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ちょっと考えると、嫉妬は感情の一種ですから理性は関係が薄いはずではないかと考えられますが、実際は理性を重んじる人のほうが嫉妬深いようにも思われます。動物は嫉妬しないのではないかとも思うのですが、人間特有だから理性に関係しているものであるとも言えないとも思います。嫉妬の正体とは何でしょうか。

A 回答 (8件)

こんばんわ



臨床心理士をしています。
以下はあくまで「僕の解釈」が多分に入っていますので、
「心理学上の定説というわけではない」という前提で読んでください。

人間には「喜怒哀楽」という感情があります。
「嬉び」「怒り」「悲しみ(哀しみ)」「楽しみ」ですね。
この4つの基本感情のほかに「恐怖」と「不安」という感情があり、
この2つは4つの基本感情に比べて個人差が非常に激しい感情
なんですね。
「こうしたら相手は喜ぶだろう」
「こうしたら相手は怒るだろう」
などという感情は個人差が小さいので「自分の判断基準」で
相手にアプローチしても「ハズレ」が少ないのですが、
「恐怖」と「不安」は個人差が大きいため、「自分の判断基準」
が相手に通用しないことがままあるわけですね。

実は「嫉妬」という感情はこの「恐怖」と「不安」が根源的
感情になっているわけです。
だから「何で男友達と食事しただけで私の彼氏は嫉妬するんだ
ろう」となります。
個人差が大きいから「何で?」となりやすい(相手の感情が理解しにくい)。

嫉妬の根源的感情は「恐怖」と「不安」なわけですが、「嫉妬」
という感情が発生すると、基本感情の「怒り」と「悲しみ」

表層化してきます。
もう少し細かく書くと、「批判感情」⇒「被害感情」⇒「攻撃感情」
というステップを踏みます。

ここで心理学的に問題になってくるのは、この感情の変遷の中に
「投影」という行為が入ってきた場合です。

「投影」というのは、自分が持っている「自分では嫌な」感情を
あたかも相手が持っていると思い込んでしまうことです。
自分の嫌な側面を相手が持っていると思い込み、自分を守るために
相手を悪者にする行為です。
これはほとんどの場合無意識下で起こります。

本当は自分が「今の彼氏に対してマンネリぎみで、ちょっといいな
と思っている人がいる」とします。
ただ、そうは思っても自分は「そういうのはよくない」と思って
制御していたとすると、彼氏が「ただ女友達と話していただけ」
なのに、「私は制御しているのに、彼氏は他の女の子をいいと
思っているんだ」という「怒り」が出てきます。

自分の浮気願望を否定して、彼氏に「浮気願望がある」と錯覚
してしまっているわけです。
「自分と同じ(嫌な)願望を彼氏も持っている」という思い込みです。
打たれ弱く、セルフアサーション(自分の内面を分析する行為)
が苦手な人に多く見られる傾向です。
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この回答へのお礼

ご丁寧にご教示いただきましてありがとうございました。

お礼日時:2007/04/24 20:14

kaitara1さんが、ご自身で嫉妬している状況を考えたらよろしい。

それを全人類に当てはめるのも無謀ではないでしょう。
「悲しみ」がそこのほうに宿っていませんか?私はそれだと考えます。動物にないですね。
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この回答へのお礼

なるほどと思いました。嫉妬以外にも悲しみはあると思いますが、理性から出てくるとすればやりきれない思いがします。

お礼日時:2007/04/24 20:16

嫉妬は動物にもあります。


飼い主が違う動物を可愛がったり褒めたりすると、妨害したり相手を攻撃することもあり、人間臭さを感じることがあります。
嫉妬は潜在意識の中で「負け」を回避する心理です。
あの人に愛されたいのに当人は違う人を愛している。
その対象になっている人に対して負けている自分を認めることができなくて、気に食わないという感情を持ったり行動に出たりします。
つまり、自分という存在を保護しようとする心理が嫉妬です。
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この回答へのお礼

嫉妬出来ないと自分が破滅するということもあるでしょうか。ご教示ありがとうございました。

お礼日時:2007/04/24 20:19

自分の心を探るのが一番でないですか?


