痔になりやすい生活習慣とは?

曹操は劉備の事は大嫌い(まぁお互いでしょうけど・笑)ですが劉備配下の関羽の事を何故か気に入っていますよね。
何故なんでしょうか?
豪傑だから?ちなみに関羽は曹操の事をどう思っていたんでしょう?

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A 回答 (5件)

こんばんは。

三国志演義、そしてそれを元にした小説や漫画から受けた印象ですが、
曹操はやはり関羽の戦闘力はもちろん、義に厚いところ、
そして“美髯公(びぜんこう)”と呼ばれるほどの風采と大人然とした風度を
気に入っていたのではないでしょうか。前二者は張飛も同じことですが、
後二者は張飛には備わっていなかったでしょうから。
優秀な武将なら誰しも喉から手が出るほど欲しかったでしょうが、
張飛の粗暴さは曹操の敬遠するところであったことは想像に難くありません。

>ちなみに関羽は曹操の事をどう思っていたんでしょう?

能力は認めながらも、主君候補としては「眼中にない」といったところでしょうか。
袁術討伐の名目で自分から借りていた兵を元手に独立勢力化していた
徐州の劉備を曹操は急襲しましたが、その際劉備(袁紹の元に亡命)の妻子を
人質にすることで、主君とはぐれた関羽を手中に収めたこともありました。

関羽はしかし、劉備が生きていることを知るや曹操の元を離れ、
曹操の武将を血祭りに挙げてまで妻子を劉備のところまで送り届けます。
有名な「関羽の千里行」です。

曹操は暇を告げる関羽に会おうとせず、また主のためにすることだ、と
去る関羽を引き止めないよう部下に命じていたのですが、
無理に通せんぼをした武将たちは夏侯惇を除いてすべて討たれてしまいました。
……「演義」の記述によれば。

一方「正史」ではここのところの記述がほとんどないために、
「実は関羽は妻子を見殺しにして自分だけ逃げ帰ったのではないか?」
と推測する人もいます。関羽にとっては美談中の美談ですから、
事実とすれば正史でもここぞとばかりほめちぎるはず、というのがその根拠。

また、曹操は劉備のこともかなり買っていたと思われます。
劉備が呂布に徐州を追われ、曹操の元に身を寄せていた時代、
彼を敵に回すよりは自分の勢力下に置いて飼いならそうと
曹操はしきりにアピールしていましたよね。

帝が天下を牛耳っていた曹操にクーデターを企て、
曹操がクーデターの同志の血判状に自分の名を見出したことを知った劉備は
脱兎のごとく逃れ徐州を乗っ取ります。
で、その後は曹操猛襲→主従離散→関羽の千里行の流れになります。

参考URL:http://www9.ocn.ne.jp/~all/jaki-1.htm,http://www …
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。^^
曹操は別に劉備の事が大嫌いという訳でもなかったんですね^^;

お礼日時:2003/10/01 18:32

ささいなことですが、「関帝廟」ですね。


ちなみに、諸葛亮は「武侯祠」に、劉備は「昭烈帝廟」に、それぞれまつられていて、一部の人たちの崇拝の対象になっています。商業の神様として名高い「関帝廟」ほど有名ではありませんが。

なぜ関羽が商業の神様かというと、人に嫌われることがなかったから、らしいです。武門一点張りの張飛は、曹操を恐れさせたことはありますが、結局配下にしたいと思わせたことはなかったと、「演義」はじめ各種の三国志から推察することができます。対して関羽は文武両道で人格者。劉備と桃園のちぎりを交わす前は、儒学の教師でしたから、詩人・曹操と接しても文化的な会話が交わされていたことでしょう。また関羽も、曹操を一代の英雄と認めていましたが、漢朝の復興という大儀に照らして「逆賊」である以上、仕えることはできませんでした。自らは「漢朝の忠臣」と位置づけつつ、でも自分の子供には天下を取らせたいと思っていた曹操としては、そういう義人ぶりにも感銘を受けていたのだろうと推察しています。
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この回答へのお礼

細かいツッコミありがとうございました。(笑)
僕が聞いた説では「関羽」はたしかに義理人情を重んじ人望が厚かったそうですが、その反面、他人に自慢する面もあったとか。^^;

お礼日時:2003/10/06 16:07

関羽は三国志一の勇者で今でも神様として中国人に崇められています。


これは劉備・曹操・諸葛亮・趙雲にもなかったことです。

今でも横浜の中華街に行くと関亭廟という、関羽を祭った寺があります。(もちろん、中国にもあります)
あと、中華街の店のいくつかが店に関羽の置物を置いています。(日本でいうところの招き猫といったところでしょう)
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。^^
神戸にも「関亭廟」ってありますよね。
一度行ってみたいなと思っています。

お礼日時:2003/10/01 18:34

2番の方のいうとうり人材収集癖です。


曹操はまさに優秀な人材を集めいかに適用するかを考えたのではないでしょうか。
ですから劉備のことも嫌いではなく優秀な人材としていかに運用するかを考えたと思います。
三国志はいろいろなかたが執筆されていますが最終的に関羽のことは武力だけでなく政治的に期待したのではないかと思われます。そして関羽も曹操に魅了は感じていたはずでしょう。しかし関羽は義にも熱い。よって最終的に劉備をしたい続ける。そこさえも曹操にとっては魅力だったと思われます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。^^

