江戸時代以前には和歌に読まれた蝶も
蝶を描いた絵画もなかったという話を聞きました。
鳴く虫は王朝の昔から文学に出てきますが、
同じ虫でも蝶が取り上げられなかったとは不思議です。
その理由を教えてください。

よろしくお願いします。

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A 回答 (5件)

こんにちは。


蝶は正倉院御物の「金銀絵箱」「紺地花弁蝶紋錦」や法隆寺所蔵の屏風裏模様にも描かれており、決して古の人々が避けていたというようなことはありません。
平安時代以降にも蝶の文様はますます広がり、衣服・調度・甲冑などに用いられました。
これらは「年中行事絵巻」「平治物語」「紫式部日記」「北野天満宮縁起」などの絵巻物によって確認出来ますし、「源平盛衰記」などの記述にも見られます。
蝶紋は治承年間に平維盛が車紋として用いていたとされる記述が今のところ最古のものであるようですが、「大要抄」に「蝶丸は六波羅党」とあるように次第に平家の専用紋のような扱いを受けるようになっていったようです。
この「蝶紋=平家」という図式が影響して「蝶」が不吉なイメージを持たれるようになり、一時期あまり使用されなくなったということはもしかしたらあるのかもしれません。
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和歌の題材というのはきわめて限定されていたというのが実情ではないでしょうか? 「サラダ記念日」とか、今ならどんなものでも歌にすることができますが、昔はすでによく歌われたものしか歌わなかったように思えます。

花なんかでも歌われない花はたくさんあります。時代によっても違います。アジサイやツバキは万葉集では歌われていますが、平安時代になるとほとんど歌われなくなります。花についての傾向なら次のサイトが詳しいです。
http://www.geocities.co.jp/AnimalPark-Shiro/5314 …
虫も蝶に限らず一般に、美しく鳴く虫以外は取り上げられることは少ないと思います。「むしめづる姫君」とかいう作品がありますが、あれはチョー例外的な作品だと思います。
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家紋には古くから用いられていませんか?

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源氏物語には胡蝶の巻があり以下の歌があります。



花園の胡蝶をさへや下草に
  秋待つ虫はうとく見るらむ

源氏物語には他の場面にも登場します。宇津保物語にも登場しています。まんざら取り上げられなかったわけではないようです。
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「かはびらこ」とか「ひひる」とかいうのが古語ですけど、丸谷才一氏



http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%B8%E8%B0%B7% …

によれば「チョウは亡魂で、不吉とされたから」ということで、不吉ゆえに使われないということでは。
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Qこれはアゲハ蝶の幼虫でしょうか?

ミカンの木で見つけました。
体長まだ1~2センチ程で小さい幼虫です。
葉を食べているようです。

もう一点質問です。
アゲハ蝶の幼虫は、蛾に寄生されていて、蝶の幼虫がサナギになってから蛾がサナギの中から出てきて死んでしまう事があります。
今の1~2センチでも、もう蛾に寄生されていることもありますか?

Aベストアンサー

 
アゲハですね
たぶん、クロアゲハ
この時期にその大きさなら年内にサナギになって越冬し来春蝶になるでしょう。

我が家では毎年十数匹のアゲハが孵りますが寄生されたのを見たことはありません、それより鳥に食べられる幼虫は沢山います
 

Q江戸時代以前の江戸

江戸時代以前の江戸とはどのような所だったのでしょうか?

歴史に殆ど登場しないので、太田道灌が江戸城を築城したことくらいしか知りません。

徳川家康は当時無名だった江戸をなぜ選んだのでしょうか?

