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日本に金印を贈った魏とは、三国志に出てくる魏ですか?
曹操孟徳とか曹氏が贈ったのですか?

A 回答 (5件)

すでに回答もありますが、卑弥呼に贈られた金印は、三国志の魏から贈られたものです。

贈ったのは曹操の孫の曹叡と考えられています。
卑弥呼は長らく朝貢していたと考えられていますが、韓半島の帯方郡を治めていた公孫氏がそれを貰っていたため、魏(や漢)には届いていなかったようです。公孫氏は魏と対立し、独立して燕という国になりますが、魏が放っておくわけもなく、三国志演義でも有名な司馬懿を送って公孫氏を滅ぼします。このタイミングで送った卑弥呼の使いが、帯方郡から魏の都まで連れて行ってもらって皇帝と会っていて、そのお返しとして金印や鏡百枚などをもらったわけですね。

公孫氏が滅ぼされたので機微よく新たな支配者の魏に朝貢した、という考えと、公孫氏に朝貢しようとしたら攻められて滅ぼされたので魏に朝貢した、という見方がありますw どちらだったのかは不明。
どちらにせよ、魏の皇帝である曹叡が、最近では中国国内でも2人も皇帝をかたるニセモノが出て民衆も多く騙されているのに、はるか遠い国(倭国)にもかかわらず、その国の王が自分が真の皇帝だとして朝貢してきた、と大変に喜んで沢山のお返しを贈ったと、三国志(魏志倭人伝)には書き残されています♪
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三国志に出てくる魏です。


当時の皇帝は、曹操の孫の曹叡です。
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質問の答えは他の方が他の言う通りなのでしょう。


私は思うのですが、
金印に刻まれている
「漢委奴国王」は具体的にだれを指すのだろう。
こちらの方に、凄い興味を持っています。
これが解けると、今までの歴史がひっくり返る気がしませんか。
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日本に金印を送ったというのは中国の文献上では、ふたつあります。



ひとつは後漢書東夷伝です。西暦57年に後漢の光武帝が「倭」の「奴国」の「王」に贈ったと記録されています。福岡県の志賀島で江戸時代に発見された「漢委奴国王印」の金印がそれだという説が有力です。

もうひとつは魏書東夷伝倭人条と呼ばれるものです。いわゆる「魏志倭人伝」ですね。西暦238年に三国志にもでてくる魏の王、曹叡から邪馬台国の女王・卑弥呼に対して、西暦238年に与えられた「親魏倭王印」です。こちらの金印は発見されていません。この発見によって邪馬台国の所在地がどこかということが明確になると期待されています。
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志賀島で発見された金印に、魏志倭人伝に出てくる「奴国」の文字があったというだけのお話で、魏志倭人伝には魏が倭に金印を贈ったという記述はありません。



中国側に対応する記録は、後漢書東夷伝の次の記事です。
「建武中元二年 倭奴國奉貢朝賀 使人自稱大夫 倭國之極南界也 光武賜以印綬」。
これには以上のように、西暦57年に、倭の奴国の朝賀使に、主を奴国王に冊封した証明として光武帝が金印を授けたというようなことが書かれています。

つまり、後漢の初代皇帝である光武帝(劉秀)が贈った金印と云うことになります。
この金印は偽物説が発見当時から根強く主張され続けていますが、本物ならば光武帝から贈られてきた金印である可能性が最も高そうです。
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