
No.4ベストアンサー
- 回答日時:
大村益次郎は、武士ではなく、医者です。
最初に藩に出仕し始めたのは故郷・山口の毛利家ではなく、四国の伊達宇和島藩で、彼は武士としてではなく蘭学者として出仕しています。
兵学者となるのは、この後のことです。というか、本当は、洋書が読める秀才が西洋式の兵法を勉強して兵学者となっていく、というのが実態ですね。
幕末の志士は、大抵、剣が立ってズバズバ斬り殺しているように思われますが、坂本龍馬、西郷隆盛、桂小五郎、板垣退助をはじめ、上等な人間ほど人を切っていません。殺しているのは、人きりといわれた岡田以蔵など、政治的に大きな働きを殺人以外にあまりしていない人たちがほとんどです。
> 幕末のころには剣のたしなみが全くなくても武士はつとまったのでしょうか?
一般人でも、野犬などを追い払うために、大脇差しや六尺棒を振り回したり、という程度の心得はあります。なので、どの程度あったか、という話を考えないと答えにくいのですが、一般人と同じ程度でも問題なくつとまったでしょう。
No.6
- 回答日時:
>幕末のころには剣のたしなみが全くなくても武士はつとまったのでしょうか?
武士とは何かと考えると一般には軍人と考えるでしょうが、江戸時代の平和な社会の中で、行政官の側面が強くなっていきます。剣術や馬術の訓練も奨励されていますが(武家諸法度・3大改革など)、学問の方を重視したことも事実です。出世のためには学問第1だったようです。そのため、幕末動乱の頃になると武士の戦闘力が失われ、農民、商人などからなる部隊ができます。長州藩の奇兵隊・農兵隊などや、幕府の新撰組・新徴隊などが代表的でしょうか。
剣はたしなみ程度でよかったのではないでしょうか。
No.5
- 回答日時:
武士にも色々あって武芸で身を立てる程であれば武芸に励んだでしょうが、学問で身をたてたい人もいた筈です。
学問に励むと武芸は当然おろそかになるものです。
文武両道に優れた人というのは少なかったのは幕末だけではありません。
幕末の名君といわれた大名は武芸は家臣に任せた人ばかりです。
No.2
- 回答日時:
関が原以降、武士における剣術は必須のものではなくなりました。
それ以前は、いかに効率的に敵軍をやっつけるかという現代言われている剣術とは趣の違う殺人術が武士の必須スキルでした。
その後、徳川政権下で平和な時代になると、歌舞音曲などと変わらない芸能の一つとしての"武芸"が発達し武芸者というものが生まれました。
読んで字の如く、武を以ってアピールする芸者です。
実際江戸時代には、武芸者は大道芸人と変わらぬ下賎な"道々の輩”と呼ばれていました。
ですから、江戸時代、それも幕末頃には上級武士はある一定以上の武術
礼法としてのものを超える武術は、よっぽどのもの好きでないと修めていなかったと言われています。
No.1
- 回答日時:
>剣のたしなみが全くなくても武士はつとまったのでしょうか?
剣術だけが、武士の嗜みではないのでしょう。
吉田松陰とかも、流派は忘れましたが兵法の免許皆伝じゃなかったでしたっけ?
もちろん、剣術も兵法も学問を何もできない、家督を継いだだけの武士もいるでしょうけど。
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