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「キリシタンが日本の娘を50万人も海外に奴隷として売った」
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/e/5a197e856586baf …

上記サイトに書いてあることは歴史的事実ですか?
このようなことは聞いたことがないですが、
まったくのでたらめともおもえません。
よろしくお願いします。

A 回答 (10件)

何人奴隷として売り渡したのか不明だが、日本から売却された人はいっぱいいるでしょうね。

各地に残る神隠し伝説は海側に住む人が山側に住む人をさらった形跡の別の表現でしょう。大名や武士や庄屋はそれが南蛮人(=カトリック)とのビジネス(お金儲け)だった。藩や教会はいまなら商社で情報機関報道機関教育機関で軍隊です。

織田信長の時代の天正少年使節団は絹の着物まとい刀差しラテン語話す4人の若者の記録がバチカンにある。ローマまで行ったわけだが途中で見たことは本人が記録残し、カトリック布教はそれに続く軍隊派遣の準備であること、東南アジアなどでの奴隷の売買(日本女性含む)、現地や船中で奴隷が悲惨な境遇にあることは日本の知識層には伝わった。のちのカトリック禁止(宣教師は追放した)の理由です(南蛮人はだめだが紅毛人(プロテスタント)とは限定交流した)
4人の若者は帰国後報告書出したがカトリックに反対した人もいる。(当時の日本には見かけた寺社を壊すのが神の意思とほざいた宣教師がいた、それに従い放火する教徒もいた)
天草のカトリックの反乱のときには東南アジアから救援が来るのを当てにしていた(本国は東南アジアの利益に満足したのと日本人は武装しているのを知っていたので(武士社会=軍人政権))侵略はあきらめた)
幕府はオランダに威嚇要請したので(オランダ船はいやがったが)海に向け大砲撃つと天草反乱側の士気が下がったとか。

アフリカで発生した人類が南米まで行ったことは遺伝的特徴から歴史みたいです。アフリカ東部から逃げていった先住民は時間と世代かさね西海岸まで行ったがそこはアメリカ大陸への貿易に便利なわけで待ち伏せされ若い男性が連れ去られた(海そばの住民は利益になったが)。奴隷として出荷されたのは当時のアフリカ人口の1/4でのちのアフリカ経済停滞の1原因です。
欧米人は直接に管理しなかったから反省する気配もない。会社に投資し利益分けただけで直接のことは業者(商人)というわけ。海のそばに住むアフリカ人が山に住むアフリカ人捕まえて出荷した!

時代劇のドラマでも密貿易の商人が町娘さらって監禁、外国商人と貿易しようとする。質問のこと(日本人を奴隷として商売(貿易))は教科書で習わなくてもほとんどの日本人は知っています。南蛮人とはカトリックのことね。
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50万はおおげさですがキリスト教徒が日本において奴隷売買を行ったのは事実です。



それから日本人が持つ「奴隷」という観念と、彼らキリスト教徒の「奴隷」に抱く観念はまったく違います。
キリスト教徒にとって奴隷というのは文字通り「人間ではない」のです。
都合が悪くなれば殺してもまったくかまわないし、奴隷に主人が子供を生ませてもその子は人間ではなく人間の言葉をしゃべる家畜として扱われます。
牛や馬と一緒ですね。同じ人間だという感覚がないのです。「奴隷という階級」があったのではなく、人間と奴隷の間には無限の隔絶があったと考えるべきでしょう。
この奴隷売買が日本におけるキリスト教の弾圧につながったという考えさえあります。
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ああ、自国に貿易できる品が無いので人間を売るというのはよくある話です。


鉄砲購入に領民の娘を売り飛ばしたのもありますしね。

大河ドラマ風林火山でも人買いを出しています。

弱小勢力が最後に売れる品物は人間ですからね。
特に、資源や財政基盤を持たぬ勢力は茶飯事だったとか。

50万は過大かもしれませんね。
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http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/searchdiary?wo …

こんなのもありますので御参考にどうぞ
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全く無いとは、思いませんが、いくらなんでも、50万人は、ないでしょう。


江戸中期の江戸の人口が、100万人です。
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ずいぶん前、ドラマで「南十字星・コルネリアお雪異聞~わたしの山田長政」(1978年放送)という時代劇を見ました。


吉永小百合さんが主役のお雪役で、奴隷としてシャム(タイ)に売られて、当時シャムで大活躍していた林隆三さん演じる山田長政に出会って・・・というストーリーでしたが、恥ずかしながら、それまで、私もその事を知らなかったので、その時にいろいろ調べてみました。

山田長政の時代ですから、日本では関ヶ原の合戦が終って、徳川家康が実権を握り始めた頃の時代ですが、50万人という数はわかりませんが、歴史的事実である事は確かです。
>「キリシタンが日本の娘を50万人も海外に奴隷として売った」
・・・と聞くと、何やら一般人を強制的に・・・と想像してしまいますが、当時は、日本の身分制度の中に奴隷というものが存在していたようです。
つまり、日本人も同じ日本人を奴隷として売り買いしていたという事です。
キリシタンの宣教師も日本にやって来る船には黒人奴隷を水夫として乗せていましたから、「なに人だから」とかではなく、黒人でも日本人でも奴隷は奴隷なのでしょう。
朱印船で、外国と盛んに貿易をしていた時代ですから、国内だけではなく、外国に売られる事もあったでしょう。
フィリピンやタイなどには、沢山の日本人町がありましたから・・・
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豊臣秀吉の伴天連追放令にもあるみたいだから、


人数は別としても日本人奴隷はあったんでしょうね、

http://www.gameou.com/~rendaico/nihonchristokyos …

http://www.daishodai.ac.jp/~shimosan/slavery/jap …

当時のキリスト教では「キリスト教徒にあらずんば人ではない」という意識でしたから、
異教徒を奴隷化するのには何のためらいもなかったんではないでしょうか(インディオは人間かどうかをローマ法王にお伺い立ててるぐらいですので、人間以外に布教はしてはいけないとか)。
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 人数については誇張や誤認があり得る話ですが、拉致・人身売買自体は当時定常的に行われていた行為です。



 その意味において、歴史的事実。
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戦国時代、平戸からポルトガル船で東南アジアへ、多くの奴隷が運ばれたのは事実ですが、50万は過剰ですね。


「キリシタンが」というのもおかしいです。ポルトガル人は奴隷を買って運んだだけで、売りつけたのは全国にいた人買いでした。戦争のたび、雑兵が小遣い稼ぎのため、逃げ遅れた老若男女を人買いへ売り飛ばしたのは、当時の日本の伝統というか、普通のことでしたから。
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アフリカから 300年で 900万人くらいが大西洋を渡って奴隷になったといわれています。


年間 3万人。
記憶では この時代のアフリカ大陸の人口が数千万人。
鉄砲伝来1543年として、天正の少年使節の話と参考URLにありますので、50年間として、年間1万人。日本の人口が800万人~1500万人の間。

アフリカはこの奴隷貿易で社会がずたずたになったと言われていますが、日本では起きていない。

ちょっと桁が違うと思います 50万人というのは。
WIKIPEDIAでも そもそもの天正使節団の報告書の存在を確認していませんね。
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