
No.4ベストアンサー
- 回答日時:
こんにちは。
#2です。回答をお読み頂きありがとうございます。
>「これはリンゴではなく鳥だ」と判断するのは認知。
>「落ちているのではなく飛んでいるのだ」というのも認知。
>しかし「鳥」と「飛ぶ」をつなげるのが思考と考えていいのでしょうか?
はい、その通りだと思います。
「それは鳥である:対象に対する認知(視覚連合野)」
「それが飛んでる:概念に対する認知(海馬)」
この二つの認知結果が組み合わされることにより、
「鳥が飛んでいる」
という思考結果が生み出されます。
従いまして、このような何らかの認知作業が完了しない限り我々の脳は思考を行うことは絶対にできません。
>「これが飛行機というものではないか」と判断するのは思考?
#3さんのご説明で十分かと思いますが、たいへん分かりやすい例ですので、これを使って「認知」と「思考」の違いをもう少し整理しておきたいと思います。
この二つの明らかな違いは、「認知」といいますのは「今現在に発生している情報」しか扱うことができないということです。ですから、今現在に「感覚知覚」や「記憶の想起」といった何らかの入力がなければ連合野は認知作業を行うことはできません。ですが、認知が行なわれるということは、そこに「新たな情報」が生み出されるということです。そして、その結果は外部入力が終了しても短期記憶として連合野内に保持されます。では、このようにして生み出された情報を「認知の対象」として扱うのが「思考」です。
認知によって判定することができるのは以下の通りです。
「それはAである(以前に見たものと同じである)」
「それはA以外の全てである(以前に見たものと違う)」
「それは全て以外の何かである(今までに見たことがない)」
ですから、それまで飛行機というものを見たことがなかったとしましても、我々の脳は「それを知らない」という結果を出すことができます。
では、実際に見るのは初めてでも、以前に書物などから知識を得ていたとしたらどうなるでしょうか。
ここで、
「これが飛行機ではないか」
という「推測」が可能になります。
只今申し上げました通り、認知といいますのは今現在の入力に対してしか行なうことができません。
見たことがないというのは「今現在の体験」です。これに対しまして、本で読んだというのは「過去の別な体験」です。ならば、今現在に「分からない」といいう判定が下されない限り過去の別な体験と照合することはできないわけです。従いまして、今現在の結果に対して新たな認知作業が開始された時点でそれは「思考」ということになります。
前回答で述べました通り、思考とは複数の認知結果を論理的に矛盾のない状態に組み合わせる作業です。ですから、脳は今現在の体験に発生している「分からない」という矛盾を解消するために過去の体験によってその「情報の不足」を補います。
ですが、この世にまだ飛行機というものがなかったとしますならば、それは現在に体験することも過去に学ぶこともできません。
では、
「自動車は人間を運ぶ機械である」
「鳥は空を飛ぶので遠くへ行ける」
ならば、
「空を飛ぶ機械があれば人間は遠くへ行ける」
このようにして飛行機というものが発明されます。
このように、今現在に与えられていない情報を別の体験によって補うことを「推測」といい、外部入力にも内部記憶にも存在しない結果が生み出されることを「想像」といいます。これらはみな複数の認知作業の組み合わせであり、そこに論理的に矛盾のない結果が選別されることによってそれは成立します。

No.3
- 回答日時:
#1です。
>初めて飛行機をみた人はいろいろ考えて,「これが飛行機というものではないか」と判断しするのは思考?
初めて飛行機を「みた」この「みた」部分が認知、物体として認識
「いろいろ考えて」以降が思考、
>後ろ姿を見ただけでは誰かわからなかったけど,声を聞いて初めて
「山田さんだ」と気づくのは認知?