お礼日時:2003/10/01 18:33

個人的な意見ですが



曹操は劉備のことを嫌っているというよりは、好敵手として見ていたのではないでしょうか。呂布に徐州を追われた劉備を郭嘉の制止も聞かず助けたことも有りましたし。

曹操の人材収集癖は有名ですから、知勇兼備の猛将である関羽を味方にしたいと思うのは当然だと思います。
関羽は、一時曹操の元に身を寄せていた時期もあり恩も受けたと思うので、劉備との誓いがなければ、曹操に使えていたのかもしれませんね。少なくとも人間的に認めていたのではないでしょうか。

本によって書き方が違うので読んだ本とか人の解釈によって変わってくると思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。^^

お礼日時:2003/10/01 18:33

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Aベストアンサー

劉備玄徳にはリーダーシップと聡明さがありました。それは間違いありません。

また物騒になってきたとはいえ、まだまだ平和な現代の日本にいてはわかりにくいでしょうが、
血で血を洗う戦国時代にあってなお高潔さを保ち続けた劉備の存在というのは、
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現代でもそうではありませんか。政治家や官僚の汚職が当たり前になっている昨今、
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Q劉備玄徳の人肉接待について

三国志の劉備玄徳が、戦に敗れて逃走中にかつて面倒を見た人の家に泊まった時に、その人は自分の妻を殺して料理し劉備に食べさせたという話があります。

一般的な日本人の感覚では、到底受け入れられないですが、中国の史書では立派な行いと称賛してるものも多いそうです。

三国志演義に見える話とのことですが、翻訳した人が「この部分は日本では無理だろう」と判断して、訳書からカットすることが多いとのこと。さもありなんと思います。

ネットで見ると、中国では古くから人肉を食する習慣があるらしいです。まあ、中国に限らず今ほど食糧事情がよくなかった時代は、世界でも割とあったことのようですが。日本でも、天明の大飢饉のときなどに同種のことがあったのは有名ですね。

ただ、気になったのは、日本では特殊な時期しかこの種の話はないけど中国ではかなりの頻度であるようだし、それを主君に報いる行いと称える記述もあります。少なくとも日本では、やむにやまれずやったという感じがしています。しかし、天明の飢饉の絵図を見ると、まさに地獄絵図ですね。

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(1) いろいろ見ると、中国で昔からカニバリズムがあるという証拠はない。三国志演義の記述もそれが当時としても極めて珍しいことなのでわざわざ書き残されている。これをもって、昔から一般的な習慣だったとはいえない・・・という意見があります。私も、そう思います。というか、そう思いたいです。
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Aベストアンサー

今手元に正史の『三国志』も小説の『三国志演義』もちょうどないので、記憶の中だけの話ですが、確か劉備が呂布に敗れた時、猟師の劉安の家に泊まって、劉安が妻を殺して「狼の肉です」と言ってもてなした話ですね。

このエピソードは正史にはありません。裴松之が付した注にもありません。
『三国志平話』および『三国志演義』の中にのみある話です。どちらもあくまでも小説です。



むろん中国でも、人肉食は極限状態です。
ただ、全くなかったということでもないみたいですね。

たとえば春秋時代の斉の桓公といえば、誰もが春秋五覇の筆頭に挙げる人ですが、管仲に馘首された厨宰(宮廷料理人)の易牙を、管仲の死後に再任用します。
易牙がクビになった理由は、桓公が「ワシは人間を食ったことがない」と言った際に、自分の息子を蒸し焼き料理にして献上したという無茶なものですが、管仲は「息子を料理にして殺すなんて、易牙は親子の情が薄い」と言っており、カニバリズムそのものを罪としてあげつらっているわけではいません。

『演義』の中には、董卓が死んだ際に董卓に苦しめられた人々が、恨みを晴らすために董卓の肉を食いちぎるという場面もありましたね。

また、正史だけでなく『資治通鑑』など比較的評価の高い史書の中にも飢餓における食人の話題は出てきます。むろんそのすべてを「本当にあったこと」として鵜呑みにすることはできませんが、「食人」という話題が史書に挙げられるということは、「あってはならないことではあるが、決して起こりえない話ではない」ということでもあることが分かります。(ちなみに「評価が高い」というのは、資料的価値ではなく文学的価値です)。


さて、高島俊男の『水滸伝の世界』では、「人を食った話」という一章を設けて、水滸伝の中にあらわれる食人の表現について言及をしています。
まず高島氏は桑原隲藏氏の「支那人間に於ける食人肉の風習」という論文を引いて、中国における食人の目的を、
(1)飢餓時の食料    (2)戦時の糧食が尽きた時の食料
(3)復讐        (4)嗜好品(美食)
(5)医薬品
と分類し、そのうえで「肉食が食の中に普通にある中国」と「食っても魚か鳥が関の山だった日本」との、肉食文化の彼我の違いを挙げています。

これらのことを総合して考えると、劉備の話は(劉備にとっても劉安にとっても)極限状態だったという場面における「美徳ではあるが悲劇」という演出でしょうね。


余談ながら、興味深いサイトを見つけました。日中両国における食人に関する話題です。
http://trushnote.exblog.jp/7602405/
http://trushnote.exblog.jp/7876738/

今手元に正史の『三国志』も小説の『三国志演義』もちょうどないので、記憶の中だけの話ですが、確か劉備が呂布に敗れた時、猟師の劉安の家に泊まって、劉安が妻を殺して「狼の肉です」と言ってもてなした話ですね。

このエピソードは正史にはありません。裴松之が付した注にもありません。
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