【大喜利】【投稿~9/7】 ロボットの住む世界で流行ってる罰ゲームとは?

いつもお世話になっております。

以前、『 スポーツ史に残る名言 ・ 珍言 』 という質問をいたしましたが、
思った程ご回答が集まらなかったのと、締め切ってから、だいぶ月日が経ちましたので、
あらためまして質問を立ち上げる事を、お許しくださいませ。

そこで御紹介して貰った中では、某投手の 「 巨人はロッテより弱い 」 が、けっこう有名ですね。
また、そこの質問文中にも記しているのですが、
衣笠祥雄選手が連続試合出場の世界記録を樹立した試合後の観客への挨拶での、
「 私に “ 野球 ” を与えてくれた “ 神様 ” に感謝します 」
との言葉は、もっと “ 名言 ” として広まってもいいのでは ・ ・ と思いますね。

他に私が“ 名言 ” として真っ先に思い浮かぶのは、リアルタイムは知らないのですが、
長嶋茂雄選手の 「 我が巨人軍は永久に不滅です 」・・
・・未だに受け継がれているという事は、余りにも有名なのでしょうね。

そこで印象に残っているプロ野球選手(選手でなくても 「 監督編 」「 実況編 」でも大歓迎です)
の名言 ・ 珍言が、ございましたら、
有名なモノから、余り知れ渡っていない 「 知られざる名言 」 でもよろしいですので、
皆様どうぞ、ご紹介よろしくお願いいたします。

A 回答 (32件中11~20件)

 友達から聞いた話ですが、



 川上哲治さんが、巨人の監督を勇退した後、NHKの解説者の傍ら、講演をして全国をまわっていた。ある試合で、淡口がホームランを打って、アナウンサーに「どうですが川上さん」ときかれたら、「淡口君は、実に親孝行でね。」と言ったそうです。
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この回答へのお礼

川上氏にも “ 長嶋茂雄的 ” な部分が有るのですね(^^;)   度々ご返答くださいまして、誠にありがとうございます。  

お礼日時:2002/09/15 11:22

「回答」の見落としは注意してたのですが、質問文を見落としていました。

申し訳ありません。
ただし、「ロッテより・・」は、じつは私が生中継で聞いた記憶です。
「ロッテより弱い」とは言ってないと思います。「ぜんぜん迫力ない。」が印象ですが、何せ、私の記憶だからなあ。

エモやんの「アホ」発言は、著書のなかでは「くそ!」しか言ってないそうな・・・。

実況では、おなじみ、かねやんの「桑田のストリップ・・」
ほかにも、当時若手だった広島の左腕・高木のことを「大野」となんども間違えたうえ、その後の解説でも「まえの大野・・」を、アナウンサーに「高木ですね」と、(誰かみたいに)突っ込まれて、「細かいこというねえ」
アナタにとっては、ジャイアンツ以外の選手は「細かいこと」かもしれないけど、本人はジャイアンツをぴしゃりと抑えて自信つけてるんだけどなあ。

金森くんの「いってぇー!」とか
達川さんの「当たってるよ!」とかは、「名言・迷言」集にいれてもいいような気がしますね。

Jリーグが始まった年だったと思うけど、ヤクルト野村監督が、逆転サヨナラ満塁ホームランで勝って、「どや、サッカーにはできんやろ」と自慢げだった。
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この回答へのお礼

 私の記憶では、加○哲の “ お立ち台 ” でのコメントは、#21で nozomi 500 さんが御紹介されている通りだと思います。それをどこかのマスコミが 「 巨人はロッテより弱い 」 と書き、そっちのほうが有名になった・・といういきさつだと思います。
 ちなみに加○哲は、その後、広島を経て95年にダイエーに入団していますが、そこで登録名を 「 加○鷹 」 にすれば面白かったのに(^^;)

>当時若手だった広島の左腕・高木のことを「大野」となんども間違えたうえ・・・・・・
 川口と大野を間違えるのならまだしも・・(^^;)   再度ご返答くださいまして、誠にありがとうございます。     ( 文中敬称略 )

お礼日時:2002/09/15 11:20

やっぱり、K鉄の加○哲。

ジャイアンツの感想を聞かれ
「ぜんぜん。まだロッテの方が迫力がある」
このあとジャイアンツに4連敗して、唯一の「日本一になってないチーム」は続行中。
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この回答へのお礼

 一応、質問文中に一例として 「 巨人はロッテより弱い 」 とは記していますが、これは “ 活字 ” で、nozomi 500 さんが御紹介くださったのが、実際に彼が発したコメントという事なのでしょうか ・ ・ 深夜にもかかわらず御返答くださいまして、誠にありがとうございます。

お礼日時:2002/09/14 23:51

前阪神の野村監督の現役時代の名言です。


「長島茂雄は向日葵の花、どうせ私は日本海に夜咲く月見草」
現役時代の終身記録ではすべて長島を上回るのにマスコミの扱いももファンも少なかった野村さんの長島に対する「そねみ、やっかみ」(本人弁)を出した正直な発言だったと思います。
長嶋の 「我が巨人軍は永久に不滅です」の言葉を耳にした時にも
「冗談じゃない、世の中に不滅があってたまるものか」と反発したそうです。
自分に自信があるからこそ、本音が語れたのだと思う。
それをまた長島が気にかけるそぶりも見せないところが面白い。
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この回答へのお礼

