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高校卒業して以降、全く古文を使用する機会などありません。
昔、頑張って記憶したことも復習していない為ほとんど忘れてしましました。

昔の文学を学ぶ際は、予め現代語に翻訳しておいたものを勉強したらいいだけのことであって、
好きで使用したい人だけが専門で勉強したらいいと思います。

正直、中学と高校と時間をかけて勉強したことが全くの時間無駄です。

この情報化社会、不要なものはどんんどん削っていくべきなのでは?

どうにか必修科目から外すことはできないのでしょうか?
古典の変わりに、道徳、心理学、法律を学んだ方がよっぽど現代人の為になると思うのですが。

A 回答 (19件中1~10件)

それを言えばほとんどの教科は不要になります。


小学校で「なぜ分数を習うの?」という子供に似ています。
古典は教養のために習うのです。
ほとんどの科目は教養のためです。
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この回答へのお礼

即答ありがとうございます。
似ていないと思うのですが。
数学は思考力がつきますし色々応用が利きます。

古典は明らかに応用できる幅が狭く無駄です。
過去にタイムスリップして旅行に行けるわけではありませんし
翻訳してる時間も無駄です。

お礼日時:2007/09/14 18:09

こんばんは。



そうですねえ。私は古文が好きでしたが、何のために
勉強するのかな?と疑問はありましたよ。古文もそうだし、
漢文も。意味がわからないですよね。
私個人は英会話に力を入れたほうがいいんじゃないかなと思います。
質問者さんがおっしゃられるようにもっと世の中の役にたつものを
子供たちには学ばせたいですよね。
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この回答へのお礼

こんばんは。

そうですよね。
必修科目も所詮まだまだ未熟な日本の教育が取り入れていること。
すぐにでも外すべきだと思います。
これからの日本をより良くしていく為に、教育をより良く改正していかなければ。

お礼日時:2007/09/14 18:15

古文をやったことがないと、古文を好きになるかどうかわかりません。


学んだことで古文の楽しさに気付いて、学者さんになられる方もいることでしょう。
古文を必修から外すということはそういう可能性を殺してしまうということです。教養という面でも、古文を見て「何となく意味が分かるかも」というのと「全く意味不明。何かの暗号?」と学んでいるかいないかでは大きく差が出てきます。
多数派ではないでしょうが、この科目は自分は使わないからと切り捨ててしまうのは、子供達の未来を制限してしまう結果になるかと思います。
参考までに。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

他の必修科目は結構応用が利きますよね?
芸術系の音楽、美術、書道にしても。

古文は特別だと思うんです。
ほとんどの人が将来接する機会などないと思うんです。

せめて、中学3年生あたりに一年間くらいだけ勉強する、ということにしても未来を制限されてしまいますでしょうか?

お礼日時:2007/09/14 18:46

古典で現代語に翻訳されているのはごく一部ですよ。


趣味、若しくは仕事でそういうものを読む必要に駆られる人もいるでしょう。
私の仕事では古文漢文を習っていたことが、かなり役に立っています。

世の中にはいろいろな仕事があり、趣味も人によってそれぞれです。
学校で習ったことすべてについて、使う人と使わない人がいるでしょう。
古典も将来役に立つ人が少なからずいるからこそ必修なのだと思いますよ。

この回答への補足

ありがとうございました。

補足日時:2007/09/15 06:32
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この回答へのお礼

古典ってそれほど需要があるのでしょうか?
少数派なのでしたらせめて長年必修にする必要はないと思います。

お礼日時:2007/09/15 06:32

>>古典の変わりに、道徳、心理学、法律を学んだ方がよっぽど現代人の為になると思うのですが。



この国で生きていくために、金や法律、政治からは逃れることは出来ませんが、義務教育課程でそれらを教えません。推測ですが、おそらく、自分たち(国を動かす人々)にとって都合の良い国民を育てるために、このようなことをしているとしか思えません。全員が無知になるのかというとそうではなく、危機感を持っている人は金や法律、政治について、自ら学びますから、そうでない人と比べれば格差が出てしまいます。

 もう一つは入試でふるいにかけるための存在です。難易度の高い大学の場合、大卒・院卒の人も受験しに来ます。そういった方にとって、英語・数学・理科は子供のお遊び程度です。しかし、そういった方が大量に受験する大学では高卒直後の若者がほとんど居ないのかというとそうではありません。ここで効果を発揮するのが古典です。そのため、センター試験の配点の1/3を国語に割り当てるような大学もあります。古典の配点が大きく、英語・数学・理科の配点が小さいため、古典でも現役より点数を取らないと合格できないしくみなわけです。
(面接で大量減点をしているという噂もありますが。)
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この回答へのお礼

なるほど!それはあまり考えてなかったです!
確かに根本的によく考えてみれば・・・!
私達は裏社会のトップのヤツらに人形のように弄ばれているだけかもしれませんね。
こんなことをグジグジ言っていてもまずは根元を変えなければ意味がないのかも・・・。

呆れてきますね・・・どうにかこの国を変えることはできないんでしょうか?それほど裏社会の力ってとてつもなく大きなものなんでしょうかね?

