「これはヤバかったな」という遅刻エピソード

数年前に亡くなった祖父は陸軍の准尉で終戦を迎えました。生前、補充兵にしては昇進が早いほうだと自慢しておりました。先日、役場から軍歴の資料を取り寄せました。それによると昭和12年9月に欠員補充のため応召、歩兵二等兵からはじまり昭和13年1月一等兵、4月上等兵、そして14年7月に主計伍長、12月主計軍曹、昭和17年3月主計曹長、20年3月主計准尉となっています。
階級が低い時に経理学校(?)へ行ったらどうかと言われてそして歩兵から経理に転科して陸軍航空本部の経理部に異動して幸運だったと言っておりました。原隊はフィリピンにて全滅したそうです。果たして、祖父の昇進は彼の言うように早かったのでしょうか?因みに祖父の学歴は旧制中学卒業です。

A 回答 (7件)

訂正です。


陸軍ですから「経理学校」です。
「主計」は海軍ですね、失礼しました。
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乙種幹部候補生ですね。


従来の現役兵からしか取らない幹部候補生制度が昭和13年に改正され、補充兵も幹部候補生に採用される様になった第一期生でしょう。
乙種幹部候補生は、採用後一等兵に、 2~3ヶ月後上等兵、4ヶ月後伍長になります。
但しお爺様は主計に転科していますので13年4月以降に主計学校に入校したものと思われます。(当然下士官用のコースです)

連隊本部~陸軍航空本部勤務は昇進には有利だった筈です。
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この回答へのお礼

ご返事有難う御座います。祖父は乙種幹部候補生だったのですか。だから昇進が早いわけですね。

お礼日時:2007/09/20 18:41

上等兵までの記録によりますとほぼ一般的ですが恐らく上等兵昇任の際に現役志願ないし幹部候補生養成学校への進学を薦められたのではないでしょうか。


当時下士官は不足しており、旧制中学卒業なら士官学校受験資格があり、下士官養成には好適だったと思います。

それ以後の昇任は極めて早い速度で余程有能であったと思われます。
陸軍では上等兵と伍長の間に1階級あって、伍長勤務上等兵(後の兵長)が存在しました。
これをとばして主計伍長、5ケ月後軍曹というのは異例です。

軍関係の学校に進学しないで准尉となるのは立派なものです。
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この回答へのお礼

有難う御座います。皆様のおかげでなんとなく全貌が判ったような気がします。祖父の存命中にもっと聞いておけばよかったと思います。

お礼日時:2007/09/19 13:27

一般に二等兵→上等兵、伍長→軍曹は自動的に進級できますが、上等兵→伍長、軍曹→曹長、曹長→准尉は選抜ないし評価指定されて進級するものなので、このステップで順調に進級している点で「早い」と言って良いと思います。

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この回答へのお礼

早速のご返事有難う御座います。
そうでしたか早いほうだったのですね。自分でも少し調べたのですが召集されてから4ヶ月で一等兵に、そして上等兵から主計伍長まで3ヶ月というのは早いのではないかと思っていました。その頃はは中国との戦争が激しくなってきたという背景はあるかもしれません。
尚、原隊はフィリピンではなく、インパールで最後を迎えたようです。

お礼日時:2007/09/19 09:26

 お祖父さんは「陸軍経理学校」へ行ったのではないようですね。

もし行っていたのであれば、准尉で終わるということはないはずですから。
 補充兵でそこからずっと勤め上げ、最後はポツダムではなく、本物の准尉ですから、たいしたものだと思います。旧制中学卒業で(当時はインテリの部類)経理の仕事がよくできたのだと思います。
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この回答へのお礼

ご返事有難う御座います。経理学校へ行ったのかどうかは残念ながら今は知るすべがありません。自分は要領がいいほうなので上官に可愛がられ経理をすすめられてその後連隊本部勤務~陸軍航空本部になったので戦争の修羅場は経験していないといっておりました。
軍隊で経理の仕事をしていたおかげで終戦後まもなく、安田銀行(富士銀行)に採用されました。

お礼日時:2007/09/19 09:33

http://www.uraken.net/military/yo_02.html
戦前の陸軍は知りませんが、基本的に准尉というのは、兵から上にあがった場合、上がりである「曹長」の上になります。

陸軍准尉で検索したら

田形 竹尾 という方が陸軍准尉だったようです。
ものすごい戦歴のようですが、兵からのたたき上げなので准尉で終わられているようです。
昭和9年に志願兵となり16年に陸軍准尉。で、昇進はここでストップしているようです。
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戦時中は平時に比べれば全体的に昇進のスピードが速かったのと、旧制中学卒であれば幹部候補生になれたので幹部候補生になったのかどうかでも違いますが、特別に早かったともいえないように思います。


ただ、歩兵と経理と比べれば経理は花形の兵種ではないですが、最前線勤務は少ないし、過酷な勤務もあまりないので幸運といえばそのとおりです。(特に本土の官庁勤務)
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この回答へのお礼

ご回答有難う御座います。祖父は幹部候補生では(多分)なかったと思います。
中国にいたときは自分は経理なので物品の購入とかがメインで戦闘には一度も参加したことがないと言っておりました。

お礼日時:2007/09/19 09:21

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