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先の「未来は創れない」という質問でみなさんの良質な回答を多数寄せていただきました。
どれも頷かされるものばかりでした。

けれどもそこで私が感じたことはなにか?
強い劣等感と言ってもいいでしょう・・・

また私が思っている過去というのはもっと次元の低いもののような気がしました。

私が「未来は過去によって規定される」ということの意味は、
過去というものは、その人物の「蓄積」という意味です。

みなさんから文学的、物理的視点から様々なお答えを下さいましたが、
それはみなさんの過去の(知識の)集積です。

これは或いは仕事上のキャリア(スキル)と言い換えてもいいし。
蓄財ということも出来ます。

つまり未来には資本が不可欠だと言うことです。
そしてわたしにはそのよな「未来への元手」と言うものがありません。
私の過去は空白です。

未来を作るには先ず未来の基盤となる過去=蓄財をしていかなければならない。
しかしそれにはもう私には限られた時間しかないと思うのです。

未来はそのように観念ではなく「経験」や「財産」「資格」「預金残高」
「学歴」「容姿」「知識」・・・などの有形のもので、
それを一から積み上げていくには絶対的な若さ=時間が不可欠だと思うのです。

質問を拝見して私は皆さんとの間に大きな隔たりを実感しました。
そして思ったのです。

今の燃料ではそう遠くまでは行けないと・・・

質問の体を為していませんが
なにかご意見があれば書き込んでください。

・・・先の続編のような質問で、これはカテとしては「心理学」には当て嵌まらない質問かもしれませんが、引き続きこのカテで質問を立てさせていただきます。

A 回答 (25件中21~25件)

社会的自我が欠如しているというようなことをおっしゃっているようにも見えます。


そして過去は空白であると。

過去の蓄積が無いということであれば、他人の私がそれを否定しても始まりません。
しかし、蓄積されるものは必ずしも一種類ではないでしょう。
loser_blueさんは、社会的自我以外のものを蓄積されてきたのではないでしょうか。
自我というのは基本的に損・得に関与する心理ですから、社会的損得を身につけていないのは色々な不都合が生じるかもしれません。
しかし、個人の人生にとってそれがどれほどの意味を持つでしょうか。
そして、多数の人と同類である必要があるかのようにお考えになっているようですが、それもどうでしょうか。
理解してくれる人、理解しあえる人ただ一人がいれば十分人は幸せになれるのではないでしょうか。

社会的自我などというものは不要とまでは言いませんが、それのみでしのぎを削っている結果が、この言いようもなく愚かしい現代の世相に反映しているということもまた事実でしょう。
現代へのアンチテーゼとしての「過去は空白」なのですか?
それとも「過去は空白、と考えたい」ということなのでしょうか?
焦点が定まっていない印象を受けました。
  
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この回答へのお礼

>現代へのアンチテーゼとしての「過去は空白」なのですか?
それとも「過去は空白、と考えたい」ということなのでしょうか?

現代社会へのアンチテーゼとしての、「過去の不在」ということであれば、
このように強い自己否定感は生じないと思います。
それは主体的に選び取った過去であり、
ご指摘のように
>社会的自我以外のものを蓄積されてきたのではないでしょうか。
と言える別の次元の自己が確立されているはずです。

しかし私が感じるのは全くの虚無・空洞感でしかありません。
そこには「あれかこれか」で選択した過去もなければ、
世間一般の世俗的価値もありません。

>「過去は空白、と考えたい」
のではなく、何かしら私という存在に過去と呼べるものがあるなら、
蓄積されたものがあるのなら、
それを知りたいと思っています。
「知る」というより実感したいと言った方が近いでしょうか・・・

>多数の人と同類である必要があるかのようにお考えになっているようですが、それもどうでしょうか。

「同類であること」、ではなく、「劣っていること」が苦痛です。
「異質」であることは寧ろ望むところです。
けれども「劣等」(下等)であることは・・・

・・・なかなか水平思考には辿り着けず、
常に垂直思考に凝り固まっています。
自己と人との差異を「上下」「優劣」でしか捉えられないのです・・・

この際ですからhakobuluさんには遠慮なく考えていることを言わせてもらいました。
せっかくこうして何度も話に来てくださっているのに、
機嫌を損ねまいとの配慮で、お説ごもっともではもったいないと感じます。

