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数年前に亡くなった祖父は陸軍の准尉で終戦を迎えました。生前、補充兵にしては昇進が早いほうだと自慢しておりました。先日、役場から軍歴の資料を取り寄せました。それによると昭和12年9月に欠員補充のため応召、歩兵二等兵からはじまり昭和13年1月一等兵、4月上等兵、そして14年7月に主計伍長、12月主計軍曹、昭和17年3月主計曹長、20年3月主計准尉となっています。
階級が低い時に経理学校(?)へ行ったらどうかと言われてそして歩兵から経理に転科して陸軍航空本部の経理部に異動して幸運だったと言っておりました。原隊はフィリピンにて全滅したそうです。果たして、祖父の昇進は彼の言うように早かったのでしょうか?因みに祖父の学歴は旧制中学卒業です。

A 回答 (7件)

訂正です。


陸軍ですから「経理学校」です。
「主計」は海軍ですね、失礼しました。
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乙種幹部候補生ですね。


従来の現役兵からしか取らない幹部候補生制度が昭和13年に改正され、補充兵も幹部候補生に採用される様になった第一期生でしょう。
乙種幹部候補生は、採用後一等兵に、 2~3ヶ月後上等兵、4ヶ月後伍長になります。
但しお爺様は主計に転科していますので13年4月以降に主計学校に入校したものと思われます。(当然下士官用のコースです)

連隊本部~陸軍航空本部勤務は昇進には有利だった筈です。
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この回答へのお礼

ご返事有難う御座います。祖父は乙種幹部候補生だったのですか。だから昇進が早いわけですね。

お礼日時:2007/09/20 18:41

上等兵までの記録によりますとほぼ一般的ですが恐らく上等兵昇任の際に現役志願ないし幹部候補生養成学校への進学を薦められたのではないでしょうか。


当時下士官は不足しており、旧制中学卒業なら士官学校受験資格があり、下士官養成には好適だったと思います。

それ以後の昇任は極めて早い速度で余程有能であったと思われます。
陸軍では上等兵と伍長の間に1階級あって、伍長勤務上等兵(後の兵長)が存在しました。
これをとばして主計伍長、5ケ月後軍曹というのは異例です。

軍関係の学校に進学しないで准尉となるのは立派なものです。
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この回答へのお礼

有難う御座います。皆様のおかげでなんとなく全貌が判ったような気がします。祖父の存命中にもっと聞いておけばよかったと思います。

お礼日時:2007/09/19 13:27

一般に二等兵→上等兵、伍長→軍曹は自動的に進級できますが、上等兵→伍長、軍曹→曹長、曹長→准尉は選抜ないし評価指定されて進級するものなので、このステップで順調に進級している点で「早い」と言って良いと思います。

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この回答へのお礼

早速のご返事有難う御座います。
そうでしたか早いほうだったのですね。自分でも少し調べたのですが召集されてから4ヶ月で一等兵に、そして上等兵から主計伍長まで3ヶ月というのは早いのではないかと思っていました。その頃はは中国との戦争が激しくなってきたという背景はあるかもしれません。
尚、原隊はフィリピンではなく、インパールで最後を迎えたようです。

お礼日時:2007/09/19 09:26

 お祖父さんは「陸軍経理学校」へ行ったのではないようですね。

もし行っていたのであれば、准尉で終わるということはないはずですから。
 補充兵でそこからずっと勤め上げ、最後はポツダムではなく、本物の准尉ですから、たいしたものだと思います。旧制中学卒業で(当時はインテリの部類)経理の仕事がよくできたのだと思います。
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この回答へのお礼

ご返事有難う御座います。経理学校へ行ったのかどうかは残念ながら今は知るすべがありません。自分は要領がいいほうなので上官に可愛がられ経理をすすめられてその後連隊本部勤務~陸軍航空本部になったので戦争の修羅場は経験していないといっておりました。
軍隊で経理の仕事をしていたおかげで終戦後まもなく、安田銀行(富士銀行)に採用されました。