野村克也氏の「月見草」は、よく知られていますね。   ご返答くださいまして、誠にありがとうございます。

お礼日時:2002/09/14 17:35

No.10の者です。

ここ中日ドラゴンズの地元では、横浜が「マシンガン打線」なのに対して、中日は「ピストル打線」なんていわれてました。
97年から98年にかけての横浜は、どこを切っても3割打者なのに対して、中日は、3割打者がいなかった(安打がつながらない)ので地元では愛情を込めて「ピストル打線」と呼びました。
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この回答へのお礼

「 ピストル打線 」 は初耳ですね・・横浜の 「 マシンガン打線 」 の他に、日ハム 「 ビッグバン打線 」、近鉄 「 いてまえ打線 」 というのも有りますね。
再度ご返答くださいまして、誠にありがとうございます。

お礼日時:2002/09/14 17:30

「 弱気は最大の敵。

」炎のストッパー、広島東洋カープの故津田恒美の言葉です。広島市民球場のブルペンには彼の思いをつづったプレートがあり、マウンドに向かう投手は、そこで気持ちをあらたにするそうです。
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この回答へのお礼

再度ご返答くださいまして、誠にありがとうございます。

お礼日時:2002/09/14 17:31

「これで親孝行ができなくなった。


古い話で恐縮です。昭和44年10月、西鉄ライオンズ所属N投手の敗退行為に関するスクープ記事を契機として、プロ野球選手と暴力団員の交際が、政治の場をも巻き込む社会問題にまで発展しました。そんな中で、多くの選手が、永久追放を含む厳しい処分を受けました。同球団所属池永正明投手も、某先輩投手から敗退行為を依頼され、金銭を受け取ったことを理由として、永久追放処分を受けました。記者団が、同投手の自宅を訪れ、処分を知らせたとき、嗚咽の中でやっと口にしたのが上記の台詞だったのです。
同投手は、稀代の剛球投手として知られ、高卒入団後5シーズンで99勝をあげています。歴史に「たら」はないのですが、もしこの処分にあっていなければ、球史に残る大投手になっていたであろうことは衆目の認めるところです。当時小学生だった私は、この場面を見て、人間の運命の過酷さというものを、初めて知った思いでした。
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この回答へのお礼

 その当時は私は、まだ生まれていませんでしたが、彼は、あの尾崎将司投手と同期入団だったそうですね。
 ご返答くださいまして、誠にありがとうございます。

お礼日時:2002/09/11 18:27

訂正


 <三村監督は、この発言で連盟から何らかのペナルティーが熱田と思います。>
 を
<三村監督には、この発言で連盟から何らかのペナルティーがあったと思います。>に訂正します。

三村監督の時代、終盤の追い上げで
「奇跡は起こすためにある。」というのは広島ファンをしびれさせました。
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この回答へのお礼

>「奇跡は起こすためにある。」というのは広島ファンをしびれさせました。
早朝にもかかわらず、再度ご紹介くださいまして、誠にありがとうございます。

お礼日時:2002/09/14 17:48

何年か前の東京ドームでの巨人対広島。

9回まで、広島リード。9回裏、2アウト。ピッチャー佐々岡、バッター広沢。広沢のあたりは、平凡なサードゴロ。完全なアウト(みんなそう思った)。これでゲームセットかと思ったら、審判の判定はセーフ。これで形勢逆転。連打が続き巨人の逆転勝ち。試合のコメントで三村監督は
「巨人のユニホームを着た審判をお立ち台にあげてやれよ。」とコメント。

これを聞いた中日星野監督も
「ナイスなコメントだ。」
と発言しました。
長嶋監督は試合後のインタビューで「やはり、あの広岡の・・・・」と広沢と広岡が一緒になった発言をしていました。
 三村監督は、この発言で連盟から何らかのペナルティーが熱田と思います。
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この回答へのお礼

このコメントは記憶にありますね ・ ・ #16と合わせまして、早朝にもかかわらず御返答くださいまして、誠にありがとうございます。

お礼日時:2002/09/11 13:29

実況では、94年の西武vs巨人の日本シリーズです。


あの伝説の"10.8"の年です。
森西武と長嶋巨人の戦いは、大方の予想を覆して巨人の勝利。
必勝を期すために桑田がリリーフで出てきたり、内転筋をいためた落合が痛みをこらえて激走したり、
そんなこんなで日本一を決めた時の実況が

「全員野球の長嶋ファミリーは、見事、天下を取りました!!」

当時中学生だった僕はこの言葉が頭に焼きついて離れませんでした。
後は、翌年の原辰徳の引退セレモニー。

「私は今日引退しますが、僕の夢には続きがあります!」

友達の家で涙を流して見ていた記憶があります。
2002年の今年、その夢の続きが叶ったんだと実感して
しみじみするとともに、自分も歳をとったな~と寂しくなったりしました。
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この回答へのお礼

>「全員野球の長嶋ファミリーは、見事、天下を取りました!!」
94年の日本一になった試合は東京ドームでしたので 「 ○テレ 」 ですね。

>「私は今日引退しますが、僕の夢には続きがあります!」
この広島戦ではHRを打ち、またダイビングキャッチも有りましたね。 早朝にもかかわらず御返答くださいまして、誠にありがとうございます。

お礼日時:2002/09/11 13:33

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