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以前、とある大学の教授が、宇宙から来た空飛ぶ円盤や
霊の存在は科学では証明できない。よって存在しない。
と力説されまして、私は以下の様な質問を致しました。

「アナタに知性はありますか
 良心はありますか
 責任感はありますか
 信念はありますか
 教養はありますか
 …あるのならば、科学でその存在を証明してクダサイ」

その教授は、怒って退席されました。
科学に明るい方で、この教授と似た考えをお持ちの方、
私の問いに答えてクダサイ。

尚、実際に霊やUFOが存在するか否か、
の議論には関心がありません。

A 回答 (24件中1~10件)

すみません、回答するに値しないものですが、回答に興味があります。


ご質問については、
教授をやりこめるつもりだったとは思うのですが、
論点がずれていたのでは、と思いますが、怒っちゃった教授も子供ですねー。
私は、「科学的に存在を否定する十分な証拠がない限りは存在は否定できない(肯定もできないにしろ)」という、常識派です。
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この回答へのお礼

毎度です。興味を持ってくれる方の存在は、
私には喜ばしいコトです。今後もヨロピク。(死語(笑

> 教授をやりこめるつもりだったとは思うのですが

いえ、実は古くからの疑問でして、
この方ならあるいはズバリの回答を…?
と期待しての質問です。

ここで書くと、すっげードライですが、
ムードは円満でした。教授以外は。(笑

お礼日時:2002/07/08 22:10

私はその教授のような考えは持っておりませんが



上記の返答として
「所詮は脳内で行われている化学反応にすぎない。
 それが原因となって起こる人間の振る舞いにの一部に
 『良心』や『信念』などの名前がついているだけだ」
と答える事も可能です。

実際のところ、この教授の発言は科学的では無いですね。
UFOや霊の存在を完全否定するならば
「存在しない事」を証明する必要があるはずです。

「存在する事を証明できない」状態で言えることは
「存在しない可能性が高い」までですね。
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この回答へのお礼

なるほど。化学反応ですか。

で、それに名前をつけ概念化したモノが
「良心」や「信念」というコトですね?

ところで概念化したモノに過ぎない
というコトは、イコール科学では
その存在を証明できない、というコトでは?

> 「存在する事を証明できない」状態で言えることは
> 「存在しない可能性が高い」までですね。

私も同じ考えです。回答ありがとう。

お礼日時:2002/07/08 22:16

この場を借りてオレにも一言言わせてください。


科学で証明できないことは存在しないと言う人達へ。

それはうぬぼれだと思います。
科学ってそんなに発達していますか?
今の科学で何もかもを証明することができるんですか

オレにはまだまだ進歩する余地が有ると思うんですが。
つまりまだ発展途上だと思うのですが。

例えばなんとか星(名前忘れた)。
2個だと思ったら本当は1個だって最近分かったそうですよね。
(宇宙空間における)重力の影響による空間の歪みが原因で
今まで2個に見えてた。

それってまだ科学で証明されてないでしょ。
アインシュタインのなんとかかんとか理論でもムリだったでしょ。途中までしか。
でも実際には存在しているし、カメラを使って見ることができる。

例えば重さ。定規では分からないですよね。物差しが違うから。
例えば磁力。温度計では分からないですよね。物差しが違うから。

じゃあ霊的なものは?
今の科学には無い別の物差しが必要なんではないですか?

質問者のU_TAさんへ。スイマセンこれは全然回答じゃないです。
思わず便乗させてもらいました。

ところで。
霊の存在の証明はカメラがしたんじゃないですか?
心霊写真っていう形で。
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この回答へのお礼

んー、あまりエキサイトしないでクダサイね。
教授と似た考えの方を論破するコト、が目的ではナイので。

> 今の科学で何もかもを証明することができるんですか

できないから科学が必要なんですよね。
私は「うぬぼれ」とまでは思いません。
科学者たる者、自身の論に自信を持たねば。(ダジャレじゃナイよ(笑

わからないコトを解明する努力や姿勢
は素晴らしいモノと思います。
私は頭が悪いせいか、科学はサッパリですが。

> 今の科学には無い別の物差しが必要なんではないですか?