Aベストアンサー

 もともと江戸は、寂しい漁村に過ぎず、江戸という地名も「入江の門戸」の村を意味していました。

 鎌倉時代に江戸氏がこの地と関わりを持ちましたが、とくに長禄元年(1457)に上杉氏の家宰太田道灌が江戸城を築いてから城下町が出来ました。

 その江戸城は、戦国時代には小田原の北条氏の一支城となり、遠山氏が上代を務めて支配していました。

 家康が天正18年(1590)に江戸に入府した頃は、「町屋なども、かや葺きの家百ばかりもあるかなし」で、「城も形ばかりに、城のようにこれもなく」というありさまだったということです。 

 なお、徳川家康が江戸を選んだのではなく、豊臣秀吉から領地替えを命じられ、苦渋の思いをしながら江戸に入府したのです。

Qこの幼虫は蝶?蛾?

 なすびの葉っぱの裏に蝶の幼虫の大きいのがいます
長さが15センチ男性の親指ぐらいの太さです
特徴はしっぽに角が一本あります
それ以外は蝶の幼虫と変わらないと思います
あまりに大きいので 子供が幼稚園にもって行きみんなで飼っています 
でも・・・どうも蛾のような気がして。。
誰か教えてください また 見分けれるサイトとかあれば教えてください

Aベストアンサー

>長さが15センチ男性の親指ぐらいの太さです
>特徴はしっぽに角が一本あります
これらの特徴はからスズメガの仲間の幼虫だろうと思います。オオスカシバでないことは確かですが。

いろいろ種類がいますので、このサイトで見分けられるといいですね。
http://etopirik.hp.infoseek.co.jp/suzumekamiwake1.html

参考URL:http://etopirik.hp.infoseek.co.jp/suzumekamiwake1.html

Q元号は現在、天皇陛下が代わられると元号を変える事ですが、江戸時代やそれ以前の時代では、どのタイミング

元号は現在、天皇陛下が代わられると元号を変える事ですが、江戸時代やそれ以前の時代では、どのタイミングで変わっていたのでしょうかか?

Aベストアンサー

今のように、天皇の代替わりのときにだけ元号を変える制度になったのは、明治からです。その結果、天皇と年号が1対1に対応するようになりました(ということと関係があると思いますが、明治以降の天皇は、明治天皇のように年号で呼ばれています)。
それ以前は、めでたい事があった、天変地異、疫病がはやったとか、いろいろの理由で年号を変えていました。

Q肉食の蝶や蛾の幼虫

普通、蝶や蛾の幼虫は葉っぱなど植物性の物がえさだと思うんですが、肉食の物もいるって聞きました。
本当にそんな幼虫がいるんでしょうか?ご存知の方いらっしゃいましたらよろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

シジミチョウ科の蝶でいるようです。

参考URL:http://home.intercity.or.jp/users/SAKA/topic/topic21.html

Q【江戸時代の話】「江戸っ子は宵越しの銭は持たない」は「江戸は火事が多かったから」、「銀行が無かったか

【江戸時代の話】「江戸っ子は宵越しの銭は持たない」は「江戸は火事が多かったから」、「銀行が無かったから」、「そもそも江戸っ子は貧乏だった」という3大理由がインターネット上に挙げられていますが多分間違っていますよね?

江戸時代、江戸は火事が多かったので頼母子講(たのもしこう)という相互会があった。

少額を毎月12人から集めて12人分を1人に渡す。これを1年間繰り返して12人が1年のうち1ヶ月だけ大金を得ることが出来る銀行のような仕組みがあった。

この事実で仮説1の火事が多かったから宵越しの銭は持たなかったとうう説は間違いとわかる。

大金が回ってくる仕組みを火事が多いので大金を持たなかったという江戸っ子の説は矛盾に気付く。

2つ目の仮説。銀行はなかった。けれども頼母子講という少額を積み立てて大金を引き出す銀行みたいな仕組みがあったのでこれも嘘の仮説だと分かる。

最後の仮説の江戸っ子は貧乏だったという説。

江戸時代に流通していた通貨は金貨、銀貨、銭貨の3種類。

銭貨の価値は現在の価値で50円程度。

江戸時代の江戸っ子の日当が50円程度だった?

