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「明石の姫君が入内する前、姫君は誰に育てられたのか」、ご存知の方教えてください。

新編日本古典文学全集などの注釈書を見ると、
「明石の姫君は、その実母の母君が申し分なくたいせつにお世話申し上げ、・・・(以下略)」とありますが、
明石の姫君は紫の上によって育てられたんではないのですか?
紫の上と明石の御方の初対面は姫君の入内の時ですし、二人ともが姫君の養育に関わっていたとは考えにくいかと思います。
また明石の御方は冬の御方として厚遇されましたが、明石の姫君と会う機会等あったのでしょうか。

よろしくお願いします。

A 回答 (2件)

> 明石の姫君は紫の上によって育てられたんではないのですか?


明石の姫君は、「薄雲」で二条院に引き取られてから入内までは、対の上(紫の上)に育てられています。
#1さんがおっしゃっているとおり、対の上が実母ではないということは「分かっていた」ようです。
「初音」で明石の姫君が返した歌も「ひき別れ年は経れども鴬の巣立ちし松の根を忘れめや」というもので、別に存在する実の母に対して贈るのに相応しいものだと思いますし。

> 明石の御方は冬の御方として厚遇されましたが、明石の姫君と会う機会等あったのでしょうか。
入内まで、六条院では会う機会があったようなことは書かれていません。
二条院に引き取られて以降、次に明石の御方が姫君に対面したのは、姫君が入内してからのことになると思います。
この時も「実母」としてではなく、今後の「後見役」あくまでも「女房」の1人として、対の上に紹介されたのではないかと思います。
引き合わせた場面は一切書かれていませんが、入内に付き添った対の上が3日間宮中に滞在したあと、退出に際して引き合わせたのではないかと思っています。
実際、桐壺の女御が、自分の生みの母は明石の御方だと気付いたのは「若菜上」の話ですしね。

> 「明石の姫君は、その実母の母君が申し分なくたいせつにお世話申し上げ、・・・(以下略)」
私も、これは「松風」で明石の御方が大堰山荘に入るまでのことを言っているのではないかと思います。
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>明石の姫君は紫の上によって育てられたんではないのですか?


その通りです。

>明石の御方は冬の御方として厚遇されましたが、明石の姫君と会う機会等あったのでしょうか。
なかったと思われます。
ただし明石の姫君は紫の上が実母でないことは幼い頃から知っていた節があります。

お書きになったのがどの巻の注釈かわかりませんが、
紫の上に預けられる前の幼少の頃を指してた箇所ではないですか?
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