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元寇についての質問です!

よく中学校の教科書などで見られる表現で鎌倉武士が『〜やぁやぁ我こそは○○〜』と言っている間に元軍がてつはうを投げつけて……という記述があるのですがその話は嘘なのですか?

それとは別に実際に武士同士が戦う際にはそのようなセリフの言ったのですか?

A 回答 (6件)

>[よく中学校の教科書などで見られる表現で鎌倉武士が『〜やぁやぁ我こそは○○〜』と言っている間に元軍がてつはうを投げつけて……という記述があるのですがその話は嘘なのですか?]



鎌倉武士は初めは名乗りを挙げるが、元軍にはそんな礼儀はないので無視。
これは正しいでしょう。
ただ、すぐに元軍には通じないと分かれば、後はもう撃破一筋でしょう。
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元は、集団戦法、火薬を使用していたことを、解りやすく後世の歴史書が書いたのでしょう。

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武士が登場して貴族化していった過程では、合戦も儀式化してしまいましたから、その頃の武士の戦いでは、お互いに名乗り合って矢合わせをしてという段取りを踏んで戦っていたことはあったようです。



古代の桓武天皇以前の軍は国軍ですから、そんな悠長なことはやりません。国軍最後の戦いとなったのは蝦夷との戦いです。蝦夷は人口は少ないとはいえ、日本馬としては最強の大型馬で知られる南部馬の産地で、騎兵も集団で移動して集団で戦っていました。騎射も非常に巧みだったようです。
奥州育ちの源義経が、騎兵の集団運用と少数の騎兵部隊による奇襲攻撃に才能を発揮したのも、彼にしてみれば当然のことだったでしょう。

そんな蝦夷たちと戦った坂上田村麻呂の率いる官軍が、最初に名乗り合うようなバカな戦い方をしていたはずがありません。

鎌倉時代には、まだお互いの戦う大義名分を明らかにするためなど、名乗り合う風習も残っていたと思いますので、元軍に対しても最初の頃に遭遇した武士が名乗りを上げようとしたことはあっても不思議はありません。

すぐに相手は名乗りに応えずにイキナリ攻撃してくることが分かったので、日本武士団もそういう方向に戦い方を切り替えたました。

最初の元寇である文永の役は、互いに相手を知らなかったというか、お互いに過小評価していた中での激戦だったようです。
元軍はたったの3~4万人で日本を征服できると甘く考えていたようですし、日本武士団も上陸地点に押し寄せれば簡単に元軍を打ち破れると元軍以上に相手を甘く観ていたようです。最初は待ち構えて騎馬武者たちが皆で騎射を浴びせる作戦もあったようですが、我先にと功を焦って突出する武士たちが続々と現れたようです。日本武士団の甘い考えは、軍の統率の不十分さを生み、結果的に小部隊の逐次前線投入という兵法で忌むべき失策を犯しました。
そのために、元軍の進撃を食い止めることが出来ないまま、大損害を重ねて福岡、博多を放棄して後方に撤退し陣を立て直すことになりました。

しかし、元軍も死を恐れずに次々と突撃してくる騎馬武者と供回りの軍勢に無傷ではなく多くの兵を失い、大将の一人も矢傷を負う厳しい戦いを強いられていました。
日本武士団を内陸部に追いやったとはいえ、日本軍の兵力の多さと、博多など北九州の海辺だけでも相当な人口を持つ都市がいくつもあることに驚き、丸1日北九州一帯で戦ってみた結果、3~4万の兵力で日本全体を征服するのは無理であることを悟ったのでしょう。
それで、夜のうちに総引き揚げを決定して逃げ去りました。逃げる際にも危険な夜の航海で1割くらいの船が難破したようです。
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火薬を知らなかったので、驚いたとは思いますが、その程度では鎌倉武士


は怯みませんでした。

小規模な戦の時は個人戦なので目立つ為に名を名乗る事が有りましたが、
戦の規模が大きくなってきて、作戦を立て団体で戦う様になってからは
個人の評価でなくチームとしての働きが評価される様になりました。

戦い方の因習を無視したのが木曽義仲と源義経でした。
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ドラマなどからのイメージ。

実際は、文書と絵といった資料しか残ってないですから、想像力で補った部分。
海からの侵略者なので、名乗っても判らないだろうって当事者は考えてたでしょうね。盗賊征伐の感覚だったでしょう。
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双方の大将同士が名乗りだけではなく、戦を仕掛ける大義名分から叫ぶのです。


 
https://www.chunengenryo.com/kamakura_battle_man …
 
源平合戦では、源義経の大活躍で平家は滅亡しました。
しかし見方によっては、鵯越の奇襲は当時の戦のルール違反なのです。
 
そして壇ノ浦の合戦でも、当時の戦のルールでは水主(船のこぎ手)は討ってはいけないという事になっていましたが、義経はここでも水主を狙い撃ちにして勝った。
 
ルール破りでも勝てばいいようで、次第になし崩しになっていきます。
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