プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

先の「未来は創れない」という質問でみなさんの良質な回答を多数寄せていただきました。
どれも頷かされるものばかりでした。

けれどもそこで私が感じたことはなにか?
強い劣等感と言ってもいいでしょう・・・

また私が思っている過去というのはもっと次元の低いもののような気がしました。

私が「未来は過去によって規定される」ということの意味は、
過去というものは、その人物の「蓄積」という意味です。

みなさんから文学的、物理的視点から様々なお答えを下さいましたが、
それはみなさんの過去の(知識の)集積です。

これは或いは仕事上のキャリア(スキル)と言い換えてもいいし。
蓄財ということも出来ます。

つまり未来には資本が不可欠だと言うことです。
そしてわたしにはそのよな「未来への元手」と言うものがありません。
私の過去は空白です。

未来を作るには先ず未来の基盤となる過去=蓄財をしていかなければならない。
しかしそれにはもう私には限られた時間しかないと思うのです。

未来はそのように観念ではなく「経験」や「財産」「資格」「預金残高」
「学歴」「容姿」「知識」・・・などの有形のもので、
それを一から積み上げていくには絶対的な若さ=時間が不可欠だと思うのです。

質問を拝見して私は皆さんとの間に大きな隔たりを実感しました。
そして思ったのです。

今の燃料ではそう遠くまでは行けないと・・・

質問の体を為していませんが
なにかご意見があれば書き込んでください。

・・・先の続編のような質問で、これはカテとしては「心理学」には当て嵌まらない質問かもしれませんが、引き続きこのカテで質問を立てさせていただきます。

A 回答 (25件中1~10件)

#23です。


>>嫌われるという形態が実は愛することだとしか思えなくなってしまう
:漠然としすぎていますよね。うやむやにせず問い返していただき大変嬉しく思います。
loser_blueさんとは直接関係無いかもしれませんが、良くある親子の関係例です。
例えば虐待の経験を持つ子が親になった場合、自分の子に対して虐待を繰り返すというパターンが割合多いらしいです。
これを、自分自身が受けた虐待という行為が(親からの)愛の形態のひとつだと思い込みたい無意識に依るものであるとするひとつの解釈です。
母親が泣きながら幼児を虐待してしまうというパターンを散見します。
親にしてみれば泣く子の姿を見て止めたいとは思うものの、こういった無意識に捉われているためになかなか自制が利かない、という構図です。
同様に、自分が(本当は)親から嫌われていたわけではないと信じたい子供(被庇護者)の無意識の願望のようなものが、「嫌うという形態=愛するということ」という錯覚(あるいは思い込み)を引き起こしてしまう。
といったような意味です。
 

この回答への補足

>>>嫌われるという形態が実は愛することだとしか思えなくなってしまう

という部分に関するご説明はよく分かりました。

愛してくれる(はずの)人(=親)から虐待を受けたということは、
親=「愛してくれる存在」としか思うことの出来ない幼児にとっては、
この行為こそが「愛する」という行為なのだという倒錯した認知ですね。

それゆえ

>自分が(本当は)親から嫌われていたわけではないと信じたい子供(被庇護者)の無意識の願望のようなものが、「嫌うという形態=愛するということ」という錯覚(あるいは思い込み)を引き起こしてしまう。
と。
よく分かりました。

けれども、

この部分の前段に、

>それはさておき、「嫌われる何か」が生まれつきご自身に備わっていたわけではないでしょう。
何らかの無意識的要因によって「嫌われること」と「好かれること」の錯綜が生じていると考えるのが妥当ではないかと思われます。

と、私の異性に対する意識とこのことを関連付けてのご回答でしたが、
今回のご説明で「嫌われるという形態が実は愛することだとしか思えなくなってしまう」ということの意味は分かりましたが、

この上記部分との関連が分かりません・・・

・・・とはいっても、これ以上は本当に際限がなくなってしまいそうですので、
あと24時間で締め切ろうと思います。

もしお暇とご気力があれば最後にお答えいただければと思いますが、
説明の責任などお感じにならずに無視されて構いません。

万が一ご回答を頂いても、その時点で締め切るつもりです。

それにしても、虐待の連鎖とよく言いますがこういう仕組みだったのですね。
考えさせられました。

お答え、どうもありがとうございました。

補足日時:2007/08/21 13:45
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#24です。


