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大学の講義などを受けた後、必ずと言っていいほど先生が、「質問はありませんか?」とたずねます。たいていは、シーン、という反応が返ってきますが、どうしてなんでしょうか???

A 回答 (13件中1~10件)

 たとえば単位を稼ぐ為にしかたなく聴講しているだけの講義なら、そこまで真剣に学ぼうとして聴いてはいないし考えていもいないから質問する気もない、ということもあるかと思います。


 そうでない場合は、わたしはただの「コミュニケーション下手」による現象ではないかと考えています。

 まず、相手と異なる意見をのべることや、語られていない部分を質問することというものを、「自分の考えにイチャモンつけている」と受取る人がいます。
 そう受取られて場が荒れるのを恐れて、事なかれ主義で沈黙する人がいます。
 活発な議論というモノは、互いに冷静に中立の見方ができる状況というものがなければ、はた目には「争い」に見えます。
 相手に迎合できない自分の気持ちに気付くのを恐れ、また相手にも悟られるのを恐れている「平和主義者」も少なくはないでしょう。

 また、目立つ事を極力避けるように小さい頃から教育されている人がわりと多いというのも、事なかれ主義に流れる一因ではないでしょうか。大人数の集団教育では、一律に管理されやすい生徒の方が先生(この場合の「先生」とは「教育者」と言うより「管理者」の色合いが強い)から評価されることが多いでしょうから。
 そして家の中でも会話の少ない家族が多いという話もありますし、核家族・共働き・少子化……日常で普通の会話の訓練がほとんどされたことがない人もいるのではないでしょうか? 意見を交わす事で話の内容をさらに深めて理解を促す、という考え方に慣れるには、ディベートの練習などある種の訓練が必要な人もけっこう多いのでしょう。

 わたしもある先生の御招待を受けて部屋を訪ねて、コーヒーを御馳走になった事がありますが。
 その先生は学生に対してhallomiyoさんと同様の疑問をお持ちだったので、当時学生側だったわたしは意見を述べました。
「たぶん、これまで相手と異なる自分独自の意見を持つ事を周囲から求められてなかった人が多いからではないか、そして異なる見方の意見を交わして他人と共に考える事に慣れていないからではないか」と。
 でもその先生は黙って聞くだけで、それ以上の発展はありませんでした。否定でも肯定でも意見の欠点でもいいからコメントしてくれればいいのに、と、わたしは思いましたが。
 あの場で気のきいた一言でもあれば、時間を作ってでもまた行ってみたでしょうけど、、大学の先生(学生の態度に文句を言ってるご本人)でもまた然り、と思った次第です。
 互いの議論を避けて、ラジオのように一方的に受身で拝聴した話に対して、思う事はすべて胸の中にしまって暖める……もしかしたらそういう形もアリなのかもしれませんが、当時のわたしには堪え難いものでした。

 傍から見て自分の考えは愚かしいかもしれない、と嘲笑されるのが嫌で質問しない。
 自分の信じていたものが愚かしい考えだと認めるのが嫌で、相手を罵倒する。
 ……そういう人が周囲に満ちていても、自分は違う、自分はそういう空気を変えてみせる、という意気込みがあれば、違った日本人の顔も見られることもあるとは思いますが。
 
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私は日本人ですが、確かにそういう場で質問せず、後から直接聞きに行ってました。


わりと、私の周りはほとんどそうです。
そういう状況で質問すると長くなって皆に申し訳ないと思うんです。
そんなこと質問するまでもなく、早く帰りたい学生に迷惑だったりするのが嫌で。
私も逆にそう思った事あったので。しょーもないこと聞くなよみたいな。
だから、周りの人のことも考えて。質問の答えがひとことで終わってしまえば
いいのですけど、そんなのないですよね?

