アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

歴史書を読んでいて不思議に思う事があるのですが、たとえば中大兄皇子 ・・ 読み方としては 「ナカノオオエノオオジ」 と教えられたと思います。

これを試験で 「ナカダイケイオオジ」 と回答したら、間違いなく × だと思います。

でも考えれば、当時は平仮名も片仮名もなかったはず。 当然、録音機で当時の人の声を残す事も不可能。 漢字しかなかったはずです。

とすれば、現代の学者たちは一体どうやって 「ナカノオオエノオオジ」 と読む事を確認できたのでしょうか?

他にもたくさんあります。 聖武天皇、ショウムテンノウが正解ですが、セイムテンノウは ×。

蘇我入鹿、ソガノイルカが正解ですが、ソガイルシカとかソガニュウカとかやれば ×。

それとか、ナントカナントカのスメラビのミコト ・・ 本当に当時の人はこのように読んでいたのでしょうか?

一体、誰がどうやって古代人の名前の読み方を確認したのでしょうか?

もし鎌倉や江戸時代など数百年後の学者たちが古文書などに片仮名などで読みを振っていたとすれば、では彼らはどうやって?

もし彼らが間違っていたとすれば、現代の歴史の教科書も嘘を教えている事になりますか? ちょっと気になるところです。

A 回答 (9件)

皆様のような、言語学に言及するような回答ではない、全くの私見ですが、ご質問にあることを追求していくと、なぜ我々現代人は「あ」を「あ」と読むのか、発音するのか、という疑問にもなってゆくかと思われます。

中大兄皇子という文字列を見てなぜ「ナカダイケイオオジ」ではないのかという、その「ナカダイケイオオジ」とも読めるということさえ、そうしてそうとも読めるのかということになりますね。

おそらくそれは、長くに渡り、この字をこう読むと、教えられ伝えられてきたからだと思われます。人名などの特殊な字も、無論、そのように伝えられてきたことと思います。
1000年以上も昔の書物の文を、現在の人がいきなり読んで、ゴロの良さそうな読み方を選んだというわけではないのでしょうから、やはり、それなりのもととなる何かは、あったものと思います。
中には、時代の中で勘違いがあったり、読まれ方が違ってきたり、後に読み方がわからなくなってしまったものもあるかと思いますが、そういうものは、研究・整理される際に、「この人物はこう読む」と淘汰されたり、修正されたりしているということではないでしょうか。

また、更に言語の根本を考えるなら、言語が生まれて文字が生まれるのですから、「ナカノオウエノオウジ」という人物が、なぜ中大兄皇子と記されたのかという風にも考えられます。読み方だけ伝わっていたものに後から適当な文字を付加したケースも全く無いとは言い切れないものと思われます。

大変観念的なコメントで、申し訳ありません。私も近い事を疑問に思っていた時期がありましたが、歴史や文学について勉強していくうちに、全く別物のように感じられる過去・現在・未来は、連綿と続いているということを実感するに至りました。話し方などは、現在でも刻々と変わっているように、確かに違っているのではないかと思いますが、読み方・発音については、昔と全く同じというわけにもいかないとは思いますが、全く別物であるということも無いのではないかと、私自身は思っていますよ。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

有難うございました。
話し言葉は時代とともに大きく変化するが、名前の読み方自体が全く別物になるという事は多分ないという事ですね。
とても参考になるご意見、感謝します。

