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年中の息子は言葉が遅く初語が2歳でペラペラになったのが3歳半ぐらいでした。
同時に下の子が生まれ赤ちゃん返りが激しく情緒不安定になりました。
その頃、運動会で一人輪から外れ踊れなかったのと園での生活で昼寝をしない・切り替えが難しい・一人遊びが基本・こだわりがあるなどが理由で担任に発達相談を勧められ園で面談しました。
言葉が遅かった事もありずっと心配してた私は個人的に市の発達相談を定期的に受け心理・言葉の先生にみてもらってたのですがそこでは指摘されず最終的には心配なしとなり終了になってました。
しかし園での面談で担任の話のみ15分ほどの面接で来ていた発達相談先生が「発達障害」と言ったのです。
病院でテストを受けましたが診断は何も言われませんでした。
ゆういつチェックされてたのは「ひつじの部屋に行くよ」と言われ息子は部屋に入り「ひつじはどこにいるの?」と聞いたそうです。
「羊のマークの部屋」を「羊がいる部屋」として認識したというところです。
医師は行間を大切にしないといけない子なんじゃないかなと言い私が何度か自閉症について尋ねたら「まあ総合的には広汎性発達障害っていうふうに我々は言うんだけどでもまあ半年後ぐらいにもう一度検査すればいいんじゃないの?お母さんはこの子のどこが心配なの?」と言われました。

そして現在もうすぐ5歳。
園の担任は面談で「当初、心配な事も多かったけど今は特に手のかかることもないしすごく成長してそんなに心配することないんじゃないかって思うんだけど・・・」と言われました。

けれど長年しみついた私の感覚が抜け出せなく息子=何か障害があるってなっています。
そもそも療育の場では息子のささいな行動全ては障害からと扱われてるので先生と話してると洗脳されるというか・・・癇癪を起こしたら障害だからなんだとなってしまいます。

癇癪と言っても頑固で聞き分けがなくなる時のことです。
話せば少したって自分が悪かったら謝るしいじける時もあるし普通の事の気がします。

先日主人に指摘を受けました。
私が今まで一生懸命になって頑張ってきたのは感謝の気持ちでいっぱいだけど何でも=で見ないであげてほしい。
本人の可能性を縮めてしまうと思う。
療育で学んできた対応の仕方は素晴らしいものがあるのだろうけれどそれらが全てではないと思う。
過保護になりすぎてしまてるのでは?

確かにその通りです。
息子が何かする前に私は事前説明をしたり一言・二言助言したり...
習慣になってます。
でも実際、息子にはそんなフォローは必要なくなっていて「言われなくても分かってるよ」と言われきちんとできてます。

就学相談を受け就学時には周りの親にもきちんと説明して・・とか考えていましたが最近それをするのは間違ってるのではないかと思ってきました。
そもそもなんで私は息子に発達障害があると思ってるのか?
私がいつの間にか回りの意見でまどわされ視野が狭くなってるのではないか?

息子は集団生活も送れ・ごっこ遊びもでき・ヒーローものからままごとあらゆる遊びが好き・友達と遊び・弟の面倒見もよく相手の感情をくみ取り心配・謝罪・優しさなど感情も豊かです。
ひらがな・カタカナも読め最近は自分で本を読みます。
自分の名前なら書くこともできます。

あえていうなら賢こすぎて人より無駄に脳を使い考えすぎてしまうところがありここから物事へのこだわり・切り替えの苦手さがあるのでマイペースさが見える。

ようするに高機能っぽいのかな?と思ってましたがコミニュケーションがとれ・冗談も通じ・融通もきく・物への執着こだわりはない・自閉症要素があるかの簡単な言葉の実験問題を出しましたが全て正常に答えました。

普通は年齢が上がるにつれ周りとの差が出ると言いますが周りとの差は日々縮まっています。
幼さは多少ありますが早生まれです。

もう一度、何か検査を受けはっきりさせるべきでしょうか?
けど検査を受けにいく=結局はボーダーで?の状態でさまよう気がします。
どうすればはっきりできるのでしょうか?

