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テレビで落語家の方が、努力なんてぇものは才能の無い凡人のする事、ただの言い訳
のようなことを言っていましたが、私はその話を聞いて爆笑してしまいました。
言い難いことを随分と事も無げにあっさりと断言するものだと感心しましたが
それと同時に疑問も沸いてきました。
技術的な事、例えば難解なピアノ曲を練習もしない、ピアノに触った事も無いのに即座に弾けるものなのでしょうか?
ピアノの練習をするのは努力では無いのですか、天才は練習などしないのですか?

才能のある音楽家や小説家は、自分の脳に思い描いている事を、ただ単に
書き写しているだけで、悩んだり考え込んだりしないのでしょうか?
悩み考え苦しみながらの作業は、努力では無いのですか?
天才的な発明家や研究員は、毎日こつこつと研究していますが、それは
努力ではなく、別の何かですか?

話が少しそれますが、私の知人が、趣味でパソコンを使った音楽製作をやっています。
あれこれと機材を揃えても、曲が出来ないと文句ばかり言っています。
挙句の果てに 「 音楽業界の作曲家なんていうのは、ゴーストライターがいて
自分で作曲してないんだ、小説家だってそうだぜ 」 と言っていましたが
自分で作ってもいない創造物を私が作りましたと言って、あなたはそれで
満足できますか?と聞いたところ、黙っていました。
私は、その知人が凡人に観えました。

結果が全て、全てでは無いという質問が何処かに記載されていましたが
その前に、何処までが努力で何処までがそうでないのか、自分が
努力していないと思っていれば、努力ではないのか、自覚した時が努力なのか
好きな事を楽しくやれば努力では無いのかが、判りません。

私は頑張っていますよ、努力しています、と回りにアピールする方が
たまにいますが、爆笑してしまいます。

判りずらい文章で申し訳ありませんが、宜しくお願いします。

A 回答 (16件中11~16件)

こんにちは。



努力とは、その人の潜在能力を表面化させるための行動と言えます。

潜在的な能力(可能性)のないものをいくら育てようと思っても達成できません。0は0なのです。また、限りなく0に近いものを大きくするためには並大抵の努力ではいけないと思います。

人は、磨けばひかるもとになるものを何個か持っています。それを早く見つけることができた人はとても幸せです。それが何か、自分には何ができるか、可能性を探し出すことで悶々としているのがふつうの人ではないでしょうか。外から見ると、その行動はとても苦しげで、スマートではありません。でも、暗中模索の中で自分の可能性を発見できたとき、今後は立て板に水のように人生を送ることができるでしょう。

人は平凡と天才の両方になる可能性を常に持っており、自分の天才の可能性見いだすために人生の大半を費やす。その過程で行う努力は決して見栄えがするものではないが、真の可能性を発見したとき、それを磨く行動は、スマートに見えるということでしょうか。
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この回答へのお礼

アドバイスありがとうございます。
少しの才能があって、画家や小説家、音楽家、研究家になりたいと
考えていたとして、その途中で飽きてしまったら、と考えるのが凡人でしょうか。
天才は探究心、追求心が人一倍強いのでは?と思っています。

お礼日時:2002/10/09 00:36

凡人努力家女子学生です。

凡人でも天才でも、好きこそ物の上手なれです。努力とは、習慣化するまでもっていくように続けること・・だから、一般人にはとても苦しいこと。天才的な人はその才能を発揮して短時間でやり遂げるので習慣化することなく、その物事を好きになる・・・そして、自ずから、その勉強、ないし、研究に没頭することが出来るんだと思います。努力ではなく、没頭するところまで
出来れば、努力の必要はいりません。没頭は快感で、努力は苦痛を伴いますから・・。参考になってませんね・・。私も落語、聞いてみようかな。
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この回答へのお礼

御返答ありがとうございます。
やりたくない事を嫌々やるのが努力だとすれば、その努力した結果は
ろくな事にならない経験が多々あります。でも別の見方をすれば
それは良い経験であって、次にする行動、考え方の糧となると思っています。
天才はそんな無駄な経験は、しないと思いますが、自虐的な快感や
没頭している時の快感を楽しめます。

お礼日時:2002/10/09 00:10

天才とは、1の才能と99の努力のたまものである、というエジソンの有名な言葉がありますが、普通、これは「だから努力が大事なんだ」という意味に解釈されていますよね?


しかし、エジソンの真意は、「いくら99努力しても1の才能がない人間はだめだ」「0は何倍しても0だ」ってことらしいのです。
確かに、超人的な努力によって人並み外れた業績を残す人もいますし、天才といわれながらも常人以上に努力している人もいます。

が、やはり、天才というのは、努力とか熱意とかを超越した存在だと思います。最近はやりの「右脳教育で我が子を『天才にする』」なんてのはもってのほかです。生まれつき凄いからこそ天才なんです。絶対音感とか写真記憶なんてのは努力して身に付く物ではないんです。

最近は、ちょっと才能がある子供がいると「天才●●少年」なんてキャッチフレーズが付きますが、天才の安売りですね。

モーツァルトが曲を一回聴けば即座に暗記し記譜できたとかバッハが自らの作品を神からの授かり物と感動し泣きながら演奏していたなどのエピソードの前には(神秘性を強調するための後世の創作かも知れないですが)『努力』という言葉は、確かにかすんでしまうと思います。

