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 イギリスがスペインやポルトガルに植民地探検で遅れを取ったのはどのような理由からなのでしょうか。参考文献やURLなどもご存知でしたら、教えてください。英文だと尚助かります。

A 回答 (5件)

スペインが海外進出に乗り出すのは、グラナダが陥落し、レコンキスタが終了した1492年以降です。


その当時のイギリスは、バラ戦争の最終局面にありました。
イギリスは、国家を二分したバラ戦争の後始末と、ヨーロッパ内の対応に追われ、とても海外進出どころではありませんでした。
ヘンリー8世のイギリス国教会設立などもありますし、フランスと同盟しているスコットランドの事もあり、北米探検などを行っていても、国家をあげて海外進出している状況ではありませんでした。
さらに、イギリスが目指した北米には、中南米のように金銀が出るわけでもなかったため、殖民熱が盛り上がりませんでした。
それが、スペイン・ポルトガルに約百年送れる原因となりました。

ポルトガルの場合、1251年レコンキスタが終了し、勢力を伸ばす方向が、海外進出しか選択肢がないため、積極的に海外進出をしました。
スペインにおいても、イサベルと結婚したフェルナンド(アラゴン王)の巧みな外交政策により、フランスとの対立を有利に進める事により、ヨーロッパ内の騒動から、距離をおく事ができ、国力を高める事ができました。
さらに、カルロス1世の時代になると、ブルゴーニュの先進的文化・制度がスペインにもたらされ、益々スペインの国力がアップし、スペインは、ヨーロッパ最強国家へと変貌してゆきます。

つまり、スペイン・ポルトガルは、ヨーロッパの辺境に位置していたため、ヨーロッパ内の混乱に巻き込まれず、海外進出のための国力を持つ事ができたのです。

このへんは、各国の歴史を時代ごとに比べてみていけば、理解できると思います。
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これ如何ですか?



参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E8%88%AA% …
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文明の伝播経路


中東→エジプト→エーゲ海→イタリー→スペイン→ポルトガル→フランス→イギリス→北欧
遅れを取ったわけではなくそういう順番が回ってきたということです
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議会が強く王権が弱いため、迅速な予算編成がしにくい点もあると思います。

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スペインには無敵艦隊アルマダがありましたから


海上戦力・制海権で英国は遅れがあったのでは?
あと英国国内の事情、内政上の勢力争い・権力闘争も
考えられます
推測ですが・・・・
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