汝自身を...
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この回答へのお礼

おっしゃる通りなのですが、嫉妬というのは的確な判断力に基づいている場合が多いので、他の方のご教示をいただきたかったのです。

お礼日時:2007/04/25 16:28

#3ですが、嫉妬できなくて・・・というのは意味がよくわかりませんが、嫉妬というものはマイナス感情で建設的な感情ではありません。


例えば自分の好きな人がテニスに夢中なとき、テニスを憎むことと同じです。
客観的にみれば無意味な心理ですが、本人はいたって真面目なのが特徴です。
嫉妬が過ぎて身を滅ぼすというパターンは聞きますが、嫉妬できなくて・・・というのは聞いたことがありません。

それだけ嫉妬という心理はストレスを感じるものです。
嫉妬心を感じないというのは、おおらかなタイプか鈍感なタイプかと思いますが、そちらの方が一般的に大きな心の持ち主といわれます。
大きな世界観で考えれば、「負け」となる嫉妬を逆境と捉えて成功する人もいますが、多くはマイナスのまま終わるケースが多いようです。
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。泣くと一気に苦しい気持ちが解消しますが泣けないとそうはいきません。嫉妬も同じで一見負の効果をもたらしているようですが、嫉妬しないともっと重大な心理状態に陥ってしまうというようなことがあるのではないかと思いました。そのくらい嫉妬というのは至るところに溢れています。

お礼日時:2007/04/25 16:34

こんにちは。


「嫉妬」といいますのは厳密には感情ではありません。「感情」とは、我々が嫉妬をすることによって発生した「怒り」や「悲しみ」の方を言います。ですから、「嫉妬」というのはどちらかといますならば感情そのものではなく、そのような反応を発生させる原因や状況に対する分類ということになります。ですが、感情の分類には原因や状況も重要な必要条件となりますので、そのようにして発生した感情を「嫉妬」と呼ぶことに全くの間違いないと思います。
「感情」とは「大脳辺縁系の情動反応」に基づいて生み出されるものです。大脳辺縁系には身体内外のありとあらゆる知覚情報が入力されており、ここではそれに対しての「利益・不利益の価値判断」が行われることによって「快情動」か「不快情動」のどちらかが発生します。「怒り」や「悲しみ」といいますのは環境から得られた知覚入力に「不利益」の判定が下されることによって発生する「不快情動」に従う身体反応の表出であり、このメカニズムは脳内に大脳辺縁系を発達させた全ての高等動物に共通です。ですが、「嫉妬」という行動は恐らく人類に特有のもので、まず人間以外の他の動物にはないと思います。

「嫉妬」という言葉の意味を辞書で調べますと、
(1)人の愛情が他に向けられるのを憎むこと。また、その気持ち。特に、男女間の感情についていう。やきもち。悋気(りんき)。
(2)すぐれた者に対して抱くねたみの気持ち。ねたみ。そねみ。
と書いてあります。
ならば、即ち「嫉妬」といいますのは、
「他者の立場や行動を自分の不利益と判定する行為」
ということになると思います。この辺りが「嫉妬の正体」ではないでしょうか。ですから、我々の脳内にはこの不利益に対して不快情動が発生しますので、それが「怒り」や「悲しみ」といった感情に分岐してゆくことになるわけです。
さて、人間以外の他の動物には、この他者の行動を自分の不利益と予測し、判定をすることができません。イルカやチンパンジーなど比較的知能の高い動物でありますならば、人間と同様に「自己と他者」というものを区別して認識することがある程度できるのではないかと考えられます。ですが、これまでそのような報告はそれこそ世界中で数え切れないほど上がってはいるのですが、たいへん悩ましいことに、科学的に受け入れられたというのはまだひとつもなかったはずです。従いまして、このような複雑な手続きを要する「嫉妬」という行動は我々人類に特有のものであり、他の動物には見られないというのが現時点での認識ではないかと思います。