ーーーーーーーーーーーーーーー
>【それはさておき、「嫌われる何か」が生まれつきご自身に備わっていたわけではないでしょう。
何らかの無意識的要因によって「嫌われること」と「好かれること」の錯綜が生じていると考えるのが妥当ではないかと思われます。】

と、私の異性に対する意識とこのことを関連付けてのご回答でしたが、
今回のご説明で「嫌われるという形態が実は愛することだとしか思えなくなってしまう」ということの意味は分かりましたが、

この上記部分との関連が分かりません・・・
ーーーーーーーーーーーーーーー
:上記の【】部分は、#22の補足で述べておられた、
『>勿論その大本は私の無能であったり、「嫌われる何か」であって、
向こう側に非はないのですが・・・』
という箇所を受けたものです。
人は他者というものを、(女性に限らず)愛されたようにしか愛せないのでないか、ということです。
つまり、あなたに「嫌われる何か」があるとすれば、それは愛し方を知らないということであり、さらに元を辿れば愛され方に問題があったのではないか、という解釈です。
もしかすると奇妙に感じられるかもしれませんが、あなたに責任は無いということが文の骨子です。
結果として、すでに述べさせていただいたように、「>迷宮から抜け出す」ためには、その過去を空白と認識するのではなく、明確に認識した上で否定するしかないという論理につながっていきます。
視点を変えた段階での意志によって可能になるのではないかということでもあります。(無論、視点を変えるということ自体に並々ならぬ意志が必要であることもまた事実なのですが)
  
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この回答へのお礼

なるほど。そのように繋がっていたのですね。

「下手な考え休みに似たり」ではありますが、
もっといろいろ考えて見たいと思います。

どうもありがとうございました。

お礼日時:2007/08/21 17:41

#22です。


>社会に従った自己評価=否定かなと・・・
:他者からの否定を肯定してしまうのも自分自身ですから、自己否定と呼んで差し支えないでしょう。

>勿論その大本は私の無能であったり、「嫌われる何か」であって、
向こう側に非はないのですが・・・
:無能というような自己卑下はもはや不要です。
というより不毛でしょう。
自我的には無能であっても超自我的には優等であるということの裏返しでしかないのではないでしょうか。
こういう点は、どなたかがおっしゃっていた論点をずらすことにつながりかねません。
それはさておき、「嫌われる何か」が生まれつきご自身に備わっていたわけではないでしょう。
何らかの無意識的要因によって「嫌われること」と「好かれること」の錯綜が生じていると考えるのが妥当ではないかと思われます。
嫌われたくない人から嫌われ続けてきたために、嫌われるという形態が実は愛することだとしか思えなくなってしまう、といったようなことです。
人は経験からより学べないとすればあり得ることでしょう。
こういう側面から解釈することも可能かもしれません。

いずれにせよloser_blueさんご自身が納得しなければ1mmとて前進はできないわけですが、私の縷々述べてきましたところは、あくまでひとつの可能性としての見解にすぎません。
参考にできそうな時に思い出していただければ幸いです。

>私はなにか素直じゃないのですかね?
:そんなことはないでしょう。
むしろ、真理を欲するがゆえの真摯な姿勢と私は感じます。
お力に添えずに申し訳ないと思っています。

>このように「抵抗を示す質問者」って珍しいのですか?
私は「反抗のための反抗」ではなく、自分が思ったことを言っているだけです。
:「>抵抗を示す質問者」もピンキリですからね。
loser_blueさんのように真摯な姿勢の表明である場合もあるでしょうし、単に抵抗のための抵抗である場合もあるでしょう。

ついでですから、精神分析的な観点からの抵抗ということに関して少しお話してみます。
分析者に対してクライアントが抵抗を示すケースというのはあるようです。
詳しくはわかりませんが、良くあるパターンは、クライアントが自分で解決したいという欲求が強いということらしいです。
そのために分析者に対して嫉妬を感じ、その見解に対して抵抗をすることがあるというのです。
しかし、無能な分析者がいるのも事実でしょうから、どちらとも言えないというのが私の考えです。
ただ、どなたかもがおっしゃっていたように思いますが、抵抗のための抵抗として良くない連鎖が続くことが全く無いとも言えないでしょう。

