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『ゆとり教育』といって、授業量が減ったり、休みが多くなったりしてますよねぇ。
皆さんは、『ゆとり教育』って必要だと思いますか?


ちなみに、私は現在20歳で、数年前まで、義務教育を受けていました。
小学校の4年生ぐらいから塾に通い、習い事(剣道・習字)もしていて
月曜から土曜まで、ビッチリ予定が入っていて、日曜日も一週間おきに(大手の塾だったので)模擬試験が行われていましたが
これといって、キツイと思ったことはなかったんですが、そんなにゆとりって必要でしょうか?
いくら、塾や習い事などで忙しいといっても、学校でも塾でも人間形成はできるような気がするのですが。

案外、子供はゆとりが欲しいなんて思ってないんじゃないでしょうか。
大人が騒いでるだけのような気が・・・。

※私は、ゆとり教育を否定しているわけではありません。
 ただ、そんなにゆとりって必要なのかなぁと思って。

A 回答 (13件中1~10件)

普通の子供にはゆとりはあります。


実際、小中学生の帰宅後最も時間を費やすのはテレビやゲームである、というデータがいくらでもあります。

問題なのは「学習の」ゆとりなんです。
教えなければならない内容が多すぎて詰め込みにならざるをえなかったいままでの指導要領は反省しなければならないところがあります。
(学習内容が3割削減って、減った内容のことを大人がちゃんとマスターしていたかといわれればそんなことはないはずです。それが詰め込みの末路です。(参考:科学リテラシーの国際比較))

もちろん、ついていけたこどももいるわけですから、彼らの足を引っ張るようなこともいけないわけで、自学自習のできる、発展内容ももりこんだような教科書をつくるなど、改善せねばいけないところもたくさんあります。

詰め込みエリート主義にはもうかげりがみえています。
ゆっくりじっくり学問の本質に迫る、そんな授業が行われることを期待しつつゆとり教育を支持していますが。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2002/06/14 13:01

欧米ではそのむかし『ゆとり教育』をしていて、学力がガクンと落ち、治安も悪化。

これではイカンと近年、日本の教育を手本にして、みっちり教育を始めたところ、学力向上、治安の良化につながってきているそうです。
日本はいつも欧米の悪い所を真似して墓穴を掘る傾向にあるようです。将来が不安です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

まぁ、欧米の例がそのまま日本に当てはまるかは分かりませんが、悪いほうにはいかないで欲しいですね。

お礼日時:2002/06/13 15:57

ウチの中3の息子の実態。

現場の人間ですね。一例として。
勉強は中の中。スポーツして 塾に3日行って、ぱっとしない受験生です。
毎土休みになったからといって なにする訳じゃなし、やっと朝寝ができる―・・・って 昼まで寝てます。それが土・日曜日の楽しみ。
 毎日ものすごく疲れてます。何でか知らないけど、子供達 全体的に疲れてます。小学校の時から 気づいていたけど、中学生になって益々・・・暇さえあれば寝てる。いえ、勉強してる子も勿論いますよ。
 土曜休みになって 頑張る子とウチみたいに寝てる子の差が いよいよ大きく出てくるナ・・・と 思いました。

 ゆとり・・・って。大変に漠然とした言葉ですよね。
 ゆとりがなんか知らないけど、 とにかく子供は毎日疲れてます。
 明日の授業が1時間目から6時間目まで国数英社・・・と続く日があると 前の夜から 何の生きがいの無い年寄りみたいな事言ってます。
 これが現実の一部だと言う事で 参考にしてください。
 
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

息子さんの気持ち、分からないでもないですね。
私も全体としてみれば、キツイと思ったことはないですが、その瞬間瞬間はダルイと思うことも多々ありました。

それに中学生ぐらいは、みんなダラダラするものですよ。

お礼日時:2002/06/13 15:56

10人目の回答(手遅れ?)になってしまいますが、面白いテーマなので参加させて頂きます。



そもそも何故、教育改革の柱として『ゆとり教育』が出てきたのか考える必要があります。 その答えは多分『日本の高度成長を支えた、子供達全員に高度な知識を詰込む』式の教育が限界に当たった事、だと思います。 だから多分、今まで通りで良い、という事ではないと思います。