お礼日時:2007/09/19 09:33

http://www.uraken.net/military/yo_02.html
戦前の陸軍は知りませんが、基本的に准尉というのは、兵から上にあがった場合、上がりである「曹長」の上になります。

陸軍准尉で検索したら

田形 竹尾 という方が陸軍准尉だったようです。
ものすごい戦歴のようですが、兵からのたたき上げなので准尉で終わられているようです。
昭和9年に志願兵となり16年に陸軍准尉。で、昇進はここでストップしているようです。
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戦時中は平時に比べれば全体的に昇進のスピードが速かったのと、旧制中学卒であれば幹部候補生になれたので幹部候補生になったのかどうかでも違いますが、特別に早かったともいえないように思います。


ただ、歩兵と経理と比べれば経理は花形の兵種ではないですが、最前線勤務は少ないし、過酷な勤務もあまりないので幸運といえばそのとおりです。(特に本土の官庁勤務)
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この回答へのお礼

ご回答有難う御座います。祖父は幹部候補生では(多分)なかったと思います。
中国にいたときは自分は経理なので物品の購入とかがメインで戦闘には一度も参加したことがないと言っておりました。

お礼日時:2007/09/19 09:21

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 こちらでも失礼します。
 一般論として聯隊長までと考えてよろしいかと思います。歩兵科で大佐、騎兵科で中佐です。
 陸軍大学は「陸軍大学条例」で、その目的を設立当初には「将来の参謀職に堪ゆべき者を養成」と定められていました。その後、条例は数度改正され、
「高等兵学を教授し、将来参謀官、高等司令部副官及び教官に充つるを目的とし並に高等職務に堪ゆべき学事上の基礎を修習せしむ」(明治19年改正)
「高等兵術を教授し、参謀其他枢要の職務に充つべき者、または高等指揮官となるべき者を養成する」(明治24年改正)
「高等用兵に関する学術を修めしめ、併せて軍事研究に須要なる諸科の学識を増進せしむる所とす」(明治29年改正)
と、一貫して高等用兵を教え、参謀官、高等指揮官を養成することを目的としていたからでしょう。
 実際、陸大未卒業者の将官昇進は、平時では1%に満たなかったそうです。ちなみに、陸大卒業生は、その内少将昇進80%弱 中将50%強 大将10%強だそうです。
 また、士官学校の卒業成績がその後の昇進のスピードに係ってきますが、陸大を卒業すると、過去の成績に関わらず自動的に士官学校卒業時の成績序列の上位に位置し、その期の進級時期に来ると未卒業者を追い越して一斉に進級したそうです。

 こちらでも失礼します。
 一般論として聯隊長までと考えてよろしいかと思います。歩兵科で大佐、騎兵科で中佐です。
 陸軍大学は「陸軍大学条例」で、その目的を設立当初には「将来の参謀職に堪ゆべき者を養成」と定められていました。その後、条例は数度改正され、
「高等兵学を教授し、将来参謀官、高等司令部副官及び教官に充つるを目的とし並に高等職務に堪ゆべき学事上の基礎を修習せしむ」(明治19年改正)
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 また、回答No.2に関して、

> 幹部候補生というのは、兵からの叩上げの軍人を指します。
   
> 幹部候補生の少尉というのは、2等兵から始まって成績優秀な為選抜され、下士官を経て少尉に任官した軍人の事。

 とありますが、幹部候補生は叩き上げではなく、高学歴者を対象とした制度で、二等兵として入営後、三ヶ月で選抜され甲種合格者は将校(士官)として、乙種合格者は下士官として教育を受ける制度でした。

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1) 大将や中将に昇進する士官が海大甲種学生を経ているケースが多かったのは事実です。しかし、海大甲種学生を経ていなくても、中将に昇進した例は珍しくありません。

有名な例は、

大西 瀧治郎 中将
http://homepage2.nifty.com/nishidah/px40.htm#v007
栗田健男 中将
http://homepage2.nifty.com/nishidah/px38.htm#v009

