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明治政府には特にそれほど興味はなかったのですが
司馬遼太郎さんの坂の上の雲を読んでいて興味が出てきました。
そこで少し質問があります。

1、言語について
作中にドイツや英国から教師として雇った人が出てきますが
その場合言語はどうなるのでしょうか。おそらくその教師に合わせて
ドイツ語なり英語なり使うんじゃないかと思うのですが
当時の日本人(の上流)は普通にそこまでリスニングができたのでしょうか?(読み書きならともかく)
というかそもそも江戸時代にオランダやらと貿易していたとき
言語はどうやって処理したのでしょう。そう簡単に覚えられませんよね。
そもそもオランダ語のテキストなどもそろっていない状況ですし。

2、お金について
当時の明治政府は軍艦などは主に外国製のを購入したという記述があるのですが
そのお金はどうしたのでしょうか。そこまで日本はリッチだったのですか?
そもそも当時は通貨は現代みたいにドルに両替、とかそういうことをしていたのでしょうか?

よろしくお願いいたします!

A 回答 (6件)

 1、に関してのみの回答です。



 蘭学の本は江戸時代に既にありました。が、今のようにコピーがあったわけでもないので、緒方洪庵の適塾では皆で順番に筆写していたそうです。小学生の頃読んだ福澤諭吉の伝記に出ていました。
 また、杉田玄白らの解体新書も、翻訳時に分からない単語がいくつかあったそうです。それでも西洋医学の最先端の知識を広めることの方がメリットがあると考え、いわば不完全なまま出版に踏み切ったそうです。
 幕末になり、開国後、英語が入ってきます。蘭学を学んだ福澤諭吉は横浜に行きますが、米国人の少女の話す英語がさっぱり分からないので、まず簡単な英単語を少女から教わった、という話を教科書で読んだような記憶があります。
 英語に関して言えば、江戸時代、実際に米国に渡ったジョン万次郎の功績も大きいです。彼の造った辞書によって英語の理解は飛躍的に向上したと言えます。
 明治になり、東京帝国大学が造られた時、当初はお雇い外国人教師によって英語の講義が行われた、という説明を、立花隆氏の『天皇と東大 大日本帝国の生と死』(文藝春秋)で読みました。ただ、そこには、日本人学生全員が英語の講義を理解できていたかどうかにまでは言及されていませんでした。
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オランダ語については通詞という役の人がいました。


代々この役を世襲していて口移しで学習していたので発音はできても文書を読む事は苦手だったといいます。

英語やドイツ語は必要に迫られて学習したか、自費、公費による留学生が多数海外に出かけていました。
女子大を開設した女性は自費留学生でした。

日露戦争で活躍した軍艦の殆どは戦艦、巡洋艦とも英国に発注した外国製でした。 これらは大部分外国からの借金により支払いに当てたものです。
当時の標準外貨はポンド建てでした。
従って外債はポンドで入手していましたから両替は不要だった筈です。
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この回答へのお礼

みなさんご回答ありがとうございます。
またお返事が遅れてしまい申し訳ございません。

大分疑問が解けてきました。また坂の上の雲を読み進めていくと
明治政府はありえないほどの予算を軍事費に当てていたこともわかってきました。
興味深いことばかりです。ありがとうございました。

お礼日時:2008/01/25 14:30

1.


 当時高等教育を受けれる人は、本当に限られた人のみでしょうから、家庭教師を付けるなりして、頑張って複数言語を身に付けたのでは…。
(旧制の学制には、中学校予科などがあるのでそこで身に付けたのかも)
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%A6%E5%88%B6

 当時の作品で、外国人教師の話した内容をクラスメイトで手分けして解読したなんて話を見た事があります。

2.
 当時は金貨や銀貨(小判や一分銀等)で交易していた筈なので、含有貴金属の重量で他国の通貨と両替が可能だったのでは。(=同種同量の原則)
 まあ、当時の日本では国際相場に比べて銀高だったらしく大量の金が流出したようですが。(国際相場が1:15の時に1:5)
   http://www.imes.boj.or.jp/cm/htmls/feature_gra1- …

 ちなみに、現在使われている「円」は、明治時代に金貨、銀貨として作られたのが最初ですが、これも主に貿易決済に使用されたそうです。
   http://www.imes.boj.or.jp/cm/htmls/feature_gra1- …

 明治の最初のころの日本は、リッチとは程遠く、大久保利通は個人で借金してまで国庫を支えたそうです。(死亡時に遺族に8000円の借金しか残せなかった。邸宅なども全て借金の抵当に…。)
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2.本にもあったかと思うのですが、国債を発行して、外国の資本に日本の債権を大量に買ってもらっていた。



それには国の信用という物が非常に大切だったわけですが、当時、イギリスは極東地域に野心を抱いていたロシアに対し非常な警戒感を抱いていました。香港にイギリスの拠点があったのですが、他にも対抗出来る国が欲しかった。
日本は、弱小国と思われていたが、眠れる獅子と言われた清との戦争に勝利していた。イギリスは、この日本を利用して同盟を結ぶことにした。
世界は、日本が7つの海を支配していた当時世界最強と言われていたイギリスと同盟できたことで大変な信用を持つようになった。
それで、日本の債権を各国の資本が購入してくれるようになった。

ドルでは無くポンドのような気が・・・。そのころの世界最強国は、イギリスでしたから。
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1だけ, かつ明治もちょっとしてからなんですが, 確か大学の講義は全て英語だったとか.... いや, ドイツ語もあるかな? とにか

く, 日本語では講義はしていなかったはずです.
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1江戸時代には代々通訳を務める家が定まっており口移しでオランダ語を学習したようです。

そのためヒアリングは出来ても読み書きは出来なかったようです。江戸時代の末には洋式の海軍が出来たわけですが、その時は授業はオランダ語だったのでかなり挫折した人がいたようですよ。
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