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ロシア(ソ連)が不凍港が欲しく、
満州や朝鮮への進出を狙っており、
それによって、防衛のために日本側が、
日清戦争や日露戦争に発展したと聞いたことがあります。

だとするなら、なぜ、
太平洋戦争末期に、満州に突如攻めてきたソ連軍は、
その後撤退し、中国に満州を譲ったのでしょうか。
中国もその時は疲弊していたはずですし、
そのまま居座れば満州がソ連領土になった可能性も
あると思うのですが。

最近の政治とか見ていても、ロシア人はズルイというか、
そういう印象があるのですが、(北方領土とかもあるし)
簡単に?撤退したのはなぜだか教えて下さい。

A 回答 (3件)

1946年3月から撤収開始


1946年4月19日共産党長春占領
1946年5月1日 国民党政府、南京に遷都
1946年5月3日撤収完了
同日    東京裁判開廷
1946年6月15日 満州における国共停戦条約
といいながら、以降国共内戦激化

建前としては、中国に満州を返還(同時期に、フランスやオランダなどが、旧植民地から撤退するという歴史の流れ)しつつ、東欧の親ソ連政権の樹立が続いている状況を踏まえて、旧満州を中国共産党に引き渡し、中国共産党の基盤を確立させ、中国全土を友好国化するという大戦略でしょう。
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この回答へのお礼

共産党中国が成立する前に撤収していたのですね。
年表を見るとよく分かります。
当時は蜜月だった共産党の力になる意味が一番大きかったのでしょう。
戦勝国として、他の領土も取れるから、、とも踏んでいたんでしょうね。

日本が築いた満州という豊かな工業地域があったから、
文革でも中国は乗り切れた、と聞いたことがあります。
今は東北よりも長江デルタや広東にシフトしていますが。

共産党中国が出来たのは、日本・満州のおかげですね。。
日中戦争で国民党が弱り、豊かな満州をそのままゲット出来たのですから。

お礼日時:2007/11/13 10:01

中国共産党を勝たせるためです。


満州には日本軍の武器弾薬が大量にあり、日本軍を武装解除したソ連によって、中国共産党軍の主力に渡されました。この上、満州に留まって共産党を支援したら、中国への内政干渉とアメリカから糾弾され、大義名分を得たアメリカ軍が、対抗措置として直接介入する危険もありました。

なお、極東方面には不凍港としてウラジオストックがすでにあるので、満州や朝鮮への進出は、港が主目的だったとは考えられません。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
背景が分かりました。

お礼日時:2007/11/13 10:02

当時の満州は本来中国の領土でしたから同じ連合国の中国の領土を占領併合する事は国際的に無理がありました。


日本はすでに降伏する意志を当時のソ連を通じて連合国に通告して、その仲介をソ連に依頼していました。 (日ソ中立条約が存在してソ連は中立国と信じていました。)

実際はポツダム会談で連合国から参戦を要請されていたソ連は日本占領に参加する事の方が魅力的でしたから独ソ戦で疲弊していたにもかかわらず参戦の準備をしていました。
北街道などの不凍港が入手出来るとかんがえたのです。

冷戦が既に始まり、米国が強硬に日本占領にソ連の参加を反対したので
北海道の変わりに千島列島を占領し、念願の不凍港を手にいれたのです。 従って北方4島の返還には賛成し難い事情があります。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2007/11/13 09:57

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