
No.3ベストアンサー
- 回答日時:
武士が月代を剃るのは、「戦の時は兜を被るから」です。
実際は兜を一度も被らずに死んでいく武士も多かったでしょうが、武士である以上は「お召しがあればいつでも戦に出る覚悟」を示す象徴として月代を剃りました。本来「武士以外の人」は月代を剃る合理的な理由はありません。ただ、江戸時代の平民で月代を剃るのはごく普通の風俗であったようです。以前「兜を被るはずのない平民が月代を剃るのは、『まともな人間』であるとアピールするため」という回答がありましたが、当時の平民に聞けば「他の人が剃っているから俺も剃る」と言う回答しか返って来なかったのではないでしょうか。
一方、武士と全く別な社会に生きている、武士の支配下には属さない公家や神官は月代を決して剃りませんでした。これは「武士の習俗は公家や神官には関係ない」からで、当たり前のことです。
「また、総髪という形で、頭頂部あたりを剃らずに髪を残したのはなぜでしょうか?」
質問の意味が良く分かりませんが、月代を剃らないのが総髪ですから…現代の男性で、自由業の方で髪を長くして後ろで結んでいる人がいます。あれをもっと長くして、髪を油で固めて後ろを持ち上げ、上の方で結べば「総髪」になります。
現代の「長髪男性」のように後ろで下向きに結ばないのは、公家や神主は冠(烏帽子)を被るからです。この場合、髪の毛を油で固め、結び目(髷)が上の方にあると、上からスッポリ冠などを被ることができます。
雛人形のお内裏様(親王様)が、冠を被っていない状態の写真
http://images.pingmag.jp/images/article/dolls09. …
を見てください。これが要するに「総髪」です。頭がこのような状態になっていないと、冠が上手く載りません。
No.5
- 回答日時:
私も興味があり、いろいろ、探しているのですが、いかんせん、資料、本が少ないです。
女の人の髪型だったら、豊富にあるのですが。
月代をきちんとしているのは、「私は、きちんとした人間である」という看板を出して歩いていることではないかと、思っています。
剃刀を誰かに委ねないと、できないからです。
奥さんにあるいは、髪結いさんに自分は、背を向けて、刃物を持ってもらわないと完成できません。
剣客というのは、背中に刃物の気配があることが、いやだったのでは、ないでしょうか。
この回答へのお礼
お礼日時:2007/07/29 22:06
お返事遅くなってしまって、申しわけありませんでした。
確かに背後にかみそりを持って立たれるのですから、よっぽど信頼している相手でないと嫌ですよね。
どうもありがとうございました!
No.4
- 回答日時:
No3ですが、補足します。
「幕末には、新撰組もそうですが、剣客にも総髪の人が多かったようですが、これはどういう理由からですか?」
剣客というのは通常は身分は「浪人」、つまり「主を持たない武士」です。
幕府や諸藩の禄を食む普通の武士であれば、主命により戦場に出ること(兜をかぶること)がいつあるかもしれないというタテマエがあり、月代を剃りますが、浪人であれば「兜をかぶる」可能性はゼロとなります。よって、月代を剃らなくても当たり前です。
新撰組の場合、髷を結った写真がまともに残っているのは近藤勇くらいと思いますが、彼は新撰組局長である以前に天然理心流宗家の四代目を継いでいる人です。天然理心流宗家の四代目とは典型的な「剣客」であり、その身分は「浪人」となります。
近藤勇は多摩の豪農<名主階級>の家から、天然理心流剣術宗家三代目の近藤周助(身分は浪人)の養子となっています。近藤家の養子になった時点で、近藤勇の身分は「平民」から「武士(浪人)」に変わっています。
現在残っている有名な写真が写された時、近藤は「自分は剣客である」という意識で総髪にしていたのでしょう。新撰組が消滅する前に、近藤は正式な幕臣の身分(旗本クラス)を得ていますので、その後は月代を剃った可能性も十分あるでしょう。
No.1
- 回答日時:
尊王派はたぶん、「俺達は古いルールには囚われないんだぜ!」的なアピールだと思うんですけど、じゃあ新撰組は?って事になりますよねえ。
彼らの「講武所風」も、月代(さかやき・剃ってるとこ)は一応あるけど、メチャ細いですし。
まあ幕府サイドの人間からみても、「もうあんなに剃らんでもいいんじゃないの?」みたいな、つまり時代遅れだったんじゃないかと。
剣客、というか浪人の場合は、単に床屋に行く金が無かったという事もあるみたいですけど。
この回答へのお礼
お礼日時:2007/07/21 01:27
早速のアドバイス、どうもありがとうございます。
以前、何かで読んだか教えていただいた気がするのですが、どうしても幕末の総髪の理由について思い出せませんでした。
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