他にも探せば数十人はいるのではないでしょうか。
将官に昇進した海軍士官については、下記のサイトにほぼ全員の履歴が載っていますのでざっと眺めてください。「海大甲種学生を経ずに出世コースを歩んでいる」例を少なからず見つけられるでしょう。
なお、大西中将も栗田中将も海兵の席次が比較的上(上位20%程度)であることに注意して下さい。
http://homepage2.nifty.com/nishidah/p_index.htm#aiu

2) 質問の趣旨が良く分からないのですが、陸軍でも海軍でも、士官学校や兵学校を出た正規の士官(将校)と、兵卒から叩き上げた士官が並存していました。陸軍でも海軍でも「兵卒から昇進した士官の最高位は通常は大尉、稀に少佐昇進と同時に予備役編入」であったのも同じです。
海軍の叩き上げ士官(特務士官)は「軍鑑で高度の熟練を要する仕事のプロフェッショナル」、陸軍の叩き上げ将校は「陸士出身正規将校だけでは小隊長や中隊長を充足できないので人数を補う」と言う点で違いがあったようですが。
なお、陸軍でも海軍でも「兵卒から叩き上げて将官に昇った人」は存在しないと思います。
※ 明治時代の陸軍に存在した下士官養成機関「教導団」に入り、そこで実力を評価されて、「改めて士官学校に入学して正規の士官となり」、最終的に大将や中将まで昇った人は何人もいますが、これは「兵卒からの叩き上げ」には当たりませんよね。
陸軍教導団
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B8%E8%BB%8D%E6%95%99%E5%B0%8E%E5%9B%A3
3) 質問の趣旨が良く分かりませんが、陸海軍の昇進の基準は大雑把に言うと

海軍:海兵の卒業時の席次が最重要。海軍では、全ての士官が海兵の卒業期と席次をリンクさせた「先任順」が明確にあり、定期的に先任順の名簿が更新されていました。なお、先任順は海兵を卒業した後も事情により動くことがあり、海兵卒業時は下だった人が、大佐になる頃には上になっていた例も珍しくはなかったようです。

陸軍:陸士の卒業成績はそれほど重要ではなく「陸大を卒業したか否か」が最重要。陸大卒業者は「天保銭組」と呼ばれ、人事権が陸軍省から参謀本部に移り、特段の事情がなければ必ず将官に昇進したようです。
一方、陸士を出た正規の将校であっても、陸大に行けなかった「無天組」は軍人生活のほとんどを「隊付将校」として送り、最高位は「連隊付中佐」、大佐昇進と同時に予備役編入、が平時は普通だったようです。無天で中将・第一師団長に就任した堀丈夫中将のような稀な例もありますが、海軍とは違い「大学校を経ずに将官に昇るのは奇跡」でした。
堀丈夫
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A0%80%E4%B8%88%E5%A4%AB
※ 支那事変、大東亜戦争と戦争が長く続きますと、無天組でも将官になる人、中将に昇進して師団長になる人が多く出ました。
ただし、無天の場合は特設師団の師団長どまりで、軍司令官や方面軍司令官には就任できなかったようです。
私自身がした質問ですが、下記の質問も参考にしてください。
「無天で将官に昇った堀井富太郎中将(南海支隊長)」
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3754309.html

また、陸軍でも海軍でも、華族で爵位を持っているから優遇される、と言うことはありませんでした。例えば、ロサンゼルス五輪で馬術で金メダルを取ったことで有名な西竹一陸軍大佐(通称 バロン西)は、男爵位を有し、戦前の「国民的英雄」でしたが、陸軍の内部では「単なる無天組将校」であり、全く優遇は受けていません。

「入った瞬間に先が見えている海軍よりも一発当ててやろうと陸軍を志望するものが多くいたというのも本当ですか?」
そういう話は聞いたことがありません。
反対に
「陸軍では、幼年学校出身者が出世しやすい。中学校を出て軍人になるなら、陸軍士官学校より海軍兵学校に行く方が良い」
と身内に言った陸軍軍人の話は知っていますし、陸軍で幼年学校出身者が出世した例が多いのは事実です。

