はじまて質問をします。

僕はもの事のはじまりについて興味を持っています。

早速ですが

現在は西暦何年や平成何年といった表し方で両方使い分けていますが、昔は日本では和暦しか使ってないと思います。
明治の新聞記事の日付や昔の書物の日付を見ると西暦が書かれていません。

いつから入ってきたのかはやはり文明開化からだと思いますがどうでしょうか?

そして一般的に使われるようになったのは昭和に入ってからでしょうか?

西暦2000年の節目からそんなことに疑問を抱いています。

このような質問などしても良いのかわかりませんがもし知っている人がいましたら

わかる範囲で結構ですので教えてください。

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A 回答 (4件)

日本に西暦が入ってきたのはキリスト教伝来と同時ですが、実際に西暦が導入されたのは明治時代中と聞いています。


ただ西暦が世界標準的な暦となったその背景にはやはり宗教的なことは無視できません。この視点で見なければ何故日本は西暦を導入したのか絶対に理解できません。
欧米をはじめ東南アジア諸国等々に至るまで、世界的にみて、イエス・キリスト信仰が絶大だからです。宗派は様々ですがイエス・キリスト信仰者いわゆるクリスチャン人口は世界で数十億人います。ちなみに日本人クリスチャンは約100万人程度です。
その様な背景の中で日本をはじめ、クリスチャン人口の少ない国々も国際外交や交易等で西暦を導入せざるを得なかったのでしょう。
ご存知とは思いますが紀元前はB.C(Before Christ:イエス・キリスト降誕前)、紀元はA.D(Anno Domini:主の年)といいます。この主とはイエス・キリストのことです。ですから、西暦をキリスト紀元ともいいます。
ただ、考え方によっては、西暦が日本に導入されてよかった点があると思います。
それは日曜日は"休み"になったからです。それまでの日本には無かった習慣なのです。
ここで勘違いしてもらいたくないのは、クリスチャンにとっては日曜日は休みではありません。
毎週日曜日は主の復活の曜日であるので、生活を支える目的での仕事はしてはいけない、その代わり、神(主イエス)のことを一日思う日(主日)に定めたのです。ですからクリスチャンは毎週日曜日に眠い目を擦りながらでも朝から教会に行き、ミサを受け、教会のために仕事をしたり、ボランティア活動をおこなったりするのです。
日本が西暦を導入した時"仕事はしてはいけない"というシステムだけを都合よく取りいれて日曜日は"休日"にしたのです。よかったですね。
ちなみに欧米諸国では昔から土曜日も休みでした。これは紀元前から続くユダヤ教の"主日"が土曜日だったことを引き継いでいます。
日本も土曜日を一般的な休みにするまでかなり時間を要しました。
このようにキリスト教以外の宗教上の背景もあり、なかなか土曜日休みを導入しなぁったのでしょう。
今冷静になってカレンダーを見てください。土曜日は赤い文字になっていません。
日本の国としては土曜日は平日なのです。未だに正式に休日と定めてないのです。
どうですか、このように宗教上の視点で考えると世界的な信者の数の多数決で西暦が世界標準的な立場の暦になっことが理解できます。
余談ですが、クリスマスはこのようにカタカナで書いてしまうと意味が分りませんが、英語でChristmas(Christ:キリストのmas:祭儀)という意味であり極めて神聖な日なのです。こう見るとクリスマスはクリスチャン以外の人には本当に関係ないことなのです。
でも"クリスマスの日だけクリスチャン成り"の日本人も大勢います。
よろしいんじゃないでしょうか、西暦(キリスト紀元)を導入したことだし。
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 日本には、キリスト教の伝来とほとんど同じ頃、西暦が入ってきました。

