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終戦からGHQが進駐する2週間ほどの間に、大本営はニュルンベルグでの苛烈な戦犯裁判の情報を得ていたので、GHQに戦犯が訴追される前に、自らの手で裁いてしまおうと軍法会議を開き戦犯裁判を独自に行なったようです。
このとき訴追された軍人は誰で、罪状は何だったのでしょうか。
また、この裁判に関する詳しい記述がある資料をご存知でしたら教えてください。

A 回答 (1件)

敗戦直後、日本が駆け込み的に裁いた軍人といいますと、真っ先に思い浮かぶのは本間雅晴・陸軍中将のことです。


連合国から「バタアン死の行進」の責任を問われることを恐れたのでしょうか、陸軍が彼に下した処分は「礼遇停止」でした。
ちなみにバタアン攻略に成功し、フィリッピンから帰国したおりの中将は、天皇からよくやったという意味のお褒めの勅語を賜っています。
要するにこの「礼遇停止」とは、あのときの名誉はなしよ、というお話です。
しかしこれは裏目に出てしまいました。彼は真っ先にGHQの目にとまることとなり、結果的に戦犯としてうまうまと生贄を差し出す形となってしまったのです。果たして本間中将はマニラに連行され、有罪判決の末、銃殺刑に処せられることとなりました。
なお、日本が訴追した罪状名等、詳細は存じませんが、本間雅晴中将のエピソードは、夫のため証言台に立った富士子夫人とともにあまりに有名ですので、お調べになればすぐに詳しい情報は得られるものと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございました!

お礼日時:2007/03/13 11:09

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