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集合的無意識はユングという名の学者によって分けられた4断層の最下部だというのは知りました。人間が理解するのは無理で、それが理解された時にテレパシーなどが起こるというのも調べました(これはちょい曖昧)
しかし仏陀の悟りは集合的無意識の理解ですよね?
その場合悟るというのはどうする事なんですか?

それともう一つ。
yahoo知恵袋の回答の一つに、赤い花は自らを赤と強くイメージするため赤色の体を持つという面白い事がかかれてました。
もちろんイメージを目で見るというのは無理かもしれませんが、筋トレの様にイメージはかなり影響します。
もちろんこの現代社会に慣れきった体には強いイメージは無理かもしれません。
しかし。もし、当たり前であるがごとくの様にイメージすれば少なくとも体格を変えるほどの事は可能ですか?

そして最後に、集合的無意識はどうやって理解するのですか?
3つの内1つでも答えてくれれば嬉しいです。

A 回答 (2件)

1、3、顕在意識で理解する・・・思考として理解したとしても、悟ったとは言えないのが悟りなのだと思います。

集合的無意識が悟りと同じかどうかは解りませんが、いずれも、いわゆる顕在意識が常態で獲得できる領域ではありません。顕在意識があると悟りが消失し、顕在意識が消えると悟りが現れます。

2、赤い花のくだりは、象徴的言い回しでは無いでしょうか。
イメージトレーニング、瞑想、自己暗示の効果は充分認め得るところです。強くイメージすれば、それに向けて動くようになりますが、イメージしただけで現実の物理的法則性を越えることはできません。
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悟りについて書かせていただきますね。


悟りと言うものは理解ではなくて
感覚だと思います。
ですから、これが悟りと言うものはないですよ。
野球にたとえますと
野球を悟った人は、野球が上手な人です。
でも、その感覚はこれですとは、出せません。
理解できる人が、野球ができる人とは違います。
その違いがあるのではと、思います。
みかんの味は食べた人にしかわかりません。
甘い、すっぱいは感覚です。
どんな風に理解しようが、どんな風に表現しようが
味にはならないと思います。
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