だからといって、努力が無駄だとは思いませんし思いたくもありません。世の中の99%は凡人なのですから、少しでも向上するために何らかの犠牲は払うべきです。
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この回答へのお礼

御返答ありがとうございます。
「 0は何倍しても0だ 」 や、常人の何倍も努力する、できるから天才である
という言葉は、とても考えさせられます。

ある雑誌の中に 「 俺様は、天才なんだアァー 」 と言う人物が出てきましたが
ある意味、非常に良く出来たキャラクターで、何かを象徴しているのではないのかと
思いましたが私はその人物が、バカバカしくて大好きでした。

99%の凡人の一人として、私も少しは努力してみるもの良い事かもしれません。

お礼日時:2002/10/08 07:47

天才の画家は建物や風景などををパッと5秒ほどみるだけで、詳細な絵を描いちゃうらしいです。

 
…といえども、その人間の絵よりも、努力した凡人の絵のほうがいい場合もあります。ケースバイケースでしょうか。

努力ってなんだって考えたんですが、
テレビかなんかで「僕は努力してます!頑張ってます!」っていっている人に和田アキ子が一言、「そーゆーことを自分で言うな!」って言ってました。
「あの人頑張ってるね、とか、それは他人に向けて使う言葉でしょ。フツー。」ということらしいです。

才能のある、音楽家、画家、作家、、、彼らだって、自分は才能がある!って自分で思ってるんでしょうか? それよりも、まわりの人間がそういうんじゃないでしょうか。 
実際多くの作家、画家、音楽家は悩み、苦しみなどを経験している人、多いですよね。自殺しちゃう人もいる。
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この回答へのお礼

アドバイスありがとうございます。
本当に才能のある方は、自分では良く判らない、いつも悩んでいる、
たいした事ないと考えているのに、周りの人が凄いというので逆に
落ち込んでしまう、という話を聞いた事があります。

例えば楽器が弾けるようになりたいと、その楽器に触れた瞬間に
努力している事になるのでしょうか?または、そう考えた時点でそれは
努力でしょうか?

お礼日時:2002/10/08 07:04

努力ちゅうのは胡蝶の夢


現実やあらへんかもしれんなぁ
ワイかてナマケもんや
http://www.okweb.ne.jp/kotaeru.php3?q=358109見てな

参考URL:http://www.okweb.ne.jp/kotaeru.php3?q=358109
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この回答へのお礼

御返答ありがとうございます。
例えば、埃だらけの自分の車を洗車しようとして、わき目もふらずに
闇雲に何時間もかけて汗だくになって作業をしたのに
ボディーがキズだらけになるのが、無駄な努力。
短い時間で効率良く、ボディーをピカピカにするのが、有意義な努力。
車を洗車しない方は、怠け者ですか?
私は、埃だらけの車に乗っています。
例えが悪くてすいません。

お礼日時:2002/10/08 06:47

こういう質問は、はっきり言ってやたらときれい事を並び立てるか、それとも、世の中そんなに甘くはないと、言ってそれまで美徳とされてきたことを否定しまくるかどっちかになるんでしょうね。

でも、それは時と場合によりけりということで、無責任ですがどっちもありでしょうということにしておきます。
が、天才ピアニストは確かに人よりも早くピアノを弾けるようにはなりますが、これまた人によっては凡人の域を越えて練習をしている人もいます。
作家も、右から左に文章が流れ出てくる人もいるようですが、それはそれは血のにじむような思いをして書いている作家もたくさん知ってます。
カメラマンも、凡人にとってはどうでもいいと思えるようなことに頭を悩ませ、神経をすり減らしている人は多いです。
こういうのを努力と言わなければ、確かに努力という行為は凡人のいいわけかもしれませんね。でも、一応、傍目から見れば努力しているように見えます。
もしかしたら、こういった人たちはほんとうは才能のない人かもしれませんが、少なくとも何かを生みだしているようなので、凡人とは言い難いですね。
ところで、凡人の定義はどの辺のことを言っているんでしょうねぇ。凡人というのがいわゆる、平均的な人、という意味であれば、ボクはそんな人に一度もお目にかかったことはありません。みんなどこかしら変人の要素を持っていて、変人はおよそ凡人とは言い難い人ですから。
ちなみに、ボク個人としては努力が嫌いです。努力を強要された挙げ句、いろんなことが嫌いになるのはごめんですから。それと、周りに自分は努力しているとことさらいいふらしているいる人も滑稽だという意見には賛成です。
考えてみると、努力って難しいですね。

この回答への補足

アドバイスありがとうございます。
申し訳ないのですが最初の、きれい事を並び立てる、否定しまくる、のところは
私の質問に対してでしょうか、それとも回答に対してでしょうか?

補足日時:2002/10/08 05:31
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この回答へのお礼

アドバイスありがとうございます。
天才ピアニストは、飲み込みが早く難解な曲も、あっさりと演奏してしまうが
それでは満足せずに自分で考え、より良い演奏を目指して日々、鍛錬を
しているのでは?と思っています。

お礼日時:2002/10/08 23:44

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