現在見ることができる最古のものは、「真仮名本の奥書」にある「御出世以来千五百九十四年」というように「西暦」の代わりに「御出世以来」を使っていました。芥川龍之介の「奉教人の死」にも記載があります。キリスト教が禁止になり、これは使われなくなり、江戸時代後期から明治にかけて、留学生がヨーロッパに出かけ、日本の年号より便利なため、津田真道が明治2年、年号をやめて、日本が建国したと考えていた神武天皇が即位した西暦紀元前660年を紀元元年とした日本紀元を採用する(当時キリスト教は西洋の圧力でしぶしぶ解禁したので国民の意識は江戸時代とあまり違いませんでした。だから、西暦など無理なことです)ように「年号廃止の建白」が出されました。しかし、このときは採用されませんでしたが、太陽暦が採用された後、年号とならんで日本での正規の紀年法となりました。西暦は、一部のキリスト教徒は明治の初めから使っていましたが、日本での正規なものは、日本紀元(皇紀)となりましたので、細々と使用していました。大正になり、西洋の自由な空気にあこがれる雰囲気が出てきて、知識人は西暦を好んで使用していましたが、戦局の激化に伴ない、使われなくなりました。戦争に負けてからは、GHQにより廃止が指令され、西暦のみが使われる様になりました。
 参考URLは世界のいろいろな紀年法です。
 

参考URL:http://village.infoweb.ne.jp/~fwhp7108/iroiro.htm
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この回答へのお礼

詳しい返事をいただき大変勉強になります。

西暦という暦について知ることができました。

私が思っている以上に暦とは奥が深いのですね。

ありがとうございました。

お礼日時:2001/02/12 22:26

日本に西暦(グレゴリオ暦)が正式に導入されて使われるようになったのは1873年のことです。

つまり、明治6年ですネ。
また、この西暦というのはキリスト教の暦ですから、現在でもイスラム諸国やユダヤ教では別の暦を使っています。
但し、国際的にはもっとも広く用いられているものですので、ほとんどの国で独自歴と西暦が併記されているのが現状ですネ。
なお、日本でグレゴリオ暦が導入されたとき、変な現象が起こりました。
それは、明治5年12月2日の翌日が、明治6年1月1日となってしまったということです。
以上kawakawaでした
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「国立天文台・天文ニュース」(参考URL)に、


“日本で西暦を日常的に使用するようになったのは第二次大戦以後のことで、
明治から昭和20年までは、神武天皇即位紀元(皇紀)がよく使用されました。”
という記事がありますので、y-yazawaさんのおっしゃる通り、一般に使われる
ようになったのは、「昭和」それも「戦後」ということのようです。
当然それ以前にも、一部では「西暦」を使用していたのでしょうが…

また、暦全般については、こちらにも詳しい説明が…
その中の「暦の歴史」は参考になるかもしれません。
http://homepage1.nifty.com/gyouseinet/koyomi.htm

参考URL:http://www.wnn.or.jp/wnn-n/tenmon/tenmon246/
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この回答へのお礼

返事をいただきありがとうございました。
私も戦後の教育改革から教育で西暦が使われるようになったと思います。

お礼日時:2001/02/12 22:22

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Q西暦が一般に浸透したのはいつから

西暦は6世紀にエウシグウスが考案し、次はwikiからの引用ですが
西暦1年から531年までは概念上の存在であり、実際の紀年法として使用されたことはない。その後も長らくこの紀年法は受け入れられず、731年にベネディクト会士ベーダ・ヴェネラビリスが『イングランド教会史(イギリス教会史)』をキリスト紀元で著してから徐々に普及し、10世紀頃にようやく一部の国で使われ始め、西欧で一般化したのは15世紀以降のことであるという。
西暦が国際社会でもっとも用いられる年号となったのは、キリスト教圏であるヨーロッパ各国の世界進出や植民地拡大により非キリスト教国でも西暦が普及したからである。

一般に浸透したのが15世紀以降とありますが、例えば1453年のコンスタンティノープル陥落の報などは、当時の人もその出来事が「1453年」のことであり、この数字は世界史上に刻まれる年であるといったような感覚は持っていたのでしょうか?
wikiの説明だとざっくりしすぎているので、当時の人々が自分が生きている世界は今何年なのかという感覚をどのように持っていたのか、何の暦で年数を測っていたのか、その理解はどの程度広まっていたかということを詳しくお聞きしたいです。

例えばローマ人のことでもいいのですが、彼らは建国記念が紀元前753年なので、この年を起源としてそれから2年・・・3年・・・etc という感じで自分たちの世界の年数を把握していたのでしょうか。例えばビザンツ帝国は自分がローマの正当の後継者だという意識を持ち続けていたとすれば、滅亡の1453年のことは起源から数えて2206年目にあたるから、彼らは2206年という年数を把握していたのでしょうか?
当時のビザンツの愛国的な歴史家が祖国の滅亡年を2206年として歴史書に記したというような、こういうエピソードは存在するでしょうか?