仰る通りかもしれません。

> 霊の存在の証明はカメラがしたんじゃないですか?
> 心霊写真っていう形で。

その写真に写っていたソレが霊である、
との科学的な証明は「まだ」のハズです。

お礼日時:2002/07/08 22:21

何か一休さんみたいですね。



私なら、
「あるかどうか調べて証明しますから、あなたの言うところの
”知性”、”良心”、”責任感”、”信念”、”教養”、の定義を
具体的かつ定量的に教えて下さい。」
と言いますね。

もし、そこでお答えがないようでしたら自分で勝手に基準を作って、
その基準をクリアしているか、いないか、を証明できる事実か
自明な事柄を用いて証明します。

こんなのではだめですか?
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この回答へのお礼

回答ありがとう。

一休さん…確かに。これは科学というより
ディベートの分野かもしれません。

さて、逆に補足をお願いしたいのですが、
科学で何らかを証明する際、
その定義は他から与える必要があるのでしょうか。

また、自分で勝手に作った基準は「仮説」と呼ばれ、
最終的に、その仮説が正しいコトを
科学的に証明する、のが「科学的な証明」と
私は認識しておったのですが…。違います?
教えてクダサイ、ぜひ。

お礼日時:2002/07/08 22:24

私が小学生の時「水1リットルと砂1リットルをたしても2リットルにはなりません。

」などと言って先生を困らせたのを思い出します・・・。
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この回答へのお礼

イヤな子ですねー。(笑
とても純粋だなぁ、とは思いますが。

…てゆか私より遙かにマシですね。
すみません。

今度は、その先生の立場で一言どうです?(笑

お礼日時:2002/07/08 22:29

U_TAさんのおっしゃる「私の問い」の論点が「科学的(明確)」ではないような気もしますが…


とりあえず…。そして、例えば、
良心はあります。責任感はあります。信念はあります。教養はあります。
その証拠として、私は科学者だから。自己分析も科学的だ。
…というのもひとつの答えではないでしょうか。

さて、これは科学の問題ではなく「永久回帰的パラドクス」に帰還しますね。私の中では文学論に近い事象かもしれません。

決して「教授」の肩を持つわけではありませんが、
「皆に認められる地位と暮らし」は、
彼の中では「正解」なのではないでしょうか?
そういう気持ちの中で「科学」ではない質問は普通に「いや」でしょう。

U_TAさんは教養のある方とお見受けいたします。
パラドキシカルな応答は不毛ということも世間一般論においてご理解できると存じますが、いかがでしょうか。

この回答への補足

あ、すみません。肝心の回答に対するコメントを
忘れておりました。ホンマすんません。

> その証拠として、私は科学者だから。自己分析も科学的だ。
> …というのもひとつの答えではないでしょうか

この論理が科学的であるとしたならば、
1人の科学者が「霊は存在する。その理由は私が科学者だから
であって、私の分析は科学的だ」と喋るコトが科学的な証明
として充分だ、という理屈も通る気がします。
合点がいきません。

補足日時:2002/07/08 23:08
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この回答へのお礼

回答ありがとう。
では順に…。

> 「私の問い」の論点が「科学的(明確)」ではない

教授の唱えた「科学で存在が~(このスレの表題)」が科学的であるならば、
私の問いも科学的、と考えるのは科学に疎い私の身勝手でしょうか。
教授の言葉は「存在する=証明が可能」と解釈できます故。

永久回帰的パラドクス、ですね、やっぱり。
そして仰る通り「極めて不毛」です。はい。
でも、興味を持っちゃったンですよ。(笑

かの現場で、こんな質問をしちゃお、と思い立った時点で
教授が嫌悪を抱くコトは承知しておりました。

ひょっとして、このサイトにこうした質問をするコトも、
他の利用者の皆様に対して失礼なのでしょうか。

お時間ありましたら、ご教示いただきたく。

お礼日時:2002/07/08 22:40

良心」「責任感」「信念」「教養」と言ったものは哲学的には


存するものと思います。
これまで、これらのものの存在を科学的な手法の元で検証したという文献を
寡聞にして知りません。
ということで、科学的な基礎研究からはじめなければならないと思います。
残念ながら、私には時間も資金も足りませんので実行できませんが、
興味がおありでしたらどうぞ追求してみてください。
その「好奇心」が科学の原動力なんです。


