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一概には言えませんが、人間は年をとるにつれ保守的な考え方をする傾向にあると思うのですが、
それはなぜだと思われますか?

また、進歩的(相対的)な考え方をする際、あまりにも相対化しすぎて結局はよく分からなくなる状態に陥った時、
どうすれば収拾することができますか?

抽象的な質問なのですが回答よろしくお願いします。

A 回答 (10件)

私は今30代にさしかかりましたが、10年前と比べ保守的な考え方になりつつあります。

10年前では考えられなかったことです。

理由としては、
1.身体能力の低下。
この年ですら20代とくらべ一段階身体能力の低下を自覚します。20代では考えられなかった「衰え」というものを実感する年代になるのです。
人は衰えを感じた時、守りに入る習性があります。

2.精神柔軟性の低下
人間の精神発達は25歳までがほとんどという話を聞いたことがあります。つまり25歳前後で人格の形成がほぼ完成します。犯罪者でも若いほど更生の可能性があると判断されますが、年を取るほど柔軟性がなくなり、新しい考え方を受け入れにくくなる傾向にあります。

3.変化への不安
ある程度の年になると家庭が出来、守るものができます。
昔は無茶なことを考え実行できたとしても、守る存在ができてしまうとそういうことができなくなります。出来ない環境にある以上、進歩的な考え方自体を忌避する傾向になるのは自然なことだと思います。

後半に関してですが、相対的に考える、ということは絶対的な価値基準を明快にしないことですので、当然ながら結論は出にくくなります。ですので人それぞれとなりやすいです。
私は相対的に考えることは大事だと思いますが、その上で自分の中での価値基準を明確にすることが大事だと思います。
ただ、絶対的な価値基準を設けてしまうと、柔軟性に欠けます。
様々な人の話を聞いて、価値基準が変動することはありでしょう。

問題は自己の考え方を客観的視点で見ることが出来るかです。
相対化しすぎて分からなくなるのは、他の考え方に流されすぎて、自分の立ち位置が分からなくなってしまう状態だと思います。
ですので、自分の中での価値基準をまずは明快にしてください。

進歩的(相対的)と書かれていますが、これらは別物です。
昔はビジネスでも家庭でも絶対的な考え方の人が多かったのですが、最近は相対的な考え方をとる人が増えました。ただ、それが進歩的かどうかは別です。
進歩的な考え方はしばしば相対的な考え方と反することがあります。
今までにない考え方だからこそ進歩的と言われるわけで、そこには進歩的な絶対的価値基準が存在するものです。でなければ保守的な考え方にあっさりと潰されてしまいます。
相対的であればあるほど、周りの価値観に翻弄され、進歩的な考え方ができないと思います。

保守的と進歩的の違いは、価値基準そのものの違い、
保守的と相対的の違いは、価値基準の柔軟性の違い、
と個人的には考えます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます

私も30歳くらいになれば、kita33drさんの言いたかったことが分かるようになる気がします。ちなみに今22才です。

保守と進歩、絶対的と相対的の詳しい解説ありがとうございます。
勉強になりました。

お礼日時:2007/04/13 05:29

年齢と共に責任ある地位に着くことが多くなり、その結果、以下のことが生じるためだと思います。



(1)失敗が許されなくなること。
(2)現場の知識がストレートに入りにくくなること。
(3)時代の変化に対応した学習機会を失うこと(理由:忙しい、そして、充電より放出を要求される)。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

想像すると、そのような状態になるだろうなと思います。
まだ学生なので、実感として分かるようになるのは先のことではありますが…

お礼日時:2007/04/20 20:46

経験の中の失敗体験の多さが自然に革新的考え方を否定してしまいます。


>どうすれば収拾することができますか?
ご老人→失敗経験の豊富な人の意見を注意深く聞くことです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

最近になって、人の話を聞く面白さが分かってきました、特に祖父母の話を聞くのは大変興味深く、面白いと感じています。

しかし、ある面では、外的環境は絶えず変化しているので、今までのノウハウ、経験論では太刀打ちできないという状況が存在しているのも確かなことかもしれません。勿論、どこの視点でみるかによって違ってくるのではあるのですが。

お礼日時:2007/04/14 14:14

たぶん人間というのは一番効率よく、自分の目的を達成しようとするからだと思います。



一番低コスト、高効率で成功しようとすれば、過去に培ったノウハウを
最初に試す事はまさに一番効率良いと思われるからではないでしょうか?

保守的なのは知恵が沢山ついているからじゃないかな?
だから知恵の付き過ぎると、過去の知恵に振り回されてしまうんでしょうね。でもしょうがないと思います。やはり過去のノウハウを試すのは
成功する確率は、何もノウハウのない状態から試すよりはるかに成功確率は高いでしょうから。

 だから時々、ノウハウのない斬新な若手に先を越されたり、負けたりするのだと思います。でもあくまでも時々です。勝率では、ベテランの
ほうが上ではないでしょうか?
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

僕は、商学部に在籍していて経済を学んでいるので、その観点から見た場合8942さんの意見に賛成できます、また個人的に好きです。
来年には、サラリーマンとして社会に出る予定(未定)なので、現実的にそう思うようになると思います。

