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ローマ帝国の衰退、滅亡の理由を教えていただきたいのと、
その具体的な説明をお願いします。

よろしくお願いします

A 回答 (7件)

それって凄い長いレポートになると思うんですが・・・


学校の課題か何かですか?

そうなら「何らかの課題やレポートのテーマを記載し、ご自分の判断や不明点の説明もなく回答のみを求める質問は、マナー違反であり・・・こういった質問対し回答する事も規約違反となりますのでご注意をお願いいたします。」となっています。

まずは検索してみて不明な点を聞いたほうがいいと思いますよ。
考え方にもよるところもあると思いますし(いろんな説もあるし)・・・。
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 塩野七海「ローマ人の物語」を読めば良いと思います。



 歴史的名著と言われる、ギボン著「ローマ帝国衰亡史」以上に核心を捉えていると思います。また、著者が日本人なので、ギボン著の訳文よりもはるかに読みやすいです。
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丸投げ臭がありますが(笑)



Eギボン著(東京書籍刊)図説ローマ帝国衰亡史
http://www.junkudo.co.jp/detail2.jsp?ID=0104727038

30ポイントで読み解く「ローマ帝国衰亡史」金森誠也監修(PHP刊)
http://www.bk1.co.jp/product/02457132

末期ローマ帝国(クセジュ文庫:白水社刊)
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4560056021.h …
辺りを参照されれば氷解すると思いますね
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侵略の対象国がなくなったので経済の維持が出来なくなった

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ローマ市民の義務と権利のバランスが崩れたこと、衆愚政治になったことでしょうか。

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「研究者の数だけ答えがあります。

」・・・が、答えになりますが。
まともに答えようと思ったら、本が数冊書けますね。
取り合えず、参考書を、、、。

『ローマはなぜ滅んだか』弓削達 著 講談社現代新書968

『ローマの歴史』モムゼン 著 名古屋大学出版会

『ローマ帝国衰亡史』ギボン 著 筑摩書房

『ローマ人の物語』 塩野七海 著 新潮社

取り合えず、ローマ史の王道本ですね。
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どこかの誰か残したコメントですが「ローマ帝国の滅亡した原因よりも何故ああも長期間に渡り繁栄を維持できたのか?を問うべきだ」との趣旨でのものがあります。


実際ローマに限らず国家や文明は100%滅亡するか衰退するので私もこちらの方が建設的だと思います。

さて、私の過去の回答のコピペですが・・・

まず言っておきたいのは、領土(図体)が大きくなりすぎた事を念頭に入れておいて下さい。

政治的には領土が広すぎた為に軍司令官や属州総督を派遣するといったシステムが多かった様です。と言うのも東西だけで言うと最盛期にはスペインのジブラルタル海峡からロシアの黒海沿岸やイラク北部に跨っていました。今でこそ飛行機で何時間といった距離ですが当時は風任せ・人力便りのガレー船と徒歩や馬で街道を進むしか方法が無かった時代です。そんな交通事情では例えば蛮族(周辺住民)の組織的な侵略や略奪。或いは自然災害や飢餓等で一々首都ローマの皇帝に指示を貰って動いていたら今の日本のお役所仕事よりも状況は悪化します。なので担当者を派遣して急場は彼らが処理して根本的な対処(立法や公的資金の注入。軍の配置等)は事後報告を受けた皇帝が担当することになりました。
しかし皇帝が後継者を残さずに死んだりネロ等の様に住民や元老院に見放された皇帝が出てきたらついムラムラっと支配欲に燃える人も多かったりします。それが上り坂の時代ならば多少は許容されるのですが下り坂で蛮族の侵入が重なったりしたら内乱に乗じられたりする訳です。

経済的には政治的な内容と重なりますが内乱と蛮族の侵入が重なるとどうなると思いますか?
ここでは北アフリカを挙げたいと思います。内乱等で軍隊が指揮官の皇帝即位の為に他のライバルを武力討伐する為に他の地域へ移動すると周辺民族が侵入してきます。彼らは簡単に言うと銀行強盗の群れだったので街や村を略奪して回ります。そうすると住民は暴力を嫌って難民となり他所へ流れて行くことになります。基本的に経済は農作物や鉱山からの収益或いは貿易で成り立ちますし農業はそれらの基本です。そして農地は常に人が手入れしないと荒れる物です。信じられないかもしれませんが当時の北アフリカは砂漠では無く穀倉地帯だったんです。で荒れるに任せて砂漠化しました。これは他の地域では荒地になったり森林になったりして収穫は激減していったのです。
しかも強盗は略奪する物が無ければ支配して搾り取る方法にして居座り続ける事を始めたので二重の意味でダメージになりました。

宗教的には色々ありますが政治的・経済的行き詰りとキリスト教の普及が重なった事が大きいでしょう。ローマ古来の神々は我々を見捨ててしまった。そんな思いに駆られたローマ人の心のスキマにキリスト教は漬け込んだんです。曰く、今の状況は真の神を蔑ろにしたローマ人の所業のツケである。曰く、しかし真の神に帰依すれば救済されるとでも言ったのでしょう。ここで最後の審判で救われると言うのがミソです。来るかどうかも分からない最後があると言って置きながらそんなものは20世紀が終わってもありはしなかったのですからね。まぁこれは今だから言える事ですし当事者はパニックで冷静に考える余地が無かったのですけど。
それからカトリック教会とローマ法王という形で国家内にもう一つの国家を作り上げて寄生されたのも痛かったですね。飢饉で神父やシスターが難民にパンを配る・・・美しい光景ですが何の解決にもなっていません。解決するには行政サイドが動くしか無いのですがガタガタの帝国にはそんな力は残されていなかった。これでは教会に入る人が増えるし帝国に見切りをつける人が増えるのは止め様がありません。


最後に追加ですが戦争のやり方が変ったのも重要です。かつては重装歩兵が主力を担っていたのが騎兵に取って代わりました。単純に考えて甲冑と槍で済んでいたのが追加で馬が加わります。これがクセモノでして俗に牛飲馬食と言う言葉がありますがこれは飲み食い意が激しいのを牛馬に例えた言葉ですが馬を飼うには餌場を順々に回る遊牧生活か金で買って入手するしか方法がありません。しかも手綱や鞍を付けないと乗れませんし牧場や厩舎を作ったり練習の為の馬場も必要です。
これは何故かと言うと大陸の東のモンゴルとかの遊牧民が食い詰めてヨーロッパ方面に移動しました。と書くと穏やかですが戦争しながら原住民を土地から追い出して居座ると言う形で成されました。それでゲルマン人も食い詰めてローマに・・・と言うわけです。なので力関係では負けてるので弱ってるローマで略奪や居座りして新生活を始めよう・・・とそういう次第なんです。



纏まりが無く内容が重複した文章ですがそう私には見受けました

長いのは別に嫌がらせではありませんよ。これでも文章は相当に削ったと自負しています。古代ローマ全体で千年以上。帝政に限定しても数百年はありますしね。勿論これは正解ではありません。あくまでも私の視点から眺めた古代ローマでしか無いのです。例えていうなら缶コーヒーの缶を眺めてこれは丸いと断言しているだけの事であり他の視点から見ればそれは長方形の物体や楕円形のそれとして見える・・・そういうことです。
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