・・・・・・ぐらいの余裕は欲しいですよね。
ま、とりあえず、「存在を証明できないものは存在しない」っていうのはナンセンスですよね。
「命題の『真』を証明できなければ『偽』である。」と等価でしょう。
「真か偽かを証明できない命題が存在する以上、それはどちらの値をもとる」って言いたいんでしょうかね・・(--;
背理法が使えなくなっちゃうじゃないですかねぇ。(--;

さて、教授の知性についてですが・・(ぉぃ)
ちょっと偏りが心配ですね。(ぉぃぉぃ)

良心ですが・・
講演の放棄は指導者の良心にもとるかと・・

信念は・・あれでしょ・・「科学的に証明できない物は存在しない」でしょ?
ちょっと反証できそうですけど。

教養について・・
教養も偏ってるかなぁ・・

え?科学的に証明するんですか?・・
残念ながら、私には時間も資金も足りませんので・・・・・

お後がよろしいようで。(てけてんてん)
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この回答へのお礼

回答ありがとう。
私の考えと共通する部分を幾つか見つけました。

教授の論理がナンセンスだ、という点が特に。

私の質問に対する教授の答えとして、
最も彼らしい答えは「知性や良心は私にはナイ」
でしょうけど、それを名言するのは流石に、ねぇ。(笑

というコトで、私の場合は科学より哲学向きかな、
と自分で思い込んでるんで、ま、そんな感じで、
お茶を濁しつつ、コレを以てお礼と致します。はい。

お礼日時:2002/07/08 23:15

#2ですが



>ところで概念化したモノに過ぎない
>というコトは、イコール科学では
>その存在を証明できない、というコトでは?

返答すると

たとえば「信念を持つ」という状態は
「特定の事物に執着心を持って行動する」と言えます。
つまり人間のもつ感情の一辺です。
こう考えていくと
「良心」や「責任感」などは全て「感情」に収束でき
人間の「感情」は全て脳内の化学反応で説明できるので
それらは存在してると証明可能となります。

ただ、上記の中で「教養」は「感情」とは別で
「知識」と「知恵」の集合体ですが
「知識」も「知恵」も脳内の化学反応で説明できるので
同様に証明可能です。

でも、どうでしょうね?論理的に言うと
本来なら「良心」や「責任感」の定義から入らなければ
この問題は議論できない面もありますので
アナタの質問が適切であったかどうか?という事には
私自身、少々疑問を感じます。
ただ怒って席を立ってしまう教授は、正直イタダケナイですね(苦笑
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この回答へのお礼

2度目の回答ありがとう。

> 「良心」や「責任感」などは全て「感情」に収束でき
> 「知識」も「知恵」も脳内の化学反応で説明できるので

では、例えば「経験」や「習慣」だったら、どーなのでしょう。
という疑問は尽きません。
私個人は、私が挙げた例の何れも「存在する」と考えています。
そして、それらの存在が科学で証明された、と見聞したコトはありません。
けれど、それを理由に「よって存在しない」と言われても、
なんか受け容れられない、て感じです。

> 本来なら「良心」や「責任感」の定義から入らなければ
> この問題は議論できない面もありますので
> アナタの質問が適切であったかどうか?という事には
> 私自身、少々疑問を感じます。

例えば「霊」の定義が明確に共有されていない時点で
「証明できないから存在しない」と断言した彼を、
アナタはどの様に思います?