いずれにせよ、新たな視点が展開できますよう祈っております。
  

この回答への補足

すみません。

お答えの中で一番肝心な部分がよく理解できませんでした。
最後にもう一度解説頂ければと思います。

>嫌われるという形態が実は愛することだとしか思えなくなってしまう、といったようなことです・・・

この部分です。

補足日時:2007/08/20 23:23
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この回答へのお礼

hakobuluさん。本当に多忙の中長時間お時間を割いていただき、
感謝しています。

仰っていたように

>いずれにせよloser_blueさんご自身が納得しなければ1mmとて前進はできない・・・

そうですね。カウンセラーなり他の誰某なりに、
新たな視点を提示されても、結局それを納得して取り入れるのは自分自身ですから。

その点、なかなか道のりは険しいかもしれません。

昔数学の問題を友人に教えてもらっている時に、
「だからこれはこういう風に展開していく・・・」
と言われて、その都度「なんでそうなるの?」と訊き返していました。
友人は根気よく「つまりそれは」とひとつひとつ遡って土台から教えてくれましたが、
「そうだからそうなの!理屈じゃないんだよ。叩き込むんだよ頭に!」
なんて言われてたら絶対に反発していたでしょうね(苦笑)

他の人は分かりませんが、私は自分で納得しないと一歩も動けない(動かない)人間です。
このQ&Aも高校時代の友人とのやり取りに似ています。

それを「悪癖」「頑な」と捉えて批判し、愛想尽かしをする人も多いでしょうが止むを得ないと思っています。

このやり取りの「先」は全くわかりませんが、
充実した時間を過ごさせて頂きました。

長々お付き合いくださったことに改めてお礼申し上げます。

どうもありがとうございました。

お礼日時:2007/08/20 23:45

#21です。


>母は折に触れて、結婚すべきでなかった二人がくっついてしまったと言います。
そして、親になる資格の無い者が親になってしまったのだと。
私の言葉に翻訳すると「産んでしまってスミマセン」という感じです。
:自己否定感が醸成されたとすれば、その要因であるということもできるように思われますがどうでしょうか。
しかし、本来「自己否定」ということ自体が生命エネルギーとは相反するものである以上、無意識としてはその(否定するという)感情に抗わざるを得ません。
抗う手段として、あるいはバランスを取るための手段として、自己否定感が大きいだけに「過剰な自己愛」が用いられるのではないかという気がします。
(因みに、自己否定であるか自己愛であるかということは特に大きな問題とは言えないでしょう。
必死で胸元に何かを隠そうとしている時、それは隠そうとしていると同時に目立たせようとしていることにもなるのと同じです。)
ここから類推してみると「>なんだか分からないけど女性に好かれない」というのも、「過剰に・深く・早急に」愛を証明するように迫ってしまう印象を相手に与えてしまっている可能性もあるかもしれません。

お母さんは、聖職者か教育者が良く陥りがちな過剰な超自我性を身につけていらっしゃるような印象も受けます。
お父さんが怖いというのは、エディプス的に乗り越えるべき対象として必要な要素でしょう。(無論、程度問題ですが)
しかし、乗り越えるためには(跳躍のための足場が必要なように)どこかで自分は認められている、あるいは愛されているという実感が必要になります。
それは、実際はあったのだが感じることができなかった、ということも考えられるのではないでしょうか。
無論、そんなものは何も無かったということあり得ます。
いずれにしてもloser_blueさんは今、それを取り戻そうと、あるいは代替物を得ようともがいていらっしゃるのでしょう。
行く先を失ったために内面に逆流せざるを得なかったリビドーが出口を求めて奔流となっている、という構図です。

ご両親がご健在であれば、色々難しいでしょうが彼らの本意について確認をされることが有益であろうと私は思います。
親に対しては、育ててくれただけで感謝すべきとの考えも散見しますが、とんでもない理屈でしょう。
全くの無抵抗な存在としてこの世に生を受けた者に対して、それを生み出した責任というものがあります。
赤ん坊や幼児にとっては親こそが環境そのものであったはずで、そこから受ける刺激が記憶として脳にインプットされ、それを基盤に性格なり人格なりが形成されていくわけでしょう。
不適切な刺激に対しては異議を申し立てておくのが理の当然であって、親としては(肯定するか否定するかは別にして)それを受け止めることが重要です。
ここをないがしろにしてしまうと、押さえ込まれたエネルギーはあたかも洪水のように思いもしなかった領域にあふれ出ることになります。
「>ズッと不毛の荒地を歩いてきたような気がします。」とのことですが、おそらく各地で洪水は起きていたのではないでしょうか。
正しい水路を確保する必要があるように思われます。

