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先日、友人との会話の事ですが
日本には八百万の神々って考え方があるので
キリストやブッタやアラーが日本に来ても
神様が数人増えるだけとの会話から始まったのですが

友人曰く
日本では年末になると
クリスマスを祝い、大晦日にお寺に行き、元旦に神社に行く
世界中を探しても、ここまで節操の無い国は日本だけと
説明されました
友人はちょと否定的な感じがしましたが

自分的には
他の国ではあり得ないかもしれませんが
独自の文化って感じで、それはそれでいいのでは?なんて思います
ホントの所はどうなのでしょうか?

A 回答 (18件中11~18件)

一神教の方々は他の宗教には寛容ではありませんからねぇ、



それと一神教といってもかなり他の宗教(土着的なものなど)を取り込んでいますよ、

人は人工的な唯一神では安らげません、
そのため聖人や天使なんかを作りごまかしてます、

クリスマスは本来ケルトや古ゲルマンの冬至の祭りに由来してますし、
ローマのミトラ信仰も混ざってます、
そのためにキリストの生誕日とは関係の無い12月の24日にしました(太陽の再生を祝う祭り)、
クリスマスツリーは世界樹に由来してますし、

旧約聖書イスラム教でもかなり混ざってるはずです、
マホメットが天使ガブリエル(表記は違うかも)に啓示を受けて開いたとされてますし。
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誇れるとは別かもしれませんが、「俺のとこの神はこうだぞ」といっても、「あ、日本はその神もってます。

」となり「俺のとこの神はああだ、 他の国には無いだろう。」といわれても「あ、その神も日本にいますね。」って感じです。


日本の神は八百万の神ですが、最終的に一神に還元されます。

他の神を取り込んでいってしまったので、一神なのに八百万の神となってしまったみたいです。


習合っていったと思います。

ユダヤ教の神もキリスト教の神も日本の中にとっくに取り込まれています。

日本は神のデパートってわけですね。

位置的に東の端なので、風にのって世界各国の神々がここにたまってしまったのでしょうか。

この世の果ては日本なのか?って感じですね。
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世界に誇れるか?と問われたら、別に誇ってもいいけど、他国の人はそれを優れているとも劣ってるとも考えず、そういう文化があるね、で終わることだともいます。

以前インドに滞在したときにヒンドゥー教の寺院をいくつか見て回りましたが、まさにその状態。

> キリストやブッタやアラーが日本に来ても神様が数人増えるだけと

アブラハムの宗教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)では「創造主」は唯一であって、他の神々の存在を認めません。なので、「神様が増えるだけ」というの考え方にはなりません。「(伝統的な日本の文化における)神」と「創造主」は概念的に別なのだと考えたほうが、混乱が生じずに済みます。

また、ブッダは「悟りを得た人」であって、神ではありません。日本に伝来するまでに土着のいろいろな宗教と混じってしまいましたが、ブッダが説いたのは「人生の苦しみから脱するための哲学」です。

> 世界中を探しても、ここまで節操の無い国は日本だけと
> 説明されました

日本人全体で見るとそう見えるかもしれませんが、個々人の行動を見るとどうでしょうか。実際に「クリスマスを祝い、大晦日にお寺に行き、元旦に神社に行く」という人を見たことがありません。一般的なイメージだけのことだと思います。とくに、クリスマスは商業的なイベントばかり先行しているので、クリスマスを祝うためにミサに行く日本人は信仰心の篤い方だけだと思います。

それから、世界は広いです。自分が知っているだけの「世界」で閉じて「節操の無い日本」になっている可能性は否定できません。

「創造主」と「八百万の神々」と「ブッダ」は『混ぜるな!危険!』ということで。
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 宗教を巡っての争いがない、という一事をもって、おおいに誇ってよいことだと思っています。

それを「節操がない」と言うかいわないかは、表現の問題でしょう。

 日本には、「宗派の争い、仏の恥」なんて良い言葉があるのに、あちらの神様には恥がないのか、同じ神様を信じている信者同士が殺し合っているわけですから、すさまじい。これを「節操がある」と言うかいわないかも、表現の問題でしょう。

 ちなみに、「日本人は神を信じていないという人は多いのに、誰も人が見ていない(神様しか見ていない)ような時にもルールを守るね」と驚く外人さんは多いらしいですよ。いや、多かった、というべきかな残念ながら。
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個人的には一神教の排他性は好きになれません。


どういう形態を取ろうが神は神なんだろうと思います。
ホントの所なんて凡人に解る術もありませんが、侵略者の天津神も土着
の国津神も外来の印度の神も非業の死を遂げた怨霊も皆神とする日本
人の度量の広さは誇って良いと思いますよ。
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無神だろうが、一神だろうが、八百万の神々だろうが…


全てのことに対しての感謝の心があるなら信仰はなんでもいい気がします。
全ての宗教の原点ってもとは一つですから。
信仰が厚くても戦争したり、テロ起したりする変なのもいますよね。
要は、神様の数じゃなくて信仰する「人間の心」の問題なのでは?
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まず「誇れる事ですか?」とか「ホントの所は」なんて設問自体が哲学的な思考と相容れないですが。



神様について「ホントの所」は人智の及ぶところではありません。

「それはそれいいのでは?」について「ホントの所」は、あなた自身にとってはそれで良く、批判的な誰かさんにとってはそれではいけない。立場によって別な意見があります。
自分自身として意見を持つことはいいと思います。
絶対的に間違っていたり何らかのひとつの結論に統一しなければいけない必要性がある状況でない限り、他人の異なる意見を否定することもありません。
いろんな立場のいろんな論理を理解した上で、自分自身の意見をもつべきです。それがあなたにとっての揺ぎ無い「ホントの所」です。

多くの日本人がどう思ってるかとか、多くの外国人がどう思ってるかといった統計情報は、残念ながら存じません。

文明に対する多神教の影響は、いろいろです。一神教と比べて、良い面も良く無い面もあります。量的にどちらが多いかとか、効果としてどちらが優れているといった評価は不可能だと思います。日本的、多神教的な文化に対して肯定的な者は総じて良い、そうでない者は悪いと評価するのかもしれませんが、肯定的であるかそうでないかは、それぞれの人生経験などの影響が大きい問題で宗教的な論理なんて実はほとんど関係なかったりするかもしれません。
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良い物は 良い


楽しい物は 楽しい

何が悪いの?


で。
八百万の神っていうのは、何にでも神が宿っていて、どんなものでも大切に とかそういう感じの話じゃなかったっけ?
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