お礼日時:2007/09/15 06:45

日本人の教養として必要です。



が、正直、現代語訳でやっても
良いんじゃないかと思います。

もちろん、より正しい解釈を得て、
その内容を味わうためには、
原典をあたるのが正道です。

しかし授業の現状は、味わうどころか、
文章を細切れに解体して、成分を測定してみたり、
ひどい場合は、生徒にさせた予習の確認としての
現代語訳に終始するような、そんな授業すらあります。

せっかくの文学を解体するだけで
内容を味わうところまで行けない『古文』なら、
『古典文学』の現代語訳で始めた方が、
教育として意義があるように思われます。
扱われる教材も、解釈に定説があるものばかりなのだから。

国際人としての日本人としては、
方丈記ぐらいはさらりと読めた方が良いと思いますが。
たとえ理工系でも、自国の歴史や文学について知らないと
バカにされます。(特に英国人は意地悪なことを訊きます)
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
参考になりました。
古典がどうのこうの以前にこの国の腐った根元部分を変えなければいけないと思い始めました。

お礼日時:2007/09/15 06:53

将来のことは誰にもわかりません。

えんぎでもない話で申し訳ありませんが、質問者さんが天寿を全うされるとき、初めて「ほれみろ、自分には古典なんかいらなかった」と言えるわけです。そうでなくて、将来、質問者さんがなんかのきっかけで古典を調べたくなったとき、ゼロから始めなくてよいわけですね。これが一点。

もう一点は、なぜ他の人も古文など役にたたないという見解に当然同調すると決めてかかってるのですか。少なくとも私は賛成しません。たとえば「枕草子」からの引用文読んで、なんでこの人しょっちゅうおもしろがってるんだろうなんて思わずにすみます。当然必要な教養であると思っています。

> 好きで使用したい人だけが専門で勉強したらいい

好きな人は、大学で中学校レベルからスタートすればいいというのですか。

最後に、

> 不要なものはどんんどん削っていくべき

可能性としてアタマに留めておいてくださいね。将来、誰かが質問者さんに「あなたは不要である」と通告するかもしれませんよ。
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この回答へのお礼

調べたくなったときに基本から始めたのでいいと思います。
そんなの言い出したらキリがないですよ。

外すべきだと思うとはさすがに言いすぎましたが、
せめてもっと時間を減らすか、古典の授業でしばらくしていて興味の無い人は好きな勉強を自主学習しても良いということにしたらいいかなと思います。

お礼日時:2007/09/15 07:08

ちょっと本題から外れるかもしれませんが、外国住まいの方からよく言われるのが「意外に日本のことを聞いて答えられない」と言われます。



確かに日常生活としては不要ですが、自分の国のルーツさえろくに説明出来ないアイデンティティの低さは国際社会にに日本人として出ていくのであれば恥ずかしいことではないでしょうか。

今不要と感じていても、外国の方と接すると「自身のルーツを知っているか否か」というのは民族性、国民性に置いて有意義ではないでしょうか。
古典などもそういったもののひとつではないかと思います。
欧米だってラテン語学んだりしますよね。
また、こういったことが欠けていくと、極端な話、ナショナリズム(という表現が正しいのかはわかりませんが)の崩壊にもつながりかねないと思います。
今いるものを最優先ということなら丸暗記する歴史系だってそうですし。

ナショナリズムが崩壊することは国を維持する上で非常に問題だと思います。

大学受験の必須教科に古文漢文があるなら少々行き過ぎの感もありますが、現状では義務教育の中学と高校の前半程度ならあってよいものだと思います。
ただ授業の進め方に問題がある場合というのはあるのかもしれませんが。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。参考になりました。

>>ただ授業の進め方に問題がある

そこですね。私の受けた授業は無駄な時間が多すぎました。

お礼日時:2007/09/15 07:17

 人にもよるかもしれません。

伝統的なものが好きな人なら古文に意味がないこともないでしょうし。ただ全教科で一番いらないものは?といえば、まず古文でしょう。

 とはいえ、まったくなくすのも問題だと思うので、現代文に組み込んで、一年生の時に3時間ぐらいやるだけにしたらいいと思いますね。漢文はいりませんので削除。

 やはり古文漢文を必死にやらせるわりにあまりに比重の低い、公民(中学)と、政治経済(高校)ですが、こっちのほうが重要ですね。でも授業緒時間が少ないので、ほとんどの人はまともな印象にも残らず、忘却していきます。

 ちょっとこれは国の策略なんじゃないかと思ってしまうところもあります。ふつう民主主義においては政治や経済への知識は不可欠です。そうであれば、これは歴史に匹敵するくらいに重要なことです。国はあえてあまりやらせないことで、今の日本人を政治的に無関心にして、バカにならせているのではないかと思います。

 どうみても合理的ではありません。
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大学で近世日本経済史、つまり江戸時代の経済の動きを研究する学問を勉強していました。


役に立たないといわれればその通りですけど、ここの質問で外国では物を買うときに値切るが、何故日本では正札で買う人が多いのかとか、外国では他人を信用しない文化で、約束事は必ず文章化するが、日本人はそれをやると「俺を信用しないのか!!」と怒るような人もいるが何故なのかといった、現代社会のシステムの成り立ちを知ることが出来ます。
関連として古文も知らないといけませんが、古文の知識があると日本の文化を理解することが出来、今の「竹島問題」とか諸外国との関わりが理解でき、歴史文化に深く関わってきます。
古代では言いたいことを歌に託すことが多く、和歌を裏読みすれば古代人が何を考えていたか、また現在も残る風習は果たして意味があるのか無いのか、日常生活にも深いかかわりがあり、ご質問者が冠婚葬祭を一切やらないというなら別ですけど、社会で生きる以上、知り合いの葬式には出ないといけませんし、籍さえ入れれば夫婦ですけど、世間に認めてもらうには披露宴も必要で、結納の意味や三々九度の理由など、ただやるというよりは分かってやるほうが適切と思いませんか。
古文も役に立たないようで、日常生活に深く根ざしていますよ。
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