>意識に上ってくるのは常に醜態や失敗、屈辱や後悔といったマイナスの過去ばかりです。
:この点に関しても少し述べさせていただきます。
これは、「醜態や失敗、屈辱や後悔」を修復したいという欲求の現われになるわけですが、つまり、その過去の時点に回帰したいという欲求でもあり過去へ深く固執していることにもなるでしょう。
さらにいえば「過去のもの」という認識が成立できていない、ということでもあります。
こういったことは、不名誉なものとして抑圧しようとすればするほど深くそれに捉われることになります。
回想録的に、明確に浮き彫りにされることをお勧めします。

過去を明確にするということは「【過】ぎ【去】ったもの」であることを実感するためです。
本当に過ぎ去ったものは未来に影響を及ぼすことはできません。
無いものであるかのように抑圧し続けることによって、いつまでも固執が解けず、結果として影響を及ぼすということでしょう。
こういったイラショナルビリーフ(不合理な思い込み)から視点を転換することで新しい地平が忽然と開ける場合もあるのではないか、という気がします。

推測交じりで勝手なことばかり述べてきました。
loser_blueさんが思考される際、材料のほんのひとつになればとの思いからです。
失礼な箇所もあろうかと思いますがご寛恕のほどお願いいたします。
 

この回答への補足

最近ここでのやり取りのことばかりが頭の中を占めています(苦笑)

「自己否定」ということに就いて考えてみると、それは言い換えれば「否定された自己」という意味なのかなと思いました。
「自己否定」というと、否定の主体も自己なら否定の対象も自己です。

ところが私の感覚は、「周囲(社会、人間)から否定された自己」なのかなと思ったりします。
先のお礼にも書きましたが、「みんなが私を否定している。だからきっとそうなんだ」という便乗・・・というと言葉が変ですが、
社会に従った自己評価=否定かなと・・・

自己を否定するには必ずその根拠があるはずです。
その根拠がこれまで述べてきた、社会や異性からの疎外、排除の経験(記憶)ではないかと思っています。

勿論その大本は私の無能であったり、「嫌われる何か」であって、
向こう側に非はないのですが・・・

>「なんだか分からないけど女性に好かれない」というのも、「過剰に・深く・早急に」愛を証明するように迫ってしまう印象を相手に与えてしまっている可能性もあるかもしれません。

確かにそういう傾向は強くあると思います。
確実に。絶対的に。迅速に。
そういう感じが伴っていないと不安です。

>さらにいえば「過去のもの」という認識が成立できていない、ということでもあります

>過去を明確にするということは「【過】ぎ【去】ったもの」であることを実感するためです。

わたしの考えですが、過去からの分離、決別は、過去への視点や思考の転換ではなく、プラスの事実による「相殺」ではないかと考えます。

ひとつの失敗はひとつの成功によって相殺され帳消しになる。
そうではないのでしょうか・・・?

両親との関係については私の人格形成に大いに影響を与えていることは事実ですが、向き合ってそれを解きほぐしていくと言うことは不可能だと思います。

>彼らの本意について確認をされることが有益であろうと私は思います。

これは正論でしょうが、
私にとってはそれは両親(といっても昔から父親とは没交渉でしたので、
事実上母子家庭のようなものですが)を追い詰めることになると感じます。

>(跳躍のための足場が必要なように)どこかで自分は認められている、あるいは愛されているという実感が必要になります。
それは、実際はあったのだが感じることができなかった、ということも考えられるのではないでしょうか。
無論、そんなものは何も無かったということあり得ます。
いずれにしてもloser_blueさんは今、それを取り戻そうと、あるいは代替物を得ようともがいていらっしゃるのでしょう。
行く先を失ったために内面に逆流せざるを得なかったリビドーが出口を求めて奔流となっている、という構図です。

この部分はよく分かります。
おそらくその通りだと思います。

しかしこの迷宮から抜け出すのはなかなか難しいようですね。
この質問を含めて過去にかなりの分量のやり取りを皆さんと行っている訳ですが、
上で指摘されたように、私はなにか素直じゃないのですかね?

