
No.2ベストアンサー
- 回答日時:
No.1さんのおっしゃる通りです。
それにチョッとばかり追加します。江戸時代の一般的な建物には、二階建て以上のものは少なかったと思います。
質問者さんが時代劇でよく見る二階建て建物は、商店が軒を接して並んでいる街道のものであるとしたら、あれはホントの二階建てではありません。
現在も残されている古い街並みがありますが、一階半くらいのものと二階のものがあります。二階のものは明治以降の建物で、江戸時代のものは一階半ですね。
そして、それらには虫籠窓という小さな窓が付いています。この半階部分は昔は住居用ではなく、物置のような使われ方をしていました。階段も急で梯子に近いものです。
我々が持ち家をするときは、土地を買い家を建てます。ですから敷地はどうしても狭くなり、建物はどうしても二階建てになってしまいます。
公家や武士の敷地はタダで十分に広いですから、あえて地震や台風にも危なっかしく、行き来に不便な二階建てにする必要はなかったと思います。
ただ蔵(土蔵)は二階建てが多いようです。これも厳密には一階半の感じですね。
わざわざ、追加して頂きありがとうございます。
確かに広い敷地を持つ公家や武家が、NO.1さんが仰っていたように地位の低い者のための二階を作ることはやらないでしょうね。特に公家は、穢れという思想もあるようですし…。
広い土地を持つ人たちに、二階以上の建物は必要なかった。
よく分かりました。ありがとうございました。
No.1
- 回答日時:
明治以前には地位の高い人が2階以上に住むことはまずありませんでした。
天皇や公家だけではなく、武士でも将軍や大名、高級の武士などは一部の例外を除けば2階以上に住むことはありませんでした。
御所や公家屋敷だけではなく、城の御殿や武家屋敷もほとんどが平屋でした。
城には天守閣や櫓がありますが、あれは住むものではなく通常は倉庫か空き家で、天守閣で住めるようになっていたのは安土城くらいです。
また御殿にも一部2階建てがあったりしますが(大奥の長局など)、高級の奥女中は下階に住み、2階に住むのはその女中に仕える奉公人か、直奉公でも地位の低いものたちでした。
ありがとうございます。
確かに、昔受験の際に、そのような話を聞いた覚えはあるのですが、気になったので、調べてみたいと思いました。
今の感覚から言えば、高層ほど格が高いような印象を受けるのですが、当時の感覚から言えば、高層ほど地位の低い者のいる場所だったのですね。だから、わざわざ二階を作る必要はなかった…。
分かりました、ありがとうございます。
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