お礼日時:2007/10/16 15:49

 NO.3.5です。


 万葉集に載っているものだけが、万葉仮名ではありません。漢字(略字も含む)が、後世発明された仮名と同じような使われ方をしている場合は、それらはみな万葉仮名です。
 名前の読み方は何時の時代でも常識通りにはいきません。
 NO.5にも書きましたが、古事記記載の「於姓日下謂玖沙訶」について、姓の日下は玖沙訶でクサカと読みます。太安万侶大先生も、何でクサカと読むのかわからんそうです。
 なお、「於姓日下謂玖沙訶」に続けて「於名帶字謂多羅斯」と書いていますが、これは『名』は「帶」で「多羅斯=タラス」と読みます。
 長い帯を端の方を余して結びますと、端が垂れますので「タラス」なんでしょうか。判じ物みたいですね。
 要するに記紀の時代から、名前の読み方については勝手な読み方をしているからわかりにくいというのが、常識になっています。
 ですから、名前の読み方についてはフリガナ、フリ万葉仮名で書かれたもの以外で、そのときの常識で読んだものには間違っている可能性があるということです。
 しかし、古代のものについては、もう新史料が出てくる可能性が少ないでしょうから、このまま行くんでしょうねえ。
 なお、中国は漢字だけの国ですから、漢字の読み方の表記には困ってしまうだろうと思いますが、「反切」という方法で漢字を使って漢字の読み方を表しています。 
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%8D%E5%88%87
    • good
    • 0
この回答へのお礼

有難うございました。
考えれば、中国の方がもっと発音や読み方に苦労が多いでしょうね。 日本と違って数千年前の文字が残されているわけですから、何とか意味は理解できたとしても、果たして何と発音していたのかですね。 特に人名や地名が問題になるでしょうね。 中国語もおそらく時代によって発音が大きく変化しているでしょうから。
ご紹介のサイト、素人には難しい内容でしたが、これも研究の成果なんでしょうね。

お礼日時:2007/10/16 15:45

こんにちは。


もう既に皆さん仰っていることですが、万葉仮名に頼らなくとも慣習・慣例的なことからある程度読みを限定することは可能です。
例えば諱系の名前は漢字がなかった古代からある訳ですから、基本的にそれを「音読み」することはありませんし、そういう伝統が守られてきましたから過去のものもそうであろうということが出来る訳です。
「蘇我入鹿」の「入鹿」を音読みで「ニュウロク」と読むなどということはそういう伝統からも大きく逸脱しますから、まず有り得ないだろうことがわかるのです(勿論どの訓読みで読まれていたかということについては仰る通りよくわからないことが多い訳ですが)。
まして「ニュウカ」となると今度は音訓が混ぜてあるので余計に可能性は低くなります。
それに「聖武天皇」の「聖武」のような「漢風諡号」などは「漢音」が遣唐使などによってもたらされる以前からあったものなので、伝統的に「呉音」で読むというような原則があります。
「聖武」を漢音で「セイブ」とは読みませんし、「仁明」を「じんめい」とも読みません。
これは仏教用語に漢音を用いないのと似ていますが、伝統的にそうである為類推出来る訳です。
「聖」が入った諡号は聖武天皇だけで、これには恐らく聖徳太子と同じように仏教的に多大な影響があったという意味合いが暗に込められていると思われますから尚のことでしょう。
それと「振り仮名」というものは確かに「仮名」自体が存在しない時点ではつけようもないと思われがちですが、実際には誰でも最初から漢字だらけのものが読める訳では当然ありませんので、私達が学生時分に英単語の横や上にちょこちょこと発音や意味を記入のと同じように、まだ「勉強中」の人々が「メモ」したものが残っているようなことはあるのです。
勿論漢字しかありませんから「振り仮名」というより「振り漢字」(?)ですが、万葉仮名のように自分がわかり易い字をお経なり何なりの隙間にちょこちょことメモする訳ですね。
当然基本は憶えなければならないものですから、全部についてそのようなことがされているようなことはありませんが、読みが難しいようなものだとそうして「振って」あるものが残されていたりします。
行間は狭いですし自分がわかれば良いのですからそこに書かれる漢字は大分略されたものになってしいます。
例えば「ア」の音を「阿」であらわす際、左の「こざとへん」だけを書いたりします。
そうした略漢字から「仮名」が生まれた訳です。
実際こざとへんを更に簡単に略したものはカタカナの「ア」に良く似ています(同様に「イ」なら「伊」のにんべん部分という具合です)。
ですからそういった昔の人々の「勉強の成果」(?)から「これは当時こう読まれていたのか」ということがわかったりすることもあるという訳です。
まあ、歴史というものはどこまでいっても「仮説」の域を出ない訳ですから、その中の「定説」とされているものを学んでいるに過ぎないのは確かです。
「説」に過ぎない以上いつ覆ってもおかしくはない訳ですが、昔の人々は私達が考えるよりもずっと慣習や伝統というものを重く捉えていましたから、そうしたことからの類推も含めて可能性の低いものを削っていったものを教わっている訳なので、決してちょっとつついたら崩れてしまうような弱弱しい根拠のもとに成り立っている訳でもないのです(確かに中にはあやしいものもなくはないのですが)。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