よろしくお願いします。

西暦は6世紀にエウシグウスが考案し、次はwikiからの引用ですが
西暦1年から531年までは概念上の存在であり、実際の紀年法として使用されたことはない。その後も長らくこの紀年法は受け入れられず、731年にベネディクト会士ベーダ・ヴェネラビリスが『イングランド教会史(イギリス教会史)』をキリスト紀元で著してから徐々に普及し、10世紀頃にようやく一部の国で使われ始め、西欧で一般化したのは15世紀以降のことであるという。
西暦が国際社会でもっとも用いられる年号となったのは、キリスト教圏であるヨー...続きを読む

Aベストアンサー

>例えば1453年のコンスタンティノープル陥落の報などは、当時の人もその出来事が「1453年」のことであり、この数字は世界史上に刻まれる年であるといったような感覚は持っていたのでしょうか?
「当時の人」とありますが、どこの地域に住んでいて、いかなる宗教を奉じていたかで変わるでしょう。

>当時の人々が自分が生きている世界は今何年なのかという感覚をどのように持っていたのか、何の暦で年数を測っていたのか、その理解はどの程度広まっていたかということを詳しくお聞きしたいです。
暦の歴史から始めませんと判り難くなるかとおもいます。
古代から世界中の人達は各々のグループ(民族)ごとに暦を持っていました。
最大の理由は農耕と祭神の為です。

ローマに御興味がお持ちようですので、取敢えずローマの暦の変遷をご説明します。
ロムルス暦:前753年制定・・・304日/年→厳冬期は無視(どうでもいい日)
ヌマ暦:前710年制定・・・355日/年→月の周期から計算して354日として1日足しました。(奇数を尊重)
ヌマ暦の改革:前153年(現在の英語の月名の原語が確定した)→地球の公転365日とのずれは閏年を設けて調整した
ユリウス暦:前46年制定・・・365日/年→4年に一度閏年
アウグストゥスの改暦:各月ごとの日数を変更した→8月の名称をsextilisからaugustusに変更した
これ以降、歴代の皇帝が自分の名前を月の名称にしようとしてすったもんだやってます
当時のローマでは1年の始まりは春分の日でした。

ローマ暦の紀元は西暦前753年を紀元としていました。
西暦3世紀にディオクレティヌスが西暦284年を紀元と改定しました。
ディオクレティヌスはキリスト教を徹底的に弾圧した皇帝でした。
西暦525年に神学者ディオニュシウス・エクシグウスが悪魔が定めた紀元である、と法皇に進言してキリスト生誕を紀元としする現在の西暦を定めました。
ただし、聖書の記述とは矛盾があり、現在の天文学の推定から実際のキリスト生誕は西暦4年となるとされています。

一方で古代エジプトでは、365日/年とした太陽暦が既に使われていました。

イスラム教圏では、イスラム暦が使われていました。354日/年→30年間に11回の閏年を設けてありました。
西暦622年に相当する年をイスラム暦の紀元としました。(ジュラ紀元)

イランでは西暦192年に、このイスラム暦を改めて独自のイラン暦を作りました。
これが現在でもイランで使われている暦です。

ユダヤ教では西暦前3761年を紀元とするユダヤ暦が使われます。

ミャンマー(ビルマ)では西暦前544年を元年とするビルマ暦を今でも使っています。

フランスはフランス革命のときに共和暦(フランス革命暦)という暦を作りました。

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中国ではローマ時代よりも遥か昔から太陰暦(旧暦)が使われていました。

>一般に浸透したのが15世紀以降とありますが
キリスト教圏での話です。
9世紀にヨーロッパに広まったという考えもあります。
実際に世界中に広まったのは植民地が拡大した18世紀以降です。

>滅亡の1453年のことは起源から数えて2206年目にあたるから、彼らは2206年という年数を把握していたのでしょうか?
自分の国の歴史は自分の国の暦で考えます。
イスラム教圏の人が、異教徒であるキリスト教徒が使う年号に一々換算して考えていたとは思えません。