私自身はたぶん息子が小学校に上がって問題なく生活できて初めてホッとできると思います。
それでいい・・・それまでは療育にも通ってのんびりいこう診断名なんてどうでもいいと思ってたのですが・・・もし本当に息子に何も問題なく成長の過程・性格だったなら私はこれ以上よけいな事をしてはいけない気がします・・・
色々学びすぎたせいか普通って何?個性と障害のラインは?と何が何だか情けない事に分からなくなってきてしまいました。

乱文で失礼しますがこの場合どしていけばいいのかアドバイス頂けると幸いです。

A 回答 (10件)

私も息子5歳で、発達障碍?のボーダーラインにいる子供です。


就学前までは、半年に1度、専門家に検査を受ける予定です。検査したのは3歳からですが。
うちの子は、療育の必要なしと判断されたので、他のお子さんの症状を私が知らない事もあり、基準そのものがよくわかっていません。
ですが、若干気になる事がある程度で、日常的に困っていることはないので、診断名すらない状態でも私も旦那もけろっとしています。

rh-miniさん自身が気になるなら、今後も検査されてみてはどうでしょうか?

私は地方に住んでいるので、専門医に会うというのはプチ家族旅行のような感覚です。
病院の検査というより、どれくらい大きくなったか確かめにいくようなものなので、失礼な書き方ではありますが、イベントのような感じで受け入れています。
堅苦しく考えずに、通っています。
0歳児の時から通っているかかりつけの小児科医にも協力してもらっていますから。

アドバイスではなく私の実践している事を書きました。
参考程度に。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
なんだかすっきりするご回答でした。

おかしな話ですがうちの子も療育に通わせたのは私自身からなんです。
それまで心理・言葉の先生に診てもらって最終的には療育担当の医師にも見てもらいました。
でも全てOKで成長の過程・心配なしという結果でした。

ところが年少当時の担任は口うるさい人でした。
そして園での発達医師との面談になり数分の面談で息子の様子も見ず担任の園での様子の話だけで「発達障害でしょう」って言ったんです。
それまでずっと心配してた私の何かがプツンってきれたというか・・・
心配してたとこにドスンと落とされた感じでした。
それでわけわからず病院で検査するのには半年かかるため分からないけどとりあえず時間を無駄にしたくなくて市の療育に入れさせてもらいました。
それで結局病院でもはっきりしないまま流れのまま療育に通い療育で知識を洗脳?されていきどっぷりはまっていたところにふっと我に返った感じです。

こう考えるとなぜ私は今悩んでるか?もよく分かりません。
私が早とちりをしたのかとにかくたった数分の面談での軽々しい「発達障害」発言の呪縛にしばられてた気がします。

今思えばそういう発言をしたのはその人だけで・・・しかも私の話も息子の様子も見てない人間です。

なんだか私自身が馬鹿に思えてきました。
なんでその人の一言でここまで悩んでしまったのか・・・
1年経って今いる息子を見ておかしくない困ることがない・・そう親の私が思ってしかも園の先生からも言われたのだから目を覚ましたいです。
主人に言われた台詞があらためて分かった気がします。
私はどこかで息子は広汎性発達障害という概念がありする行動を全て当てはめ対応していました。
それが間違ってるんです・・・

一度リセットしたいです。

目の覚める回答をありがとうございました!

お礼日時:2007/11/20 01:03

経験は浅いですが、特殊支援学級の担任をしています。


(現在は育休中です)
障害があるかないか、正直身体的にはっきり目に見えるものでないかぎり、断言はできないと思います。
「自閉“傾向”があった」ということですよね。
問題行動があるのだけど、はっきり診断のつけようがなく、
知的に遅れがみられるようだと「発達障害」ととりあえず言われる
ことがあるかもしれません。
療育に行かれていたのなら、おわかりになるかと思うのですが、
なぜ検査をしたか、障害の可能性を調べたかというと、
その子が苦手とする部分、生活したり人と関わったりする中で
その子が困るところを、どうサポートしてあげたら分かりやすく
困る部分が解消されるのかということを知るためだと思うのです。
「この障害だからこの子はこういう子なんだ」と決め付けることや
なんでもかんでも障害に結びつけることは意味がないし、成長を
助ける上ではむしろマイナスです。
実際相談をされて、お母さんや周りの方が上手にサポートして
あげられたから、お子さんはぐんと成長されたのだと思います。
そこに関してはお父さんがどうおっしゃろうと、今まで頑張って
きたことを否定することはないと思います。
障害のないお子さんでもその子の性格で、効果的な叱り方とか教え方
はそれぞれ違ってくるかと思うんです。
慣れたことはできるかもしれません。でも、新しいことを始める時
って大人でもパワーがいりますよね?その子が学びやすい方法が
分かっているのであれば、十分にそれを活用されてはいかがでしょう?
幼稚園から小学校へ上がったときは誰でもなにかしらのつまづきが
ありますよ。変化も大きいし、ストレスもあるでしょう。
新しいことを始める時や、困った時に必要な手助けをすることが
できると思えば心強くありませんか?