とても詳しく教えて頂いて、有難うございました。
当時漢字を学んでいた人が残したメモのようなもので、ある程度類推できるんですね。 やはり専門に研究されている学者さんは凄いですね。
でも本当に古代の人の日本語、聞いてみたいですね。
どこまで聞き取れるか、とても興味があります。

お礼日時:2007/10/16 15:40

質問者様の疑問はよい所を突いていると思います。

もし高校生あたりでしたら、将来は国史学科に進んで自らその疑問を解き明かすのも良いでしょう。是非検討してください。

さて、ナカノオオエノオウジとかショウムテンノウの訓み方は、基本的には「昔からそのように読んでいるから」ということで、こう読まれているものです。

有職故実という概念があります。これは、昔からの習慣や事実を、平安時代から書物や口伝で伝えていることを指しますが、「歴史上の人物の名前の訓み」もその一部です。最も古くは万葉仮名で、カナが発明されてからはカナによって、さらには先生から弟子へ口頭で、訓み方が現在に伝わっているわけです。

質問者様が例に挙げたナカノオオエノオウジについては、「こう訓むのが理屈に適っている」というのもあります。「ナカダイケイオウジ」では何のことやら分かりません。

また、歴史上の人物の訓み方が、研究によって変更されることもあります。こういうのは法律で決まっているわけでも決める公的機関があるわけでもなく、「多くの学者が賛同する説がA説からB説に変わる」ということですが。「今までは慣例で**と訓んでいたが、@@と訓むべきと示す確実な史料が発見されたので定説が変わる」というパターンが多いです。

有名な例では、南北朝時代に活躍した「護良親王」。
ごく最近まで「モリナガシンノウ」の訓みが普通でしたが、現在は「モリヨシシンノウ」の訓みが主流になっています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%8C%E9%86%8D% …

出羽の戦国大名「最上義光」も、以前は文字通りに「ヨシミツ」と訓まれていましたが、「ヨシアキ」とカナで名前を記した史料が発見され、現在では「モガミヨシアキ」で統一されています。

逆に、100年ほど前の先祖の名前(普通は使われない字)の訓みが不明、ということが私の家で起こっています。墓石に刻まれて後世に伝わるのは漢字だけですから、意識して訓みをカナで伝えないとこうなってしまうわけです。

現在、日本では「漢字とかけ離れた訓みの名前」を新生児につけるのが流行っていますが、その子供たちが年老いて死に、直接知っていた(名前の訓みを知っていた)人が死に絶えてしまった頃、今から150年後くらいには、日本中で「先祖のこの人の名前は何て訓むの?」という事例が続出しそうです。
    • good
    • 2
この回答へのお礼

有難うございました。
なるほど、歴史上の人物の名前も変わる可能性があるようですね。 この辺は史料の研究が進めば進むほど多くなるんでしょうね。
それと今の子供たちの名前も 「こんな読み方は無いだろう」 と感じるような名前を持った子供が増えているように思います。
戸籍には漢字しか記載されないようなので、どんな読み方でもOKとか聞いた事があります。
おっしゃるように、将来 「この名前、何て読むの?」 と言われるかも知れませんね。 あまり極端な名前は逆に子供が可哀想になりますね。 

お礼日時:2007/10/16 15:01

 ANo.3です。


 古事記に次のような記述があります。
 「於姓日下謂玖沙訶」
 これは「日下」の読み方は「玖沙訶」である、ということです。「玖沙訶」は万葉仮名の表記ですから「クサカ」と読むんでしょうね。
 日下(クサカ)さんという姓の人は、今でも大勢いらっしゃいます。