1) 大将や中将に昇進する士官が海大甲種学生を経ているケースが多かったのは事実です。しかし、海大甲種学生を経ていなくても、中将に昇進した例は珍しくありません。

有名な例は、

大西 瀧治郎 中将
http://homepage2.nifty.com/nishidah/px40.htm#v007
栗田健男 中将
http://homepage2.nifty.com/nishidah/px38.htm#v009

他にも探せば数十人はいるのではないでしょうか。
将官に昇進した海軍士官については、下記のサイトにほぼ全員の履歴が載っていますのでざっと眺めてください。「海大甲種学生...続きを読む

Q陸軍で特に軍政を担う人の出世コースは?

海軍でのちに軍政を担う高官の多くは海外武官を歴任しているように思うのですが、陸軍では軍政を担う人の出世コースはどういった役職になるのでしょうか?

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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BB%8D%E5%8B%99%E5%B1%80
典型例が永田鉄山じゃないかな
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B8%E7%94%B0%E9%89%84%E5%B1%B1
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8A%E4%BA%95%E6%B8%85
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%88%B4%E6%9C%A8%E7%8E%87%E9%81%93

みんな欧州に駐在武官しているな

Q太平洋戦争 日本軍の階級について

太平洋戦争が始まって、
男子は戦場に駆り出されるわけですが、
宣戦布告で開始された戦争で
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二等兵・一等兵・上等兵・少佐・大佐など
同時に始まった戦争で
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宜しくお願いします。

Aベストアンサー

徴兵制が無い今は別ですが
昔は徴兵制度がありました
階級は元々定まっていました
赤紙が来た人は一平卒として参加します。

上の階級にあがれるのは余程運の良い生き残った人です。

要するに上官が死んだら進級です。

直属の上官が生きていても、戦場が別れれば部隊も別れます。
一平卒が次の戦場では部隊をまかされる事もあります。

それでも軍事系の学校とかがあったので、あの頃も学歴社会だったとも言えます
結局階級があがってもそれだけ上官が死ぬ戦場って事なのであまり意味が無い時代でした。
「お前今から軍曹、で、あの戦場に、10人つれて行って来て、あでもあそこ死ぬほど危険だから」

みたいな感じです。
それで生き残ったらまた上に行くかもしれませんし、変わらないかもしれないしって事です

Q見習士官と准尉

旧陸軍の士官は士官学校を卒業すると曹長の階級章をつけて見習士官になりますが、陸軍には準士官の階級として准尉とゆう階級がありますね
そこで質問です、見習士官と准尉(昭和16~20年頃)ではどちらが階級が上位なのですか。もちろん士官学校を卒業していない軍曹出身の曹長と准尉では、准尉が上位で、曹長が下位とゆうこはわかっているのですが、どなたか教えてください。

Aベストアンサー

陸軍士官学校と甲種幹部候補生(甲幹)は予備士官学校を卒業すると見習士官に任ぜられる。服装は下士官以下と同じで、階級章が曹長で、階級章の隣りに星の記章の付いた座金を着け、袖に士官適任章といわれる金色の山形の袖章を着けている。曹長の階級章ながら准尉より上級者とされている。 この座金は本チャンの士官学校卒業者は実砲と言われ、
臨時雇いの予備士官学校卒業者については空砲と呼ばれていました。

 准尉は服装は将校と同じだが判任官であり、見習士官は服装は下士官のようだが高等官待遇(将校)ということになるのだそうだ。
年配の貫禄のある准尉は後ろから見ると、何処かの連隊長(大佐)と
間違えられたそうです。
また、応召の年配の軍医にも見習士官の方がいました。その中には大学病院の教授等、医者としての社会的な地位の高い方も多くいましたが
若造の軍医士官の下働きとして、こき使われていた。

Q終戦後の、旧日本軍の軍人

旧日本軍の軍人

志願して採用され、職業軍人となった人
令状で召集され、(強制的に)軍人にされた人

大きく分けて、この二種類でOKですか?