ただ、お母さんがもうそこまで細かくサポートする必要がない、
よけいなことをしているかもと思うのであれば、突然それをやめるのではなく、少しずつ手や口を出す部分・サポートを様子を見ながら減らしていかれてはいかがですか?
実際支援学校などでも、段階でできる支援は減らしたり簡略化して
いきます。

rh-miniさん同様にどのお母さんも「うちの子やっていけるのかしら」と入学前から1年は不安でいっぱいだと思いますよ。入学されてくる
お子さんも色々な子がいます。それこそとっても個性的な子も。
ある程度の集団の形ができるまでは、1年生の教室はとってもにぎやかなことになっていますよ(笑)
そんななかで、慣れた幼稚園だったらできていたのに環境が変わって
落ち着かなくなってしまうこともあるかもしれません。心配であれば、
・就学時検診で担当の先生にお話しする。
・4月~5月頃にある家庭訪問で担任に伝えておく。
というのはいかがでしょうか?
現時点ではっきりとした障害も問題行動もないのに、保護者全体の場で
わざわざお話することはないかと思います。それは世の中にはまだまだ
偏見の目で見る方がいるからです。必要以上に深刻に受け止められる事も嫌ですよね。
でも、学校には伝えてください。学校から偏見の目で見られるという事はなく、むしろ注意して見てくださると思います。なにかあった時の対処と心構えが違ってくると思います。
ちなみに就学相談にいったから経歴に残ってそれがなにか問題になると
いうことはないと思います。相談できる窓口があること、お母さんの
悩み・希望を聞いてもらうことでいいと思います。
小学校で通常学級に入れるか、特別支援学級に入れるかも最終的には
お母さんの希望しだいです。
逆に公的なフォローを望み「障害」と診断して欲しいという方も
いるし、明らかに障害があるのに保護者が受け入れられず、おうちで
必要なフォローを受けられないことでお子さんがどんどん手がつけられ
なくなってしまうこともあります。
「普通って何?個性と障害のラインは?」これを考えること事態が答えのでないことだと思います。検査を受けることは(発達を知る上で)
意味があったにしても、障害の有無ははっきりでないと思います。
子どもたち自身は障害があろうがなかろうがわだかまりをつくることもありません。あるがままを受け入れます。
お母さんも目の前のお子さん、そのままを素直に受けとめてください。私からみれば、とても素敵なお母さんですよ。
後はそう、どんな風に育って欲しいですか?
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揺れますよね。


多少のトラブルはどんな子にもあることだし、
余程、目に余る行為がなければ普通だと思う。
でも、時々見え隠れする不得意さを発見した時、
この子は、やはり支援が必要なのかもしれないと思う。
日々の中でそんな思いを繰り返すこともあると思います。

わたしの場合には、将来、本人が普通に暮らせるのならばという思いがあり、
公けには子どもの障碍を公表していません。
担任とのコミュニケーションを図ることで乗り越えていくつもりでした。
(学校側には、不本意な形で知れることになりました。)
でも、担任のお話では、今年施行された特別教育支援法の手前、
内々で話を進めることはむずかしいと言われました。
でも、わたしの強い希望で公けにしないようにしてもらってます。
(多分、学校内では知れていることなのでしょうが、
外部(学校外)に漏れることだけは避けたいと思ってます。)

うちの子は、検査結果をみるとかなりのばらつきのある子です。
でも、普段の様子は、医師にも普通の子にしか見えない子です。
行間も読めると思います。(一度、アスペルガーと診断名がつきました)