いつもありがとうございます。

お礼日時:2007/08/16 18:11

パンドラの箱に希望が残ったのは象徴的です。



過去の蓄積、運命、因果律・・・この類のものは、決して希望に敵いません。希望は、運命の結果を否定するのですから・・・・

勝者は必ずしも生存者ではありません。変容することが絶望的だからです。
完全な敗者も生存しません。生存を諦めたからです。
最終生存者は、勝者に虐げられにもかかわらず自分の意志で切り抜けた者なのです。希望を失わなかったからです。
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この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございます。

残念ながら私にはちょっと難解で理解できませんでした。

スミマセン・・・

お礼日時:2007/08/16 13:51

何かが重要だと思っているのは自分でそう思ったからです。



何かが自分にとって重要でないと思った瞬間からそれは
重要なことでなくなるのです。

過去が重要だと思ったときからそれに自分が縛られてしまいます。
そして今できる事をしないからいつまで経っても蓄積するものが
ない状態が続いてしまうのでしょう。
今から始めればいいだけです。
過去から埋めなければいけないと思うから何も始めることが
出来ないのだと思います。
出来ないことにこだわらず、できることを始めればいいだけだと思います。

時間の長短は関係ないはずです。
生きているのいつも今だけだから。
今という時間をどう使いこなすだけの問題ではないでしょうか。

この回答への補足

前に区民大学を担当していた区の社会教育主事さんとお話する機会がありました。
その人は「仕事が忙しくて忙しくて・・・こないだも同僚と、「これまでの貯金食いつぶしてるようなものだね」って話してたんですよ・・・」

それを聞いて、わたしは「食いつぶせるだけの蓄えがあるだけすごいよ」
と、羨ましさを感じました。

その人は振り返り、○○さんには本当の意味の教養があるから・・・
と言うようなことを言ってくれたようですが、
その言葉は私の身体をすり抜けていきました。

誰も証明しえず、自分にもその自覚がないものについて云々されても
戸惑うばかりです。

・・・誉められることは苦手です。
誰も証拠を示すことは出来ないから・・・

蛇足でした。

補足日時:2007/08/16 04:20
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この回答へのお礼

>何かが自分にとって重要でないと思った瞬間からそれは
重要なことでなくなるのです。

それは何かを重要だと思った瞬間からそれは重要なことになる・・・
と、言い換えることも出来ます。
(すみません。反論ではありません・・・)

>そして今できる事をしないからいつまで経っても蓄積するものが
ない状態が続いてしまうのでしょう。

「蓄積」とは何か?
一体その不可視の蓄積なるものは誰が見つけてくれるのでしょう?

そしてわたしは時々感じるのです、
人並み以下である私に皆さん根気よく回答と言うコンタクトを取り続けてくれていますが、一体私は皆さんと対等に話が出来ているのだろうか・・・?

時に私はこのようなやり取りの中で「ひょっとして自分は人並みでは?」などと感じることもあります。
けれどもそれはやはり錯覚で、皆さんが私のところまで降りてきて話してくれているのであって、私は決して皆さんと「対等」なんかではないのだと気付くのです・・・

と、相も変わらず支離滅裂で・・・

いつもご回答ありがとうございます。

お礼日時:2007/08/16 03:57

>「経験」や「財産」「資格」「預金残高」「学歴」「容姿」「知識」・・・


では、これらが満たされれば今抱えている問題が解決されると思うのですか?
自己否定とは自分の学歴の否定だったのですか?

>「内面を磨く」「自己磨き」ということに抵抗があります。
今になって彼らをうらやむのですか?

loser_blueさんが求めてきたものは何だったのでしょうか。
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この回答へのお礼

>>「経験」や「財産」「資格」「預金残高」「学歴」「容姿」「知識」・・・
では、これらが満たされれば今抱えている問題が解決されると思うのですか?
自己否定とは自分の学歴の否定だったのですか?