次に、「理性」といいますのは特に道徳的な判断を下すためにあるものではありません。「理性」とは我々が与えられた状況に対応した複雑な判断を行い、より価値の高い行動を選択するためにあるものです。
「理性」とは「感情の影響を受けない判断」と定義されます。「感情」とは大脳辺縁系の情動反応に伴って発生するものであり、これに従って選択される行動を「情動行動」といいます。これに対しまして、「理性行動」といいますのはその全てが「大脳皮質」の「計画行動」であり、与えられた状況と過去の学習記憶を基に「未来の結果を予測する」という、たいへん高度な情報処理によって選択されるものです。
「情動行動」といいますのは大脳辺縁系で行われる「利益・不利益の価値判断」に従い、対応する行動が直ちに選択されてしまうというものです。これに対しまして「理性行動」、即ち大脳皮質の「計画行動」といいますのは、得られるべき「未来報酬」を予測し、原因と結果を自覚した上で選択される「意識行動」であります。このため、その場の感情で選択される情動行動よりも確実に利益の高い結果を得ることができます。我々が専ら理性を以って道徳的な判断を下そうとするのは、それは感情に惑わされ、その社会のルールに従えなければ自分の未来に不利益の発生することがちゃんと予測できるからです。
このように、「理性」とは特に道徳観に従った判断を下すためのものではなく、それは感情に影響を受けることなく、複雑な判断を行うことによってより価値の高い行動を選択を実現するためにあります。ですから、より多くの学習体験を積み重ねるならば、我々は様々な問題を計画行動によって解決することができるようになりますので、必然的に情動行動の選択が抑制されることになります。そしてこのように、情動行動に対する計画行動の比率が十分に高いことを「理性的」、即ち「大人」といいます。

さて、「嫉妬」といいますのは人間に特有の行動であり、他の動物にそれができないのは、他者の行動を自分の不利益とする複雑な判断が下せないからです。そして、「理性」とは高度に発達した大脳皮質の機能でありますから、確かにこれも人間の脳の特徴と言えると思います。しかしながら、「嫉妬の発生」と「人間の理性機能」といいますのは、果たしてこれは全く関係がありません。
「嫉妬」とは、他者の行動が自分の不利益と判定されることによって大脳辺縁系に不快情動が発生し、それに従って「怒り」や「悲しみ」といった感情が生み出されたり、与えられた状況に対応した情動行動が選択されるということです。実際に反応を発生させるのは大脳辺縁系ですが、この場合、まず与えられた状況を分析し、過去の学習体験と比較してそれが自分にとって利益であるか不利益であるかの検証を行うのは大脳皮質の役割です。ですが、ここまでのプロセスにおいて我々の理性機能といいますのは一切それに介在をしていません。何故ならば、知覚入力に基づく認知結果といいますのは与えられた状況に対する分析結果であり、果たしてここに如何なる高度な理性を用いようともその事実を変更することはできないからです。更に、理性の本質とは感情に影響を受けない行動選択であります。ですが、この時点ではまだ感情というものは何処にも発生していないのですから、この大脳皮質における認知作業を「理性的な判断」と定義することはどうやってもできないわけです。
「理性」の役割とは、その場の感情に影響を受けることなく、与えられた状況を基に未来の結果を予測し、より価値の高い計画行動を実現することにあります。このため、嫉妬というプロセスにおいて理性が介在するのは大脳皮質での認知結果に対し、必ずや大脳辺縁系の価値判断が下されたあとということになります。何故ならば、理性の役割とは判断を下すことではなく、その結果に対して行動を選択することであるからです。従いまして、まず「嫉妬」を発生させているのは理性ではありません。そして、我々人間が「嫉妬」という行動を選択できることと、その脳内に高度な「理性機能」が存在していることは、全くの無関係ということになるわけです。