人によっては、特別支援教室に通わせてる方もいます。
普通学級に通わせるよりも良かったという方が多いです。
でも、それは、将来、ずっと支援を受け続けるというお気持ちがあるからできることなんだと思ってます。
息子の場合には、将来、障碍名を出さなくても普通に暮らせる可能性が高い気がし、
やがて個性となるであろう障碍を表には出したくはないのです。
もしかしたら、無理をさせているのかもしれない。
そう思うことも多いです。

ただ、環境が変わると状況が変わることが多いです。
うちの場合には、ストレスが引き金になることが多く、
普通の子よりも多くの神経を遣っているみたいです。
(精神面が大きく関わるみたいです)
普段できることもできなくなることもあります。
できるだけ、そのようなことがないように配慮する気遣いは必要だと思ってます。

個人的には、必要な時に相談をすることができる環境だけは残し、
障碍に関しては、様子をみられる程度でよいのではないかと思います。
あとは、小学校に入学してはじめての家庭訪問で、
なんらかの進展があるような気がします。
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高機能自閉症の5歳の男の子がいます。


息子もパッと見た感じは全く自閉症児には見えません。
会話はかなりスムーズですし、「てにおは」も正しく使えます。
こだわりは、体調次第かな(笑)。精神的にしんどくなると、こだわりだしますね。普段は「こだわり」と思えるようなところはありません。
ですから、何も事情をご存知ない方からは「親が自閉症だと決め付けてどうするの?」とよくお叱りを受けます(苦笑)。
しかし、発達検査の結果を見せていただくと、「どっしぇー(汗)」と思うような結果が出ます。
というのも、「凸凹」がすごいんですよ(笑)。
一番遅れている部分は、2年半遅れ(発達年齢2歳半)。一番進んでいる部分は、最低2年半以上先行(発達年齢7歳半以上…途中で検査をやめたそうです、もっともっと先の年齢になりそうだったので)です。
息子にとって、この「発達の凸凹」がとんでもなく生き難い。
ただ、なぜ息子が日常生活にうまくなじんでいるのかというと、この「得意な分野」で、必死になってフォローしているからなんですね。だから余計な「脳の仕事」が多くなり、日常生活がとっても疲れます。

年齢とともに、支援が不必要になれば、それは「個性」になるのでしょう。
「障害」というのは、社会生活を営んでいく上で、なんらかの不都合があるときに使う言葉だと思います。
ただ、「やりづらさ」を個性として持っているということは、しっかりと認識しておいたほうがいいと思いますよ。
>賢こすぎて人より無駄に脳を使い考えすぎてしまうところがありここから物事へのこだわり・切り替えの苦手さがあるのでマイペースさが見える。
この部分は、もしかしたら「発達の凸凹」をほのめかしているのかもしれません。
であるならば、「こんな難しいことができるのに、どうしてこんな簡単なことができないの?」と、周囲から怪訝に思われたり、「こんな難しいことができるのだから、もっとがんばれ」という間違った指導法になる可能性があります。
そういう「間違った指導」をされると二次障害を起こしかねませんから、お子さんが「どういう特性なのか」をしっかりと認識しておいたほうがいいと思います。
発達検査の「分野別」のスコアは教えていただきましたか?
(お願いすれば教えてもらえるか、グラフを見せてくれるはずです。私はグラフのコピーもいただいていますよ)
そういうものを見れば、一目瞭然だと思いますが……

また、5歳とのことですから、まだまだ良いようにも悪いようにも「診断名が変わる」ということもある時期ですよね。
全く違う診断名になることもあるでしょうし…
発達の差も、「伸びた時期」には縮まるでしょうし、「停滞した時期」には開くと思います。

納得いかない、疑問が残る…というのであれば、セカンドオピニオンを検討されてみてはいかがでしょうか。
ただ、こういった専門医は予約も半年くらいはイッパイということが多いですので、早めの行動をお勧めします。
就学相談を視野に入れるなら、今から動いてもギリギリ間に合うか間に合わないか…だと思いますよ。
参考に、全国の専門医のアドレスを貼っておきます。

参考URL:http://child-neuro-jp.org/visitor/sisetu/sisetu. …
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

他の方のお礼にも息子の経緯などいくつか書かせて頂いたので読んでいただけるとありがたいです。

そんなわけで・・・当時は私も息子の行動で困る事が多かったのですが
最近困ることがまったくなく・・・むしろ幼児から子供に変化したというか・・・すごく落ち着いたんです。

