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第一次世界大戦でドイツは敗北して賠償金を負い、その支払いの遅延を理由にフランスとベルギーはルール地方を占領しましたが、
それに対してドイツはどうして鉄鉱業を停止して抵抗したのでしょうか?
そのせいでドイツ国内ではインフレーションが起きたのですよね?
自国の経済が混乱することは予想していなかったのでしょうか?

A 回答 (2件)

二つ説があるので・・・まず一つめ。



経済が悪化するのを覚悟しての抵抗でした。
ドイツは賠償金を総額で1320億マルク払う事になりました。そのうちの200億マルクを1921年5月までに払う事になり、ドイツは食料、工業製品などの現物で払います。しかし、フランスは200億マルク以下しか払っていないと主張し、ドイツは充分に払ったと主張し、意見が食い違い、遂にはルールが占領されます。
ドイツとしては軍備は削減されており、正面から武力での抵抗はできません。
残された手段は大人しく、フランスの言い分を飲み、さらにお金を払うか、ストをするかでした。
お金を払えば経済は悪化します。ストをしても経済は悪化します。ストをしなくてもルール地方の生産物は全てフランスに接収され、経済は悪化します。どの道を選んでも結局は経済は悪化します。
それならストという抵抗手段によりフランスを困らせ、その横暴を戒めるべきだという事で、抵抗したのだと言われます。
結局、それ以外の抵抗手段が無かったのでしょう。

もう一つは戦争の為にストや抵抗運動を行ったという説です。
フランスの領土的野心を挫くには、戦争しかなく、その為にはドイツ軍の再建が必要であり、その準備が整うまでの間、フランス軍を消耗させ、時を稼ぐ為にストや抵抗運動がルール地方で行われたというものです。
ドイツ陸軍のハンス・フォン・ゼークト将軍は1921年から既に、ベルサイユ条約に定められた、7個師団、10万人の陸軍を秘かに21個師団に増強しようと画策しています。
さらにはソ連と手を結び、兵器開発や兵器工場建設で支援を受けていました。
そのゼークト将軍の計画では、フランス軍をルール地方に釘付けにしておき、その間にドイツ軍を再建し、後にソ連と共同でポーランドを攻略し、背後を安全にする。その後にフランス軍と戦おうというものでした。
この計画の為に、ゼークト将軍はロスベルク将軍にミュンスターで抵抗組織を作らせ活動させ、それを補強する為にシュテュルプナーゲル中佐をルール地方に派遣しています。
この事はドイツ政府の4閣僚、クーノ首相、ゲスラー国防相、ハム内相、ブラウンス労相も了承していました。
さらにゼークト将軍は、1923年2月にハッセ少将をモスクワに派遣し、あと3年から5年で対フランス戦を始めると約束したと言われます。
また、第一次世界大戦の英雄であるルーデンドルフ将軍に3月に会い、戦争になった場合、新ドイツ軍全軍の指揮を委ねるという発言をしています。
それから不足する武器の補充の為に、イタリアが保管している旧オーストリアの兵器を3億マルクで購入する話も進められていました。
しかし、こうした戦争計画も予想以上のインフレに直面し、内閣が倒れた事から、全ては中止されました。
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「ルール占領はフランスとベルギーにとって損である」と、思い知らせるのが最優先だったのではないでしょうか。

もし「得である」との結果になってしまったら、併合されてしまうかもしれません。
全面ストライキは経済的な焦土戦術ですから、復興途上のドイツ経済へ悪影響が及ぶことは予想されたでしょうが、ルール工業地帯を永久に奪われる危険と比較すれば、やむをえなかったかも。
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