ただ、他人の質問で自分もはっきりしない事だったり、興味深い事だったりも
あるので、それを授業の中で聞けるのはいいけど、そう思ってない人が大半
のような気がするので。
大学も、向こうとこちらでは生徒の意識は違うでしょ。
日本は、入ったらそれでいいみたいな感じですけど、
向こうは入ってからが大事←こっちが本来だと思うけど。
そういうところからも、きているのでは?
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この回答へのお礼

ご意見ありがとうございました。 ゼミの発表で参考にさせていただきました。

お礼日時:2002/06/27 13:23

昔ですがホントにみんな質問しませんでしたねぇ。

私一人で質問しまくってました。

恥ずかしいとかの理由で質問しないなんて何しにお金払って学校にいってるのでしょう。
知りたい事は無いんでしょうか、きっとそんなこと考えた事もないんでしょうね...
優雅な事ですねみなさん、お金の無駄遣いです。
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日本人、というよりは最近の学生は、という気がしないでもないですが・・・



私は社会人になってから通信制大学に通って卒業した者ですが、スクーリングの時は活発に質問が飛び交っていましたよ。通信制大学は入学試験がありませんが、その分卒業に漕ぎ着けるのは至難の業です。ほとんどの科目が直接講義を受けずに自力でテキストを読み、レポートを出して、試験を受けて合格しなければ単位がもらえません。数少ないスクーリングの時に、あれこれ疑問に思ったことを聞きたい!という学生が多いので、分からないことがあると、すぐに質問する学生が多いようです。

恐らく受身の学生が、普通の大学に比べて少ないからかなぁ?と思いました。このような大学もありますよ、というご参考までに・・・
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ほんとうは質問したいんだけれど、周りの目が気になってできないんだと思います。



わたしも学生の頃は、そんなこともありました。
でも基本的には恥知らずなので、ぽこぽこ質問してしまうほうです。
しかし、授業がおわったあと、こんな声がきこえてきます。

『なにあいつ、ばかじゃないの?だまってろよ』

キャー怖いです。
まじ怖いです。
学校行きたくなくなります。

でもひとり質問しだすと、安心して他の生徒もずるずると質問しだすのも事実です。
みんなすなおになって欲しいです・・
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この回答へのお礼

意見参考にさせていただきました。ありがとうございました、ゼミの先生もそのような話をしていました。

お礼日時:2002/06/27 13:19

本当に質問がないからではないでしょうか。



多分、学生のほとんどは講義内容について真剣に考えているわけではないと思います。もし、各々の生徒達が講義内容を自分なりに解釈し、理解を深めようと努力したならば、自ずと疑問点が涌いて出てくるはずです。
また、学生達に興味を持ってくれるよう、講義内容や授業そのものに工夫を加えようとしない、教授達にも問題があります。大体、中には30年前と寸分違わぬ授業を平気でしてのける教授もいますから。
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沈黙は金、雄弁は銀・・・・


っていう、気質があるんでしょうかねぇ。

覇気がない、のかもしれない。
自分の意見を持っていないのかもしれない。
あるいは持っていても、表に出せるほどの能力がないのかもしれない・・・
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1)はずかしい


2)なんか自分ばかり先生に媚びているようにみえる
3)内容を理解できていない
4)最初から聞く気がない
5)早く終わって欲しい
6)質問すると後で目をつけられそうだ

と、そんな感じだと思いますよ。
あまり大きな場で日本人は発言をしたがらないようですし。
あと、ほとんどが受け身なんでしょうね。
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大学では活発でしたが、学部学科によるのでしょうか?



今考えると高校の方が遠慮していたかも知れません!

  1)先生が分らないと気の毒・・・妙な英語。
  2)難しすぎて聞く事がない・・・幾何数学。
  3)先生に媚びているようだ・・・女の子ら。
  4)説明に時間が掛かりそう・・・腹へった。
  5)早く終わって欲しい場合・・・帰りたい。
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皆さんの回答と少々違う観点で考えて見ました。


日本の教育は生徒が先生に「教えてもらう」という環境で行われています。そのため与えられた課題等についての「考察」や「批判」という思考が働きにくいと言えます。ですから、質問がでないのだと思います。
それは先生も同じで、「自分の教えていることが絶対」だという雰囲気で話をしているものですから、その内容に「反する」ような質問をしようものなら「君は間違っている」といわんばかりの態度で回答が帰ってきます。こんなことが繰り返されていては、質問をする気もなくなろうというものです。
学習とは、基礎的な知識を吸収した上で、自分なりの考えをまとめていくことである、ということが浸透しない限りこのような状況はかわらないのではないでしょうか。
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