> ただ怒って席を立ってしまう教授は、正直イタダケナイですね(苦笑

逆に私は「人間くさくてイイじゃん」と思いました。(笑

お礼日時:2002/07/08 23:26

教授の科学観は間違った科学万能主義とか科学信仰に


近いとは思いますが、その質問も科学的ではないかも
知れませんね。自然科学は計数化・計量化することで
研究対象を理解しているようですが、刺激に対する
心電図や脳波の数値で良心を説明しても、あなたは
納得しないでしょうから。

科学に限界があることは、例えば不確定性原理で
ハッキリしていることです。プランク定数以下での
現象は科学では証明できませんが、だからと言って
プランク定数以下の現象は存在しないと言うので
しょうか?ちょっと考えればわかることですよね。

質問の主旨に近い内容で質問を修正して補足します。
私がその場に居れば、科学の対象となりそうなものを
例にあげますね。「重力は明確に確認できる現象だと
思われますが、科学でその運動法則は証明できても、
運動そのものの仕組みを証明はできてませんね。
では、重力は存在しないのですか?」と質問して、
教授の矛盾を指摘しますね。科学が現代において、
どれだけ貢献しているかは否定の余地がないですが、
一方で「重力って何?」って単純な疑問にすら、
回答できないことにも注目しないといけないですね。
アインシュタインは重力を「空間の歪み」としました
が、これは計算したという方が正解なのではないで
しょうか。彼が研究の後世で重力の研究をして失敗に
終わったのは有名な話です。

ちなみに、この重力に関する質問の回答において
「重力波」という用語を使う人には「それは、
証明されてないことにおいて霊やUFOと同じ」と
言いましょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとう。

私の質問が科学的でナイというご指摘には納得できます。
ただ、私は科学者じゃナイし…という愚痴も同時に。(笑

> 刺激に対する心電図や脳波の数値で良心を説明しても、
> あなたは納得しないでしょうから。

私は科学の知識を何ヒトツ持っておりませんが、
見ての通りの理屈屋ですので、ロジックが通っておれば、
心情的に賛同はできなくとも、納得はします。多分。

> 科学でその運動法則は証明できても、
> 運動そのものの仕組みを証明はできてませんね。

運動法則が証明されている=運動するコトは既知、
=運動をする何か、の存在も既知、と考えると、
この場合の「運動そのものの仕組み」と
私の言う「存在」は同義ではナイ様にも感じるのですが。

> この重力に関する質問の回答において「重力波」という用語を
> 使う人には「それは、証明されてないことにおいて
> 霊やUFOと同じ」と言いましょう。

ありがとう、またヒトツ利口になりました。

お礼日時:2002/07/08 23:34

とある大学の教授って大槻教授のことですか?


だとしたら彼はそうは言ってないと思うのですが...(もし違ってたらごめんなさい)

彼が言うには
「現在、科学でで解明出来てないものは沢山あるがそれが全て霊だとか宇宙人の仕業とするのは
科学的ではない、もしそうだと主張するのならそれを証明するべきだ」
と言う事だと思います。

私は科学で説明できないものはない、と思っています。
自然の摂理は人間が思うほど無秩序なものではなく、もっと数学的にある秩序を持って存在している..と思うからです。
それに科学は先にあるものではなく現象のあとにあるものだからです。
ちょうど「理論で説明できない音楽はない、なぜなら理論は先にありきではなく単なる説明だから」と同じだと思います。

しかし現象の全てを科学で説明するのは当分無理だと思います、もしかしたら人間は永久にできないかも。
しかしそこになんらかの摂理は存在すると思います。

ちなみに「恋愛感情」はほぼ信号レベルで説明できるそうです。素人なんで詳しい説明はできません、ごめんなさい。
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この回答へのお礼

えーと、この場で個人を特定するコトに意義を感じないので
まぁそれはイイじゃないですか、と逃げつつ回答ありがとう。(笑

大槻氏ではありません。もっと無名の方です。(失礼な意味でなく

> 私は科学で説明できないものはない、と思っています。

と断言された直後「自然の摂理は…」と断ってらっしゃいますが、
世の中には「自然の摂理以外のモノ」は存在しないのでしょうか。
…とこの議論を始めるとドンドンそれますね、忘れてクダサイ。

お礼日時:2002/07/08 23:49

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