だからよけい疑問が出てきました。

病院での診断はバラつきはなく・・・IQとか平均より低めの部分は医師いわく初めての検査で+αがあるから1回目ではほとんど正確な診断は出せないと言われました。

なので今私が成長したとあきらかに感じるのであればもう一度検査を受けてみてもいいのかもしれません。

他の方のお礼にも書いたように結局一人が軽々しく「発達障害」発言をしたために誰かに「違います」と言われないと一人の意見が消せなくなてるようです。
でも今冷静に考えればその一人の発言には何も根拠もなく意味もないって思いました。
息子の様子も見ず私の話も聞いてない・・・担任の話だけだった・・・しかも元々1年ほど成長がマイペースだったうえに早生まれ赤ちゃん返り時期・・・・そんな当時の出来事が参考になるのか?

私は駄目な親だと思いました。
息子のためにと思ってたけど・・・・結局は周りの意見に流され私の目で息子をみてやれてなかった。
それができてるパパから指摘を受けても仕方なかったでしょう。

過去に振り回されず成長した今いる息子をきちんと見たいです。

市の療育にいるためこのまま通うと自然的に就学相談を受けることになります。
来月にはテストもあります。
私はこれをするのがいいのか悩んでました。
もし何もないのに決め付けで経歴が残っても困ると。
とりあえず来月のテストは受けて発達レベルが分かると思うのでバラつきがないかの確認をして今年度いっぱい療育には参加しその間に病院へ再検査に行って見ます。

思いきって療育を止めることも視野に入れてみます。

お礼日時:2007/11/20 01:18

幼稚園教諭です。



近年、本当にどこまでが普通でどこまでが障碍なのか、わからない状況になってきたと思います。
実際入園されてくるお子さんでも「え…どこが?」と思うような子が療育に通っていたり、判定下りてたりします。
まぁたしかに、周りの子より多少こだわりが強かったり癇癪があったりするケースがほとんどで、年少の頃には手がかかりましたが。
本当に今の年長の世代(お子さんと同じ年齢ですね)からかな。
3歳児検診が厳しくなったって、療育の先生からも聞きました。

他の方も書かれていますが、結局はお子さん自身の個性なんだと思います。
それが正常範囲だから何もしなくていいとかそういうことではなくて、学校に行ったら学校でのケアが必要になるでしょうし、普通学級に行ったら皆安心かったら結構学校の方が先生が何も見てくれなくて困るとか、何の診断下りていない人でも悩みが増えたなんて結構卒園児の親から聞きますから、苦手なところはそう認識しつつケアしていかなきゃいけないんじゃないかと思います。

学級崩壊の問題以降、ADHDやアスペに対して「早期発見・早期治療」が求められるようになりました。
自由だけを謳っていた園に対しては集団生活に参加できる規律を重視するように求められるようになったと感じます。
そういう状況によって、中には親が全く予見していなかった子が診断下りたり、療育に通わされたりする状況も出てきているようです。

どこまでが普通なのかなんて、本当は誰も知らないのかも知れません。
お医者さんによって、診断ついたり消えたりする状況ですから。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
本当に最近はよく分からなくなってますね。

息子と同じクラスにはもう一人療育に一緒に通ってる子がいます。
しかも前々から私はもう一人アスペなのではないか?と気になってた子がいました。
一緒に遊びに行ったりして行動から言動全てが当てはまってました。
でも何も園からは言われてなくて・・・私からしたらこの子が平気でなんで息子がなんだ?という疑問もいつもありました。

結局はのちのちその子も指摘を受けたんですが・・・
でも親は理解がまだなく行動はおこしてません。

それで気付いたんです。
一クラスに3人もいるわけで・・・あとは親が行動するかしないかなんだなって。
きっと指摘を受けるような子であっても親がノーといえばそれまでなんですよね。
私は息子のためならって思って積極的に行動してきましたが結果・・・成長とともに普通のレベルになったけど一度踏み入れたかぎり抜け出せないっていうのも現実なんです。

ご回答いただいたとおり個性レベルなんだと思います。
でも私が一度行動を起こしてしまったわけで抜け出せないままさまよってくのかもしれません。

どこまでが普通かなんて確かに誰にも分からないですね。
息子のレベルで考えればきっと多くの親御さんが違った形でうちの子はって悩んで成長と共に消えてくっていうことなんだと思います。