金貨の価値が20万円程度だった。

江戸時代の大工に月収は2万円。2万円/30日で日当で666円。

1日銭貨を13枚。

当時の大工は高給取りだったとすると一般庶民のブルーワーカーは大工がホワイトカラー職で現代の月収50万円職に値すると一般庶民のブルーワーカーの月収は25万円として6枚。

で、1日6枚で飯が3食で銭貨3枚が余る。で、相互会に毎日銭貨3枚を預けると月で99枚。1枚50円で5000円。

金貨が20万円なので月5000円で12人で相互会を組んでいるので年1回月収が6万円のときがある。

年1回大金を掴んでも6万円なら江戸っ子は20万円の価値がある金貨を一生見ることがなかったのかも知れない。

ということは、江戸っ子は宵越しの銭は持たないの話には続きがあって、(けど江戸っ子は銭貨を大金の銀貨に変えて貯金していた)。要するに1番価値がない銭貨を持たないで銀行(相互会)に預けて大金にするという仕組みが江戸にはあったので当時の人は江戸の仕組みを珍しく思い、「江戸には銀行という仕組みがある」ということを「江戸っ子は宵越しの銭は持たない」と表現したのが真相ですかね。

【江戸時代の話】「江戸っ子は宵越しの銭は持たない」は「江戸は火事が多かったから」、「銀行が無かったから」、「そもそも江戸っ子は貧乏だった」という3大理由がインターネット上に挙げられていますが多分間違っていますよね?

江戸時代、江戸は火事が多かったので頼母子講(たのもしこう)という相互会があった。

少額を毎月12人から集めて12人分を1人に渡す。これを1年間繰り返して12人が1年のうち1ヶ月だけ大金を得ることが出来る銀行のような仕組みがあった。

この事実で仮説1の火事が多かったから宵越し...続きを読む

Aベストアンサー

すごいですねえ。
いろいろ計算して、ここまで考えると、おもしろいですね。

私は、ただ、単に、
物に執着して、がつがつ貯めこむのは粋じゃない。
きっぷ(気風)がいいことが美徳、という考えが江戸では一般的だったから、
(本当にもらったら、もらっただけ使ってしまう人ばかりでなくても)
そういう気質だと、おもしろがって、または、自慢気に、言っていたのではないかと思いました。
開き直ったスローガンみたいな(笑)。
で、そういう風潮ができたのは、
やはり、長屋に住んでいるような、大部分の人が、
ぎりぎりの生活で、贅沢はできない状況だったからでしょう。

ところで、たのもし講、私が小さい頃、母がやっていましたよ。近所のおばちゃんたちと。
なつかしい言葉です。

Q蝶や蛾の幼虫写真から名前等を知りたい

何れも7~8センチ位の 綺麗な青虫と黒虫を見つけ写真に撮ってみました。
当初は何れもアゲハ蝶類の幼虫と思っていたのですが、あとでネットで調べて見たところ どうも違うようで… ますます正体を知りたい思うようになりました。
写真などを貼り付けられて 何の幼虫か知ることの出来るサイト等をご存知でしたら教えてください。

Aベストアンサー

「幼虫 図鑑」で検索すると、いくつかのサイトが見つかりましたが、
http://www.google.co.jp/search?num=50&hl=ja&inlang=ja&safe=off&ie=Shift_JIS&oe=Shift_JIS&q=%97c%92%8E%90%7D%8A%D3&lr=lang_ja

一番トップの下記サイトが、画像による検索や画像掲示板での質問もできますので、良いのではないでしょうか。

幼虫図鑑
http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/youtyuu/index.html

Q江戸時代以前の家族関係

江戸時代以前のことについて詳しい方回答をお願いします。

http://ameblo.jp/4tokeir/entry-11814043013.html
http://ameblo.jp/4tokeir/entry-11814896890.html
http://ameblo.jp/4tokeir/entry-11815710846.html
http://app.m-cocolog.jp/t/typecast/416/657/74542203
上記のURLなどを見ると、江戸時代より前は家族というものはなく(家族制度があったのは武士の家系など)、現在の家族の形ができたのは江戸時代か明治以降だと書いてありました。
実際はどうだったのでしょうか?