情動といいますのは反応が発生し、それが大脳皮質に知覚されるまでは絶対に抑制することはできません。そして、理性が感情を抑制するということは、与えられた結果を基に未来報酬を予測し、情動行動よりも価値の高い計画行動を選択するということです。ですから、状況の分析を行い、対応する計画行動を選択する十分な能力を持ちながら、にも拘わらずついつい情動行動の方が優先されてしまうことでしたら、そのひとは大人でありながら感情の起伏が大きいために嫉妬しやすい性質ということになります。そして、情動行動に対する計画行動の比率が高いということは、それだけ理性的であるということでありますから、理性を重んずるひとの方が嫉妬深いというのはどう考えても辻褄が合いません。ですが、我々の脳内で嫉妬を発生させるのが理性の存在ではないということでありますならば、この矛盾は解消され、それは日常の観測結果と単純に対応する、極めて常識的な事実として扱うことができると思います。
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この回答へのお礼

ご教示を少し時間をかけて拝読熟読させていただきたいのでプリントいたしたところです。くいちがうかもしれませんが、自分を理性的であると自負している人の中に嫉妬を合理化した上で嫉妬の対象である相手に多大の被害を及ぼす人も多いように思えます。これを理性的というのは言葉の誤用かもしれませんが、こういうひとがなかなか合理的な生き方をしているように見えることも事実です。勉強させていただきます。ありがとうございました。

お礼日時:2007/04/25 16:42

メカニズムについては#6さんの(たぶん)信頼できるご回答をご覧いただくとして、


「>実際は理性を重んじる人のほうが嫉妬深いようにも思われます」
という感覚自体が錯覚ではないかという気がします。
理性のある人も嫉妬は同じ程度に感じるはずで、ただ、それを押さえて表に出さないようにする術を心得ている場合が多いということに過ぎません。
性欲を押さえることができるからといって性欲が無いということにはならないのと同じでしょう。

個人的には、嫉妬は感情と言うよりは(人間としての)本能の一部のように思います。
人間にとって、アイデンテイティ(自己同一性)、すなわち自分が自分であるという認識は必須でしょう。
そして、この認識は、多かれ少なかれ他者による相対的な評価を求めたがるものなのかもしれません。

この他者による評価が不平等、あるいは不足していると感じるのが嫉妬の正体ではないか、という気がします。
 
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この回答へのお礼

ご教示ありがとうございます。自分の劣位性が明瞭な場合でも特別感情が波立たない場合も多いと思いますが、嫉妬心が確かに自己認識と関係していることであることは納得できます。

お礼日時:2007/04/25 16:46

詳しいことはわからずただの一般人ですが・・



嫉妬・・・といってもいろいろあるのかもしれませんね。
ちょっとしたやきもちとか、ひどいものまで・・・。
理性・・・(???よくは定義もできませんけど)、あまりそういうものを知らない、小さい頃などそういうことが働かない場合に起こるやきもちなどは、どこと無く素直で貴重なもののように感じるときがあります。

できればひどい類のやきもちは持ちたくないし、受けたくない気がします。
ある程度歳もとってくれば、精神的にも安定してきたり、理性的に考えたり、やきもちに使うエネルギーを他に向けたりが出来るようになってくるものなのかもしれませんね・・・。
(せざるを得ない?)
ただ、あまりに理性的だったり、規範としてだったり、まるっきり無いものとして考えすぎると、出口が詰まりそうですね・・・。

私は動物?もやきもちをやく?持つと思います。ペットの犬などでそれを感じます。
(人も動物ですが)

嫉妬と理性の関係・・・?その二つの関係性など難しいことはわかりませんが、普段の生活もおそらくどこか、何かに関係してきそうな気もします。

正体・・・は前の方などと同じように思っています。
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この回答へのお礼

的確なご教示をありがとうございます。嫉妬にもいろいろあるということですね。自覚なき嫉妬というのが本人にも周囲にも一番害が大きいのかもしれないと思いました。

お礼日時:2007/04/26 14:39

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