出産前後の痔にはご注意!

三国志の頃の下着ってどんなものかご存知ないでしょうか?
調べたんですが全然…
できれば文章だけでなく絵とかで、イメージをつかみたいのですが…
漫画の資料にするので…

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A 回答 (3件)

No.2です。

補足です。

三国志時代のものでなくてもOKなら、タイトルを失念したのですが中国の昔の性がらみの風俗や習慣を紹介した本が参考になると思います。
主に宋代以降~明清代がメインなのですが、今で言うH本の挿絵が載っていて、男女の下着姿や着替えシーンが見られます。
(私は近所の図書館の民間風俗や慣習のコーナーで見かけました)

あとは明朝の小説「金瓶梅」とか、濡れ場の多い作品の挿絵は下着姿の出る率が高めなので(^^;)要チェックです。
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この回答へのお礼

御礼が遅くなりましてどうも申し訳ありません
やっと行ってきました図書館!

金瓶梅は…いい参考になりました!
ありがとうございます
これで描けます!!

お礼日時:2002/10/20 14:19

三国志頃の風俗は詳しくないのですが、もう少し後の時代の中国の風俗画で庶民の格好を見ると、腰丈の着物の下に皆、白っぽいズボンを履いています。



あれが実は下着なんです。
今で言うパンツというか、トランクスの丈長な奴というか、モモヒキみたいなもんです。
ウエスト部分に帯が縫い付けてあって、履いて、腰に帯を巻いて固定します。
(男女ともに用いますが、形はもしかすると微妙に違うかもしれません。
 用の足し方が違うから)
身分の高い人だと着物が長いので見えませんが、同じものを身に着けています。

アンダーシャツにあたるものは、日本の襦袢を腰丈に短くしたような奴です。
科挙の試験の時に、ここにコメツブ大の字でアンチョコを書き写してカンニングをした人がいたそうです。
(現行犯で捕まったようで、科挙関連の書籍を見ると、たまに現物が写真で紹介されています)

また、成人女性は胸部にブラジャーにあたる乳押さえを付けていました。
日本の腹巻をうんと小さくして胸サイズにしたような奴です。
綺麗な刺繍や柄の布を使って、現在のブラチラならぬ“乳押さえチラ”が定番のセクシーショットです。

以上、ご参考までに。
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この回答へのお礼

詳しく書いてくださってありがとうございます。
おかげでなんとなくイメージができてきました。
科挙関連の書籍も調べてみます!

お礼日時:2002/09/30 20:04

たしか,キチンとした下着というのはなかったのではなかったかと思います。


何も履いていないか,今の中国の赤ちゃん用パンツ(座ると自動的に尻が剥き出しになるようになっています)のようなものの原形だと聞いたことがあるのですけど。
日本の着物でも下着はつけないのが正式ですし,チャイナドレスもそうですから,案外,何も履かなかったというのが正解ではないかと思います。
でも,武将達は乗馬などの時はしっかりとサポーターをつけないと大変なことになったでしょうネ。
以上kawakawaでした
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
そうですね!確かに、はいてないということも十分ありえますよね!

お礼日時:2002/09/30 20:00

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Q古代の人の下穿きはどんなものだったのでしょう?

 よく弥生時代の日本人の服装として、貫頭衣が図鑑に載せられたり、博物館に展示されています。
 そこでふと疑問に思ったのですが、その下にはなにを着けていたのでしょう。女性ならまだしも、男性は何もなしだといろいろと不都合があると思うのですが。
 エジプトなんかだとふんどしみたいなものを穿いてますよね。日本人はどうしていたのでしょう。

 下らない質問かとは思いましたが、調べてもわからないというか何をあたれば良いのかわからなかったので、ご存じの方がいらしたら教えて下さい。よろしくお願いします。

Aベストアンサー

ざっと調べてみましたが、魏志倭人伝の頃は麻を織った布を身体につけているだけで、男性は布状のものを巻きつけているだけ、女性は貫頭衣を着ているだけで、下着らしきものはつけていなかったようです。

しかし、古事記が編纂されることになると、男性はふんどし状の下着をつけ、女性は裳という下着(アンダーウエアというより、服の一番下という感じ)をつけていたようですが、いずれにしてもこれらの下着を身に着けられるのは高貴な人だけで、それが戦国時代まで続きました。