日本でも、
江戸時代にはオランダと通商しており、領事館もありました。
とうぜんオランダ人が使う西暦は知っていました。
定期的に領事館から上がってくるオランダ風説書の作成時にはオランダ側は西暦を使っていたでしょう。
おそらく和文の報告書を作成した通辞が、年数を逆算して日本の年号表記にしていたのではないのでしょうか。
それはそれ、これはこれで、相変わらず太陰暦(旧暦)を使い続けました。

>当時のビザンツの愛国的な歴史家が祖国の滅亡年を2206年として歴史書に記したというような、こういうエピソードは存在するでしょうか?
寡黙にして知りません。

暦を共通なものとするのは、あくまでも国際交流の上で必要があるからだけです。
日常的には、昭和だの平成だのと日本国内でだけ通用する年号をお使いになられていませんか?

>例えば1453年のコンスタンティノープル陥落の報などは、当時の人もその出来事が「1453年」のことであり、この数字は世界史上に刻まれる年であるといったような感覚は持っていたのでしょうか?
「当時の人」とありますが、どこの地域に住んでいて、いかなる宗教を奉じていたかで変わるでしょう。

>当時の人々が自分が生きている世界は今何年なのかという感覚をどのように持っていたのか、何の暦で年数を測っていたのか、その理解はどの程度広まっていたかということを詳しくお聞きしたいです。
暦の歴史から始め...続きを読む

Q紀元前と紀元後をなぜ分けるの?

タイトル通りの疑問なのです。当たり前すぎなことなのかもしれませんが、教えてくださいお願いします。どういういきさつで分ける必要になったのでしょうか?
またいつから分ける様になったのですか?

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つまりは、西暦に関するご質問ですね?

いま現在、我々が使っている西暦は、イエス・キリストが生まれた年を紀元(はじまり。すなわち西暦1年)としています。(ところが後日、実際には何年か違うらしいことがわかった。)
この西暦を考え出したのは、数学と天文学に通じていたローマの修道院長、ディオニシウスで、6世紀半ばのことです。
それまでは、日本の元号のように、何皇帝の何年というような呼び方をしていました。
しかし、それでは年数の計算が不便なので、ディオニシウスは、キリストが生まれた年を紀元とすることにしました。
これが、現在我々が使っている西暦の始まりです。
何故西暦0年が存在しないかと言うと、西暦が作られた6世紀半ばのヨーロッパは、まだ数学が発達していなかったためか、「0」の概念が無かったのです。
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だから、紀元1年より前の年をあらわすには、0がないので当然ながらマイナスを使えず、「紀元前」とするしかないわけです。
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日本に至っては、明治以降、つまり19世紀に入ってから、やっと使い始めました。

つまりは、西暦に関するご質問ですね?

いま現在、我々が使っている西暦は、イエス・キリストが生まれた年を紀元(はじまり。すなわち西暦1年)としています。(ところが後日、実際には何年か違うらしいことがわかった。)
この西暦を考え出したのは、数学と天文学に通じていたローマの修道院長、ディオニシウスで、6世紀半ばのことです。
それまでは、日本の元号のように、何皇帝の何年というような呼び方をしていました。
しかし、それでは年数の計算が不便なので、ディオニシウスは、キリストが生まれ...続きを読む

Q「幕府」と「朝廷」の違いを教えて

中学校1年生の子供からの質問なのですが、

・「幕府」と「朝廷」の違いが分からない。
・そもそも「幕府」って何?「朝廷」って何?

と言われました。
お恥ずかしながら的確に説明できません。
教科書には説明が載ってないし、「先生に聞いてみたら?」と言うと
「先生は授業が終わるとすぐに職員室に戻ってしまうし、あまり質問しやすい先生じゃないもん!o(;△;)o 」
とのこと・・・(´_`;)

どなたか教えていただけますか?
私も勉強したいです。よろしくお願いします。<(_ _;)>

Aベストアンサー

朝廷というのは天皇を頂点とした政府のことですが、ここが日本全国を完全に支配していたのはせいぜい平安時代までで、その後紆余曲折はありますが、鎌倉時代、室町時代、戦国時代(この時代は全国を支配した政権はありません)、安土桃山時代から江戸時代まで、ほとんどは武士が支配することになります。
ただ、ややこしいのは武士が支配していた時代でも一貫して朝廷は存在していたことです。幕府の長は征夷大将軍ですが、これは形式的には天皇の部下なんですね。ただ、現実には天皇が将軍を自由に選べるということはほとんどなく、武士に言われるがままに任命していたわけですから、実権は武士の側にあったということになります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%81%E5%A4%B7%E5%A4%A7%E5%B0%86%E8%BB%8D
これを端的にお子さんに説明するのは難しいかもしれません。
ただ、今の天皇陛下も政治的な実権はまったくなくて象徴として存在しているわけなので、それとちょっと似ているというような説明は、できるかもしれませんね。(今でも首相を任命するのは天皇と決まっています。ただし天皇が首相を選ぶことはできず、国会が選んだ人を形式的に任命するだけです)