また、太平洋戦争以前からの職業軍人の人達は、ずっと軍からの給料で生計を立てていたと思いますが、終戦後の処遇はどうなったのでしょうか?

Aベストアンサー

ズサンすぎると思います。質問者ならびに他の回答者の認識が。

まず質問者が、軍人とは「志願して採用され、職業軍人となった人」「令状で召集され、(強制的に)軍人にされた人」に二分してOKかとの問いに、誰も訂正をしていない。ひどいもんです。旧日本軍の場合、一般社会から軍人になるのは「志願・徴集・召集」です。多くの人が漠然と考えている徴兵制とは「生まれてからずっと軍隊とはまったく無縁に暮らしていたら、ある日突然“アカガミ”によって“召集”されて兵隊になって戦地まで行ってしまう」とでもいうものでしょうかね。それって、ちょっと問題があります。

軍隊のことをウンヌンする場合には、たとえ戦争中の話題であっても、まず戦争のない平時の仕組みから知っておかないと大抵は結果として大きな間違いになる、と私は断言します。古今東西、どこの軍隊も基本は平時です。その基本のうえに戦時・有事という応用が問われるのです。これから長々と書いていきます。

“徴兵検査”ぐらいは聞いたことがあるでしょう。原則として前年12月1日から当年11月30日までに満20歳になる男子が、春から夏にかけての時期に身体検査(簡単な知能の検査もあるらしいが、この点は私もまだ不勉強)により甲乙丙などと判定されるわけです。その判定とさらにクジで順番が決められて、それによって“現役”、“補充兵役”などに分けられ、“現役”の者が数ヶ月後に予定どおり(強制的といえるでしょう)軍隊に入ります。これを“徴集”といいます。これが兵隊の基本中の基本なんです。“召集”じゃありません。この“徴集”はアカガミなんか一切関係ありません。明治時代に徴兵制が始まってから昭和20(1945)年に軍隊が無くなるまで、平時も戦時もこの“徴集”はありました(末期には年齢が19歳に下がり、身体検査の時期も変わることがありました)。

少し前の文で“現役”と書きました。この“現役”というのは非常に重要なキーワードです。軍隊について無知な人(つまり現代日本人の大多数、あなたも私も)が漠然とイメージする「軍人」とはこの“現役”の軍人だろうと思います。ところが“現役”でない者も結構いるんです。まず軍隊の下っ端である兵隊は何年も“現役”をやっていられません。上で書いた“徴集”で入った兵隊は何年かすれば除隊といって軍隊からシャバに出られます。そうして“予備役”になります。乱暴に今流の表現をすると「軍人OB」とでもいうようなもの。

志願で入った兵隊はふつう“現役”ですが、たとえ軍隊が好きで志願したとしても数年しか兵隊はできません。どうしても軍隊にいたいなら、“現役”下士官を志願して教育を受け採用されれば下士官になります。下士官からは「武官」で、本物の軍人はここからといって良いでしょう。

ところが日本軍の場合、下士官もいつまでも無条件で“現役”でいられるわけでもないのです。数年ごとに再志願というのをして、軍隊の予算とか本人の勤務評定などをクリアして受け入れられれば“現役”の下士官を続けていられます。下手すれば再志願が通らず「お疲れさん」で軍隊を出てシャバで仕事を探すことになります。“予備役”です。ですから「職業軍人」を考える場合に、日本軍の場合はやや不安定な立場の下士官を含めるかどうか議論の余地のあるところです。

将校の場合(軍医なども含めます)、陸軍士官学校などで学んだ“現役”将校なら、まさに
「職業軍人」です。ですが、将校においてさえ“現役”(すなわち「職業軍人」)であり続けることは今の我々が考えるほど容易ではなかっただろう、というのが私の見解です。昔の栄養・衛生事情は悪く、結核をはじめ身体を壊したりするリスクは現代よりはるかに高い、なのに軍隊が求める健康な身体は一般社会よりもレベルが上でしょう。それに将校だって勤務評定を受けます。エライ人に昇進する枠は少ないのです、のんべんだらりと低い階級のまま軍隊にいてもらっては困るのです。将校だっていつ「お疲れさん」と軍隊を出され“予備役”になるかわからない、ということです。“予備役”将校はもう「職業軍人」ではありません。

