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「公平」と「不公平」

先日友達と「不公平」についての議論をしたので、皆さんの考え方を教えてください。

最近、「不公平」だとか「格差」のような言葉が多く使われていると思いますが、
「不公平」も「格差」もあって当たり前なのに、何でこの言葉を使うのか?

世の中全員が全員「不公平」のはずです。
人それぞれ考え方も違う、やり方・生き方が違う、価値観も違う、求めるものが違う、
受ける苦労も違う、苦痛も違う、許容範囲も違う、境遇も違う、生活も違う。
なのに、誰々が「不公平」だなんだと言うのは、ただの妬み以外に何かありますか?

そもそも「公平」ってなんでしょう?
自分よりも生活水準が下だから公平?ただ下の人を見下してるだけじゃないの?
苦労して今の地位を確立できた人が公平?それってただの憧れじゃないの?
自分との境遇が近い人が公平?皆が一緒だと安心するお仲間意識?

自分の価値観と照らし合わせて、納得出来ないものが「不公平」で、
納得できれば「公平」になるだけであって、あまりにも身勝手な言葉じゃないでしょうか?
しかも大抵、「不公平」の対象になる人の事を細かくも知らないくせに・・・

最近「不公平」という言葉を使う人は、自分勝手なんじゃないかと、
勘ぐりたくもなるんですが・・・間違ってますかね・・・?

A 回答 (4件)

ただのねたみだけでなく、実際に行動を起こすきっかけにするために「不公平」とか「格差」という言葉を使うこともあると思います。



例えば、八百屋さんの例ですと、八百屋さんがもし高校生のときに「自分は能力があるのに貧しいからといって大学にいけないのは不公平だ!」と感じていたら、奨学金を取るために翻弄したりして、本当に物理の教授になるかもしれません。
この「不公平」という気づきがなければ、できなかったことを、気づいたことで可能にしたわけです。

別にこの状況を「不公平」という言葉で表す必要はないとは思いますが、「不公平だ!」「格差がある!」という言葉をきっかけに心に炎がついて立ち上がる人がいる可能性がある以上、なかなかあなどれない言葉かなぁ、とは私も思います(もちろんねたんでいるだけの人は私もとっても苦手です)。
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この回答へのお礼

確かに、「不公平」がプラスに働く事もあるんですね。
こういう事があるから、人生も面白いのかも知れません。

子供が大きくなったら、是非ともこういう話をしたいと思います。
世の中は全てが「不公平」である事。
チャンスは決して平等には廻ってこない。
だからこそ、少ないチャンスを利用して、考えて、どうすれば自分にとって良くなるかを。

間違っても、不公平に対して、文句を言うだけで終わらない為にも・・・

ありがとうございました。

お礼日時:2008/03/06 23:10

>最近「不公平」という言葉を使う人は、自分勝手なんじゃないかと、


>勘ぐりたくもなるんですが・・・間違ってますかね・・・?

基本的には間違っていないと思います。
ただ、質問者さんは良い境遇におられるのか精神的に強いのかのどちらかだと
思われます。

一般的に、弱者は不公平感が強く、境遇の悪さを不公平に起因すると結論付け
る傾向が見られます。
 ※本件は概念の問題なので、
        ”不公平と言う”理由が
  本当に不公平に起因するか、単に努力が足りないだけなのかは知る由もあ
  りません。

強者は不公平感を感じないか、感じてもそれを跳ね返すだけの力(体力、精神力、
経済力等)を持っています。

絶対的な公平など世の中には存在しませんから、そもそも不公平と言っても無
駄な事です。それでも言わなければやっていけない弱者が居る事だけは心の片
隅に置いておいたほうがよろしいかと思われます。
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この回答へのお礼

>質問者さんは良い境遇におられるのか精神的に強いのかのどちらかだと
>思われます。

多少は境遇がいいかも知れません。
だけど、精神的に極端に弱いジャンルもあります。

強者であろうと、その人なりの深い苦悩があるはずです。
弱者であっても、そういう境遇の苦悩があると思います。
でも幸せって、強者・弱者関係なく、その人の価値観によって様々ですよね。

またも極論になって飛躍しすぎて申し訳ないですが、
アフリカで大変な苦労をしている人達もいます。
だけど、その人達だって平等に幸せを得ようとする意欲がある訳です。
そうやって延び延び頑張っている人達を見ていると、
日本人の恵まれた環境の中で、自殺をしてしまう若者がいる事に、
強者も弱者も勝ち組も負け組みもへったくれもない気がします。

>絶対的な公平など世の中には存在しませんから、そもそも不公平と言っても無
>駄な事です。それでも言わなければやっていけない弱者が居る事だけは心の片
>隅に置いておいたほうがよろしいかと思われます。