>古代日本人の発音は、おそらく聞いても平仮名や片仮名で表すのは困難でしょうね。 
・・・琉球地方の方言に、古代の言葉の端くれが残っているということを聞きました。ローマ字で表記した方が正確で、言語学者もそのようにしているようです。

>もしかすると同一人物でも全然違う読み方だったというような発見があるかも知れませんね。
・・・「太政大臣」の読み方について、以前は「ダジョウ」一本だったのが、最近になって、昔の律令制に基づくものは「ダイジョウ」、明治のヤツは「ダジョウ」と読むと決まったらしいです。
 江戸末期にも律令制に基づく太政大臣は存在しており、三条実美になって急に「ダジョウ」と読み方を変えたという証拠が出てきたんでしょうか。同じ「太政大臣」で読み方が二通りになってしまい、なんだかヘンな感じがしています。
 人名にいたっては、本当のところは当人に聞いてみないとわかりません(当人だって「呼びやすいように適当に呼んでくれ」と、いい加減なところがあります(笑))。
 明治の歴史上の人物でもチョコチョコ読み方が変わります↓。
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa2906350.html
 古代の人の読み方については、歴史的資料が絶対的に少なく、その乏しい資料に基づいた現在の読み方が正しいものとして固定化しているように思います。ですから新史料が出てこない限り変わることがないような気がしますが、初めから違っているのではないかという疑いは残りますね。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

再度のお答え、有難うございました。
今は太政大臣に二通りの読み方があるんですねえ。 昔、学校で習った時はダジョウダイジンと読むように教えられたように思います。
それと古代人の読み方は新史料が発見されない限り今後変わる事はなさそうですね。 もう出尽くしているように思うので、このままいきそうですね。

お礼日時:2007/10/16 14:50

当時の人がほんとうはどう読んでいたか、興味がありますね。

ただ、基本的には今まで伝わっている読み方でいいような気がします。漢字には純粋の日本語の読みである訓読みと当時の中国音をまねた音読みがあり、その音読みには仏典を中心として伝わった呉音読みとすこし後に漢籍を中心に伝わった漢音読みがあります。そして、まあ、少数の例外を除けば、それぞれはお互い独立していて、その読みが混ぜられることはまれであったと言えるでしょう。和語は訓読み、漢語は音読みが原則です。「聖徳太子」とかは後で僧侶たちがが太子のことを尊んで漢語で奉った名前で、太子が生きていたときそう呼ばれていたわけではありません。僧侶たちが普段使っていた読みは当然呉音で、漢語である聖徳太子は当然呉音で「しょうとくたいし」と呼ばれるべきものでしょう。飛鳥時代の生きていた人々はみな和語で名前がつけられたはずです。ですから、入鹿を音読みで「にゅうか」と呼ぶことはまずなかったでしょうね。「中大兄」が漢語であれば「なかだいけい」と呼ばれたはずですが、「中大兄」という漢語は存在せず、れっきとした和語である以上、和語として「なかのおおえ」と読むのが自然なのでしょう。「皇子」の方は「こうし」とも「みこ」とも読めるので、中大兄皇子を「なかのおおえのみこ」と読むことはまったく差し支えないように思われます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%A4%A7% …
日本人の名前は最初は和語で呼ばれたはずです。仏教の僧侶などは戒名がつけられ、呉音で読まれますが、別に生まれたときからそう呼ばれていたわけではありません。たとえば、空海が僧侶になる前から「くうかい」と呼ばれていたということはありえません。ちゃんと和語の名前があったわけです。
 万葉集もちょっとのぞいてみたのですが、「富士」のような地名は歌にも歌われていて、これが「ふじ」と読まれたことは自明なのですが、人名で本文だけから確定できるものはあまりないようです。人名はやはり古注を参考に読んでいるのでしょうね。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

詳しい解説、有難うございました。
漢字の音読みにも、呉音読みと漢音読みがあるんですねえ。 初めて知りました。
それと、中大兄は次の皇太子という意味だったんですね。
色々と勉強になりました。

