、ヨーロッパ内での平和と安定よりも、自国の海上優越性と植民地利益を優先しました。

一方、四国同盟(またはクアードルプル同盟)は、1813年にロシア、プロイセン、スウェーデン、イギリスによって結成されました。この同盟は、ナポレオン・ボナパルトのフランス帝国に対抗するために設立され、彼を打倒するために協力しました。イギリスが四国同盟に参加したのは、ナポレオンに対抗し、ヨーロッパ全体で彼の拡大を阻止するための戦略的な必要性からでした。

要するに、イギリスの外交政策は国益と戦略に基づいており、神聖同盟と四国同盟の参加を選択するかどうかは、その時の状況と利害に依存していました。
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この回答へのお礼

なるほど。ありがとうございます!

お礼日時:2023/09/17 10:28

神聖同盟はロシア皇帝が提唱したのですが、宗派が違うから参加しなかった


と思います、同様の理由でローマ教皇も参加してません。
四国同盟はイギリスが提唱した同盟です。
神聖同盟も四国同盟もナポレオン戦争後をどうするかなのですが、
それぞれの国に思惑が有り、曖昧な形で決定打なく進みました。
貴族達の外交上の思惑で混乱が生じ泣かされるのは、何時も庶民です。
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