少し話がずれるのですが、効率性と対照的なものとして、正当性があげられるかもしれないと思っています。
具体的には、人権、感情、など極めて人に近いところにあるものです。
モノを効率的に動かすことはある程度可能ですが、人を効率的動かすのは非常にナイーブで難しいように思います。

お礼日時:2007/04/14 14:02

歳を取ると、「今こうしている」ことの幸せを実感できるようになる傾向にあるからだと思います。



私の場合は「自分はどうしたかったんだっけ」と出発点にたつことです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

自問自答は確かに大切ですね、言葉にしてしまうと非常にあっさりしたものに感じられますが、中身が大切ですよね。
5W1H(個人的にはHow muchを付け加えた5W2Hが好きなのですが)の中でも、howというのが本当に難しいですね。

お礼日時:2007/04/13 21:37

#5です。


例えば神は存在するのか?という問いですね。
このカテでこの手の質問をしたら、唯物論から新興宗教の勧誘までえらい勢いで回答がきますよね。
個人的ですが、わたしはすべて有りとしてしまいます。つまり選択しません。神は色々な側面をもっているという事実だけを幹としてすべての考え方はその枝のひとつひとつとしてしまいます。もちろんお気に入りの枝とそうでない枝はありますが。
誰も神を見たことが無いのですから、誰からも文句は出ないと思って開き直ることにしています。
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この回答へのお礼

神を信じきって生た方が、楽といえば楽だと思うのですが、個人的にはその行為が純粋なる自己欺瞞にすぎないように思います。
しかし、程度の差はあれ、自己欺瞞せずに生きるのはなかなか辛いことでもありますね。
なので、とりあえず自分の都合のいいように暫定的な結論を出し、試行錯誤してるのが現状です。楽観的に、柔軟に

自分自身の主人となれより、どちらかと言うと自分自身をある集団と捉えるスタンスをとっているのですが、そうするとまた神云々の問題に逆戻りして思考のスパイラルに陥ってしまいます。
試行錯誤する行為こそが重要だろうなと思っているのですが(笑)

この手の話題は面白いですね

お礼日時:2007/04/13 20:54

年齢を重ねると当然色々な経験や知識が増えていきます。

色々な考え方を年齢とともに取捨選択した結果ある考えに行き着いた。そして世間の常識に照らし合わせるとその考えは保守に分類されている。という側面もあるのではないでしょうか。

進歩的(相対的)な考え方とは具体的には人の意見を聞いていると、ということでしょうか。一番簡単な方法は結果しか見ないという方法です。考え方は立場によって様々ですのでまずは一つの方法を選択し、実行する。その結果が満足できなければ別の方法を使うを繰り返します。
よい結果を得るための手段=”考え方”なのですから”考え方”にこだわりすぎると本末転倒となるんじゃないでしょうか。
質問の意図と違っていれば補足をお願いします。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

ある具体的な一面では、shift-2007さんの言う、人の意見を聞いていると、という状況があり、また別の一面では、心理学見地、科学的見地など複数の分野から見てどれを選択するか迷う状況があったりと、様々な状況をここでは考えています。

”考え方”にこだわりすぎると本末転倒なるということは正しいと思います。
抽象的な事を考えてもきりがないのは分かっているのですが、ついつい考えてしまいますね。

お礼日時:2007/04/13 17:04

>それはなぜだと思われますか?


自分の経験を全部捨て去れと言われたら怖いですからね。
過去を継承せずに未来には行けないと思うのは、ある意味当然かな。

>どうすれば収拾することができますか?
「我、中道を行く」ではないですが、信じるに値する人の固定観念と、自分なりの革新性の中間を模索するのがいいのではないかと。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

主観的な経験則に基づいた考えというものに少し疑問があったのですが、そういう傾向に向かう理由が何となく理解できました。

バランスをとるのはなかなか難しいことですね

お礼日時:2007/04/13 05:22

50年生きてきた人は50年分の経験でもって物事を判断するのです。

これが10年の人は10年分の経験です。その経験の差が保守か革新かの違いというだけです。

進歩的、相対的についてはまぁ仰りたいことは分かりますが、まず進歩的と相対的はまったくイコールでは結べないものでしょう。どちらかというと反比例する事例の方が簡単に思いつきますが。例えば天才肌な人間は個人主義者(奇人・変人)が多いとか。
で相対主義に陥るとある対立した意見に対して、どちらもそれなりに正しいとしか言えなくなってしまう訳ですが、最終的なところでは好き嫌いで判断するしかないというのを認識した上で、ある程度は相対的に振舞えばよいと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

進歩的と相対的の違いに関してのご指摘ありがとうございます。
勉強になりました。

お礼日時:2007/04/13 05:15

>年をとるにつれ保守的な考え方になるのはなぜ?



年齢を重ねると、社会的な地位やある程度の資産ができます。
そうなると、リスクを取るなど冒険をする必要もなくなり、おのずと安定志向になるからではないでしょうか。


>進歩的(相対的)な考え方をする際・・・・

質問の意図が分かりません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます

極度に相対化した考え方を持った結果、自分なりの結論を出しにくくなってしまう状態をうまく脱却するためにはどうすればよいか、
ということが言いたかったです。

分かりづらい文章で申し訳ありませんでした。

お礼日時:2007/04/13 05:00

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