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あまりこう言う質問をネット上で投げかけても仕方ない気もしますが、
私個人として、意見が聞きたくて質問します。
ずばり、アナタにとって宗教とはどういうものとお考えですか?
アナタにとって宗教は必要か不必要かどうかお聞かせ下さい。
ただし、他宗教を否定したり自己の宗教を正統化するのは辞めてください。
純粋にどう思われるか?それをお聞きしたいのです。
発言をする前に良く考えて冷静にお答え下さい。
よろしくお願いします。

A 回答 (16件中1~10件)

宗教は、必要です。

答えは簡単です。なぜなら、偶然に生まれてきたものに
存在価値はないからです。存在目的があって、初めて存在価値があります。
存在目的は、それ自体は持っていません。それを創造したお方が持っています。
創造目的=存在目的です。故に、哲学は、造られた側である結果的存在である
人間ばかりを探求するので、永遠に結論が出ないのです。
人生の目的=存在目的=創造目的なのですから、創造主なる神様を
探求しなければなりません。人間だけを探求しつづけていては、
永遠に哲学の目的は達成されないのです。理論的にそうです。
自分には存在価値がある。と自分で言い聞かせてみてもそれは、自慰行為でしか
ありませんよね。

人間は、自分の意志で生まれてきた人は一人もいません。だから、自分の為に
生まれてきたとは言えないでしょう。だとしたら、偶然か、或いは、神様に
よって、創造されたかのどちらかしかありませんが、偶然だとすれば、
創造目的が最初からないのですから、生来、存在価値もありません。
善も悪も、ましてや、「性善」も「性悪」もありえないのです。
kyuubiさんが、自分には価値があると思いたいのなら、或いは、人間には、
尊厳性があると信じたいのなら、宗教を必要と考えるべきです。

又、あなたは、「神様なんかいない」とは決して言えないでしょうし、
いないと言うからには、神様がどういう方かを知らないといけませんね。
「そこに、コップはありません。」と言える人は、コップというものが、
そもそも、どういうものであるかをまず知っている人でなければなりません。

それと同じですね。神様はいないという人がよくいますが、そう言うからには、
神様がどういう方かを知っていなければならないのです。だから、
知らないんだったら、「私は、神様を知らない」「いるかいないか分からない」「信じない」とかいうべきでしょう。
横道にそれましたが、いずれにしても、神様が存在しない限り、人間の人権も尊厳
性もなにもかもが、ナンセンスになります。論理的にそうなのです。
だから、あなたが、人間の存在価値を求めるのなら、神様と人間の関係を回復させ
るために存在する「宗教」は、あなたにとって絶対に必要だと思いますよ。
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この回答へのお礼

皆様回答ありがとうございました。
色々な意見があって興味深く読ませてもらい、良かったです。
其々の方にお礼をさせて頂きたかったのですが、申し訳ありません。
この場で皆様のお礼を申しあげます。
本当にありがとうございました。

お礼日時:2002/08/03 09:10

 


まず、「宗教」というものの一般論を考えます。これが前提になるからです。

宗教とは何かというと、広い意味では、文化と同じで、生活の技術だとも言えます。無論、文化や生活の技術には、他のものもある訳で、それらは宗教とは違うという考え方もできます。

しかし、「広い」意味で考えると、文化や生活の技術は、実は宗教の基本的な形で、それらに、何かの系統的な理屈を付けて、神話に属する「世界の起源論」「人間の起源論」をシステムに取り入れると、宗教として、それらしいものになるのです。

お米を炊くのも宗教行事なら、仕事も宗教行事で、読書などの趣味も宗教で、食事も宗教、服を着かえるのも宗教、無論、音楽、文芸、舞などはみな宗教、というと、そんなことはないのでは、と思えるかも知れません。

しかし、宗教は世界の捉え方であり、人間の生き方でもあるのです。宗教・科学・哲学などとの違いという次元での「宗教」の把握定義は、少し違ってきますが、ここでは、広い意味に考えます。

個人や共同体が依拠している、生活の技術・文化が宗教なのだと考えるのです。こう考えると、理解できることが色々あります。

科学や哲学も、宗教だということになりますが、元々、科学も哲学も、宗教から分離発展したものです。

こういう広い意味・機能として宗教を考え、次に、普通に使っている宗教と概念とどう結びつくのか、考えます。

生活の技術・文化において、個人や共同体の「切実な願い」などがあれば、これを支え、満たすような技術が考えられます。特に、実存的な願い、苦しみ、疑問などに答えを出す技術を軸として、生活の技術や文化を系統的にまとめてゆくと、これが、普通に言う宗教にきわめて近いものになります。

日本の伝統的な神道は、明治時代の国家神道以前だと、上のような意味の宗教になります。

これに対し、もっと「宗教的輪郭」の明確な宗教というものがあります。それは他の共同体の「広義の宗教」と自分たちの宗教を区別するため、「宗教システムを意識した」場合などに、宗教の体系化が起こります。

こうして体系化されているうちに、思弁的、抽象的な教義が構成され、明示的にまとめられ、他の共同体や人々や民族の宗教と、「どう違うか」とうことを、明らかにするような境界基準を作ると、宗教として普通に考える宗教のイメージになって来ます。

釈迦は、生活の技術,特に、実存的な悩みについての技術を教えたのだと言えます。現在の心理療法家よりも、もっと偉大ですが、同じようなことをしていたとも言えます。イエズスも、そういう意味では、実存の生活の技術を教え、実践していたとも言えます。

これらは、しかし、後継者たちが、教祖の教えや実践を、抽象化し、また体系化して行きます。そして同時に「教団組織」というものを作ります。

ここまで進むと、「仏教」とか「キリスト教」とかいう風に、はっきり宗教として認知できます。しかし、仏教にせよ、キリスト教にせよ、「生活の技術・文化」が根底にある訳で、宗教が生きている文化や共同体では、宗教は、日常生活と切り離すことができません。

イスラム教やユダヤ教の場合、生活と宗教が渾然一体となっているのは、あれが宗教の元々の姿で、日本の文化に付随する、広い意味の神道的宗教は、生活と密着していました。日本の生活宗教は非常に寛容で何でも取り入れるので、初詣もクリスマスも、葬儀供養のお寺の檀家も、みな渾然として一体になっています。

>ずばり、アナタにとって宗教とはどういうものとお考えですか?