同じような質問をして、同じような回答を得て、私以外の質問者は
みなさんの回答に「素直」に「ああ。そうですね。」となるのでしょうか?

このように「抵抗を示す質問者」って珍しいのですか?
私は「反抗のための反抗」ではなく、自分が思ったことを言っているだけです。

お前は質問者なんだから反論するなと言うのはどうなんでしょう・・・

と横道に逸れてしまいました。

補足の不備はお許しください。

お付き合い、感謝しています。

補足日時:2007/08/20 15:56
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この回答へのお礼

お礼の字数を超過してしまいましたので。
逆になります。

失敗は成功によって相殺されるといいましたが、
昔から私はやること為す事失敗ばかりで。
相殺どころか失敗の山がどんどん高くなっていくばかりです・・・

成功体験とか達成感とかいうものの記憶(事実)はありませんね・・・

お礼日時:2007/08/20 16:15

#20です。


心理相談室に行かれる際の何らかのご参考になればと思い、もう少し愚見を述べさせていただきます。

『>「人間性」の部分での欠陥』
『>どこか異性に嫌われる何か』とは、具体的にどういうことだとご自身ではお考えでしょうか。

精神分析の定番的には、ご両親の一方からの抑圧、と共にもう一方からの無関心などによる「見捨てられ不安」を他者に投影している可能性もあるような気がするのですが、これは全くの見当違いでしょうか。
あるいは、ご両親に対する不満を口にするのは卑怯だというお考えはお持ちでしょうか。
 

この回答への補足

「未来」とはつまり「過去の集積」ですから、よりよい未来とは
よりよい過去と言えると思います。
要はこの先よりよい過去を築いていくことができればいいのですが、
その為にはあまりにマイナス要素が多すぎる気がします。

よくドラマでありますね
「おとうちゃんは貧乏で大学にいけなくてズッと生涯下積みでいなければならない。お前にはそんな思いをさせたくないんだ」と・・・

貧乏で大学に行けなかったという過去はタイムマシンでもない限りどうすることも出来ない。
けれども若い子供にはまだ手付かずの膨大な時間がある。
それは可塑的な未来です。

未来は創れないというのは過去への不可逆性のことなのかもしれないですね。

補足日時:2007/08/19 23:27
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この回答へのお礼

『>「人間性」の部分での欠陥』
『>どこか異性に嫌われる何か』とは、具体的にどういうことだとご自身ではお考えでしょうか。

そうですね・・・知的把握が可能な領域ではなく、深い部分での何か・・・としか言いようがない・・・
というか、それを具体的に説明できる=把握しているのなら、まだ改善の可能性はあるのでしょうが・・・

不精で改善の努力を怠っているとしても、少なくとも、好かれない原因が分かっているのと、なんだか分からないけど女性に好かれないという漠然とした気分では格段の差があります。

両親との関係というのはキーワードではあると思います。
前にもどこかで書いたかもしれませんが、私にとって両親は・・・
例えば親に反抗することは、「いけない事」というよりも、そもそもそんな気にならなかったですね。

母親=正しい。父親=怖い。
こういうことで、反抗OR口答えをしたことがないのだと思います。

母は折に触れて、結婚すべきでなかった二人がくっついてしまったと言います。
そして、親になる資格の無い者が親になってしまったのだと。
私の言葉に翻訳すると「産んでしまってスミマセン」という感じです。

>ご両親に対する不満を口にするのは卑怯だというお考えはお持ちでしょうか

これも同様で、反抗することは「いけない事」という抑制をかけているという意識は子供の頃からありませんでした。

子供の頃から親は反抗の対象になったことはありませんでした。

私には4歳年下の弟がいますが、彼の生まれた頃の記憶が殆どありません。
友人に言わせるとその時既に4歳だった私にそういう記憶がないっていうのは変じゃないかとのことです。

余談ですが、過去を振り返っても、嫌な思い出しかありません。
いい思い出もあるのでしょうが、意識に上ってくるのは常に醜態や失敗、
屈辱や後悔といったマイナスの過去ばかりです。

これまでの40数年間ズッと不毛の荒地を歩いてきたような気がします。

なんだか散漫でまとまりませんが・・・

スミマセン・・・

お礼日時:2007/08/19 23:22

#19です。



1、なぜ「>度重なる退社勧告(=クビ)」を受けたのでしょうか。
または、受けたのだと思われますか。

2、「>異性に全く相手にされなかった」のはなぜだと思いますか。
また、ご自分からアプローチされたことはありますか。
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この回答へのお礼