朝廷というのは天皇を頂点とした政府のことですが、ここが日本全国を完全に支配していたのはせいぜい平安時代までで、その後紆余曲折はありますが、鎌倉時代、室町時代、戦国時代(この時代は全国を支配した政権はありません)、安土桃山時代から江戸時代まで、ほとんどは武士が支配することになります。
ただ、ややこしいのは武士が支配していた時代でも一貫して朝廷は存在していたことです。幕府の長は征夷大将軍ですが、これは形式的には天皇の部下なんですね。ただ、現実には天皇が将軍を自由に選べるという...続きを読む

Q昔はなぜ新聞は和暦のみの表示だったのでしょうか?

昔はなぜ新聞は和暦のみの表示だったのでしょうか?
30年近いまえはそうだったと記憶しています。なぜでしょうか教えて下さい

Aベストアンサー

 朝日新聞が、1976年(昭和51年)から西暦優先表示に切り替え、毎日、読売、日経などが相次いで西暦優先になったようです。毎日新聞が右翼に脅かされる一幕もありました。NHKは、国内ニュースは元号、海外ニュースは西暦の使い分け組です。

 理由としては、やはり国際化でしょうか。外国と交渉したり、経年的なデータを扱うとき、和暦では仕事にならない。ローマ字入力とカナ入力の違いみたいなものでしょうか。

 歴史を学ぶときも、明治以前の年号を元号でスラスラいえる人は日本史の専門家以外には少ないのでは。また、明治時代、大正時代、昭和時代と年号で時代区分するのは便利なようですが、まず枠を決めてそのなかに史実を押し込む逆立ちした論理に走りやすい。昭和の終わりに近づいて、新聞社にも元号表示を見直す考えがあったのかなと推察します。

Q救急車を呼ぶと費用はいくら掛かりますか?

命に関わるときなら、くだらない質問です。ゴメンナサイ。

119番で救急車を呼んだ時、やっぱり高い費用があとから請求されるのでしょうか?相当な値段がするなら、タクシー呼んで救急病院なんかに行った方が安くつくのでしょうか?
一度、救急車に乗られた方がいらっしゃれば、教えて欲しいです。

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2回ほど付き添いで乗ったことがあります。
もちろん、無料です。

タクシーで行って、受け入れてくれる病院が見つから
なかったらまずいですよ。救急車の最大の利点は、
病院と連絡を取り合って受け入れ先を決めてくれる、
というところにあります。

Q腸?肛門に鈍痛が・・・

こんにちわ。
20代前半♀です。

ここ数ヶ月前から肛門ふきんが突然激しい鈍い痛みを起こします・・・・
はじめは子宮かな?!と思ったのですが、どうやら便意をもよおしたとき、するとき、した後、に伴うことが多いみたいで、どうやら肛門みたいです。(もしくは直腸??)

実は私は生まれつきの頑固な便秘で、高校生のころから市販の下剤を濫用した結果、昨年血便が2回でて、大腸検査をしました。結果は、S字結腸のところになにかデキモノがあったのですが、それは血便の原因ではなく、ただ水がたまったものだろう・・・とのころでした。(念のため産婦人科にもいくように言われましたがまだいってません・・・^^;)

子宮の鈍痛だと、性病などの可能性をきいたことがありますが、肛門のばあいはどういうことが考えられるんでしょうか?
その前にさっさと病院に行ったほうがいいと思うのですが^^;、ご存知のかたいましたら教えてくださいm( __ __ )m

血便以後は下剤を一切やめ、カマと水分だけでだいぶ改善し、自然に便意を催すようになりました。

鈍痛・・というのはかなり激しい痛みです。
ちょうど肛門の奥のへんから下半身にズキズキズキッと響くようなものが短時間(5秒くらい)あります。

また大腸検査をするべきでしょうか・・・
するべきですよね・・・・^^;

