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元寇の日本侵略中核部隊は高麗の朝鮮人兵士だといわれていて、彼らが「てつはう」と呼ばれる火薬兵器を使って日本軍を苦しめたとか記録されてるらしいですが、
高麗で「勝字銃筒」が発明されるのは14世紀に入ってからで、崔茂宣は14世紀の人物なので、元寇の際に高麗軍の朝鮮人兵士が火薬兵器を使っていたとは考えられないのですが、本当に高麗軍の朝鮮人兵士は元寇の際に火薬兵器を使っていたのでしょうか?

A 回答 (4件)

あなたの質問文からは、銃と火薬兵器を混同しているように見えます。



銃は、火薬の爆発力を使って銃弾を発射して、銃弾の運動エネルギーを使って敵あるいは障害物を破壊します。

火薬兵器は、打ち上げ花火を敵陣に放り込むと考えるのが分かりやすいでしょう。


なお元寇の元軍は混成部隊であった事が知られています。てつはう、は珍しい兵器ゆえに目立ったとは思いますが、当時の船団の輸送力から考えて、そんな大量に、てつはうを持ち込んだとも考えにくく、混成部隊のうちの元の工兵たちが使ったと考えるのが妥当ではないかと思います。
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元寇の歌
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「てつはう」は鉄砲ではありません。


鉄の容器に火薬を入れて爆発させる爆弾です。
手榴弾やこのまえ和歌山で某首相に投げつけられたような類いの物です。
火を付けて投げるだけですから元軍が持ち込んだ物を朝鮮兵が使うことは容易に想像できますね。
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元寇は、モンゴルと朝鮮の混成部隊で


70%が朝鮮人だった、と言われています。

だから、朝鮮に火薬の技術が無くても、
モンゴルにあれば、問題ないと思いますが。

1250年代、モンゴル帝国がイラン侵攻した際、
中国人技術者が操作する投石機で、
火薬弾が投げられた、という記録が残って
います。
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