他の回答者の方々が言う通り、子供達ひとりひとりの個性を伸ばすにはどうすればよいのか、という問題に対し偉い人たちが出した答えが、この『ゆとり教育』だったのでしょう。 現実社会を見ると、正解でなかったわけです。

『個性を伸ばす教育の必要性』への反論は少ないと思います。 では、どうすればそれができるのか、というもともとの問題をもっともっと掘下げる事が大事、国家100年の計、ではないでしょうか。

回答の中で、先生一人当たりの生徒の数を20人位まで減らす、という意見には全く賛成、子供が減った為余っている教室(&先生?)を活用するのは可能なはずですよね。

わが家の場合、この4年間子供たちが英米の公立小学校に通っていますが、どちらも1クラス生徒数は20人程度、先生が必要に応じ各自に合った教え方をするよう工夫しています。

今回の『ゆとり教育』の失敗を早く認めさせ、本来の目的の為に何をすべきか、につき我々国民が参加して議論を高めて行く事が、将来の世代に対する義務だと思います。

子供が自分の個性を表現し、認められ、更にそれを伸ばす為の時間、という意味での『ゆとり』は、日本が世界の中で生きて行く為に必要だと思いませんか?
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この回答へのお礼

10人目でも全然手遅れじゃないです。回答ありがとうございました。

確かに、1クラスの生徒数は減らすべきでしょうね。私も1クラス40人弱でした。
米英式がどういうものか分からないので、なんとも言えませんが良いところはどんどん取り入れるべきでしょうね。
重要なのは、子供が立派に成長することですからね。

お礼日時:2002/06/13 15:52

私見ですが、今行われている「ゆとり教育」は、見せかけだけのものでしかないと感じられます。

なので、現在の「ゆとり教育」に関しては「必要ない」と思います。
では真の「ゆとり教育」ってなんでしょう?

当たり前ですが、人の興味や能力、理解力には個人差があり、千差万別です。それなのに生年月日だけで学年をわけて一斉に同じ知識を詰め込もうとすること自体間違っているような気がしてなりません。
飲み込みが早い者、努力を惜しまない者はどんどん飛び級していけば良いだろうし、その時点でつまづいた者、興味の対象が他にある者はゆっくりと学んでいけば良いのです。
そうすると「落第した者がどんどん落ちこぼれていく」と思う方もいるかもしれません。
しかし今の学校教育において、落ちこぼれ(落ちこぼし)の生徒はいないと言い切れるでしょうか?
各自の能力と理解力に応じて無理なく学ぶことが出来るようなカリキュラムを組むこと、そしてその教育方法に周囲(教師、親、生徒)が理解を示すようになることこそ真の「ゆとり教育」だと思います。
しかし「みんな一緒に」という考え方が主体のこの国ではそういう学校形態にすることなど当分ムリかもしれませんね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

確かに小中学生では、落ちこぼれはいない気がします。
うーん、日本では能力に応じての義務教育は難しいでしょうね。

お礼日時:2002/06/13 15:49

今、施行された「ゆとり教育」の概要を見て、


本当にゆとりが生まれると考える人がどれほどいらっしゃるのでしょうか。
私は逆に、ゆとりから遠のくと考えます。

まぁ、その辺は質問者さんの聞きたいこととは違うようなので、
ここでは語らないでおきましょう。

ゆとりが必要か否か。
これは、「ゆとりとは何か」の解釈により変わってくると思います。
質問者さんの幼少の頃は、スケジュールこそビッシリですが、
「それほどキツイと思ったことが無い」のですよね?
忙しさをさばく能力があれば、精神的なゆとりというものは誰にでも生まれます。
本質はどうあれ、少なくとも表面上、「ゆとり教育」は、現在の子供達にその能力が無いと判断してのことなのかもしれませんね。
私は、精神的なゆとりは必要だと思いますよ。