Aベストアンサー

http://www.econavi.org/weblogue/special/27.html
http://www.econavi.org/weblogue/special/image/rikon_l.gif

明治31年に民法が施行されます
だもんで、明治30年と明治32年では、離婚率が大幅に変化している。
実際の家族の姿が変わったわけではなく法律が変わったのでそれに合わせた。


家族とは家産の継承です。

http://www.amazon.co.jp/%E6%9C%8D%E8%97%A4-%E6%97%A9%E8%8B%97/e/B001JOSN96/ref=dp_byline_cont_book_1

服藤 早苗さんの著書に詳しい。
貴族においては、家産とか家業というのが平安時代の後半に生まれます。

夫婦で家産なり家業を子供に継承させるために頑張っている夫婦。

Q蝶の幼虫って??

小学校低学年で習った記憶がある蝶の一生。

卵から孵って幼虫期を過ごし蛹になって羽化してチョウチョに!といったものだったと思います。
私の記憶では、何チョウかは定かではないのですが、卵から孵るとまずちっちゃい毛虫で、脱皮してイモムシ(青虫とも言う?)になり、その後脱皮を繰り返し緑色の角のある大きなイモムシになって、最後は蛹になって羽化して・・・という一生だったような気がするんです。

それが、イモムシは生まれた時からイモムシで、毛虫は毛虫のまま蛹になる、と今日職場の上司に言われてしまいました。

そう言われれば、そんな気もしますし・・・
ネットで調べてみたのですが、幼虫の画像は極めて少なく(成虫は多いのですが)毛が生えているかどうか確認できる画像も確認できませんでした。

毛虫→青虫(イモムシ)→蛹→チョウ
って蝶がいるってご存知の方や、そんな蝶はいないってことをご存知の方おられませんか?

なんだか、スッキリしないもので・・・
20年以上の私の記憶違いを白黒付けたいのです。

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

アゲハがそうですよ。

卵→小さな毛虫→鳥の糞柄の芋虫→青虫→略
突付くとくさい角を出します。
大きな緑の角、という辺り、スズメ蛾の幼虫あたりと混同があるのでしょうか。
緑のフライドポテトに一本角が生えていたらスズメ蛾です。

Q江戸時代以前の肉食について

一般には明治になって文明開化する以前の日本人は魚は食べても、それ以外の肉類は口にしていなかったというイメージがあります。
しかし鬼平犯科帳とか時代劇見てると、江戸時代は軍鶏鍋とか猪鍋とか店が営業していて、堂々と食べているようです。
いったい江戸時代、またそれ以前の日本での肉食の実態、また肉を食べることへの禁忌意識はどうなっていたのでしょうか?

Aベストアンサー

文献によりと、現在以上の種類の肉を食べていたようです。

クジラ、イルカから、ウサギ、
シカ(もみじ肉)
ウマ(サクラ肉)
などなど。

将軍が病気だと言うので加賀藩より牛肉の味噌漬けが送られたそうです。

江戸時代、食事処では、どんぶりで無く、お茶碗で出ます。
脚気と結核は日本の風土病とされていました。

これはビタミン不足と栄養不足が原因です。

問題は、
庶民の手にはあまり入らなかった。高価であった。
江戸前で魚が多く食されていた。
食事量が根本的に少なかった。

こう言う理由なのではないでしょうか?

戦前までは卵は高級品で、病気の時以外は食べられなかった。
これ程貧しい状態であったようです。

実際、食えぬ、払えぬを、
仏教では食ってはいけない。これを守る。拙者は御免。
だったのではないでしょうか?


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