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Aベストアンサー

>鈍痛・・というのはかなり激しい痛みです。
ちょうど肛門の奥のへんから下半身にズキズキズキッと響くようなものが短時間(5秒くらい)あります。

↑この症状、私にはとても他人とは思えないほど思い当たるフシがあるのですが!
多分(いや、きっと)、コレではないでしょうか?
http://daichou.com/tokuhatu.htm
私は過去に痔の日帰り手術をした経験のある30代前半の女なのですが、手術以来、ときどき肛門がキリキリキリーッ!と痛くなることがありまして(短時間で治ります)、
オペしてもらった先生に相談したことがあります。
そのときに、「こういうことでしょう、きっと」(さきほどのURL)と言われたのですが…。
いまも時々「痛ぇーッ!」となる瞬間がある私ですが、大変な病気ではなく、ただ肛門付近の筋肉が収縮してるだけなんだということでほったらかしにしています。
ご参考に!

参考URL:http://daichou.com/tokuhatu.htm

Qなぜ西暦に統一されたのですか?

現在は世界的に西暦で統一されてると思うんですが、なぜ西暦が選ばれたのですか?また、東洋の暦はいつ頃廃れてしまったのですか?

Aベストアンサー

世界が西暦に統一されたかは分りませんが、
日本の暦は、太陰太陽暦から太陽暦に変わったのは、

「日本の暦は明治5年12月3日を、
新暦の明治6年1月1日とする。」
という事が明治政府の太政官の布告からあったということです。

理由は国家財政上の問題とか言われているようです。
その頃、明治4年から月給制をしていたそうです。

太陰太陽暦の閏年は1ヶ月増えて13ヶ月になります。
太陽暦に変わる前月の12月は2日間しかないという事ですね。
太陽暦の閏年は1日ですね。

http://www1.kaiho.mlit.go.jp/KOHO/faq/reki/kyuureki.htm
このWebページに少し触れられています。

Q割り算の答えは商、かけ算の答は?

割り算の答えは商、かけ算の答は何というのでしょうか?学校の宿題で出ていたのですが、私もわからない物で。。。わかれば、ぜひ教えてください。

Aベストアンサー

足し算 和
引き算 差
掛け算 積
割り算 商
こんな感じです。

Q昔の人は年号ばっかりで不便じゃなかったの?

昔の人は何年前とかってどうしてたんですか?
年号なんて数年で改元することもあるしややこしくなかったの?
別の年号(皇紀?)見たいなのがあったの?

Aベストアンサー

年号単独で使用されることもありますが、多くは干支(えと)との併用
がされていたようです。ちなみにこの場合の「えと」は現在の十二支
ではなく、60年周期のものです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B2%E6%94%AF

例えば、平成十九丁亥年などと表記し、この「丁亥」が24番目であ
ることから、60進法的な要領で他の年号との比較ができる訳です。
まあ60年あれば、たいていの人は自分の一生がカバーできるし、
自分の生まれた年を基準に+-60年あれば、だいたい親子孫3代が
範囲に含まれますね。
テレビの江戸時代ものドラマとかでも、時刻が「午の刻」などと12
進法になっていますが、言わばそれのパワーアップ版ですね。
現代の我々には、ちょっとなじめそうにはありませんが。

ちなみに、年号や干支は上流階級だけではなく、地方の農村の有力農
民など庶民の上層レベルにまで普及していたようです。古くは鎌倉時
代に百姓が領主に送った手紙などにも、年号や干支が記載されていま
す。

Q西暦何年、っていつから言われるようになったのでしょうか

現在2009年ですが、この西暦で年号の数字を言うのは世界的に、いつからなのでしょうか。まさかキリストが生きているとき「(西暦)30年」なんて言っていなかったと思うのですが。

Aベストアンサー

こんばんは。

「世界的」とは言っても、主に欧州ということになるのですが、
西暦(ユリウス暦)が一般的になったのは意外と遅くて、15世紀。
その後、16世紀にユリウス暦はグレゴリオ暦に取って代わられることとなります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%AA%E3%82%A6%E3%82%B9%E6%9A%A6

ご参考に。


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