これに関しては、心の片隅に置きたいと思います。
ありがとうございました。

お礼日時:2008/03/03 21:35

「公平」と「不公平」 ですか。

何か抽象的なお話ですね。

 公平と不公平に対して、格差まで同じテーブルで論じるのは変ですね。
人それぞれ考え方も違う、やり方・生き方が違う、価値観も違う、求めるものが違う、受ける苦労も違う、苦痛も違う、許容範囲も違う、境遇も違う、生活も違う。
 そうした中で出会うハードル、たとえば試験など。同じ条件で競争したいのにそこに受験資格やコネなんかがあったとしたら受験者間でフェア(公平)じゃないよ、アンフェア(不公平)だろってことになりますよね。
同じ条件であってほしいのにそこに差があると不公平ということになりますよね。そこで公平か不公平かを論じるには基準が要るわけです。

 一方、格差というのは全てのものに存在することです。人であれば所得であったり、生活水準であったり。
 マスコミや一部の者が、読者受けするとかいうことでやたらと使うから、嫌でも目立ってきますよね。

 私は「格差」はどうしてもあるもの。生活していく中であってほしくないものは「不公平」と考えます。

 自分たちの価値観などと照らし合わせて、おかしいと感じるものが「不公平」でしょうね。
 「自分の」となってしまうと、ねたみや嫉妬といわざるを得ません。
とにかく、今は格差社会だ不公平感だとマスコミを通じてこの言葉が氾濫しています。
 振り回されると、本当に注意していなければならないことを見落としてしまいかねません。苦労して今の地位を確立できた人を不公平だと引き摺り下ろすことを画策する。公務員が人件費を食いすぎだと削減をする(これって、行政サービスを提供できる人を減らしてるってことです。政治家の利権のためのカネに目を向けさせないための手段(スケープゴート))。政治家が本当に今すぐにでもしなければいけないこと(食の安全や生活の安定、医療など)を煙に巻く手段になってます。

 「格差」って言葉は使うべきじゃないですね。また「不公平」って言葉も、口々に言っても何も改善しない気がしますね。
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この回答へのお礼

>公平か不公平かを論じるには基準が要るわけです。

ごもっともです。
何かの対象があって、それに対して「公平」「不公平」を論じる訳ですもんね。
何かと「不公平だ!」と声を上げる人に対して、それは違うんじゃないかと思ったのが、この話のきっかけでした・・・
先ほども書きましたが、マクロに考えすぎたようです。

公務員の話も同意です。
何かと「公務員は不公平だ!」と言う人は、公務員の人の苦悩をどれだけ理解しているか疑問です。
安定した職業に入るために、学業を頑張った来た人の努力は無視するの?
教師なんかもよく槍玉に上がりますよね。
私の知り合いに教師の方が居ますが、本当~~~に大変な職業だと思います。
ただ、100%の教師であるべきものを提供出来ない苦悩があると思います。

そういう事情を無視して、自分勝手に「不公平だ」はどうなのかな?
と思います。

ありがとうございました。

お礼日時:2008/03/03 21:09

以下、個人的見解ですが。



今の日本の社会で「公平」というのは、機会が均等に与えられることを指します。
生まれつきの能力の差、貧富の差、環境の違いなどはあって当たり前ですが、チャンスは皆に平等に与えられるべきだ、ということです。

「人をうらやましがってる暇があったら、その分頑張ればいいじゃん」というのは、頑張れる環境にいる人が言えることであって、頑張る機会すら与えられない人もいるのだということが想像できていないのでしょう。
一度「自分ではどうしようもない」という立場に実際になってみないと実感としては分からないかもしれません。

思いっ切り身近な例に置き換えて言えば、
・運動会のリレーに出場したいが、足が遅いために選抜してもらえないのは不公平ではない
・運動会のリレーに出場したいのに、最初っから「お前はダメ」と言われて、タイム計測すらしてもらえないのは不公平である
ってことです。

(この違いを理解できないモンスターペアレントが「何でウチの子をリレーの選手にしないんだ」とかごねたりするんですね)

この場合、担任の教師に「お前はダメ」と言われてしまったら、生徒の力だけではどうにもなりません。頑張って走るのを練習したって、計測してもらえないのですから。

今は社会全体で、これに近い状態が起きつつある、ということだと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

確かにミクロに考えると、リレーの件は不公平だと思えますね。
ちょっとマクロに考えすぎたかも知れません。

ただ、
>チャンスは皆に平等に与えられるべきだ
これについては、チャンスは平等に与えられなくて当然だと思うのです。
(この件でかなり議論が続いたのですが・・・)

リレーに限らず、人生の中であらゆる適正のチャンスが無数に廻ってきます。
それと同時に、適正のあるチャンスが廻ってこない事も、当たり前にあるでしょう。
その中で、本人がどう感じ、自分の能力と興味を照らし合わせて、
進めるべく道を決めればいい訳です。
リレーでチャンスをくれなかった事で、本人が奮起すればそれでよし。
翌年、違う教師の下、マラソンをやってみたら自信を持った・・・
という展開があるかも知れません。

親父の八百屋さんを継いだ冴えない大将が、実は物理の世界でノーベル賞クラスの才能があっても、
そのチャンスに巡りあわない事は、不公平ではなく当然の事だと思うのです。

そういうミクロの不公平に対して、愚痴ってる暇があったら、
自分の大切な物を見つける前向きな姿勢が必要なんじゃないか、
と思った次第です。

お礼日時:2008/03/03 20:52

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