江戸時代になると木綿を国産できるようになり、布の価格が下がって、ふんどしも庶民化しましたし、手ぬぐいなども現れました。

日本人の誰もが下着をつけるようになったのは、江戸時代からのようです。

さて、女性の場合は日本書紀にふんどしをしている記述がるそうですが、基本的には「畚褌」と呼ばれる、前垂れのないタイプのようでした。この下着は裳の下に来ていたようですが、戦国時代にそれまでの装束(十二単のような宮中装束)が廃れてくると、畚褌も廃れ腰巻に変わるようになったようです。

しかし生理日には畚褌を用いたり、ふんどしを用いたりしてその間に布や縄などの吸い取り用具をいれ、処理をしていたようです。
これも江戸時代になると、布が一般的になりますので、現在の布ナプキンの形に変わっていったようです。

女性のふんどしも一般的だったようですが、どちらかというと生理用品の意味合いが強いようですね。

ざっと調べてみましたが、魏志倭人伝の頃は麻を織った布を身体につけているだけで、男性は布状のものを巻きつけているだけ、女性は貫頭衣を着ているだけで、下着らしきものはつけていなかったようです。

しかし、古事記が編纂されることになると、男性はふんどし状の下着をつけ、女性は裳という下着(アンダーウエアというより、服の一番下という感じ)をつけていたようですが、いずれにしてもこれらの下着を身に着けられるのは高貴な人だけで、それが戦国時代まで続きました。

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Q古代中国の服装について

古代中国(三国時代や唐代)の人々は、どのような服装、髪型で生活していたのでしょうか??一般庶民、身分の高い人、男女、それぞれで知りたいです。
またこのようなことについて詳しいサイトなどあったら教えていただきたく思います。

Aベストアンサー

とりあえず、総論でとなりますが・・・

基本的に、現在の日本人が中国で思い浮かべる髪型の、辮髪については、あれは歴史的にはまったく中国のものではなく、清代に強要された、北方の満州族(女真族)の髪型です。
伝統的な中国の髪型は、冠をかぶる都合で、結わない長髪、まあいまの女性のストレートヘア程度と考えていただければと思います。
身分によっても多少差はあるのでしょうが、全体的には長髪であると考えて差し支えないと思います。
ただ、例外的に、春秋時代の資料ですが、中国東南部(呉越あたり)にすむ、漁業を生業とする海の民族は、髪を短く刈りそろえ、刺青をいれる風習があったとされます。
某ゲームメーカーの三国無双なるゲームをやったことがあるかは知りませんが、あれのゲーム内の姿でいうと、一般的な髪型は周喩などの髪型で、海の民族については甘寧がそのまま当てはまります。

服装については、参考に見つけたURLを乗せておきますが、古代(春秋、戦国)における服装は、少なくとも貴族(ただ、この貴族というのは、現代とだいぶニュアンスがことなります。ほとんど、軍役と猫の額程度の領地を持っている程度で、数もたくさんいました。戦国時代では、彼らが軍の中核です)はスカートの形をしたゆったりとしたもので、筒袖のような形はしていなかったと考えられます。
そのため、中国では春秋時代にいたるまで馬は戦車を引くためのものでしかなかったようです(着流しのような服装では、馬に乗るのは難しいのです)。戦も、戦車の上に3人乗って、それを馬に引かせるという方法でした。

しかし、戦国時代にはいって、趙という北方騎馬民族と国境を接している国に、改革的な王(武霊王)が現れ、この軍隊の服装を騎馬民族系の筒袖に変えて、騎馬隊を編成しました。胡服騎射です。これは、遊牧騎馬民族が世界最強であった源である、乗馬、騎射(馬に乗ったまま弓を射る)を行えるように訓練した部隊で、中国においては画期的な無敵軍団でした。ただ、これの結成において彼は貴族たちを必死に説得したようで、なかなか困難な道のりだったようです。

詳しい書籍については、こういったものもあるようです
http://www.hakuteisha.co.jp/new_pages/books/588-6.html

参考URL:http://china168.web.infoseek.co.jp/fukurekisi.html,http://www.ato-shoten.co.jp/ato-osusume/osu021.html

とりあえず、総論でとなりますが・・・

基本的に、現在の日本人が中国で思い浮かべる髪型の、辮髪については、あれは歴史的にはまったく中国のものではなく、清代に強要された、北方の満州族(女真族)の髪型です。
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