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私は哲学は勉強したことがないのですが考えていて疑問に思っていることがあります。
私は美しさというのは理論を越えたところにあるのじゃないかと思っています。
美意識には個人差がありますよね。時代や、文化、個人の経験や性格が影響してきます。でも反面誰にでも理解されやすい美というのもある。幾何学的美などです。ただし感じる人が数学を理解していなくても、イメージの場合ぱっと見て美しいと思うことが可能です。これは、たとえそのイメージの背後にある論理を理解していなくても、パターンを認識した結果とは言えないでしょうか。
そこから考えると、私たちが容易には解釈できない美にも何らかの論理があるという可能性があります。実際アイコノグラフィーなどの勉強はそれを解明するのが目的なんだと思いますが。
で、話は飛びますが、人間の脳のうちで、論理を司る部分というのは表層だけですよね。あとは深層心理です。数学はたとえばその論理の代表のようですが、本当に数学の得意な人はイメージで数学を捉えていたりしますよね。3桁の掛け算を一瞬で説いてしまう人が頭の中に数字を3次元の形として思い描いていたり。そこまで極端ではなくても、寝ているときに答えがひらめいたという数学者も多いし、紙の上の論理ではないところ、数記号や文字ではない、脳のもっと深いところでの真理探究というのは存在すると思うんです。
私はそれが美の背景じゃないかと思うんです・・・つまり人間の真理探究の欲求が、理論を越えたところに現れると、美しさとして受容されるんじゃないかなあと。
そういうことを書いた美学の哲学者がいたらぜひ教えてください。哲学者じゃなくて芸術家でもいいです。よろしくお願いします。
No.3ベストアンサー
- 回答日時:
>美意識は理論を超えたところ
私の見解では、超えたところではなく、別物だと思います。
論理とは、理性が世界を認識するための形式です。
真理探求は我々が元来持っているものではないと思います。理性の表象システムが関係し、真と偽が誕生したと思います。
あと「深層心理」とは、意識を中心とした考えで、意識の愚かさを象徴するものです。
我々はまさに生きるために、その能力を開花させてきたのである。要するに、真理探求には不向きである。
確かに、偽は人間の創ったものの中に存在しますね。
その能力というのは、深層心理の能力ということでしょうか?生きるために必要な能力というのは、真理探求と矛盾してしまうのですか?
私はわりと直観力というのを信じている気がします。理性で研ぎ澄まされた論理は根本がまちがっていても、惑わされます。間違わないためにはぼやけた真実で全体像を把握しつつ少しずつ細かいところを論理で埋めていくほうがいいような気がするんですが、どうでしょうか。たとえば数学で証明をするような場合ですね。でももっとすべてのことについても言えると思いますが。
貴重なご意見ありがとうございます。もしよかったらもっと教えてください。
No.7
- 回答日時:
美っていうと感動を連想します。
例えば美しいと感じるのは美ですが、人間の肉体でも女性の肉体の美は曲線で、男性の肉体の美は筋肉みたいな感じ?
馬の美は速く走ることだったりする。
視覚以外だと、例えば、誰かが
「2, 3, 5, 7, 11, 13, 17, 19, 23, 29, 31・・・」とぶつぶついっていたとします。
意味がわからないし、なにいってんだろうコイツくらいなのですが、それが素数であるとわかると「こいつすごい」と美を感じたりする。
法則をそこに見出すと、美しい旋律が存在するとわかり、美になる。
ピカソのへんてこりんな絵。
これは法則があるらしいです。
その法則に沿って見れれば、とてもおもしろいらしいです。
こっちの絵は法則が見出せない、こっちは法則通り、だとデタラメなので、旋律は存在せず、美じゃないが、どれも法則に沿って描かれていたら美になるんじゃないかと。
それが見つかったとき「おお」って感動して感動=美になるんじゃないかと。
ただし、ピカソの絵を普通に見てもわからないらしいです。
ある一点をわざと消すかなにかすると、見えてくるのだとか。
白い紙にAって文字が無数に打ってあって、意味わかんない ですが、離れてみるとモナリザの絵だったりする。
すると「おおお」に変わるんですね。
まだら模様をよく見ると、熱帯雨林とその動物が描かれていたりする。
カオスの中にちゃんと形があり、法則さえつかめば、存在しないと思っていたものが、存在するとわかったりする。
科学ってそうやって、存在するのに存在を知らないで使えなかったものを、発見により取り出して使うってことじゃないかと。
漢方なんかも、やっていくうち この薬草だと熱が下がるとか、なんとなく経験から昔から使っていたものが、現代ではその薬草に含まれる成分を調べることができ、解熱作用の成分が含まれているとわかったりして、あてずっぽじゃなく、確かに昔の人はどうして効くのかは知らなかったが、その効果を期待でき利用していたとわかる。
理由はわからないが取り出しに成功して使っていたってわけですよね。
人の利益になると美で、人に悪影響を及ぼすと害。
でもどんな食べ物にも副作用がある。
だから、少しづついろんな種類を食べたほうがいいってわけですね。
美も使いようによっては害になり、モロハの刃ってわけです。
美は感動、そうですね。美しさにはいろいろな種類がありますが、根底にあるものを少しでも理解していれば、新しい美を創りだす手助けになるかと思って質問させていただきました。
結局は個人的見解に過ぎないのですが、自分なりの考えがあって創作すれば、たとえ背後の論理を説明しなくても作品に説得力が生まれるのではないかと思います。
いろんな方のいろんな意見が聞けて大変参考になりました。
どうもありがとうございます。
No.6
- 回答日時:
>確かに、偽は人間の創ったものの中に存在しますね。
A書籍「行動を説明する」の表象システムを読んで頂けると幸いです。
>その能力というのは、深層心理の能力ということでしょうか?