それを私は療育に行ったりしたので障害って考えてしまってるのでしょう・・・
そもそも園での発達の先生が軽々しく「発達障害」発言したのがいけなかったんだと思います。
私はその一言の呪縛から抜け出せないんだと思います。
それまで散々みてもらって平気と言われてたのに15分しか会ってない人の台詞を鵜呑みにしてる私もいけないなって思います。

もしこれから違う方向で考えれるなら思い切って療育もやめ就学相談もしないという行動に出たらいいのかもしれません。
それで就学して何か見えればやっぱりそうだったのかと納得すればいいのかもしれないと・・・・
親としては構えもあるし息子のフォロー部分は十分に理解できてるのでそれでいいのかもって思ってきました。

お礼日時:2007/11/20 00:48

貴女が気にするなら再検査すればよいでしょうが、あまり過保護にするべき状態ではないような気がします。



アインシュタインは4歳まで話せませんでした。言語能力の発達には個人差があるので、気にするべきことではありません。

羊の話ですが、なぜこれが発達障害の兆候ということになるのか、全く理解できません。

重度の自閉症であれば、「てにおは」を理解しません。これは、自閉症の大きな特徴です。息子さんが、「ひつじの部屋に行くよ」と言われ「ひつじはどこにいるの?」と答えたということは、「部屋に」の「に」の意味を正しく理解しているということです。これひとつ取っただけで、自閉症らしくない、万が一、自閉症でも、軽度のものと判断される、ということが出来ます。

通常、日本語の発達は、「てにおは」抜きの単語の羅列で始まり、後から「てにおは」が加わって、完全な文が作れるようになります。そのころの子供は、例えば「車が犬をはねた」が正しい表現であって「車を犬がはねた」では意味が逆転してしまうということを、試行錯誤しながら覚えていくものなのです。自閉症でない子供は、やがて「車を犬がはねた」と言ったら、「あれ?なんか間違えたかな?」という態度を示すようになります。自閉症の子供は、いつまでも「車を犬がはねた」と言って平然としています。

その他に、「わたす」と「受け取る」が逆になる、「教える」と「習う」が逆になるなどの現象が出ていたら、自閉症っぽいですね。英語圏では、自分のことをIと呼ばずにYouと呼ぶことが、自閉症を見分けるひとつのポイントだそうです。要は、主体と客体の逆転したセリフをしゃべって、それに本人が違和感を感じていないというのが、自閉症の特徴のひとつといえます。

自閉症の人にてんかんが多いのは事実ですが、子供なんか、急に泣いたりわめいたりするのが当たり前ではないですか。周りから「自閉症なんだから、てんかんに決まっている」と決め付けるくらいなら、てんかんの専門医に相談して、本物のてんかんなのか、ただの感情のぶれの範囲内なのか調べてもらえばよいと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

羊の話は私もよく分からないのですがチェック項目になってました。
ようは羊のマークを見て部屋に入ったのに羊が中にいると思ったから想像力が薄い?言葉の意味をそのままの意味としてとらえてしまう行間をはぶくといけないって事のようです。
ようは息子には「羊のマークの部屋に行くよ」のマークの部分が大切であって全ての会話に置き換えると行間をはぶくと言葉のままに意味を理解するから困難みたい?
けれど現在での日常生活ではそんな事がなく言葉から先を想像したり意味を想像できてます。

「車が犬をはねた」私もこれを何かで聞き「車が熊をはねた」でしたが実験したところ違いが分かり正しいほうを答えることができてます。
他にも
AさんとBさんがいてボールで遊んでました。
AさんはBさんがいない間にボールを箱の中に隠しました。
さてBさんが戻ってきたらBさんはボールがどこにあると思いますか?
みたいな問題があり
通常は「分からなくて探す」とかだけど自閉症児は「箱の中」と答えるそうです。
こういった感じで実験しましたが正常な答えを息子は出してました。

質問では書ききれず他の方のお礼にあれこれ現状を書きましたが再検査を望むというか・・・これから私は今のままだと市の療育なので就学相談を受け発達テストを受け・・・(来月にせまってます)就学する形になるわけで・・・もし息子に何もないとしたらこういうことをする=小学校側にも経歴が(療育にいた)残るわけでどうしたらいいのだろう?と悩みだしてしまいました・・・