話は変わりますが“召集”というのは、有事に軍人の数を増やしたい場合やその他(教育のため等々)により“予備役”や、ときとして“補充兵役”の者を軍隊に入れる事です。本当は“現役”のほうが質が高いのだけれど、戦争などでは贅沢を言ってられませんから「臨時」に“予備役”などの人を使うのが“召集”です(あまりにも多くの人が“召集”をすでに述べた“徴集”と混同しています。それが腹立たしいので私はわざわざこんな長文を書いています)。それから既回答の中に「幹部候補生志願して、職業軍人となり・・」というのは、普通ありません。幹部候補生は”予備役”の将校・下士官コースですから「職業軍人」にはなりません(さらに教育を受け転役すれば“現役”ですが、極めて稀な事)。太平洋戦争のような大きな戦争では兵隊も多いし、下士官も増え、将校だって何千人にもなったでしょうが、実は「職業軍人」というのは思ったほど多くはないのです。このへんの事は私が執筆したWikipediaの『幹部候補生 (日本軍)』というのを読んでみてください。

ところで、軍人の定年というのは一般社会より早いものです。運良く健康でクビにならずにいても、エラい階級にならないかぎり早ければ40代から定年がやって来ます。

以上の事を総合すると、たとえ「職業軍人」といっても人生の中で第二、第三の商売をする覚悟を持っているのが普通であったでしょう。これが平時の基本の話です。それを十分に理解してから、初めて「戦争でどうだった」「終戦になってどうした」ということをウンヌンしなければおかしいということです。

最後の最後に質問に対する私の答えとして、「職業軍人」の終戦後の処遇は一般的にいって決して優遇はされなかっただろうと思います。「公職追放」というものもありました。ただ、戦争犯罪人でもなければ、投獄されたりするようなことはないので「職業軍人」ではなかった圧倒的多数の元兵隊や、予備役からの人と同じような普通の厳しい人生だったのではないでしょうか。

終戦からいくらか経ちますが自衛隊(最初は警察予備隊)ができてからは、「公職追放」が解除された元「職業軍人」の中には、適正もあったし、もともと嫌いな道ではなかったでしょうから自衛隊に入隊した人もかなりいます。初期の自衛隊のエライ人は大部分が陸軍士官学校、海軍兵学校など出身の元「職業軍人」といえます。もし本当に興味があったら、比留間弘さんという方の著作を探して読んでみると面白いですよ。もうお亡くなりになっているようですが、陸軍士官学校を出た現役将校でビルマ戦線で苦労したあと終戦になり、戦後はヤミ同然の商売から雑貨屋を始め、公職追放解除後に陸上自衛隊に入った人生を非常に楽しい文章で何冊かの著作にされています。検索すればamazonなどでもザクザク出てきますし、運が良ければ図書館にあります。

参考URL:https://ja.wikipedia.org/wiki/幹部候補生_(日本軍)

ズサンすぎると思います。質問者ならびに他の回答者の認識が。

まず質問者が、軍人とは「志願して採用され、職業軍人となった人」「令状で召集され、(強制的に)軍人にされた人」に二分してOKかとの問いに、誰も訂正をしていない。ひどいもんです。旧日本軍の場合、一般社会から軍人になるのは「志願・徴集・召集」です。多くの人が漠然と考えている徴兵制とは「生まれてからずっと軍隊とはまったく無縁に暮らしていたら、ある日突然“アカガミ”によって“召集”されて兵隊になって戦地まで行ってしまう」とでも...続きを読む

Q戦闘機や航空基地 : どうして陸軍と海軍でバラバラだった?

先の大戦における歴史書を読んで気がついたのですが、当時の陸軍と海軍では、それぞれ独自の戦闘機を保有したり、各地に専用の航空基地を構えていましたよね?