以上述べたようなものです。形而上学的問いや、実存の問いなどで、依拠したくなるのは、キリスト教や、仏教の世界観ですが、わたしは、神社でも神様を拝みますし、キリスト教の教会でも礼拝に出ますし、イスラム教のモスクで、信者ではない、参列者として、礼拝に加わったこともあります。

だから、組織化された教団宗教も宗教ですし、そうでない生活の技術的なものも宗教だと(広い意味で)考えています。

>アナタにとって宗教は必要か不必要かどうかお聞かせ下さい。

宗教は、必要なものです。不必要と思っている人も、実は、教団宗教を念頭しているので、不必要なので、実存と関わる生活・生の技術・文化という次元の宗教は、不可欠なはずなのです。

また、必要・不必要というより、教団宗教を宗教と考えるので、また、「自我主体」の「自由意志」を過大評価するので、宗教は「選べる」という錯覚が生まれます。

教団宗教は、入信や退会の手順がありますが、日本人の多くがしているような、初詣に神社に行くなどは、宗教行為と思わずに宗教行為をしているので、共同体で、生活するとき、宗教は、空気のように、どこにでもあるので、それを外すと、生活ができなくなります。

人は、「社会的存在」であるとされますが、そうなら、「宗教的存在」なのです。religion というのは、キリスト教的な宗教の捉え方で、「宗教」というのは、中国思想的な宗教の捉え方でしょう。
 
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理性以前にあった個であって欲しいです。


必要不必要どころか、すでにしてそなわったものであって欲しいです。
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kyoubi さん、こんにちは。


仏教にたずさわるものです。

>ずばり、アナタにとって宗教とはどういうものとお考えですか?
>アナタにとって宗教は必要か不必要かどうかお聞かせ下さい。

私にとっても皆さんにとっても宗教とは《生きるための指針》です。
そして『修行』のない宗教はありません。
したがって人の人生にとって絶対必要なものです。

故に「現世利益のみを説いたり、霊魂やたたりを説いて大衆にある種の不安を抱かせたりたりするのは宗教ではないし、また、許せません。もちろんカネ集めに走るものなんかもってのほかですが・・・。」
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>アナタにとって宗教は必要か不必要かどうかお聞かせ下さい。


必要なものは多くありますが、宗教は第1位に必要なものです。
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哲学というOSの上のアプリケーションではないでしょうか。


アプリケーションだと、大事なところにじかに触れないのが不満。
ユーザーインターフェイスが確立しちゃってるのが、不要なストレスを招く。
それに従うことにストレスを感じないで、うまく人生送れるなら、
そういうひとには宗教が向いているんだと思います。
私はOSのレベルから知っていたいと思うほうです。
あわよくば、自分用のOSやアプリを自分で作っちゃいたいような感じです。
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ある種の不可解には、人間の理性は予測でしか答えを出すことができないという不都合を解消した史上初めてのマニュアルみたいなものではないかと思います。

(もちろん、そのマニュアルに書かれてあることがかならずしも正解とは限らないけれど…)

だから、案外人間の理性が不可解に答えてしまったとき、しばしば宗教の内容と対立することが多いのだと思います。

私にとって宗教が必要か不必要かは、それこそ私の理性では理解できませんので、宗教が答える問題だと思います。
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ごく最近のことなのですが、イトコが急逝しました。


叔父の意向で、無宗教で葬儀一切を行いました。
読経もなく、故人の好きだったクラシック音楽のCDを流し、
在りし日を忍ぶビデオを流し、粛々と献花だけ・・・

その葬儀自体は、静かでいい雰囲気の中で執り行うことができて
よかったとは思うのですが・・・

叔父の家は新家ですから決まった宗教もなく、叔父の考え方が
宗教否定のようですので、それぞれのやり方でいいとは思います。
ただ、私の家族では、そういう形のものはできないと感じました。
代々伝わる、家の宗教に基づいた風習や決まりごとは無視できない。
決まっていることだからしょうがない。。。というのではなく、
あまりにも当たり前に浸透していて、家の節目節目に関わっているのが
当然のように、宗教(ウチは浄土真宗です。)が根付いています。

家には神棚もあり、仏壇もあり、お正月をはじめ年中行事のその時々に
神棚にも仏壇にも手を合わせる・・・それがアタリマエになっています。
特に宗教に執心ではありませんが、なんとなく切っても切れないような
そんな捉え方をしています。
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宗教とは? 人の有り様を説く教え


必要か否か? 自分で考えられない者には必要。

私は自分が教祖であると常々思っていたが、最近は、生まれ育った実家が日蓮宗で幼稚園もお寺の付属のところだったので、根本は仏教徒で有るように感じている。

質問から逸れるが、現在のお寺さんは営業努力が足りないと思う。人々の心の救済が生業(行)なのだから、もっと、足で稼がないと新規獲得(門徒数)につながらない。このままでは日本からお寺が無くなるのはそう遠い日ではないかもしれない。全国のお寺さん!もっと自助努力が必要です。
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> アナタにとって宗教とはどういうもの



必要とか不要とか、って私の意思とは
無関係に、近くに昔から“在るモノ”です。
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