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こんにちは。工学部1年です。前期で受けた数学のとある講義なのですが、受けてて本当に苦痛でした。
・教科書をそのままノートに写す(例題等の途中式も)
・問題を解く時間が一切なく、なんか知らない単語を知っている前提で話してくる。
・一方的な授業なので質問をするタイミングすらない

先輩に聞いたところ、その先生には毎年学生から苦情が来ているみたいなのですが、特に対応を取ったことがないみたいです。私も含み、その講義を受けた大半の学生は途中から授業放棄で自力で教科書の問題を解いていました。

毎年大量のクレームが入っているのにずっと丸写しの講義しかしない先生って大学教員としてどうなんでしょうか?小中学校の嫌いな先生の授業みたいで本当に嫌でした。愚痴交じりの文章ですみませんでした。皆様のご意見お待ちしております。

質問者からの補足コメント

  • HAPPY

    いろいろな皆さんのご意見をお聞きすることができてよかったです。
    ご回答、本当にありがとうございました。

      補足日時:2022/08/02 19:36

A 回答 (14件中1~10件)

私は物理学科中退ですが、1年の時の教養の物理学の先生の講義が「教科書を読んで分からない事はその先生の講義を聞いても分からない」と言うものだったので、一時期講義をサボって大学図書館で勝手に勉強していた事があります。

ただ「物理学科の学生が物理の講義をサボるのはさすがにマズいかも」と思い直して、勉強には全くならない事を承知で「学生の責務」としてまた講義に出るようにしました。

(cf:社会人になってから知り合った元大学の先生にその話をすると「それが大学の勉強のやり方だね」と言っておられました)

それから大学に入ってからの当面の目的がマクスウェル方程式をマスターする事でしたが、1年の間は教養の物理も専門科目の物理も力学ばかりだったので、電磁気の本を自分で買い込んで勝手に勉強していました。

高校までも本来そうかもしれませんが、大学の勉強の基本は独学です。通信教育部はその最たるものでしょう。もちろん先生に言って改善してもらえるのであればそれに越した事はないでしょうが、大学生にもなって「講義がつまらないから勉強できない」と言うのは「アンタ本当に大学生か?」と言われても仕方ない話だと思います。

ちなみに本で読んだ話ですが、前述のマクスウェルは板書を一切しない(数式も書かない)など講義が難解極まりなかったそうです。他にも名の知れた物理学者で講義が不評だった人は結構いるようなので「教えるのが下手な一流の先生」と言う人がいる事は頭に入れておいた方がいいと思います。件の先生がそう言う先生かどうかは分かりませんが。
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一点気になるとすると、



>教科書をそのままノートに写す(例題等の途中式も)

これは、そういう指示を受けているのですか?であれば、時間の無駄ですね。「そんなことは自分らで後でやるから、詳しく意味を解説してくれ」と言ってもいいと思います。

なんか、大学生になっても必死に板書をノートに書き写そうとする学生がいまだに多いようですが、教科書に書いてあることが板書されるのであれば、教科書にその先生が発した言葉を書き込めばいいだけの話です。情報を教科書とノートで二重管理するのは無駄が多いです。大事なのは、どこにも書いていない情報を知識として取り入れることなのであって、教科書に書いてあることを記憶するのは頭の無駄遣いです。
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勉強は自分でするものだと言うことがわかっていない学生だと思います。

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僕は大学は高校とは違うと、大学を出てから気が付きました。

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工学部なんでしょう? ノートを板書するだけの講義をして、


毎年過去問どおりの試験をして... というのは、
どうせ数学なんか解るわけがない工学部の学生が単位を
取れるようにという温情ですよ。 感謝しなきゃ。
数学科の学生にするような講義をして、本気の試験を出されて、
それについていけるんですか?
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最初の方の回答にも少し書いたつもりですが、大学の先生に関しては「学生に勉強を教えるのが先生の仕事」と言う考えを捨てた方がいいと思います。