調べると、たとえば有名なゼロ戦や紫電改は海軍、隼や飛燕は陸軍の所属になっていました。

シロウトなので教えて頂きたいのですが、もし海軍所属の戦闘機が空母艦載を目的とするなら、折畳み式主翼にするとかの特徴があるかなと思うのですが、海軍所属の全ての戦闘機はそうなっていますか?

それと海軍が各地に航空基地を構えたのにはどんな理由があったのでしょうか? 陸軍がまとめて防空の構えをすれば事足りるように感じたのですが ・・・

それと、海軍と陸軍でどうして戦闘機の機種を統一しなかったのでしょうか? 

もちろん、戦闘内容が違うので両軍が求める性能を統一するのは難しいのは理解できるのですが、すごく不経済だし合理的ではないように思いました。

たとえばゼロ戦を陸軍も使用するとか、逆に隼を海軍も使用するとか出来なかったのでしょうか?

歴史書を読んでいて、ふと感じたので質問させて頂きました。

先の大戦における歴史書を読んで気がついたのですが、当時の陸軍と海軍では、それぞれ独自の戦闘機を保有したり、各地に専用の航空基地を構えていましたよね?

調べると、たとえば有名なゼロ戦や紫電改は海軍、隼や飛燕は陸軍の所属になっていました。

シロウトなので教えて頂きたいのですが、もし海軍所属の戦闘機が空母艦載を目的とするなら、折畳み式主翼にするとかの特徴があるかなと思うのですが、海軍所属の全ての戦闘機はそうなっていますか?

それと海軍が各地に航空基地を構えたのにはどんな理...続きを読む

Aベストアンサー

そもそも航空部隊の設立の経緯を考えればよろしいかと思います。第一次世界大戦のときに「空の戦い」が始まります。このときは、航空部隊は陸軍所属でした。そもそも、航空部隊は陸軍の偵察隊として生まれました。
やがて海軍でも偵察機があると便利だなとなります。そのとき陸軍の飛行機を借りるより、自前で航空部隊を作ったほうが手っ取り早いし便利です。かくして「海軍航空隊」が誕生します。

日本に限らず、世界中で海軍と陸軍というのは対抗意識を持っています。例えば、アメリカとイギリスの陸軍では「イエス・サー」といいますが、海軍では「アイ・アイ・サー」といいます。かように「はい」という答えひとつでも違う言い方をしたがるほど陸軍と海軍はときに対抗します。いわんや航空機の仕様については他の方も回答されているように陸軍と海軍では要求するスペックが違いますから自ずと機種が違ってきます。
それは現在でもそうで、例えばアメリカ空軍が使うF-16と海軍/海兵隊が使うF-18は大きさといい性能といいよく似ています。大きな違いは、F-16が単発エンジン、F-18が双発エンジンという点です。一時期、海軍でもF-16を採用してはどうか、という声も上がったのですが、海上で活動することが多い海軍機はエンジンがひとつ故障(あるいは損害)を受けてももうひとつのエンジンで基地や空母までたどり着ける可能性がある双発機のほうがふさわしいとのことで海軍/海兵隊はF-18を採用しました。しかし実際は長年米海軍とお付き合いのあるノースロップ社の「ロビー活動」のたまものです。

合理的精神の塊であるアメリカ人でさえ空軍(陸軍)機と海軍機の統一ができません。ロバート・マクナマラが機種を統一しようとしてF-111という戦闘爆撃機を作りましたが、これは海軍と空軍の猛反対を押し切って強引に進められたものでした。海軍はよっぽど気に食わなかったのか、何かと理由をつけてちゃっちゃとF-111を退役させました。

今でも、ゼロ戦と隼とどっちが優れているか議論させたら答えは出ませんよ。カタログスペックではゼロ戦が優れていますが、ゼロ戦はかなりクセの強い戦闘機だったようです。じゃじゃ馬だったんですね。それに比べると隼のほうがはるかにマイルドで乗りこなしやすかったそうです。ゼロ戦はホンダ車、隼はトヨタ車みたいなもんだったのかもしれません。

そもそも航空部隊の設立の経緯を考えればよろしいかと思います。第一次世界大戦のときに「空の戦い」が始まります。このときは、航空部隊は陸軍所属でした。そもそも、航空部隊は陸軍の偵察隊として生まれました。
やがて海軍でも偵察機があると便利だなとなります。そのとき陸軍の飛行機を借りるより、自前で航空部隊を作ったほうが手っ取り早いし便利です。かくして「海軍航空隊」が誕生します。

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Q海軍兵曹長が帯刀?