説明することは難しいです。
単純に学歴と言う言葉が出ましたが、一応名目だけではありますが四大卒です。(文学部哲学科卒)

・・・・ということからも分かるように、私は思春期のころから意識的にまた本能的に世俗的な価値に背を向けてきました。
そして昨年の区民大学の自己紹介で、私の「3ない宣言」=「仕事をしない」「結婚しない」「子供を持たない」という発言に会場は俄かにざわめきました。

私の意識の上では、世俗的な価値に秋波を送ることは俗物的であるという意識は変わりませんし、所謂内面を磨く、自己を磨くという奇麗事に反発を感じることも事実です。

けれども、目に見えないものと関わりつづけてきたことに疲れてしまったのです。
人間性を深める、心豊かに生きる・・・それは前にも言ったように
人として、人が人として生きる上で欠かせない営みです。

けれどもそれは銀行の貯金残高のように目に見える数字として私の前に示されるわけではありません。

Invisible・・・目に見えないものが目に見えないものと戯れている・・・
それが私の過去であり私の人生です。

何か手に触れるもの、実体のあるものが欲しいのです。

お礼日時:2007/08/16 03:29

劣等感は次のステップへのバネだとわたしは考えています。

人が大きく成長するのは、何か問題があるときです。

私事で恐縮ですが、10代の頃は劣等感の塊でした。貧乏で家庭環境は最悪で、そんな家庭で育った私は幸せになれないんだ、そういう宿命だなんて思っていました。その生い立ちも憎かったし、特に秀でたところもない自分が大嫌いでした。しかし、本をたくさん読んだり、化粧や運動で自分の外見を変え、まずできることから克服していきました。暗い性格は明るい友達の近くにいて見習いつつ改善しました。長い年月がかかりますが不可能ではありません。
それでも限界はあります。(限界付けているだけかもしれませんが)今から頑張っても、有名大学を出た人に、総合的な学力は勝てない。けれど、劣等感を持って悩んできた分、自分は人より強い。だから人間的な部分で勝負しようと思ったのです。


価値観が人それぞれであることがわかればもう少し楽になるのではないでしょうか。劣等感をなくすのは、なりたい自分になることが一番ですが、それにはやはり時間がかかる。時間がかかると、行動相応の効果が出ていないように感じ疲れてきてしまう。そこは心の持ちようでカバーするしかないのです。
それに質問の内容を見ても、質問者様はとても思考力が優れていると思います。
それをノートに記されてはいかがでしょうか?
私も悶々と悩んでいた日々、考えたことを全てノートに書いていました。今見返すと、未熟だなと思う面も多々ありますが、よくここまでいろいろ考えたなと感心します。自分に満足している自分が気づかないことをつらつらと書いている自分がちょっとうらやましく思ったりしました。

以上勝手に自分の意見を書いてしまいましたが、少しでも面白く感じていただければ嬉しく思います。長文失礼致しました。
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この回答へのお礼

取るに足らない戯言に真っ先にお返事を頂きありがとうございます。

厳密に言えば「劣等感」ではなく「劣等性」でしょうか・・・
劣っていると「感じる」のと、事実劣っていることの違いです。

ではそれは何によって判断されるのか?
それは他者です。世間です。

「裸の王様」という話がありますね。
王様は殆ど丸裸でした。
でも王様は賢い人にしか見えない服を着ていると思っていました。
けれども本当は王様自身だって自分は裸であると気付いていたはずです。

・・・私にもいいところがある、取り柄もあると言ってくれる人はいます。
けれども私は知っています・・・いや自分ではわかりません・・・

そしていつも感じています。

私は裸ではないか?

私は権力のある王様ではないので、
皆遠慮なしに私が裸であることを指摘します。
純粋で残酷な子供のように。

私は弱い人間です。
賢くなくてもいい、
目に見える服が欲しいと思うことがあるのです・・・・

お礼日時:2007/08/16 03:42

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