お礼日時:2007/11/19 01:28

おはようございます。


中2の娘が中度の知的を伴う自閉症児の母です。

でも、私自身、今から思うと、何らかの自閉的要素を持った人間だったと思います。(診断を受けたことはありませんが)
だったと言うのは、ある時期ものすごい精神的ストレスを受けて、何だか頭の中で「プッツ~ン!」と何かが切れて、その瞬間から、それまであれだけこだわっていた感覚がきれいさっぱりなくなったからです。

前置きが長くなりましたが、お子さんは「障害」はないと思います。
「障害」というのは、社会で生きていくために困難である場合に付くので、困っていないのならそれは「個性」です。
「個性」もしくは「気質」「特性」なので、困っていませんが、こだわりが強い部分とか、人間関係が弱いとかはなかなかなくならないとお考えになられた方がいいと思います。

だから、「普通になった」と安心して手を離してしまうと、思春期に大きなトラブルに巻き込まれてしまうことになると思います。

お子さんには「障害」はありませんが、苦手分野についてはまだまだサポートが必要で、できればそのサポート内容も、お子さんの状態に合わせて、リアルタイムで変えていく必要があると思います。
書かれている内容では、お子さんの状態にあったサポートではないので、過保護に見えるのでしょう。

ちなみに、私自身、親からサポートを受けたとはほとんど感じておりません。むしろ「こんなに勉強が出来るんだから、友達作りやいろんな活動にももっと頑張れ」と妙なプレッシャーを受けつつ育ちました。
お陰で、社会人になった時に、やっぱり人間関係でうまくいかず、職場でも最初の結婚生活でもうまくいかなかったため、結構大変でした。
(その中で、例の「プッツ~ン!」があったお陰で、落ち着いて生活できるようになりましたが。)

小学校で普通クラスで勉強できるようになったら安心・・・多分、そんな事はないと思います。
障害のある子もない子も、どんな子どもでもいくつになってもそれなりに心配事は出てきて、親はいつまでたってもはらはらさせられますよ。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

医師に「障害はフォローを必要とする子につく言葉であって療育などで必要としなくなれば個性になるんだよ」と言われました。
私もすごくこの意味は分かります。

そうすると今の息子ってどうなんだ?って疑問になります。

>お子さんの状態にあったサポートではないので、過保護に見えるのでしょう
これがとても難しく療育で学んだ事を実践して私としては上手くいき先生も良かったねと言うんですが主人からしたらこういう時はきっちり叱るべきだ!俺は息子とは友達でもある!などなど自然体というかいい親子関係なんですが、例えば聞き分けなくなって癇癪っぽくなたら私は一言注意して冷却時間を置く・本人が気付き謝ってきたら褒めるみたいなパターン化した事をしようとしていて(療育で学んでくるとなるほどって思ってしまうんです)・・主人や周りからしたら自然体じゃないというかようするに育児本を参考にした親のように見えるのでしょう。

たぶん私は息子の事をかなり理解というか解明してると思います。
逆にそれがいけない気もします。
こうなってくるとなんだか私が考えすぎというかおかしい気がしてきます。

>小学校で普通クラスで勉強できるようになったら安心・・・多分、そんな事はないと思います

この部分は質問では書ききれなかったのですが#3の方へのお礼になんとなく書いてあります。
#3の方に書いた意味で実際に就学しないと授業を受けれるのか受けれないのかが想像つかなく安心できないって意味なんです・・・

お礼日時:2007/11/19 01:13

自分の子供が障害を持ってる?はて?


持ってるとか持ってないとかどうでもいい話ですよね?
可愛い我が子ですもん
自分の子供と他人の子供の成長を比べて気にしすぎだと思いますよ
子供は出来るだけ好きな事をのびのびとさせたほうがいいと思いますよ
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

そうです障害があるかないかはどうでもいいんです。
そういう部分は乗り越えた上であらためて疑問が出てきたんです。

就学に向けてきっと最初の懇談会とかで息子の苦手な部分とかを周りの保護者に説明をしておいたほうがいいだろうって考えてました。
それは実際学校に通いだし授業が受けられない・友達関係が上手くできない(一般的ではなく自閉症要素を持った特長としてです。)となったときに保護者・学校側にきちんと伝えておくのが親として義務だと思ってたんです。