最後までお付き合いくださるのですね・・・

>1、なぜ「>度重なる退社勧告(=クビ)」を受けたのでしょうか。
または、受けたのだと思われますか。

仕事に対して勤勉ではなかったこと。
イヤイヤ仕事をしていて当然効率が悪かったこと。
周囲と打ち解けることができなかったこと。

・・・以上から、度々のクビ宣告は当然の結果で、
過去の質問からもおわかりかと思いますが、
社会や会社や上司や同僚のせいにすることは卑怯だと思っています。
要は無能なのです。

>2、「>異性に全く相手にされなかった」のはなぜだと思いますか。
また、ご自分からアプローチされたことはありますか。

容貌は10人並みだと思いますので、それ以前の「人間性」の部分での
欠陥を女性は見抜いているのではないでしょうか?
アプローチも様々ですが、お茶に誘ってもいい顔されたことは記憶にありません。イヤイヤという感じで付き合ってもらったことは数回あります。
相手は終始時間を気にして・・・こんな思いをしてまでという感じです。屈辱的でした。惨めでした。
自分にはどこか異性に嫌われる何かがあるのだと思います。

本当の所を言いますと、
既に中高生の時期から何で自分はこう異性に好かれない(無関心)なのだろうと煩悶していました。
未だに悟りきれません(苦笑)

お礼日時:2007/08/19 17:22

#14です。


>私にはそういう風に(=私の過去は空白である)しか思えないし感じられないのですからどうしようもないじゃありませんか・・・
:「空白である」というのは過去の経験に対する【自己評価】だと思うのですが、どういった過去の経験、あるいは過去の感情に対して「空白である」という評価を下しているのか、という点が大事です。
思いつくこと、あるいは感覚的なものでも浮かんでこないでしょうか。
実際的には、「経験が抑圧されている」ために空白と感じる場合も往々にしてあるでしょう。
明るみに引き出すことがスタートになるのではないかという漠然とした印象があるわけです。

#9さんへのお礼
「>私には反抗期というものがありませんでしたから」
#11さんへのお礼
「>私は昔から、人にこうして欲しいというようなことが出来ませんでした。」
という当たりにヒントが隠されているような気はしていますが。

>一言で言えばレベルの違いと言うことです。
:レベルというのは、各人が内部にその基準を勝手に設定するからこそレベル足り得るのではないでしょうか。
こういった自己否定的考えも過剰な自己愛の裏返しということが言えるように思います。
最終的には、そこまで無理にご自身を愛そうとしなくとも、あなたは十分愛される価値を持っている、という当然の事実に気づいて欲しいのですが、こういったことは自分自身で【納得する】以外にないわけで、私としては推測交じりに勝手なことを述べているにすぎません。
 

この回答への補足

情けないことにこれだけの分量のやり取りの中で
一番心にズシンと響いたのがお礼欄にも書きました言葉です・・・

>悪い連鎖を切ることです。今のやり方ではそのうちみんなに愛想をつかされたあげく「あぁやっぱり私はダメな人間だ」「誰も私の悩みを解決できない・・・永遠に」といういつもと同じ展開、シナリオどおりの展開になってしまいます。

本当にこれ以上的確な言葉はないでしょう。

hakobuluさんは賢明ですからここで他の方のコメントに言及するようなことはなさらないでしょう、
私の心のあるところを知って頂きたかったのです・・・

補足日時:2007/08/19 15:41
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この回答へのお礼

>:「空白である」というのは過去の経験に対する【自己評価】だと思うのですが、どういった過去の経験、あるいは過去の感情に対して「空白である」という評価を下しているのか、という点が大事です。
思いつくこと、あるいは感覚的なものでも浮かんでこないでしょうか。

単純化して言えば、所謂「自我的世界」(=世俗)での評価の低さ。
もっと具体的に言えば度重なる退社勧告(=クビ)+異性に全く相手にされなかったという経験(=経験の不在)でしょうか・・・

つまり、本能(イド)と自我の部分が全く充足していないのです・・・

>そこまで無理にご自身を愛そうとしなくとも、あなたは十分愛される価値を持っている、という当然の事実に気づいて欲しいのですが、こういったことは自分自身で【納得する】以外にないわけで、私としては推測交じりに勝手なことを述べているにすぎません。