ちなみに、20歳であるならば、あなたは既に、一般社会における「大人」です。
傍観者として見ているだけでは、何も変わらないし、わからないことも多いはずですよ。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

私も子供とはいえ、精神的なゆとりは必要だと思います。
ただ、精神的なゆとり=休みを増やし、授業量を減らすという安易な考えは間違いでしょうね。

20歳は十分、大人ですね。
学生のため、そういう感覚が薄かったです。反省・・・。

お礼日時:2002/06/13 15:46

あなたの意見に大賛成です。


どっかの国の影響で働きすぎだと言われれば休みを増やし、子供が勉強しすぎだと言われればまた休みを増やし・・・

休みだけでなく授業の質もだいぶ違いますよ。
計算問題なし、漢字の書き取りなし、
モノをいえば個性とか創造性とかです。
運動会なんてもっといい例で、騎馬戦なんてもってのほか、一位や最下位がないんですよ。
競うこと比べること順位つけることはタブ-だそうで・・・

これでは社会主義じゃぁないですか?
うちでは「勝つ喜びと負ける悔しさ」を教えてます。
勉強でもケンカでもなんでもいいんです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

勝ち負けばかりでもダメでしょうが、最低限の競争はさせるべきでしょうね。
社会に出たら、ほとんどが競争なんですからねぇ。

お礼日時:2002/06/13 15:41

ゆとりという言葉を幅広く捉えると,まず,教師と生徒の比率について,ゆとりがないと思います。

教師ひとりが20名前後の生徒を教えることができれば,ゆとりの教育という言葉にふさわしい質の高い授業が行われるでしょう。時間的なゆとりについては,生徒も教師も自己啓発のためのゆとりが必要だと思います。
しかし,自由という言葉と同じで,ゆとりそのものは積極的な意味を持ちません。いくら,ゆとりがあっても,小人,閑居すれば・・・とならないとも限りません。教師は研修に,生徒は音楽や美術など文化的な活動に,積極的に参加するような方向付けが必要だと思います。
社会全体の文化的な成熟がなければ,ゆとりの教育は,結局,各種の塾(とりわけ,学習塾)への依存度を高める結果しか招かないでしょう。
結論を言えば,ゆとりの教育は必要だが,それだけでは教育の質的な向上という目的を達することはできないということだと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
大切なことは、子供の人間形成でしょうね。

お礼日時:2002/06/13 15:38

小さい頃の私があなたのようなスケジュールで習い事をしていたらたぶん


疲れ果てていたと思います。

子どもは、大人に指示されたようにしかできない環境ですので、スケジュール
をびっしりにされることが嫌でも選択肢がありません。

感情を豊かにすることは生まれもっての能力ではないので、自然や芸術に触れ
たりして磨くしかありませんが、過密スケジュールではその時間がありません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

たしかに、子供にとって感情を豊かにすることは大変重要なことですね。
そのように導くのは、やはり親の役割だと思います。

子供が自然や芸術に触れるのも、親次第じゃないでしょうか。
それには、休みの量じゃないように思います。
私も、休みの日は家族でよく出かけていました。
やらない親は、休みが多くても少なくても、一緒じゃないでしょうか・・・。

お礼日時:2002/06/13 15:37

私の年代は学校が次々に新しく作られていくような~競争の時期でした~でも親の世代になってきて、子供のしつけが出来ないようなバカな世代でもあります(全員ではありません!)。

 今・・生活が苦しくてゆとりがないのに、
子供が家に居る=お金がかかる ので~はっきり言って迷惑この上ないです。塾に行かせる気はないとは行っても、連れて出れば何かしら余分に買うことになりますし。。。
勉強の方も、%の計算を教えないとか、台形の面積や円周率は手を抜くとか・・そんなんじゃ、、建築関係の仕事など絶対に出来ないぞ!! と思ってしまいます。
逆に大学に入ってから、企業に入ってから、本人たちのゆとりがなくなってしまうような気がします。。。

親のゆとりの方が必要だと思うんですけど(;_;)
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

実際、親の方が大変でしょうね。

お礼日時:2002/06/13 12:53

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