はじめまして。
先日、祖母から一枚の写真を見せられました。
そこには旧海軍の第一種軍装に身をつつんだ曽祖父が写っていました。
歳は40くらいでしょうか。階級章は兵曹長でした。

しかし、疑問な点が一つ。その手には軍刀が握られていました。
陸軍では曹長が曹長刀を持ってたりしましたが、海軍の准士官も
そういった慣習があったのですか?
祖母に聞いたところ誰かからの借り物でないことは確かです。

ちなみに曽祖父は大工の棟梁でもあったので技術系の長、もしくは海軍の軍属の可能性もありますでしょうか?
軍属刀なるものはネットで見たことがあります。
しかし、残念ながら祖母は部隊名までは覚えていません。

軍装や当時のことに詳しい方がいましたら教えてください。

Aベストアンサー

「旧海軍の第一種軍装に身をつつんだ曽祖父が写っていました。歳は40くらいでしょうか。階級章は兵曹長でした」ならば、軍刀を持っているのが当たり前です。

海軍では、「下士官兵」と「准士官以上」が明確に区別され、例えば艦長が重要事項を艦内に伝達する時は「准士官以上集合」と指令され、准士官以上が艦長から直接指示を受けるものでした。ですので、一水兵として海軍に入った人が長年苦労して兵曹長に昇進し、准士官となる時はそれはそれは嬉しいものだったそうです。何しろ、メシも風呂も部屋も昇進と同時にまったく別なものになりますから。

海軍将兵の冬の制服(第一種軍装)は3種類でした。
(礼服になると若干違いますが)
1.「兵」いわゆるセーラー服
2.「下士官」今の学生服のようなボタンが外に見える服
3.「准士官以上」ホック止めの「海軍士官の服」。
http://www13.plala.or.jp/gunreibu/gunsoubeya.html
に、「准士官以上」の各種の制服のコスプレが写真入で載っています。
なお、大東亜戦争中には、カーキ色で背広型の「第三種軍装」も多く着用されました。上記のホームページでは省かれています。

「兵曹長」は、下士官ではなく「准士官以上」ですので、軍服は士官と同じ、持ち物も士官と同じ、軍鑑の中での「日常の待遇」も士官と同じです。

※ 兵学校などを出た本当の士官と、兵から昇進した准士官、特務士官では実際はいろいろ違うのですが、「外見」と「日常の待遇」は同じになります。

「短剣」や「軍刀」といった、士官だけが持つものを持ち、食事は士官食、トイレは士官専用、軍鑑からの上陸条件も大幅に緩和される、ほぼ自由に手紙を出せるなど、下士官兵より大幅に待遇が良くなります。

帝国海軍の士官
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A3%AB%E5%AE%98#.E5.B8.9D.E5.9B.BD.E6.B5.B7.E8.BB.8D.E3.81.AE.E5.A3.AB.E5.AE.98

「旧海軍の第一種軍装に身をつつんだ曽祖父が写っていました。歳は40くらいでしょうか。階級章は兵曹長でした」ならば、軍刀を持っているのが当たり前です。

海軍では、「下士官兵」と「准士官以上」が明確に区別され、例えば艦長が重要事項を艦内に伝達する時は「准士官以上集合」と指令され、准士官以上が艦長から直接指示を受けるものでした。ですので、一水兵として海軍に入った人が長年苦労して兵曹長に昇進し、准士官となる時はそれはそれは嬉しいものだったそうです。何しろ、メシも風呂も部屋も昇進と...続きを読む


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