お礼日時:2007/10/16 12:59

 名前に限らず、漢字で書かれていたものの読み方がどうであったか、仮名で書かれていたものの発音が実際はどうであったのか・・・これは大変難しい問題です。


 日葡辞書というものがあります。日本語をポルトガル語で解説した辞典です。1600年代の初め頃に発行されましたので、ここに書かれているものに限定すれば、どんな読み方をしていたのかは、100%近くわかります。下のURLはローマ字で書かれたイソップ物語です。切支丹時代の口語の日本語がよくわかります。http://www.geocities.co.jp/bookend/9563/Esopo/es …
 しかし、これらは切支丹時代のもので、古代のものではありません。
 古代のものの漢字表記の発音がどうであったのかは、万葉仮名の研究によるところが大きいと思います。
 万葉仮名は万葉集だけではありません。古事記は万葉仮名で書かれており、日本書紀は漢文ですが万葉仮名の部分もあります。万葉仮名といっても単純ではありません。例えば「あ」でも下のURLでは7字あります。実際はもっと沢山の当て字が使われた可能性はあります。
http://fubako.s150.xrea.com/kanajiten.html
 まあ、古代のものの読み方は、万葉仮名の読み方の研究の積み上げでしょうね。各時代の学者が研究し、積みあがったものが現在の読み方になっていると思います。訓、呉音、漢音・・・その他いろいろな読み方を試して、「まあ、こんなもんだろう」というのが現在の姿だと思います。 
 日本書紀と古事記で、同一人物の名前に当てた字が違うことがあるらしく、大学者本居宣長も間違えていることがある、という話があるそうです。
 結局、「まあ、こんなもんだろう」というところです。人名も含め、歴史的な用語にフリガナをつけるテストには感心しませんが(最近になっても読み方が変わった例はあります)、テストに出されたら教わったとおり書くのがカシコイでしょう(苦笑)。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

有難うございました。
ご紹介頂いたサイトを見たのですが、切支丹時代の日本語でも今とは随分発音が違うような印象を受けました。
ましてや古代日本人の発音は、おそらく聞いても平仮名や片仮名で表すのは困難でしょうね。 母音そのものが違うように思います。
仕方ないので色々な観点から「ま、こんなもんだろう」というのが教育の現状なんでしょうね。
遠い将来、たとえば「聖徳太子→セイトクオオジ」とか、もしかすると同一人物でも全然違う読み方だったというような発見があるかも知れませんね。

お礼日時:2007/10/12 10:41

現在まで連続した表記法を持っている文化は意外に少ないのではないかと思っていますが、日本はそのなかでも特殊なのではないかと思っています。

当時使えた文字が漢字であったことが最大の問題だったと思います。正確な読みかたは大切なものですがむしろそういう人物がいたということのほうがはるかに大切だと思います。そもそも発音自体が時代によって変わってきますから同じ表音文字を使ったからと言ってそれが正しいと言うのも限界があると思います。英語などではアルファベットを表音記号として発音したら絶対に通じないことからも分かります。ずれましたが歴史の専門家でない立場としてはそういう人物が何をしたかというようなことのほうが本質と考えたほうが良いのかもしれません。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

有難うございました。
たしかに読み方よりも、その人物が歴史上何をしたか理解する方が先ですね。
でも質問文にあるような中大兄皇子とか聖武天皇など、今我々が正しいと思って発音する読み方を一体誰がどのように決定したか、とても気になります。

お礼日時:2007/10/12 10:23

万葉仮名 を調べてください



自分の知識で他を判断しないように

質問者の知識が現実に届いていないだけのことです(ただし、確定しているわけではありません、既存の常識を打破するような論理を展開できれば常識が変わる可能性もあります)
    • good
    • 0
この回答へのお礼

有難うございました。
Wikipedia で万葉仮名を調べてみたのですが、飛鳥時代以前の人名をどうやって確かめたのか解説はなかったです。
質問は中大兄皇子などの人名の読み方をどうやって後世の学者たちが判断したのか、なんですが ・・ 別に自分の知識で他を判断しているわけではありません。 それほどの知識があれば、このカテで質問するわけがありません。

お礼日時:2007/10/12 09:34

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!