A深層心理とは私は知らないので教えてください。
意識については書籍「ユーザーイリュージョン」を読んで頂けると幸いです。
>生きるために必要な能力というのは、真理探求と矛盾してしまうのですか?
A真理を探求して頂いているなら分かると思います。
意図性に関しては書籍「ヒトはいかにして知恵者となったか」
私はわりと直観力というのを信じている気がします。理性で研ぎ澄まされた論理は根本がまちがっていても、惑わされます。間違わないためにはぼやけた真実で全体像を把握しつつ少しずつ細かいところを論理で埋めていくほうがいいような気がするんですが、どうでしょうか?
A何が正しいとか無く、自由だと思います。
たとえば数学で証明をするような場合ですね。でももっとすべてのことについても言えると思いますが。
>数学は数学を証明出来ません。「ゲーデル」か「ショーペンハウアー」の著書をお読みください。
沢山の書籍を紹介してくださってありがとうございます。「ヒトはいかにして・・・」のほうは大学の図書館にあるみたいなので早速読みたいです。nisekantさんは進化論に興味をお持ちなのでしょうか。
カントも時間をかけて読んでいきますね。たぶん解説書なども必要になるだろうし。
どうもありがとうございました。
No.5
- 回答日時:
数学や言葉を越えた何かを探求したら、宗教になってしまい、哲学とはまた別モノの思想と考えるしかありません。
美とはそれだけ捉えがたい真理であると直感で思うこと意外の何ものでもないと、考えてしまえばそれまでのことです。直感という認識で考え続ける他はありません。プラトンは哲学者であるから数学というツールを採用して説明しようとしたのです。すべてが数学で定義できるかどうか考えていたかはわかりませんが、数学は単純な定理から複雑な理論を導き出す確かさがあります。>信じている気がします
>ぼやけた真実
「あたし達の直感です!」これで通じ合う人間社会も怖いですからね。
人間の共通言語として数学や言葉を活用しているのが、哲学の限界と言えば限界かもしれませんが、宗教的な思想にならないために"直感"を普遍的な言葉で解釈しています。
>数学や言葉を越えた何かを探求したら、宗教になってしまい
そうかな?と考えてみたんですが、確かに私の言ってることはかなり観念的でへたするとチベット密教みたいなところに行き着くものかもしれないですね。
>「あたし達の直感です!」これで通じ合う人間社会も怖いですからね。
直感で通じ合うというのは言葉でコミュニケーションをとるよりずっと難しいと思いますが。テレパシーのことじゃないですよね?直感と言ってだめならひらめき、とか・・・。それをそのまま論理を通さず形にしたのが芸術かなと私は思っています。
私自身は無宗教ですが、宗教的思想でもおもしろければありかなあ。
ご回答どうもありがとうございました。
No.2
- 回答日時:
質問者さんの言っていることは、いわゆるプラトンのイデア論です。
プラトンがイデア界という目には見えない世界(美を含む)を定義/哲学するのに使ったのが数学であり、美とは何かを考える際によく引き合いにだされる観念論です。「座標(点)に距離はあるのか?」といえばありません。「直線というものは点が並んで形成され」そして「面は線がならんで形成され」ますが、目に見ている直線も面も距離が存在しない点です。つまり目に見えているモノは、見えない何か(イデア界)から生じた影ではないかというような理屈。
観念論否定の哲学も多いですが、美を考えるにあたってプラトンは外せませんので、ひととおり勉強しておくと、美術も数学も面白くなると思います。
イデアの概念は、つまり数学の範囲をでないということなんでしょうか?私が観念論を肯定するとしたら、そこは人間の頭ではとうてい理解できないものが沢山あるような気がします。
プラトンはそうは思っていなかったのかな?これから調べてみたいと思います。
どうもありがとうございました。
No.1
- 回答日時:
美しさとは理論を越えたところにあるというのは多いに賛成です。
ですが、美意識に個人差があるとmd198さんもおっしゃっているように、私は幾何学的美についてはあまり美しさを感じません。
好きや嫌いではなく、美しいという事とは別のものだと感じてしまいます。
サンローランやディオールに美しさを感じますし、森瑤子さんなどの作家さんの文章の中にも美しさを感じますが、幾何学的なものにはピンときません。単なる柄、図形でしかないという認識です。
美:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%8E
そうですね・・・単なる図形に美をみるかは人によりますね。
たとえば中国の詩では、対になる句が多いですよね。ひとつの行で用いたテーマ(色や季節など)を、次の行などで反復するというような・・・私はそこになんとなく数学的なものを感じます。
ただ、分析はできないけど美しいものも沢山あって、それらがなぜ美しいのかを考えるのは野暮かもしれませんがおもしろいですね。
ご回答ありがとうございました。
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