そのように言われて嬉しいですが、
私はそのような言葉をもらった時にいつも「その根拠」を求めてしまいます
「WHY?」「Because・・・!」

これがないとその「愛される自己」というものがひどく不透明で不確かなものの上に乗っかっているように感じてしまい不安なのです・・・

私は来週(今週?)大学の心理相談室に行くわけですが、
なんだか希望は持てません・・・

いつもありがとうございます。
・・・と書きつつ

>悪い連鎖を切ることです。今のやり方ではそのうちみんなに愛想をつかされたあげく「あぁやっぱり私はダメな人間だ」「誰も私の悩みを解決できない・・・永遠に」といういつもと同じ展開、シナリオどおりの展開になってしまいます・・・

という言葉が頭から離れませんが・・・

お礼日時:2007/08/19 15:06

現実の重さですね。


ただ
>私は13年前=30歳の時から精神科を転々としています。
二十歳前後(大学時代)から延々と続いています。
のであればなおのこと 今を覚醒して生きなければ、、、過去の修復ばかりではなく、、、だからこそこのように質問なさっているわけですが。。。未来の時間の方が財産でしょう。。?て、自分に言い聞かせてみるみたいで痛々しい?笑
>過去を振り返り、10年前、或いは20年前から全く同じことに悩みつづけてきた私には、10年後、20年後が今と違うと言うことは全くイメージできないのです。
質問者様がどのようにイメージするのであれ私は まったくそうは思いません。明日も今日と同じかなんて誰にも分からないではありませんか。それは単なるイメージであるとしか思えません。
さらに、サイト上で知り合った とある人に拒絶されたというのは
現実の質問者様が拒絶されたのと同義ではないですから そこまでショックを受けることではないように思います 相手の方が拒絶しているのは架空の人です
興味深い質問に参加できて幸いでした、^^
では!
PS cyototuさん フォロー有難うございました。意味を取り違えたようでこちらこそ失礼致しました。
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この回答へのお礼

>興味深い質問に参加できて幸いでした、^^

こちらこそ、どうもありがとうございました!

参考URL
http://plaza.rakuten.co.jp/loserblue/
 

お礼日時:2007/08/19 14:28

#15です。


mintowallさん、誤解されるような表現があったようなので謝ります。皮肉のつもりではなく、貴方にもloser_blueさんにも、まだエネルギーが残っているから大丈夫だと言いたかったのです。

私の身近な者が精神的に落ち込んでいたときに「幸せになるには体力がいるものなんですね」と言っていたことが印象的だったので、そのことを思い出したのです。そのときにその方は肉体的な病気をしていたわけではありませんでした。

この回答への補足

皮肉とはまるで思っていませんが、

>貴方にもloser_blueさんにも、まだエネルギーが残っているから大丈夫だと言いたかったのです。

こんな不毛なエネルギー無用の長物です。
他に転用できるものでもナシ!

補足日時:2007/08/19 04:43
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この回答へのお礼

私はmintowallさんのようにcyototuさんの書き込みを「皮肉」とは思ってはいません。ご安心(?)下さい(笑)

お礼日時:2007/08/19 03:24

loser_blueさんとmintowallさんに共通しているものがあることに気付きました。

お二人とも、自分が抱えている問題を論じつづけるエネルギーを持っていますね。>
そうでしょうね。他人からみたらさぞ不愉快であろうことは もちろん分かります。けれども、それを言い出したら質問自体が破棄されるべきものではありますし、このような交流薄き現代社会で、幾人かの人間がインターネット上で若干の(?)醜態をさらすことに、なぜ皮肉を仰るのか。。。建設的な意見が耳に入っていないとなぜか決め付けられてしまいましたこが
私自身は実際に下にいらっしゃるhakobuluさんやshiftさんの意見を何度も参考にさせて頂いておりますし感謝の気持ちも深いです.
これ以上ボロがでるのはヤダからもうやめようっと(笑
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この回答へのお礼

mintowallさん、そんなことありませんって。
少なくとも私はこの回答を私とmintowallさんへの皮肉とは取っていませんよ・・・

それに私にとってはmintowallさんは大切なお客様です。
どうか怒らないで・・・

お礼日時:2007/08/19 04:13

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