気付くのは自分の中で考えなくても「山田さんの声」として
認識されるので、これは認知ではないかと思います。
No.2
- 回答日時:
こんにちは。
「認知」といいますのは「知覚情報」として連合野に入力された主に「外部感覚情報」が脳内の「内部記憶情報」と比較・照合される作業であり、ここには「入力に信号に対する選択的反応」という神経組織の構造的な機能があります。
これに対しまして、「思考」といいますのはこのような認知作業によって照合された「複数の認知結果」が連携・統合されることによって倫理的に矛盾のないひとつの情報に構成されるということです。ですが、ここで実際に働いているのは飽くまで選択的な結果を出力するための複数の認知機能であり、我々の脳内には特に思考という生理学的構造は存在しません。
我々の脳内では視覚情報の認知は「視覚連合野」、聴覚情報は「聴覚連合野」で行なわれます。このような「感覚連合野」は感覚器官から入力された外部情報を基に脳内に学習されている「感覚記憶」を検索して答え合わせをします。
「文字」や「話し言葉」も目や耳から入る感覚情報でありますが、こちらは言語情報として「感覚言語野」に入力され、ここでは言語記憶を基に「言語認知」を専門に行ないます。そして、概念や状態などといった「論理記憶」との情報の照合は「海馬」の役割となります。
このように、知覚情報の入力経路といいますのは感覚器官によって異なりますので、我々の脳内で認知作業といいますのはそれに対応した領野で単独に行われます。従いまして、このような脳の構造に基づいて弁別を行なうとしますならば、それは「視覚連合野」や「聴覚連合野」、あるいは「言語野」「海馬」など、脳内の別々な領域で行なわれる「複数の認知結果が統合される過程」、これを即ち思考と定義することになります。
「鳥が飛ぶ」
「リンゴが落ちる」
このような現象には「原因と結果」「時間の前後」、あるいは「対象と現象」といった対応関係が成立しますので、脳内の思考結果といいますのはこれに従って必然的に倫理的に矛盾のないものが選択されます。そして、言語というものを扱う我々の人間の思考といいますのは主語・述語などといった文脈に従って行なわれるのがその特徴であり、様々な概念を表象化することによってたいへん複雑な情報処理を行います。
では、この思考結果といいますのは認知が行なわれることによって初めて意識に上り、記憶の対象となります。これがややこしいところですね。
認知されるということは、その思考結果が再び外部入力や内部記憶と照合されるということです。ですから、このような「認知作業の連続」もまた思考ということになります。そして、このようにして認知された思考結果が脳内に記憶される場合は再び「感覚記憶」「言語記憶」「論理記憶」などに分割されてバラバラに保管されることになります。
では、このようなものはそのときの思考によって「連想記憶」の関係が結ばれますので、それはひとつの出来事として「再構成」することができるようになります。そして、このような筋書きが脳内で再生される過程では、各連合野内に短期記憶として呼び出された情報に対し、それぞれの記憶単位で再び認知作業が行わなければなりません。
このように、思考といいますのは認知作業と分離することは決してできません。そして、そこには対応する生理学的構造というものがありません。従いまして、それは我々の脳内で複数の結果が統合される過程を指す「概念」ということになります。
この回答への補足
詳細な回答ありがとうございます。
ところで
「鳥が飛ぶ」と「リンゴが落ちる」を例にとると
「これはリンゴではなく鳥だ」と判断するにのは認知。
「落ちているのではなく飛んでいるのだ」というのも認知。
しかし「鳥」と「飛ぶ」をつなげるのが思考と考えていいのでしょうか?

No.1
- 回答日時:
辞書的には
「認知」
(1)それとしてはっきりと認めること。
「目標を―する」
(2)法律上の婚姻関係にない男女の間に生まれた子を、親が戸籍法の手続きによって、自分の子と認めること。自発的に行うことを任意認知、裁判による場合を強制認知という。
(3)〔心〕〔cognition〕生活体が対象についての知識を得ること。また、その過程。知覚だけでなく、推理・判断・記憶などの機能を含み、外界の情報を能動的に収集し処理する過程。
「思考」
(1)考えること。また、その考え。
「誤った―」「余は―す、故に余は存在す/吾輩は猫である(漱石)」
(2)〔哲〕〔thinking〕意志・感覚・感情・直観などと区別される人間の知的作用の総称。物事の表象を分析して整理し、あるいはこれを結合して新たな表象を得ること。狭義には概念・判断・推理の作用による合理的・抽象的な形式の把握をさす。思惟。〔明治期につくられた語〕
つまり、
認知というのが外界からの情報・知識を自分の中で理解し咀嚼し認識すること。
思考というのは何らかの情報を元に自分で考えを巡らせること。
もっと簡単に言えば
認知とは知ること、思考とは考えること、ではないでしょうか。
明快なお返事ありがとうございます。
ただ「知ること」と「考えること」とを区別しにくい例もあるのでしょうか。
初めて飛行機をみた人はいろいろ考えて,「これが飛行機というものではないか」と判断しするのは思考?
後ろ姿を見ただけでは誰かわからなかったけど,声を聞いて初めて「山田さんだ」と気づくのは認知?
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