でもここ最近になってすさまじく成長した息子を見てると人とのコミニュケーション力が欠けていてトラブルが起きるとは思えないし1年前と変わりすぎていて心配だった部分がほとんどなくなってるんですよね・・・

そうなってくると私がしようとしてる行動は最初から息子は障害者ですって回りに言ってしまおうとしてるわけで・・・
実際、普通に学校生活が送れた場合・・・周りの方はずっとそういう目で見ちゃいますよね。

こういった部分であらためて悩みだしたというか・・・・

まとまりのない文章でごめんなさい><

可愛い我が子ですし他人の子とも比べてないというかむしろ自慢の息子です。

>子供は出来るだけ好きな事をのびのびとさせたほうがいいと思いますよ
まさに主人が言ってるのはこの事です。
なのに私が療育での情報や色々学んだ事から上記の大切な事ができなくなってしまってるんです。

ここが一番の悩みなのかもしれません・・・

お礼日時:2007/11/19 01:01

わが子への障害診断が、受け入れられなくて苦しかった時期を思い出しました。

 毎日の格闘で、くたくたのとことでしょう。

今では、子どもは誰でも障害児っていう心境です。
どこかに問題を抱えていますよ、絶対に。
そう思って、人一倍、観察し愛情を注いでいます。

会社でも、新聞を見ても、自分自身も、こりゃ障害者だって思える時が良くありますよね。
ちょっとおかしいなあ、と思われる人は、大人でもイッパイいますよね。自分自身を含めて。

長文の質問に対して、この程度の内容の回答で気が引けますが、一言申し上げたくなりました。
肩に入った力があなた様の方が、少し気になりましたので。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

私はここ1年ほど息子の障害?であろう事を受け入れ最近ではすごく前向きになっていて息子の日々の成長を幸せに感じていました。
療育に行くのも親子共に楽しかったし就学に向け色々息子のためになることを考えていました。

ところが急に担任の先生から心配ないのでは・・・という発言が出て「そうなのかなぁ??」と悩んでいて+主人からの指摘・私の母からも私が考えすぎてると言われたり・・・周りが誰も理解してくれない!と思い・・・・
でも療育の場に行くと同じような考えを持った親や先生と話すので「そうそう」と思い・・・でも確かに療育の場では軽度の子達もいるのですが息子がいるのは多少浮いてるというか息子ほど軽度な子がいないんですね・・・

そうしたら何だか今自分がしてる事って何だろう?と考え込んでしまいました。

>会社でも、新聞を見ても、自分自身も、こりゃ障害者だって思える時が良くありますよね。
ちょっとおかしいなあ、と思われる人は、大人でもイッパイいますよね。自分自身を含めて。

私もよく思います。
私も中学生の頃ADHDみたいじゃん・・・とか主人なんてばっちりアスペ系なんじゃないの?って感じです。

大人になればきっとなんてことないことなんだと思います。

やっぱり肩に力が入ってしまってるんですかね・・・><

お礼日時:2007/11/19 00:49

毎日の子育ておつかれさまです。



当方、子供はいませんし専門的な知識もありませんのでお役に立てるアドバイスはできませんが、
「ひつじの部屋」の話は、私は素直に「微笑ましくて感受性が豊かなお子さんだな」と思いました。

仮に障害があろうとなかろうと「ひつじがいる」という感受性は大事に育ててあげて欲しいと思います。人を和やかにする素晴らしい感性(才能)ではないでしょうか。

現在、悩んでらっしゃるお母さんにとっては的外れなコメントで申し訳ありませんが、園の先生も今では心配ない、とおっしゃってくれてるのですよね。
金子みすずの「わたしと小鳥とすずと」をご存知でしょうか。
息子さんの健やかな成長を願っています。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>「微笑ましくて感受性が豊かなお子さんだな」と思いました。
ありがとうございます。
確かに昔からニコニコとしてる子で人を癒してくれるタイプとよく言われてました。

親の私も息子の感性には大変癒されてるので大切にしていってあげたいです。

>「わたしと小鳥とすずと」
知らなかったので今度調べてみます。

ありがとうございました(*^-^*)

お礼日時:2007/11/19 00:39

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