高校までの先生と違って大学の先生には教員免許が必要ないので、基本的には学生に教えるための勉強や訓練をして来ていません(実際には免許を持っている先生が多いのかもしれませんが)。なので「教えるのが下手」と言うのはある意味仕方ない事だと思います。

また他の回答にもあったように大学の先生の主な仕事は自分がやっている研究であって、学生に教えるのはあくまでも「もう一つの仕事」と言う形になります。また現在の日本にあるかどうかは知りませんが、講義を受け持たなくてもいいと言う場合もあるそうなので、そう言う意味からと「先生なんだから教えてくれるのが当たり前」と言う事にはならなくなります。
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教科書の例題をそのまま写す授業だとすると


授業より前にそもそも自分でその問題を解いていますか?
授業がそういう内容なら、まずは自分でそれをやるべきです。
その時教科書の説明なしにまず自力で解けるのか。解ければ次の問題に行けばよいし、解けなければ解法を見て自分でわかるのか。見てもわからないのか。
そういうことなしにただ写す授業が悪いといっても何も解決しません。
授業の形態から自分がどうしたらよいかを考えるのが大学生です。
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大学の先生というのは、自分の研究をするのが本来の仕事で、「教える」のは片手間、本当はやりたくないが義務なので仕方なくやっている先生が多いです。


なので、学生の側は「先生を選ぶ」必要がありますが、やる気のない先生ほど「毎年内容が同じ、テストもほぼ同じ」なので「単位がとりやすい」というメリットもあるようです。

大学の特に1,2年生の一般教養課程では、基本は「自分で勉強する」ことだと考えて対応すればよいのではないでしょうか。高校までの「教わる」という受け身ではなくて。
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お礼コメントについてですが「質問ができないと言うのは講義後も同様」と言うのは「講義の後に質問しに行っても断られる」と言う事でしょうか。

もしそうなら「この先生はこう言うスタイル」と思って諦めるしかないかもしれません。ただもしも「講義が終わったらすぐに帰ろうとするので質問できない」と言うのであればやり方が間違っています。先生への質問は教壇まで行って先生を捕まえてするものです。質問する時間が与えられるのを待っているものではありません。

他の方も少し書いておられましたが、大学の勉強は「待ちの姿勢」では何も身に付きません。また「講義の間に一から十まで全部勉強して身に付けよう」と言う姿勢もダメです。「勉強するのは普段の生活で。講義は単なる補助」くらいに考えておいてちょうどだと思います。
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ひどいとは思う。

ただ、大学は高校と違って、格段に抽象度がます。概念を拡大するために再定義する。簡単なことを、難しくしているように感じる。新しい紛らわしい概念のオンパレードで大抵はうんざりするかもしれない。非常に残念な展開で、やる気がそがれるとおもう。検索かけたり、YouTubeを漁ると少しは、その動機や思いがわかる場合がある。それも、実は限界がある。こんなことになった原因、とりくんだ問題自体が示されていないし、しめされても自分の問題として考えられなければ、解法がわかったところで面白い、もっと知りたいというところまでいけない。定義とか専門用語は、ものごとを正確に指し示すために必須で、わざとめんどうくさくしているわけではない。例えば、普通に「近い」とか「近所」といえば、明白で、ことさら近いとはどういうことなのかなんてかんがえもしない。ところが、考えないといけない状況が歴史的に生まれた。この状況を理解し、なんとかしたいという気持ちを共有できると、実は数学はがぜんおもしろくなる。推理小説よりおもしろくなる。この当たりが、本当に不足していて質問者さんのような教育災害に遭遇してしまう。同じとかにている。かんけいがある。つながっている。こうしたわかりきったことを、再定義する。結局、われわれは高級言語になれすぎて、それを見直す必要性がわからなくなっているんだろう。積極的な提言はできなくて申し訳ないが、もやもやのありどころはこのあたりという指摘だけでもしたくなりました。
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